筆者は毎週金曜日に両国にある専門学校に教えに出かけています。道を挟んで真向かいに「とし田」という大正十年というから一九二一年創業の老舗の和菓子屋があります。
筆者がリーファーワイン協会で一緒に理事を務めていたK氏の奥様の実家がこの「とし田」で、会合の時など茶菓子やお土産にとよく「とし田」の菓子を差し入れして下さっています。つい先日もエチケット剥しのリニューアルの打ち合わせでお目にかかった際に、梅味のどら焼きをいただきました。これがなかなか美味でどら焼きの餡に酸味が加わっても結構いけるということに気づいた次第です。
夕食の後に必ずデザートを食する習慣のある筆者は毎週の献立で菓子の選択をしなくてはなりません。以前は帰宅の途中でコンビニに寄って買っていたりしたのですが、最近は加齢のせいもあってか、講義が終わるとグッタリしてしまい、コンビニに寄る元気もなく拙宅に直帰するのが精一杯になってしまいました。
そこで週に一回、近くのスーパーに買い物に出かける際、一週間分のデザートを購入するようにしています。毎回の食事もそうですが、デザートも日持ちするものをいくつか買わねばならず、賞味期限を配慮しながら食べたいものを選んでいくのですが、これがなかなか大変です。
筆者の場合、どうしても洋菓子が中心になってしまいます。すると、週の後半は生クリームなどを使った菓子は日持ちがしませんので、どうしてもゼリーなどの賞味期限が長い菓子になりがちです。
連日ゼリーも飽きてしまいますので、このようなとき、和菓子に目が行きます。饅頭や団子は賞味期限が短いので駄目ですが、そんな中、真空パックになっているどら焼きは結構日持ちがするので候補に挙がることが多々あります。
筆者が買い物に出かけるスーパーは自社製品のどら焼きの他に新宿「中村屋」やあと一社くらい常時三社くらいのどら焼きを置いています。どの会社も二種類くらいはヴァリエーションがあり、餡の味の違いだけでなく、定番のどら焼きの他に「極」といった原材料にこだわった高級品が並んだりしています。
梅味のどら焼きをいただいてから間もなく、マーマレード味の餡のどら焼きが件のスーパーで売られていて、早速購入して食してみました。これがまた美味でした。筆者自身がマーマレード好きなのと、餡の中に刻まれたオレンジピールが練りこんであり、あの独特の苦みがなんとも乙なのです。
子供の頃苦手だった食べ物が大人になると好きになることがあります。その多くは「苦味」が原因だったのではないでしょうか。例えば、「セロリ」。
筆者は小学校四年生まで長野県の上諏訪で過ごしましたので、給食に出るサラダに必ずセロリが入っていたものです。入学当初、セロリの入ったサラダが苦手で気持ちが悪くなることがありました。そのうち、慣れたのですが好きというほどはありませんでした。それがいつの頃からか、セロリが好きになり、亡き母の作るセロリのマリネが好きでよく作ってもらったものです。隠し味に輪切りにスライスされたイカの燻製を一緒にマリネするのですが、安上がりの魚介のマリネ風味といったところが家庭料理っぽくて好きでした。
また、当時の給食はご飯など皆無で、せいぜい途中から「ソフトメン」なるビニール袋の匂いがプンプンする袋麵が時折出るくらいで、コッペパンが毎日出るのでした。神戸に転校してからの小学校二年間は食パン二枚が毎回で例外が一度もありませんでした。ですので、毎回、一回分のマーガリンやらいちごジャムやらが付いていました。その中にマーマレードもあったのですが、やはり子供にはちょっと苦手な味わいだったのを覚えています。
しかし、それもいつの間にか、「オランジェット」というオレンジピールをチョコレートでコーティングした菓子が大好物になるのですから、味覚の好みの変化というのは不思議なものです。
さて、筆者は年に二回、学期終わりに「とし田」の菓子を教職員に差し入れしています。半期ごとに学科が変わるので、それぞれ学科の部屋に持参し、あと、講師控室で一緒の非常勤の先生方に一個ずつ。
ちょうど差し入れする前の週、講師控室で女性のH先生と話をしていると、「とし田」のレモン味のどら焼きが好物であるとおっしゃるではありませんか。「え、レモン味もあるのか、知らなかった」と筆者の心の声。H先生はなかなかのグルメで、「今日は帰りに御徒町に寄って『うさぎや』のどら焼きを買うんだ」とか、お昼に毎回、違ったエスニック料理を持参されるなど、食の話に事欠きません。しかも、ご実家の三重県に茶畑をお持ちで、ご自身で育てられ、焙煎された日本茶をいただいたこともあります。
