『美食通信』 第七十回 「予定通りに事が進まないのもまたをかし――静岡の夜は更けて――」

 筆者は物事の順序にこだわりがあります。高校三年生の冬、上野文化会館の小ホールで行なわれたバルトーク弦楽四重奏団の演奏会の前、上野精養軒で父とコースのフランス料理を食した際、「これだ」と確信を得ました。オードブルからデセールまで一皿ずつ理路整然と料理が供されるのを目の当たりにしたからです。「美」とは単なる主観的恣意的なものではなく、説明可能な論理的なものである、と。そこで大学に入学して以来、フランス料理を食べ歩き始めた次第。

 そして、それはフランス料理店には必ず予約して出かけるという、つまり一連の流れを先に予測して予定を立てるのが必須という行動にも。というのも、パリにおいて女性で初めて「オランプ」という店で星を獲得したドミニク・ナミアが離婚して九区に開店した「カーサ・オランプ」にランチで出かけたことがありました。開店間もなくのビストロだし、ランチだから予約なしで大丈夫だろうと出かけると店には誰も客がいなかったのに予約がなければ駄目と門前払いをくらったからです。もちろん、翌年、きちんと予約してランチしました。ドミニク女史はわざわざ厨房から出てきて、親しく話をしてくれ、フランス料理界のフェミニストと呼ばれた自立した立派な女性でしたが好感が持てました。それ以来、レストランにはランチでも必ず予約して出かけるようにしています。

 という訳で、毎年恒例の静岡旅行でも何処に泊まり、何処に出かけるかを綿密に計画を立て、レストラン等も出来る限り予約して出かけています。

 また、亡き両親の生まれ故郷である静岡市での一夜にはここのところ毎回、同じ出身の元代々木町「シャントレル」の中田シェフにもご一緒していただいております。いつもですと、スタートは常磐町の「カワサキ」でフルコースのフレンチをいただくか、呉服町の「ATO」でアラカルトでゆるゆるブルゴーニュを二本開けるかの二択となっています。

 ところが今回はどういう訳か、七間町のワインバー「ラフィエット」からスタートすることに。「ラフィエット」は昨年の夏、「カワサキ」の後にワインが飲み足りないということで出かけたお店です。「ATO」がお盆休みだったので、急遽探して伺った次第。フルコースの後だったので、ほとんど料理をいただかなかったので今回はアラカルトで色々頼んでみようということに。中田シェフが予約して下さいました。

 昨年リストに載っていながら欠品だったヴォーヌ=ロマネがきちんと用意されていたのは嬉しい限り。もちろん、モワヤール=グリヴォ2021年のヴォーヌ=ロマネをいただきました。価格も良心的でスタートしては良かったのですが……。

 ブテイユも空いてきて、さてどうしよう、と。すると、もう少し何か食べたいので「静岡おでん」が良いのではないか、ということに。まあ、これも今までにも何回かあったことだったのですが、何となくいつもの軌道からずれてきたのは確か。

 じゃあ、どの店に行くかが問題。ご存じのように「静岡おでん」は名物で市内に赤提灯のおでん街が常磐町に道を挟んで二つ(「青葉横丁」と「青葉おでん街」)あるくらい。筆者が子供の頃はまだ屋台で、静岡に帰ると父が出かけようというのですが筆者は行きたくなかったので頑なに拒んだのをよく覚えています。まあ、一応おでん街になったとはいえ、筆者は自分から出かける場所ではありません。しかし、昨年、代々木上原の「按田餃子」店主、按田優子さんもご一緒していただいた際、出かけた「青葉横丁」の方の「どみんご」に出かけることに。前回は客が誰もいなかったのに、今回は筆者たちで満席になる盛況ぶり。

 さて、ここからが迷走状態に。黒板にピノ・ノワール・ボトル6000円と書いてあるではありませんか。どうも女将がお気に入りのようで強烈に勧められる。ボトルを見せてというとここにはないと言う。名前も分からないというではありませんか。どうも出入りの酒屋に買いに行くようです。でも、10000円の方なら分かるというので聞くと、コピーを広げて、「オート・コート・ド・ニュイ、ミシェル・グロ」とたどたどしく読み上げる。

 筆者は手元にちょうど一万円札を現金で持っていましたので、「じゃあ、それでいいのでお願いします」と頼むと中田シェフや同行してくれているデザイナーの高橋君が驚いたような顔をするではありませんか。だって、おでん屋では筆者の飲みたいものがなく、手持ち無沙汰になるのは必須。グロのオート・コート・ド・ニュイは小売価格5000円くらいですのでレストランの適正価格ですし。

 すると一緒に働いている息子さんがさっと何処かにワインを取りに出かけました。ところがしばらくすると女将の携帯に電話があり、在庫がなく、これではどうか、と画像を送ってきました。それはボルドーのカロン=セギュールのセカンド「マルキ・ド・カロン=セギュール」でした。ハートのマークで有名なワイン。12000円というし、ブルゴーニュの口でしたので、6000円は何と聞いても返答がなく……。すると、常連らしき「先生」と呼ばれていたお客様が「普通のブルゴーニュですよ」と教えて下さいました。筆者は初対面の「先生」のお言葉を信じて、「じゃあ、6000円ので」と註文完了。

