by Osamu Seki
席に着くとメートルが登場し、「料理は伺っております」というので、島田さんに尋ねるとコースしか取り扱いがなく、しかも二種類で料理は同じで一品多いか少ないかだけの違いとのこと。筆者が少食なため、少ない方のコースにしたと。その分、ワインを楽しんで下さいとの粋な計らいに感謝。ともかくも、すでにメニュがテーブルに置いてあり、自分で選べるのはそれこそ飲み物くらい。まあ、その他にもあり得ますが、それは後々お分かりになるでしょう。 まず、ミネラルウォーターの選択です。グランメゾンでは水も有料なので、フランスでは「ガズーズ、ノンガズーズ」と聞かれます。つまり、炭酸水か、炭酸水で無いか。炭酸水を頼むと選択肢はなく、国産の一種類だけである、と。これには驚きました。日本にも炭酸のミネラルウォーターがあったとは。それは奥会津金山の「天然炭酸水」で伊勢志摩サミットでも用いられたそうです。広く商品化されているのはこの水だけらしく、調べると「日本で唯一の炭酸水」と銘打っていました。飲んでみると悪くない。いい勉強になりました。 さて、余りお飲みになられない島田さんにアペリティフはと尋ねると、「今日はいただきます」と嬉しい返答が。ですので、シャンパーニュをグラスで頼むことに。下階のバーでしたら、カクテルなどもよさそうですが今回はもう手遅れなのでシャンパーニュで。 他のテーブルはどうもほとんどがペアリングのようで次々と色々なワインが注がれていきます。アペリティフはシャンパーニュと決まっているのでしょう。五種類ほどブテイユが並んだワゴンがソムリエと共に登場しました。なかなかの壮観です。 実は前日、ヴィンテージ物の素晴らしいブラン・ド・ブランを飲んでいましたのでこの日はブラン・ド・ノワールにしようと思った次第。 五種類の内訳はブラン・ド・ブランとブラン・ド・ノワールが一種類ずつ。あとはブレンド物。でしたので、これも一択になりました。 ミニョン・ブラールの造るピノ・ムニエ100%の「1911 スー・レ・パヴェ・ル・テロワール」NVという長い名前のもの。古樹のムニエ100%と珍しいセパージュのシャンパーニュでこれまた良い勉強になりました。味わいもまた悪くない。正解でした。 さて、いよいよ食事の開始です。特製の器に盛られた一口大のアミューズ「タジャスカオリーブのマドレーヌ」が恭しく登場しました。続いて、「新玉ねぎ キャビアオシェトラ」。この玉ねぎのムース。そして、キャビアは美味しかった。グランメゾンの使うキャビアらしく上質。「ちょっとだけよ」というのも筆者は歓迎。本来、グランメゾンのアラカルトでのオードブルの定番であるキャビアは富の象徴のようなもので食通は通常選ばない。コースにおけるグランメゾンとしての存在感を示すためのキャビアは嫌味でない程度に「プティ」が正解。 この間にワインを註文。選択に時間がかけられるという点ではある意味、今回のメインでしょうか。リストは昨年の「アピシウス」と並んで素晴らしいものでした。価格も抑えられていて、昔に買ったものがストックされているからであるとソムリエ氏も説明されていました。 ただ、思ったより点数は少なかった。ブルゴーニュよりボルドーが得意のようにも思えました。昔の筆者であれば、狂喜乱舞したでしょうがブルゴーニュと決めていましたのでちょっと悩ましいものがありました。昨年、モレ=サン=ドニの「クロ・ド・ラ・ロッシュ」を飲みましたので価格的に今回はヴォーヌ=ロマネ系の「エシェゾー」辺りかなあ、と。 グランクリュは最高がDRCからと価格がまちまちになりますので選ぶのが意外に難しい。「エシェゾー」は三アイテム。「フェヴレ」、「ダヴィド・デュバン」、「カシュー」。この中でヴォーヌ=ロマネの造り手はカシューのみでカシューにしようかとその頁を見直すと一番上に「クロ・ド・ヴージョ」が一アイテムだけ載っていました。 それがこのアンヌ・グロの2007年でした。価格的にはエシェゾーと同じくらい。オフヴィンテージでしたが、アンヌ・グロは魅力的。エシェゾーは別の機会にして、この日はアンヌ・グロのクロ・ド・ヴージョにしよう、と。 アンヌ・グロはヴォーヌ=ロマネを代表する造り手グロ一族の一人。一方、クロ・ド・ヴージョはシャンボール=ミュジニ村に隣接する小さなヴージョ村にあるグランクリュ畑。村の大部分を占め、極めて広域。ノーマン『ブルゴーニュのグラン・クリュ』には82の所有者がいると記されています。そのため,ワインも玉石混交。その中で優れた非公式の二つの区画があり、その一方が「ル・グラン・モーペルチュイ」で、「アンヌ・グロによって傑出したキュヴェが造られている」とノーマンは書いています。 