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JOURNAL

『美食通信』 第四十八回 「古酒を嗜む――抜栓してみてのお楽しみ――」

『美食通信』 第四十八回 「古酒を嗜む――抜栓してみてのお楽しみ――」

 先日行われたワイン会で偶然とはいえ、いわゆる「古酒」を四本も開ける機会がありました。ボルドー二本、1995年と1986年、どちらとも1990年のブルゴーニュ二本という内容でした。造られて三十年から四十年経っているワインたちですので、これはまさしく「古酒」の部類に入ります。  では、そもそも何年くらい経ったらいったい「古酒」と言えるのでしょう。これは意外に難しい問題です。例えば、ボジョレ(とりわけ、ボジョレ・ヌーヴォ)のような早飲みのワインを数年寝かせて飲んだとしてもそれは「古酒」と言えるのかもしれません。ただし、この場合、まさに「古いワイン」という意味で美味しいかは別の話です。  ワイン愛好家が「古酒」という場合、それは「古くても美味しい」ワイン、その場合、しかも「数十年経って初めて美味しくなるワイン」と「飲み頃とは別の美味しさがあるワイン」の二種類に分かれると考えられます。しかし、いずれにせよ、年を経ても「美味しく」なくてはいけません。それには経年熟成して美味しいワインを造るという造り手の意志が必要となります。いわゆる「長熟用のワイン」と言われるものです。  こうした長熟用のワインに必要なのはワインの渋みを担うタンニンです。ですので、フランスワインではボルドーワインが古酒に向いていると言えます。では、どのくらい年を経たものを「古酒」と呼ぶのが適切と言えるのでしょうか。  愛好家以外の一般の方々が特別にヴィンテージワインを所望されるのは、まずは成人式ではないでしょうか。そう、「古酒」の一つの目安は二十年以上経ったワインというものです。  実際、例えば、ボルドーその中でもカベルネ・ソーヴィニヨンを主とする「メドック」地域のワインの場合、格付けシャトーは十年、その下位にあたる「クリュ・ブルジョワ」のワインの場合、七~八年が最初の飲み頃と言われています。ですので、二十年経てば、飲み頃から二倍から三倍の年月が経っていることになります。  もちろん、最初に述べましたように最初から何十年も熟成させてから飲むように造られている銘酒もあります。その代表がメドック格付け第一級いわゆる「五大シャトー」の一つ、シャトー・ラトゥールです。筆者がボルドーワインを学び始めた頃、ラトゥールは三十年寝かさないと本領を発揮しないというのが定説でした。  成人に達し、ワインを嗜むことが許されるようになれば、バースデーに誕生年のワインを開けるというのが一つの「古酒」の楽しみ方にもなります。一九九〇年代後半、ボルドーワインにのめり込んでいた筆者は友人たちのバースデーに必ずといってよいほど誕生年のワインを開けていました。  当時、筆者は三十代後半で友人のほとんどは筆者より若い方々でしたので、一九六〇年代後半から一九七〇年代前半のボルドーワインを探しては購入していました。現在のようにネットなどない時代でしたので、足繁く有名なワインショップや多くは主要デパートのワイン売り場に出向き、ダイレクトメール(DM)を送ってもらっていました。  虎ノ門にある「桝本」の「ヴァン・シュール・ヴァン」はパリのワイン商「ペーター・ツーストラップ」と提携していますので、当時から「古酒」も多く扱っており、現在に至っています。「エノテカ」などはまだ広尾にしか店がなかった時代、店に出かけるとビストロの今日の料理のように黒板に本日の古酒が書かれていて、気になるものが購入出来た際はまさに一期一会だけに嬉しく思ったものです。  しかし当時、古酒と言えば何と言っても専門のインポーター「海外酒販」が有名でした。前回書かせていただいた故山本博先生の『わいわいワイン』にも古酒なら「海外酒販」がよろしいと書かれていました。紙のリストを送ってもらい、電話して在庫を確認して、六本木の事務所まで買いに出かけたものです。ワインは足で探す時代でした。  ワインは開けてみなければ分からないもの。普通のワインでも「ブショネ」と呼ばれる主にコルクに問題があり、ワインにダメージが生じてしまうことがあります。「古酒」ともなれば、コルクだけでなく、保存によって熱劣化など様々な問題が生じかねません。また、ワインそのものが熟成と共に経年劣化して参ります。  ですので、シャトーで保存している場合など、途中でコルクを新しい物に変え、場合によっては目減りした分を補って再び栓をする「リコルク」という作業を行なう場合があります。