『美食通信』 第五十三回 「エスプレッソな夜――静岡市『タンデムジャイブ』――」

 筆者が無類の珈琲好きでとりわけエスプレッソにはうるさいことはすでに書かせていただきました。フランス料理店でデセールの後の珈琲にエスプレッソのない店は減点です。ご存じのように、フランスのカフェで「珈琲を頼めば(アンカフェ・シルヴプレ)」、何も言わずともエスプレッソが出てくるのですから。

 都内はまだしも、地方に出かけると食後にエスプレッソが出てくるフレンチが少ないのが現状です。そこで、街中にエスプレッソが飲める店を探すことになります。もちろん、今や何処に行っても有名チェーン店の珈琲ショップがあり、そこではエスプレッソを扱っていますが、あれらの多くはシアトル系なのでエスプレッソが美味しくない。もちろん、「イリー」や「セガフレード・ザネッティ」といったイタリアのエスプレッソブランドのチェーン店もありますが数が限られています。

 それでもどのような地方都市にも本格的なエスプレッソをお洒落な出す店が一軒や二軒あるようになってきました。数年前、子供の頃七年半を過ごした上諏訪に出かけた際、「AMBIRD」という小さなカフェでそれは見事な「エスプレッソトニック」に出会い、感激したことがありました。

 ここ数年、亡き両親の生まれた静岡市に年に二回ほど出かけています。出かける度に珈琲専門店、出来ることならエスプレッソが出てくる店を探しては訪れています。そんな中、口コミで静岡でエスプレッソといえば、「タンデムジャイブ」といった投稿を複数見つけたのです。調べると繁華街からは少し離れた「常盤公園」の脇にその店はあるようです。意外に思ったのは営業時間が午後三時から午前一時になっていることでした。

 確かにフランスでも朝起きがけはカフェオレですが、一歩外に出れば、カフェで一息つくのに最適なのはやはりエスプレッソ。筆者は寝る直前まで珈琲を飲むので気になりませんが、夕方以降エスプレッソを飲む機会といえば、せいぜいフレンチでコースの締めに頼むくらいで、どちらかと言えば、エスプレッソは昼間飲むイメージ。

 それが午後三時から夜中の一時までの営業とは。しかも、いくら県庁所在地とはいえ、静岡で。ともかくも昨年、清水の「芳川」で昼に鰻を食した後、食後にちょうどよかろうと「ビル泊」にチェックインする前に車で「タンデムジャイブ」に向かいました。駐車場はないようなので、近くのコインパーキングに車を停めて、店を探すことに。エスプレッソ専門店という触れ込みでしたので、都内の「バール」のようなものを想像してしまい、探したのですが見当たらず。小さなカウンターバーのような木造の建物がどうもお目当ての「タンデムジャイブ」のよう。勇気を出して、扉を開けるとカウンター数席の店でもちろん誰も客はおらず。

 芸人の久保田かずのぶ氏のような眼鏡をかけたちょっと気難しそうな店主が待ち構えていました。ともかくも「エスプレッソ」を頼むと、「どのような味わいのものがご希望で」と聞かれ、「じゃあ苦みの強いもの」を答えると、「では酸のしっかりしたのを出します」と正反対の答えがかえってきて、何やら豆を調合しはじめ、マシーンで淹れたエスプレッソに砂糖を入れて出されたのです。

 「砂糖を最初から入れるんですか」と尋ねると、「イタリアではこれが当たり前です」との返答が。同行した按田餃子の按田優子さんやデザイナーの高橋颯人君にも同様のあまのじゃく的エスプレッソがそれぞれ供され、そのあともエスプレッソ的な飲み物が講釈とともに次々と。気づくと二時間近くいたのでは。そろそろチェックインしないといけない時間になり、お会計をというと、一杯500円であとは「投げ銭形式」でと言われ、困惑したのですが注文したのは一人一杯、計三杯でチップということで2000円置いていくことに。とにかく、個性的な店主に圧倒されっぱなしでした。

 さて、この三月、同じメンバーで再び静岡へ。やはり静岡に実家のある元代々木町の「シャントレル」の中田シェフと「ATO」で待ち合わせしてディナー。四人でブルゴーニュを三本開け、さらに「青葉横丁」の「どみんご」で静岡おでんを日本酒と一緒につまみ、ほろ酔い加減でさて次はどうしたものか。

 「ATO」のある繁華街の呉服町から青葉横丁の方角へ移動するとさらにその先には「常盤公園」があるのです。そうだ。酔い覚ましにエスプレッソでも。いや、怖いもの見たさに「タンデムジャイブ」を中田シェフにも体験させてあげましょうと、暗い公園の方に吸い寄せられるかのように向かうと、一軒だけ明かりの灯る扉が見えるではありませんか。恐る恐る近づいて中を眺めると一人常連らしき男性がいるだけで、あの店主と目が合ってしまいました。もう逃れられません。覚悟を決めて、四人で店内に。

