11月の1日に弟弟子の春風亭いっ休が二ツ目に昇進しました。
やっとです。
通常、入門から四年ほどで二ツ目になりますが、いっ休は約六年かかりました。
古今亭志ん朝師匠ならとっくに真打ちです(それはそれで異常ですが)。
実は二ツ目昇進に落語の技術云々は関係ありません。
その時のタイミングのみで若干伸び縮みするもので、順番が来れば誰でもなれます。
そして近年、あの忌まわしいコロナの影響でこのように伸びきってしまったのです。
私はコロナ禍に入ってすぐ、入門から四年経たずに昇進となりました。
なぜそんなに早まったのか、後から聞いたら、
その昇進を決める落語協会の理事会(理事の師匠方による月に一回の会合)で、
「上の前座さん達は働きがいいから早めの昇進でいいんじゃないか。」
という話しが持ち上がったのだとか。
これは謙遜でもなんでもなく、私はまるで働きの悪い前座でした。
さほど必要じゃない時にずっといて、肝心な時にどっか行ってるような、耳かきの棒みたいな奴でした。
ところが、同期が数年に一人出てくるような、いわゆる"スーパー前座"。
楽屋での立ち居振る舞いから、鳴り物の技術、何をやらせても一級品。師匠方が思わず祝儀切ってしまいそうになるほどです。
その出来具合があまりにも凄いので、なぜか「その同期の与いちもできる奴」扱いしてもらえました。
よーく見るとそうでもないのに、ずば抜けたセンターがいることで全員可愛く見える大所帯アイドルグループのあれと同じです。
そんなことでの昇進でしたから、すぐ下の後輩達から私は忌み嫌われました。
そりゃそうです。入門時期がさほど変わらないそんな奴より、二年ほど長く前座をやることになったわけですから。
私が後輩の立場だったら与いちのお茶にケシカス入れます。
この間貰ったお茶に立っていたのは本当に茶柱だったのか心配になってきました。
二ツ目の披露目は毎日緊張です。
特に私は初めの十日間、すぐ後の出番が師匠一之輔だったので気が気じゃありませんでした。
初日の高座に「粗忽の釘」という師匠から教わった噺を演り、入れ替わる時に
「俺がこのままやり直してやりてぇよ」
と言われました。自分でもかなり酷い高座だったのは忘れられません。
次の十日間は、私の出番がなんと市馬師匠・正蔵師匠交互出演の後。
後ですよ?
普通は色物の方の後の出番で、その後に真打ちがお出になるんです。
それどころか、我が落語協会の会長・副会長の後。
幸せなパワハラです。
初日は市馬師匠。
降りて来られる時に師匠御自ら高座返し。
拍手を煽りながら盛り上げてくださいました。
後から聞いたら三十年ぶりの高座返しだったそう。
そこから自分が何を喋ったのかは覚えていません。
未だに夢に見ます。
市馬師匠が降りて来られて、驚いて目が覚めます。
ほぼ初恋と一緒です。
そんな刺激的な毎日をいっ休も過ごしているはず。
皆様も是非、昇進したてのキラキラした高座を観に駆けつけてください。
ご祝儀もお忘れなく。
※私は常時受け付けております。
略歴
春風亭与いち
1998年4月5日生まれ
2017年3月、春風亭一之輔に入門。
翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。
2021年3月1日より二ツ目昇進。