その場合、新しいコルクには元のワインのヴィンテージと共にリコルクした年を明記しています。  いずれにせよ、開けてテイスティングしてみないと分かりません。目視できるのは目減りがひどくないか、エチケットなどが高温による吹きこぼれで汚れていないかを確認できるくらいです。  また、いくら五大シャトーなどの銘酒でもヴィンテージが悪ければ、元々美味しいワインが造れませんし、長持ちもしません。例えば、1991年のボルドーは全体的に不作で中でもメルロの出来が悪く、とりわけポムロールが駄目で、シャトー・ペトリュスは造られませんでした。シャトー・ボールガールもすべてセカンドワインとして販売されたと言われています。  そこまででなくとも恵まれないヴィンテージの古酒は価格こそ、まだ良い年の古酒に比べれば安いかと思いますが、早くに消費されてしまいますので、年を経れば経るほど入手しにくくなることは必須です。また、正直それほど美味しくはないでしょう。  逆に良いヴィンテージの古酒は随分年をとってもそれなりに得も言われぬ熟成感のある通常飲むワインとは別の素敵な景色を見せてくれることでしょう。  ボルドーではとりわけタンニンが強く長熟用のワインが出来る年があります。そうしたワインを「ヴァン・ド・ギャルド」=「見守るべきワイン」と言います。  ボルドーのヴィンテージチャートで「ヴァン・ド・ギャルド」として有名なのは1986年です。今でも充分美味しく飲めるシャトーが沢山あります。  バースデーはもとより、時に「古酒」を嗜むのもワインの楽しみの幅を広げることになり、ワインの奥深い魅力を知ることが出来るかと思います。  最後に一言。1990年のブルゴーニュもなかなかの逸品でした。ボルドーより探すのが難しいとは思いますが、やはり、ボルドーとブルゴーニュはそれぞれ偉大なワインであると実感した次第です。 今月のお薦めワイン 「ボルドー右岸のメルロ主体のワインを楽しむ――サン=テミリオンの隠れた逸品『シャトー・キノ=ランクロ』――」 「シャトー・キノ=ランクロ 2019年 AC サン=テミリオン グランクリュクラッセ」 7800円(税抜)  このクール最後のワインはボルドーから。今までメドック、グラ―ヴと左岸のワインを紹介させていただきました。そこで、今回は右岸リブールヌのワインを選んでみました。メドックのワインはカベルネ・ソーヴィニヨンが主体なのに対し、リブールヌのワインはメルロが主体。タンニンより果実味に見るものがあります。  また、リブールヌのワインは「サン=テミリオン」と「ポムロール」が二大産地となっています。サン=テミリオンが格付けにご執心なのに対し、ポムロールはあえて格付けをしないと対照的。ワイン的にはサン=テミリオンがカベルネ・フラン、さらにはカベルネ・ソーヴィニヨンとカベルネ系が補助品種として重要な役割を果たしているのに対し、ポムロールはほぼメルロで造られているとお考えになって良いかと思われます。  さらに、ポムロールとほぼ同じくメルロで造られるワインで果実味がよりストレートに伝わってくる「フロンサック」(カノン=フロンサックだとなお良し)、サン=テミリオンに隣接してよりスパイシーで野趣味にあふれた「カスティヨン」が価格的にも手頃に楽しむことが出来ます。  今回はサン=テミリオンのワインから、グランクリュクラッセのシャトー・キノ=ランクロを選んでみました。サン=テミリオンは格付けにうるさい。選ぶなら、グランクリュクラッセから選ぶことをお勧めします。グランクリュになりますと二百種類を超えると言われ玉石混交で、思わぬ逸品に出会うことも可能ですがそれにはかなりの知識が必要となるでしょう。  キノ=ランクロは1997年、ポムロールにもシャトーを有するアラン・レイノー夫妻が購入し、一躍注目を浴びます。2008年にはプルミエAのシャトー・シュヴァル=ブランのオーナーたちが買収。レイノー博士はコンサルタントとして残ったようです。2012年にはグランクリュクラッセに昇格しましたが、2022年、シュヴァル=ブランとオーゾンヌのツートップがころころ変わる格付けに嫌気がさしたのか脱退。キノ=ランクロも格付けから脱退しました。  オーナーを見れば、キノ=ランクロが隠れた逸品であることは明白か、と。筆者は以前、台北の「ターブル・ロビュション」でランチした際、選んだことがあり、フランス人のソムリエに褒められました。  年末の美食を囲む楽しいひと時、是非このとっておきのワインを開けていただければ幸いです。...

