『美食通信』 第七十一回 「神保町迷宮巡り――古書店街の裏路地は隠れたる美食の宝庫――」

 テレビ朝日のドラマ枠には京都を舞台にした「木曜ミステリー」というシリーズがありました。惜しくも先年終わってしまったのですが、中でも一番有名なのは沢口靖子さん主演の『科捜研の女』でしょう。筆者も大好きでよく観ていました。あと、大好きな俳優さんで早く亡くなってしまい残念思った渡瀬恒彦さん主演の『おみやさん』など。そして、その中に『京都迷宮案内』というドラマもありました。主演の橋爪功さんはじめ、北村総一朗、野際陽子、市田ひろみとベテラン勢が繰り広げる味わい深い作品で、橋爪氏演じる新聞記者杉浦恭介が担当するコラム「京の散歩道」は市井の生活の中から世情をやんわりと批判するのですが、その舞台裏を描き出して心打つものがありました。調べると1999年から2008年まで十シリーズ制作されていました。

 先日、三十年来付き合いのあるF夫人に神保町にある美食の名店三軒にお連れいただく機会がありました。前回の静岡に続き、またまた梯子です。この時の何とも摩訶不思議な体験を書こうと思った際、思い浮かんだのが『京都迷宮案内』というタイトルとそのドラマの内容でした。

 神保町と言えば、本の街。最近、三省堂書店が新しいビルになり、その売り場の展示の仕方が斬新で評判になっています。しかし、何といっても古書店が靖国通り沿いに軒を連ねているのは風情あるものです。パリにもセーヌ河沿いに露店の古本屋が立ち並ぶ「ブキニスト」と呼ばれる歴史ある名所があります。

 それでも以前に比べれば本屋は減って、だいたいが飲食店に代わっています。「日清堂書店」という哲学の洋書専門の書店も昔、靖国通り沿いに店を構えていました。筆者は大学院生時代、その店のカタログを作るアルバイトをしていました。まだSNSのない時代でしたので、毎月冊子のカタログを発行していて、筆者は販売する本の著者名、タイトルなどを翻訳していました。その店もまた、早々に姿を消してしまいました。

 大学生時代から神保町には出入りし、とりわけ明治大学で教えるようになり三十年以上ほぼ毎週、神保町の駅から大学まで歩いて通っているのですが靖国通り沿いに歩いて、ちょっと脇道に入るくらいで、それでも「ランチョン」、「共栄堂」、「エチオピア」など名店を目にすることになります。さらに「山の上ホテル」が大学のお隣で、ワインバーの「モンカーヴ」で学生たちと飲んだり、取材をコーヒーパーラーの「ヒルトップ」で受けたりとよく使わせていただきましたが閉業。明治大学が買い取り、新体制で再開することに。そんな神保町のグルメと言えば、やはり学生街ですのでカレーやラーメンなど庶民的な店が念頭に浮かばれるかと思われます。

 ところが今回、F夫人が案内して下さったのはまさに裏路地のディープな名店ばかり。まず、待ち合わせは「蔵」という珈琲専門店を指定されました。

 神保町で筆者が良く使うのは珈琲専門店で、神保町の交差点のところにありながら地下なのでちょっと見逃しがちの老舗「トロワバグ」、閉店してしまいましたが白水社の隣にあった「ヴォワスィカフェ」などそれなりに知っていたつもりなのですが「蔵」は存じ上げませんでした。1994年開業とのこと。以前一度F夫人にお連れいただいたのですが、狭い裏路地にある中華料理店の二階。この日所用があり、タクシーで駆け付けたのですが途中までしか車が入れず、一筋手前で降りることに。店の脇にあるきしむやや急な階段を上り、扉を開けるとそこはまるで別世界のジャズの流れるシックな空間。

 F夫人はカウンターで店主や一番端の席に座られているお客様と歓談中。道が混んで遅れてしまったことを詫び、隣に座ると端の席の方を紹介されました。この店の大家さんで近くでビリヤード場を営んでおられるとのこと。F夫人曰く、「そのビリヤード場は本物の紳士が集われる社交場」とのこと。

 店主がペーパーフィルターで淹れて下さる絶妙な濃さのブレンドをいただき、次なる店に伺うことに。今度はワインコレクターが営んでおられる名店=迷店とか。実はその店主も「蔵」の常連で夫人は前日その方に「蔵」で会われたとのこと。どうもこの界隈の名士たちは皆、「蔵」に通われているようで。

 夫人の誘導で裏路地を歩くとこんなにいろんな店があるのかと驚くばかり。ここは神保町なの、と疑ってしまうくらい。人気のかき氷屋、小洒落た立ち飲みのワインバーなどなど目くるめく光景にまさに眩暈を起こしそう。昔、「人生劇場」という名のパチンコ屋だったところの手前のビルの二階にそのビリヤード場があるのを確認し、靖国通りに出るとやっといつもの落ち着きを取り戻した次第。