オフヴィンテージは造り手の技量が試されるとソムリエ氏が言われていたように、二十年近く経ったこのクロ=ヴージョは繊細なワインでした。色合いは熟成感は見られない綺麗な紫。香りも穏やかながら清々しく、複雑さは感じるも華やかなものではありません。抜栓直後はスッキリした味わいで、タンニンが心地よく果実味より骨格の確かさに感心しました。 ソムリエ氏は清涼感があると評していました。途中でより大きめのブルゴーニュグラスに変えました。サーヴィスはパニエに入れたまま。香りは強くなり、果実味が広がり、確かに揮発性は少ないものの膨らみも感じられ、この辺りがベストなのかと思った次第。フロマージュを頼むことにし、残りはソムリエ氏に差し上げたところ、三つ目のグラスを用意され、少しどうぞと残りのワインを。グラスは小ぶりのチューリップ型。確かに少し濁りを感じるものの、噛み締めるような旨味があり、青黴やウォッシュなどのフロマージュにも対応出来る味わいでその違いに驚きました。 ソムリエ氏曰く、こうしたデリケートなワインは最初の上澄的な部分と最後の瓶の底に近い部分では味わいが異なるので、それぞれ相応しいグラスで味わうのが良かろう、と。まさしくその通りで、充分に堪能させていただきました。今回の最大の収穫はこの若く優れたソムリエ松田氏で、彼の華麗なワインサーヴィスの数々こそグランメゾンに相応しいもので「レカン」を訪れる価値があったと納得の行くものでした。 さていよいよ、本格的な食事の開始。オードブルは「ホロホロ鳥」と食材が示され、その後に「岩手県石黒農場から届くホロホロ鳥とフォワグラのシューファルシ モリーユ茸のソースブランケット」と料理名がメニュに記されています。以下の料理も同様。 見開きのメニュは左側に料理名が。右側にはこのホロホロ鳥の料理の絵が描かれていました。ということは、この料理がスペシャリテなのか。 とすれば、これは残念としか言えません。今回のコース料理の中で最も残念な皿をメインの「ナヴァラン」と争うことに。それはひとえにシューファルシがいけない。ソースと詰め物をしたモリーユ茸は大変美味しかっただけに悔やまれてなりません。 コース一択となれば、同じ料理の大量生産となります。いわば、ホテルの宴会料理を小規模化したもの。シューファルシはロールキャベツのことで、本来は温かい料理。しかし、何と冷製。しかも、パテアンクルートの中味のような硬い食感。ですので、ナイフを入れるとフォアグラとホロホロ鳥がバラバラになってしまう。作り置きに温かいソースと手間をかけたモリーユ茸を添えましたみたいな感じになってしまいました。 魚は「甘鯛」。料理名は「甘鯛 ホワイトアスパラガス 春のコキヤージュ」。コキヤージュというのは「貝」のことで、ソースが貝味のクリームソースにさらにレモングラス風味の貝出汁をメートルが目の前でかけるというグランメゾン風のサーヴィスは良かった。甘鯛の火通りも良い。鱗のパリパリ感も素晴らしい。それだけに付け合わせはアスパラガスだけで良かったと思うのです。貝が二、三種類添えられていましたが余分に思えたのです。「ソースが命」と謳っているのですから、それなら貝のソースで勝負すれば良い。 メインは「仔羊」。「ロゼール産仔羊のデュオ」ということで二皿でサーヴィス。まず、「背肉のロティ ソースシャスール」。この肉の火通しも見事。それだけに二皿目の「鞍下肉のナヴァラン プランタニエール」がまたまた作り置きの残念な一皿。ナヴァランは「煮込み」なのにこれもまた出来合いの温め直し風になってしまっている。「プランタニエール」とは「春(プランタン)の予感」とでも訳せましょうか。付け合わせの野菜を指しているのですが、島田さんも「これって、ミックスベジタブル」っぽくないですかとおっしゃるくらい貧弱な見映え。しっかりしたポーションのロティ一本で勝負した方が良かったのでは。 デセールも二皿。小さな方が「やまもも」。「和歌山県産やまももと紫蘇のスープ ビーツのアイスクリーム」。これは美味しかった。しかし、メインの「サントモールブラン」。「シェーブルと三ヶ日蜂蜜のムース 甘夏とういきょうのコンポート」は普通の出来。これもメインのデセールに感動が少ない。先ほどの仔羊もそうでしたが、二皿目が際立つ構成にする必要が。 さて、ここでまだワインも少し残っていましたし、フロマージュを註文することにしました。これには感心しました。種類の豊富さ、状態の良さ。ソムリエの松田氏の対応の素晴らしさは上記の通り。また、それまでの客は誰一人フロマージュを頼んでいませんでした。