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『美食通信』 第四十七回 「懐かしの美食の先達――三善晃と荻昌弘――」

『美食通信』 第四十七回 「懐かしの美食の先達――三善晃と荻昌弘――」

 ようやく秋の気配を感じ始めたこの十月の初め、料理評論家として活躍されていた服部幸應氏急逝の訃報に接することになりました。  料理学校の校長先生にしては料理をしているところを余り拝見したことがなく、日本におけるフランス料理の普及に尽力された辻調理師学校の創設者、辻静雄(1933~93)氏を彷彿させるものがありました。服部先生と言えば、『料理の鉄人』、辻氏と言えば『料理天国』とテレビで美食の普及に大きな役割を果たして下さいました。  この二〇二四年は年明けの一月には日本におけるワイン界の大御所、山本博先生が九十二歳で亡くなりました。筆者がボルドーワインを極めようと常に手元に置いてきたペパーコーン『ボルドーワイン』(早川書房)をはじめ、アレクシス・リシーヌ『新フランスワイン』(柴田書店)などワインに関する翻訳本のほとんどが山本先生の手になるものです。また、実に多くのワイン本を執筆されてきました。  ペパーコーンの翻訳の監訳者紹介にもありますように、冒頭、肩書として「弁護士」と書かれるのが通例でした。ワインを100点満点で評価する日本人が大好きな「パーカースコア」を始めたロバート・パーカー・ジュニアもまた「弁護士」出身。マイケル・ブロードベントやエレナ・サトクリフは「サザビーズ」のオークショナー、『ポケット・ワインブック』のヒュー・ジョンソンもワイン愛好家を自称するワイン評論家。ワインのスペシャリストは「ソムリエ」ではないのです。「ソムリエ」はワインをサーヴィスするサーヴィスのスペシャリストであり、ワインを売らねばなりません。批評家=評論家はあくまで客観的にワインを評価する必要があります。「ソムリエ」という立場はそれに相応しくはないことを再確認すべきです。  山本先生と言えば、どうしても翻訳に目が行きがちですが、筆者は人からワインを始めるにあたって何か参考になる本はないかと尋ねられたら、迷わず、山本先生の『わいわいワイン』(柴田書店)を挙げます。山本先生はワインの歴史を重視される方でしたので、多くの本は歴史に関するやや硬い感じの本が多かったのです。そんな中、ワインを楽しむために必要な知識を軽妙な語り口で、しかも格調高く的確に提示されている『わいわいワイン』はワイン愛好家を自称する者は所持すること必須と言えましょう。  例えば、マイケル・ブロードベントの『ヴィンテージ・ワインブック』を携帯する必要性を説かれていますが、筆者も早速購入しました。翻訳はもちろんありませんので英語の原書だったのですが、オークショナーのブロードベントはフランス革命時代に造られたシャトー・マルゴーなどのテイスティングも行なっており、その時代から1980年代までヴィンテージごとに主要なワインのテイスティングコメントを掲載。  実に興味深く、ヴィンテージワインを飲むにあたり、大変参考になりました。  そう言えば、一九九〇年代半ばフランスワインを始めるあたり山本氏の本にお世話になったのに対し、大学生になった一九八〇年、フランス料理を食べ歩き始めた頃、何を頼りに「美食」を考えようとしたのか。  もちろん、辻静雄氏の本も読みましたが、やはり教科書というか啓蒙的な筆致がまだひよこだった筆者には親しみやすくはありませんでした。  そんな中、フランスの香りを筆者に伝えてくれたのが意外にも現代音楽作曲家の三善晃(1933~2013)先生が書かれた『男の料理学校 自分の味を創造しよう』(カッパブックス、1979年)でした。光文社の新書版「カッパブックス」は当時、実用書と教養書の中間というか、絶妙なスタンスでベストセラーを多数出していました。筆者が大学でお世話になった心理学者多湖輝先生の『頭の体操』などがその好例です。  ちょうど新刊だったこともあり、パリ音楽院に留学された三善先生がかの地で自炊され作られたオムレツの話など、文章もお上手で、「美食」としてのフランス料理を極めたいとおぼろげに思っていた筆者には、まさにパリが彷彿と感じられ、怖いもの知らずのフレンチ食べ歩きを始めるきっかけになったのは確かです。  また、当初筆者はワインなど酒類をほとんど嗜みませんでしたので、フランス料理以外にも様々な食べ歩きを行なっていました。その際に大いに参考にさせていただいたのが映画評論家として活躍されていた荻昌弘(1925~1988)氏の食に関する著書でした。 荻氏は今で言う「男厨(ダンチュウ)」、即ち「男の料理」のパイオニアの一人で『男のだいどこ』は一九七二年に公刊されています。筆者が手にしたのは文庫本になったばかりの『大人のままごと』(文春文庫、1979年)だったかもしれません。  その立ち居振る舞いというか、「食通」気取りを蔑み、あくまで自身を「食いしん坊」と呼ぶその洒脱な感じが素晴らしく、筆者が感動したのが「サンドウィッチハウス グルメ」を贔屓にしている文章でした。