そんなH先生が美味しいとおっしゃるんだったらこれは間違いない、と講師控室の先生方にはレモン味のどら焼きを差し入れすることにしました。
「とし田」のどら焼きにはサイズの違うものが何種類かあり、レモン味は梅味と同じ小ぶりの「相撲猫」と呼ばれるちょっとコミカルなキャラクターの焼き印が押されたシリーズの一つ。
先生方に差し上げると、とりわけH先生は大変喜ばれて、その場でペロリと食べてしまわれました。そして、「なぜ、このどら焼きはこんな形なのか、ご存じ?」、と。確かに、「相撲猫」のどら焼きは丸い皮二枚で餡を挟んでいるのではなく、長細い楕円形の皮一枚を折りたたむ形で餡を包んでいます。
H先生曰く、「餡が普通のものより若干柔らかめなので、食べている反対側から餡がはみ出ないよう、試行錯誤があったようですわ」とさすが博識でいらっしゃる。これまた、初めて聞く話で感心してしまいました。さて、肝心の味の方はといえば、一口頬張ると、レモンの香りが微かに漂い、夏向きの爽やかな味わい。レモンピールがやはり刻んで餡に練り込まれていて、これまた苦みがなんともいえない風情を醸し出しています。
甘さは控えめ。どこか素朴な味わいなのに、「レモン」というのが妙に洋風でミスマッチな感じがして、「いと可笑し」。まるで、「相撲猫」のよう。
いや、それにとどまらず、そういえば、梶井基次郎に「檸檬」って短編があったなあ、と。
H先生、恐るべし。「レモン味」がこれほどまでに想像力の翼を広げさせるとは。
しなやかな思考の持ち主で、どこか不思議な雰囲気のH先生は、まさに美食家の一人と筆者は確信するのでした。
今月のお薦めワイン 「美しい桜色のスプマンテで夏を楽しむ――ピエモンテの稀少種ペラヴェルガ――」
「ペラヴェルガ スパークリング 『ヴィタエ』 ブリュット NV ヴィーノ・スプマンテ・ディ・カリタ」 エミディオ・マエロ 5082円(税込)
今年はとにかく暑い。梅雨が明ける前から真夏日が続き、季節感が感じられないのが残念です。こんな時はやっぱりスパークリングワインが飲みたくなるもの。今回はイタリアワインの回ですので、イタリアのスパークリングワイン「スプマンテ」をご紹介しましょう。
イタリアのスパークリングワインと言えば、何が思い浮かばれますか。
高級感からすれば、ロンバルディア州の「フランチャコルタ」が挙げられるでしょう。
何といっても、フランスのシャンパーニュと同じ葡萄品種を用い、しかも瓶内二次発酵のシャンパーニュ方式で造られているのですから、まさしくイタリアのシャンパーニュ。もちろん、お値段もシャンパーニュと同様にお高くなっております。
それに対し、世界で一番飲まれていると言われているのがヴェネト州の「プロセッコ」です。これはプロセッコ種から造られており、タンクの中で二次発酵される「シャルマ方式」で造られています。
さらに、昔日本で流行ったのがピエモンテ州の「アスティ」でした。モスカート・ビアンコ種から造られる甘口のアルコール度数低めのスプマンテです。やはり、「シャルマ方式」で造られています。白ワインもドイツの「マドンナ」など甘口ワインがテレビで宣伝されていた時代がありました。
さて、今回ご紹介するのは珍しいスプマンテです。ピエモンテの稀少種「ペラヴェルガ」から造られたロゼになります。ペラヴェルガは淡い色の赤ワインを造る葡萄品種で、ピエモンテでもコッリ・サルッツェージとヴェルドゥーノで造られているだけです。
コッリ・サルッツェージにある造り手のエミディオ・マエロは創業こそ、1999年と比較的新しいものの、エミディオ氏の父、レミジオ氏が代々続くトラットリアのハウスワインとして、長い間忘れられていたペラヴェルガを復活させたのを機に、赤ワインのコッリ・サルッツェージ・ペラヴェルガはDOCを獲得するに至っています。
独特の色合い、タンニンがほとんど感じられない果実味の個性的な味わいが楽しめます。
ブリュット(辛口)ですので、暑い日にサッパリした料理と合わせてみてはいかがでしょうか。これもまた夏を楽しむ醍醐味の一つか、と。
是非一度、お試しあれ。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴
関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
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