 昨年はなかった十五周年の張り紙やエスプレッソマティーニの写真などが散見され、店は昼間より照明のせいか明るい雰囲気でなんだか生き生きしている。常連の方はエレキギターの修理をされている方で、中田シェフが学生時代バンドをされていたこともあり、ライブハウスの話などで盛り上がりました。この方が上手なMCのような役割を演じ、気難しい店主と我々をうまく繋いで下さり、店主もご機嫌のようでした。

 相変わらずのあまのじゃくで、エスプレッソマティーニが飲みたいというと、それは今度にして、と別の珈琲カクテルを出してきたり、砂糖の入っていないエスプレッソが飲みたいというと、一度砂糖入りを飲んでいるから出してあげよう。砂糖入りを通過しない限り、砂糖抜きを出すことはない、とおっしゃったりとさすがにこちらも出方が分かってきて、それを楽しむ余裕が出てきたように思われました。その後、不思議な若い女性一人が来店し、彼女も巻き込んで、静岡の「エスプレッソな夜」は更けて行きました。これは一つの地方文化なのではないか、と実感した次第です。

 通常であれば、酒が主役になり、宇都宮のように「カクテルの街」と謳う都市もあるのですが、エスプレッソを主役に、もちろんアルコールも交えて(常連のギター職人さんはビールを召し上がっていました)、人の輪が広がって行く。これもなかなか乙なものではないか、と思いました。

 東京であればもう少しドライな「バール」文化なのでしょうが、静岡のような地方都市ではやや濃密な時間を過ごすことになるのであろう、と。

 日付も変わり、そろそろお暇することに。前回いくらお支払いしてよいのか分からず、少なかったのではと思った筆者は三人で一万円でと札を出すと、店主はそんなにはいただけませんと急に何やら計算を始め、一人三杯で4500円ですと、釣りをくれるではありませんか。「投げ銭」形式じゃないのか、と思ったのですが、まあこれがこの店の流儀なのでしょう。

 例年ならこの後、宿で明け方までワインなど飲むのですが、何故だか皆さん、今日はもうお開きで、と素直な就寝モードに。

 「エスプレッソな夜」は通りすがりの旅人にはちょっとヘビーなのかも。しかし、我々はそれでもまた「タンデムジャイブ」を訪れるでしょうし、中途半端な「デラシネ(根無し草)」といったところでしょうか。

今月のお薦めワイン 「ネッビオーロではなく、ドルチェット――ピエモンテの三銃士――」

ドルチェット・ディ・ディアーノ・ダルバ 『ソリ・リキン』 2020年 DOCGドルチェット・ディ・ディアーノ・ダルバ」 カーサヴェッキア 4950円(税込)

 

 今回はイタリアワインの回です。これまでは王道のイタリアワインを中心に紹介させていただいてきました。そこで今年はちょっと変化球というか、これまで取り上げなかったワインを飲んでいただきたいと思っている次第です。

 といっても、今回もピエモンテ州の赤ワインからになります。ピエモンテといえば、「王のワイン、ワインの王」でお馴染みの「バローロ」、その兄弟分の「バルバレスコ」などで有名です。これらはすべて「ネッビオーロ」という葡萄品種から造られています。ピエモンテ北部の「ゲンメ」なども同様です。

 しかし、ブルゴーニュの赤ワインに「ピノ・ノワール」の他に「ガメ」種から造られる「ボジョレ」が含まれるのと同様、ピエモンテの赤ワインには「ネッビオーロ」の他に重要な品種が二つあります。それは「ドルチェット」と「バルベーラ」です。それぞれ単品種でワインが造られています。この三種の葡萄品種を「ピエモンテの三銃士」と名付けてみました。

 「バルベーラ」はピエモンテ全域で作られ、ピエモンテの赤ワインの半分がバルベーラによるものとの記述が。それに対し、「ドルチェット」は南ピエモンテ、とりわけバローロなどと同じ「アルバ」が名産で普通早飲みタイプが造られる黒葡萄です。

 そこで、今回は「ドルチェット」をご紹介したいと思います。通常有名なのはDOCの「ドルチェット・ダルバ」ですが、今回は2010年にDOCGに昇格した「ドルチェット・ディ・ディアーノ・ダルバ」のワインを。ディアーノの町はイタリアで最初に公認されたドルチェットの葡萄園のある場所とのことで、ピエモンテ最良のドルチェットの産地として、昇格になったようです。

 造り手は1700年代からこのディアーノの町でワイン造りに従事している「カーサヴェッキア」家によるもの。「ソリ・キリン」は畑の名前で、ディアーノに四か所、バローロにも畑を所有し、全10haほど所有とのこと。

 このワインはセメントタンクで十二ヶ月熟成、瓶熟が二ヵ月と伝統的な早飲みタイプで程よいタンニンとふくよかな果実味を楽しむもの。

 飲み頃のヴィンテージですので、是非この機会にお試しあれ。

略歴
関 修(せき・おさむ)

一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP

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