この五月、久しぶりに誕生年のワインを開ける機会を得ました。若い友人が三十歳になったので、それまでも毎年お祝いの会食を筆者お気に入りのフレンチで行っていたのですが、ここはシェフにお願いして、自分が探し求めたバースデーイヤーのワインを持ち込ませていただくことにしました。
そういった思いになったのはもちろん、もう七、八年の付き合いになる友人の三十歳という節目ということもあったのですが、筆者がFacebookで「エチケットは語る」という過去に飲んだワインのエチケットとそのコメントを紹介する活動をほぼ毎日更新していることが大きな理由の一つです。ちなみに、そのエチケットはインスタグラムでも同時に公開しています。
現在、筆者が「エチケットは語る」で紹介しているのは一九九八年に飲んだワインです。一九九七年から始めて二年目に入っている状態です。
エチケット剥しが日本人の手によって発明されたのが一九九三年。当初、「ヴァンテックス」という商品名でした。筆者がワインと真剣に向き合おうと思ったのが一九九四年。初めてパリに出かけた年です。そのきっかけを与えてくれたのが赤坂アークヒルズにあった「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トキオ」を初めて訪れた際飲んだシャトー・ムートン=ロートシルト1984年でした。ご存じのように「五大シャトー」と呼ばれるボルドーワインの最高峰の一つです。
ただし、1984年というのは1980年代で最も出来の悪いヴィンテージでとりわけメルロの出来が良くなかったと言われています。ですので、当時カベルネ・ソーヴィニヨンを中心に四種類の葡萄を用いてワインを造っていたムートンがこの1984年はソーヴィニヨン100%でワイン造りしたと噂が立った、いわくつきのヴィンテージでもあったのです。
実際、飲んでみてその出来に感嘆し、取り組むならボルドーワインにしようと決めたのでした。そして、ワインリストの素晴らしい「ル・マエストロ」に通うことも。そんな帰り際、ソムリエ氏からヴァンテックスで剥したエチケットをいただいたのです。これからワインを勉強するのにこんな便利なアイテムはないとすぐさまソムリエ氏に買い求め方をお聞きし、飲んだワインのコメントを必ず裏のコメント欄に書くようにしました。
ちなみに「ヴァンテックス」を最初に採用したレストランが「ポール・ボキューズ」でした。リヨン郊外の本店はもとより世界中で展開していた系列店で自身のサインが印刷されたエチケット剥しを用いたのです。SNSはもとよりデジカメさえない時代、良き思い出を残すアイテムとして重宝がられたのです。
そして、一九九六年の年末に「これから毎日最低一本はワインを飲むようにする」と筆者はそのハードルをさらに上げたのでした。
ところで、この時期のエチケットにはバースデーイヤーのワインを開けたものがよく登場するのです。
通常、フランス料理店でバースデーを祝う際のオプションはデセールにお祝いのメッセージをチョコレートで書いてもらうというものです。それに対し、バースデーを迎える方のバースデーイヤーのワインを開けるというのはハードルは高いもののその分喜んでいただけるのも確かです。
ただ、よほどワイン揃いの良いレストランでなければ、なかなか誕生年のワインは置いてありません。なければ、ソムリエ氏に頼んで用意してもらうことも可能かと思いますがその予算たるやデセールのオプションの比ではありません。
そこで畢竟、自分で買い求めてレストランに持ち込ませていただくというのが得策かと思われます。しかし、それにはレストランとの良好な関係性が事前に構築されていなくてはならないと筆者は考えます。もちろん一見さんでも、無下に断るレストランもないかと思いますがあまり感心したことではありません。
当時、筆者が事ある毎にバースデーイヤーのワインを開けることが出来たのは主に二つの理由が考えられます。
まず第一に東急渋谷文化村にあった「カフェ・レ・ドゥ・マゴ」にワインを無料で持ち込めたからです。当初、ドゥ・マゴは東急の直営で働いておられる方は東急の社員。しかも一流のレストランでの実績がある方ばかりでした。そして、顧客と認められればワインの持ち込み料は無料という暗黙の了解?があったのです。当時、筆者は渋谷にあった画廊「ミラージュ」とのお付き合いなど渋谷に出る機会も多く、ドゥ・マゴを活用させていただきました。ですので、筆者もその顧客の末席に加えていただけたのでした。