「サンドウィッチハウス グルメ」は空港や新幹線の駅に展開したサンドウィッチ専門店。今から半世紀も前のことです。サンドウィッチといえば、喫茶店で出される手軽な軽食というのが常識だった時代、クラブハウスサンドやエビフライが挟まったサンドウィッチなどちょっと贅沢で高価なサンドウィッチだけを提供する「サンドウィッチハウス グルメ」は大学生になったばかりの筆者にはちょっとした高嶺の花でした。(ちなみに「グルメ」は現在、唯一、那覇空港で営業しているとのこと)。  荻氏はその贅沢感が空港や新幹線の駅に出店している理由であること。そして、それをどのように活用するかが「食いしん坊」冥利に尽きるかを書かれていました。出発まで時間があれば、立ち寄ってゆったりと併設のレストランで出来立てを堪能する。時間がなければ、テイクアウトして、車内で駅弁代わりに楽しむ。  筆者も荻氏の本に後押しされ、当時、船橋東武のレストラン街にあった「グルメ」に一人で食べに出かけたものです。喫茶店のサンドウィッチとはまた違ったまさに「専門店」の味に感動し、駅や空港でも立ち寄れるようになりました。当時、船橋東武のレストラン街にはアメリカで成功したロッキー青木(1938~2008)氏の洋食店「紅花」(タンシチューが絶品でした)、上野精養軒もあり、また、船橋西武には一時期、高輪プリンスホテルのメインダイニングとして有名なフレンチ「ル・トリアノン」の支店があったり、デパ地下のイートインにはローストビーフの「鎌倉山」、ドイツ料理の「ローマイヤ」などもあって、東京まで行かなくても船橋西武の「リブロ」や船橋東武の「旭屋書店」へ本を買いに行くついでに食べ歩きする機会を得たものでした。  筆者の「美食」への誘いに貢献下さった、三善先生、荻氏に心から感謝する次第です。  最後になりますが、この五月にはカレー博物館初代館長を務められたカレー評論の第一人者小野員裕氏が急逝されました。筆者は縁あって、親しくさせていただいておりましたので痛恨の極みといった思いです。筆者の二歳上でいらして、ほぼ同じ年ですのでショックでした。ここのところ、お目にかかる機会がなかったのですが、本を立て続けにお出しになられて、その活躍ぶりを頼もしく思っていた矢先の訃報でした。遺作も公刊されました(『小野員裕の鳥肌が立つほどいい店、旨い店』(八重洲出版))。  心から哀悼の意を表させていただきます。 今月のお薦めワイン 「イタリア最北のピノ・ネロを楽しむ――トレンティーノ=アルト・アディジェ州のワイン――」 「ピノ・ネロ『ヴィーニャ・カンタンゲル』 2021年 DOCトレンティーノ マソ・カンタンゲル」 9000円(税抜)  今年最後のイタリアワイン。何にしようか迷いました。王道のピエモンテとトスカーナ。そして、ロンヴァルディアのピノ・ネロ。最近はブルゴーニュ好いていますのでここは再びピノ・ネロで、産地を珍しいところでいかがか、と。  そこで思い浮かんだのがイタリア最北の州、トレンティーノ=アルト・アディジェ州で造られるピノ・ネロのワインという訳です。  トレンティーノ=アルト・アディジェ州はボルザーノを中心とする北部のアルト・アディジェと州都でもあるトレントを中心とする南部のトレンティーノが合体した州です。最北と言われる通り、北に接しているのはオーストリアのチロル地方。そこで、アルト・アディジェは「南チロル」とも言われています。そして、オーストリアはドイツ語圏ですので、この州の人々はドイツ語が堪能。従って、フランスのアルザス地方と比較され、造られているワインも似た傾向があると言われています。つまり、白ワイン中心で赤は地品種のテロルテゴも有名ですが、アルザスがピノ・ノワールだったようにこの州でもピノ・ネロが造られているのです。ちなみにカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロも造られています。  ロンヴァルディアがシャンパーニュと同じ品種で「フランチャコルタ」を造っているのでピノ・ネロが栽培されているのと対照的です。  という訳で、アルザスのピノ・ノワールと比較するつもりで選んでみました。  選んだワインの造り手はマソ・カンタンゲル。DOCトレンティーノから分かるように、トレントの街のすぐ東に位置するチヴェッザーノにあるカンティーナです。2006年、フェデリコ・シモーニが創業。6haの畑を所有し、2008年の初ヴィンテージ以来、自然派のワインを提供しています。  通常のキュヴェよりも限定された畑の上質の葡萄から造られ、バリックで12か月熟成したワインは力強くもエレガントな仕上がりになっています。  前回のロンヴァルディアのイジンバルダのピノ・ネロと比較して飲んでいただければ幸いです。 略歴関 修(せき・おさむ)...

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