 今度は靖国通りをどんどん九段下方面に。専大前の交差点を超え、もう神保町も終わりかというところで「この辺りなんだけど分かりにくいのよ」と夫人。「クリムト」の看板を見つけ、「あった」とビルの奥に。通りに面しているのに、店はビルの奥まった通りから分からないところにありました。扉を開けると本の山が。どうも店主は様々なもののコレクターらしく、美術品も。店のシャンデリアは本物のガレだそうで。

 「ワインはもう集めていないんですよ」とおっしゃるのに、店の奥にはセラーが数台。一番手前が赤ワインなので自分で選んでくださいと懐中電灯を渡されました。コレクションの山をかき分け、セラーに到着。意外にも古いものだけではなく、最近のものまで。世界中のワインが、ピンがほとんどながらどういう訳かキリまで。ちょうど良さそうなものを選ぶのに苦労しました。何とか、ポマールプルミエクリュを見つけ出し、ホッと一息。テーブルに戻ると何と店は満席状態に。料理はイタリアンで、アンティパストとゴルゴンゾーラのペンネをつまみつつ美味しくワインをいただき、長居する雰囲気ではなさそうでしたので、河岸を変えることに。夫人は「お連れしたいバーがあるのよ。私が今一押しの店ですからお楽しみに」、と件のバーに電話をかけ出しました。

 オーセンティックバーでカウンターが良いがどうも今は満席で、テーブル席は空いているのでとりあえずお越し下さいとのことらしい。また神保町方向に戻り、再び裏路地の迷宮の中へ。今度の店はもう少し水道橋方面に行くよう。

 「コンセール」というその店は白いスーツの女性のバーテンダーさんが一人で営んでおられる。確かにここが神保町かと思うほどお洒落な空間。神楽坂か麻布か、そんな感じ。ほどなくカウンターが空き、そちらに移動。キリリと辛口のマティーニをいただきました。ほの暗いカウンターの目の前のアルコールランプの明かりが幻想的で、夫人のいう「カウンターでないと」がよく分かりました。

 店主はこの界隈の店主たちのマドンナ的存在とのこと。なるほど、神保町シンジケートのようなものが存在するようで、夫人もその一員なのでしょう。まさにここは「迷宮」。筆者は危うい場所に足を踏み入れてしまったのかも。

 これからもなるべくいつもの通い慣れた道を通るようにしよう。「迷宮」は夫人のナヴィゲートなしには危険過ぎると判断した次第です。

ベルトラン・アンブロワーズ ニュイ=サン=ジョルジュ 2023

今月のお薦めワイン 「ニュイ=サン=ジョルジュ――コート・ド・ニュイの最南端――」

「ニュイ=サン=ジョルジュ 2023年」 ベルトラン・アンブロワーズ 11000円(税抜)

 今回のブルゴーニュ、コート・ド・ニュイのワインの旅もいよいよ最後の最南端、ニュイ=サン=ジョルジュにやって参りました。これより南はACコート・ド・ニュイ・ヴィラージュの二村でニュイは終わり、さらなる南の村名ワインはコート・ド・ボーヌのACラドワになります。

 ニュイ=サン=ジョルジュは同名の村とその南のプレモー=プリセ村のワインが名乗ることの出来るアペラシオンで、ニュイではジュブレ=シャンベルタンに次ぐ広さを有します。

 歴史的にアペラシオンの制定時に、ワインに格差が出ないようあえてグランクリュの畑を拒否した経緯があり、プルミエクリュまでになっています。そのため、価格はその品質に比して良心的な場合が多く、カリテプリ感のあるアペラシオンです。

 そこで近年、新世代の代表的造り手のダヴィド・デュバンなどがグランクリュ候補だった「レ・サン=ジョルジュ」と「ヴォークラン」の畑をグランクリュに昇格させようとの活動を行なっています。

 ワインの特徴としては凝縮した果実味にはっきりした酸に主張があります。タンニンが豊富なので酸とのバランスが上手くとれていて、充実した旨味を楽しめます。

 今回ご紹介する造り手ベルトラン・アンブロワーズは1987年、プリモー=プリセ村に設立されたメゾン。ネゴシアンから出発したものの現在は17haの畑を所有。ビオロジックで栽培。ほとんどがドメーヌ物となっています。

 ワインの特徴としては比較的新樽率が高いことでしょうか。この村名ワインも所有する畑の平均樹齢60年の葡萄を使用。100%除梗の後、タンクで発酵。新樽率70%で12ヶ月熟成とこのクラスではしっかり樽がかかっています。

 長男、長女も加わり、ワインのスタイルもより果実味を生かしたものに変わっているようで着実に進歩しているとの評価。価格も良心的で嬉しい限り。

 これまでマルサネから始まり、ニュイ=サン=ジョルジュまで七つのアペラシオンを紹介させていただきました。それぞれ特徴のある銘酒揃い。

 これを機にもう一度すべてのアペラシオンを振り返っていただき、気になるワインを手にしていただければ幸いです。

ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで



略歴
関 修(せき・おさむ)

一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP

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