次にこれがおそらく一番の要因かと思われますが、当時筆者は三十歳後半で、バースデーイヤーを祝う方たちがかつての教え子が大多数。ちょうど三十歳までの方たちが大半だったからです。つまり、一九九〇年後半の出来事でしたので、対象者は一九七〇年代前半の方たちになります。
当時、二十年を過ぎたワインは「古酒」の扱いになっていました。問題は一九七〇年前後、ボルドーワインはヴィンテージの悪い年が多く、一九七〇年、一九七五年くらいしか良いヴィンテージがなかったのです。ただ、まだ在庫が存在したこと。さらに当時はヴィンテージの悪いワインは格安だったので財布に大きなダメージはなかったのは幸いでした。
ただ、何せSNSなどない時代でしたのでどこに行けば「古酒」が買えるのかが分かりません。その指針はやはり本にありました。故山本博先生の『わいわいワイン』(柴田書店、1995年)に古酒についての解説があり、購入先として、虎ノ門の「ヴァン・シュール・ヴァン」と六本木の「海外酒販」の名が挙げられています。前者は「パリのピーター・ツーストラップのコレクション」、後者は「サザビーズやクリスティーズのオークション物」と内容の表記も記されています。
両者とも現在も健在なのは嬉しい限り。ヴァン・シュール・ヴァンはワインショップで、海外酒販は古酒専門のインポーターです。海外酒販は六本木の某ビルのある階に会社があり、事前にカタログを送ってもらい、在庫を確認し、入荷したら、六本木まで出向き、代金と引き換えにワインを取りに出かけなければならなかったのをよく覚えています。
それでも、そうして足で稼いだバースデーイヤーのワインをドゥ・マゴで開けるのはワイン愛好家冥利に尽きるといえる行為かと。
この五月の1995年ヴィンテージのワインはさすがにネットで購入しましたが、ボルドーではなくブルゴーニュを探しましたので結構苦労しました。
それでも、クリスチャン・コンフュロンのシャンボール=ミュジニ プルミエクリュ「レ・フスロット」は実に見事な出来で、状態も良く、探した甲斐がありました。
皆さまも、大切な方のバースデーに誕生年のワインを開ける至福のひと時を是非体験されますことを!
今月のお薦めワイン 「ローヌの赤ワインを楽しむ――やっぱりシラーが決め手――」
「クローズ・エルミタージュ ルージュ 2020年 ACクローズ・エルミタージュ」 E・ギガル 4180円(税込)
『美食通信』のワイン紹介ではフランスワインに関してはボルドーとブルゴーニュの赤ワインを中心に取り上げています。これは筆者がこの二つの地域を赤ワイン全体の二大産地と考えているからです。
しかし、フランスにはもう一つ重要な赤ワインの産地があります。それがローヌのワインです。生産量の80%以上が赤ワインというローヌ地方。ただし、ブルゴーニュの南にあたるローヌもまた南北に長く、ローヌ川の上流と下流では葡萄品種などそのワインに違いがあり、好みは分かれると言ってよいでしょう。
南部はプロヴァンスに通じ、地中海へと流れ込みますので南仏のワインと共通の葡萄品種、グルナッシュ、カリニャン、ムールヴェードルなどが用いられます。その代表がシャトー・ヌフ・デュ・パープで最高十三種類の葡萄品種を使用することが出来ます。
それに対し、ブルゴーニュに近い北部はシラーが重要な品種となります。ローヌ全体でシラーは用いられていますが、北部でシラーのみで造られる「コート・ロティ」や「エルミタージュ」が価格的にもローヌ最高峰の赤ワインと言えましょう。
ただし、ローヌの赤ワインの特徴として葡萄品種が濃厚かつ個性的であるためか、白葡萄を加えることが許されていることです。例えば、「コート・ロティ」の場合、シラーにローヌの白葡萄品種の最高峰ヴィオニエを20%まで加えることが許されています。
筆者はやはりローヌを代表する葡萄品種はシラーと考えます。ですので、シラーのみで造られている北部のワインを紹介させてください。ただ、上記の二銘柄は高価ですので、「エルミタージュ」のサテライト(衛星地区)ともいうべき、「クローズ・エルミタージュ」を。
こちらも「エルミタージュ」同様、白葡萄のマルサンヌとルーサンヌを15%まで混醸できますが、今回はシラー100%の「クローズ・エルミタージュ」を。造り手はローヌ最大の生産者として有名な「ギガル」。ここは奇をてらうよりは王道を行こうではありませんか。
スパイシーで野趣味あふれる「シラー」はボルドーの「カベルネ・ソーヴィニヨン」や「メルロ」、ブルゴーニュの「ピノ・ノワール」とはまた違ったワインの風景を見せてくれることでしょう。
懐に優しい良質のシラーをこの機会に是非お試しあれ。