 息子さんが持ってきたのは確かにプロスペル・モーフーのACブルゴーニュ2023年で、ギャンブラー関の賭けは勝ちでありました。ワインもおでん屋で飲むには充分過ぎる出来で楽しい「どみんご」での時間を過ごすことが出来ました。

 さて、そろそろバーの時間ではないかといつも〆を飾る両替町「バー・コード」に。ところがいつもなら開いているはずなのに閉まっているではありませんか。またまた予定が狂ってしまいました。もう、22時を回ろうという時間帯でどうしようということに。「ATO」は23時までなのでワインとつまみでOKか聞いてみると親切な中田シェフがすぐに電話して下さいました。

 いつも満席の「ATO」ですので大丈夫かと思うと意外にすんなりOKとのこと。出かけてみると驚いたことに客が誰一人いないではありませんか。しかも、店は半分片付け状態。今日は空いていたんですよとサーヴィスの方が。店主のソムリエ氏も帰ってしまったそうで、ここから優秀なサーヴィス氏が店主と電話しつつ、ワイン選びが始まりました。何せ三本目ですので高いワインでは良さが分からないかもしれず、かといって安ワインでは開けてもらっているのに失礼。結局、二万円弱のジャック・カシュー、ヴォーヌ=ロマネ「オー・レア」2020年を頼み、フロマージュと生ハムを少々。この日二本目のヴォーヌ=ロマネ。これがまた美味しく、何という贅沢な夜であることよ。

 日付も変わらんとしている頃、いよいよ〆だと「バー・コード」に戻ってみるもやはり休みのようで。これでは終われぬと「じゃあここは趣向を変えエスプレッソで」ということに。この『美食通信』でも取り上げさせていただいた(第五十三回)駿河町「タンデムジャイブ」へ。常盤公園の脇に明かりが見えます。「開いている」。

 こちらも一人も客はなく、閉めようと思っていたのでしょう。「夜遅く来られるときは予約して欲しいんですけど」と言われたものの、心優しき店主は「普通に」美味なる〆のエスプレッソを淹れて下さったのでした。しかも、寝酒に何かないのかというリクエストにも応えて下さり、アマレットの入った「カフェ・コレット」をさらに出して下さったのです。エスプレッソ談義にしばし時を忘れ、気づくと二時近くに。さすがにこれは失礼しないと、と店を出ようとすると店主は「チャオ」と見送って下さったのでした。

 いつもとは流れがまったく異なり、四軒はしごの行き当たりばったり的な夜はこうして終わりを迎えたのでした。しかし、これもまた一興。予定が狂うのもまたをかしです。

今月のお薦めワイン 「ヴォーヌ=ロマネ――ブルゴーニュの中のブルゴーニュ――」

「ヴォーヌ=ロマネ オー=ゾルム 2023年」 ジャック・カシュー 16000円(税抜)

 

今回はブルゴーニュはコート・ドールのニュイを北から紹介するシリーズ。

いよいよ、佳境に入ってまいりました。ヴォーヌ=ロマネ村の登場です。

実際はシャンボール=ミュジニ村とヴォーヌ=ロマネ村の間にはフラジェイ=エシェゾー村がありますが、この村のワインはアペラシオンがヴォーヌ=ロマネになりますのでシャンボールの隣はヴォーヌ=ロマネということに。

ヴォーヌ=ロマネはブルゴーニュ、ひいては世界中のワイン愛好家の垂涎の的、あのロマネ=コンティの畑がある村です。ロマネ=コンティの畑はこの村の葡萄畑のまさに中心といった位置にあります。このアペラシオンには他にもエシェゾー、リシュブール、ラ・ターシュなどなどグランクリュの代表格の畑があります。

従って、普通の村名ワインのヴォーヌ=ロマネも他のニュイのアペラシオンに比べ高価になっており、現在は小売で15000円からとお考え下さい。

ヴォーヌ=ロマネはボルドーで例えるとポムロールに似ていると言えましょう。色は黒っぽく、香りにいわゆるスー=ボワ(森の下生え)が感じられ、味にまろやかさ、オイリーさがあります。コクのある複雑な味わいは個性的でもあり、偉大とも評されましょう。

今回、紹介させていただくのはジャック・カシューの「オー=ゾルム」です。

カシュー家はヴォーヌ=ロマネで二十世紀初頭からワイン造りをしており、1966年、相続でジャック・カシューとルネ・カシューに分かれました。ジャック氏は1994年に引退し、子息のパトリス氏が継承。2012年からはパトリス氏の子息のシャルル氏も加わり、ヴォーヌ=ロマネを中心に6.7haの畑を所有し、良心的な価格でワインを提供しています。

ジャック・カシューの魅力はこの「オー=ゾルム」を見ても分かるように、村名クラスのワインもすべて畑別にキュヴェを造っていることです。ですので、数種類の村名ヴォーヌ=ロマネが楽しめます。

「オー=ゾルム」の畑は斜面の下方、フラジェイ=エシェゾーに近い方の国道沿いにあります。カシューは0.25haを所有。100%除梗し、コンクリートタンクで発酵。新樽率35%で17ヶ月熟成。

凝縮感のある果実味と緻密なタンニン。ヴォーヌ=ロマネのファーストチョイスとしては最適な一本と言えましょう。

畑ごとのキュヴェですので生産量も少なく、すぐ完売になりますのでこの機会に是非。


略歴
関 修(せき・おさむ)

一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP

 

 


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