しかし、筆者たちが頼むと隣のテーブルの客もフロマージュを註文。レストランとはそういうものです。 コースに縛られるのではなく、プラス・アルファでフロマージュを註文すれば、自分の食べたいフロマージュを自分で選べるではありませんか。 そして最後に「余韻」と名付けられた最後のプティフールは見事なボックスサーヴィスで好きなだけチョイスできます。 さて、仕上げは「ディジェスティフ」です。ここで筆者はソムリエ氏を呼び、「ディジェスティフ」が飲みたいので階下のバーでとオーダーしました。ここで肝心なのは「階下のバーで」という註文です。「ディジェスティフ」だけでは目の前に出されることになったでしょう。 島田さんはダイニングのモダンな作りが安っぽいと残念がられていましたので、バーの「臙脂のビロード」こそご所望かと思い、ここはバーでディジェスティフをという流れを作る必要があるか、と。 もちろん、断られる理由はなく、筆者たちは階下のバーに席を移しました。念願の「臙脂のビロード」の空間の登場です。もちろん、誰も使っておらず、その後も誰も来ませんでした。 ソムリエの松田氏が続いて対応。彼はダイニングとバーの掛け持ちで大変そうでしたがまあこっちの方が松田氏とも話しやすい。ヴォギュエのマール・ド・ブルゴーニュをいただきました。...
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by Osamu Seki
二〇二五年に入り、老舗グランメゾンの閉店が相次いでいます。一月末には一九八〇年創業の松濤「シェ松尾」が、二月末には一九八六年開業の三田「コート・ドール」がその半世紀近くの歴史に幕を閉じました。「シェ松尾」は洋館の老朽化が理由のようで、別の場所での再開を予定とのことですが予定は未定でしかありません。「コート・ドール」は斉須政雄シェフが引退されるということに他なりません。 この『美食通信』主宰の銀座「The Cloakroom」の島田社長との恒例の会食が二月に予定されていましたので、年明けに「コート・ドール」の予約をお願いしました。が、すでに閉店時まで連日満席ということで一九七四年開業の老舗中の老舗グランメゾン「銀座レカン」を予約していただきました。 「レカン」は昨年、創業五十周年を迎えました。筆者がフランス料理を食べ歩き始めたのは大学に入学した一九八〇年でしたので、当時、フランス料理店と言えば、帝国ホテルの「フォンテンブロー」、「プルミエ」、ホテルオークラの「ベル・エポック」、高輪プリンスホテルの「トリアノン」といったホテルか、「東京會舘」、「三笠会館」といった会館系、さらには「上野精養軒」、「小川軒」、「松本楼」、横浜の「霧笛楼」といった「軒」や「楼」といった名前のつく店が主流でした。 その中にあって燦然とその存在感を示していたのが銀座に店を構えていた「マキシム」と「レカン」でした。「マキシム」はソニービル、「レカン」は御木本真珠のビルとどちらも銀座の中でも一等地にあり、ちなみにソニービルにはイタリアンの名店「サバティーニ」も入っていました。銀座には他に資生堂ビルの最上階に「ロオジェ」、さらに「レンガ軒」があり、ポール・ボキューズが最初に提携したレストランでした。 「レカン」は故井上旭、城悦男、十時亨といった名シェフが若き日に腕をふるい、グランメゾンに相応しいサーヴィスと共に名声を博していました。 また今年は、筆者が日本におけるフランス料理批評のメルクマール(判断基準)と考える故見田盛夫氏による『エピキュリアン』(講談社)が出版されて三十年になります。 一九九五年に公刊されたこの本で三つ星を獲得している店は昨年島田さんとご一緒させていただいた高橋徳男シェフ時代の「アピシウス」、「コート・ドール」、井上旭氏の「シェ・イノ」、広尾の「ひらまつ」、ドミニク・コルビがシェフだったニューオータニの「ラ・トゥール・ダルジャン」、「ベル・エポック」で活躍したジャック・ボリーがシェフとなった「ロオジェ」、そして十時氏がシェフ時代の「レカン」でした。 もちろん、「レカン」も順風満帆といったわけではなく、リニューアルを経て新体制となり、五十周年を機に再起を図るといった状況です。 その甲斐あって、今年の『ミシュラン』では一つ星を獲得しています。「アピシウス」も掲載されていますが星はありません。「レカン」へのコメントには「八代目となった栗田雄平シェフはソースを重んじ、ワインとのマリアージュを図る」とあります。確かにワイン揃いという点では「アピシウス」と並んで「レカン」には素晴らしいものがあり、楽しみにしていました。 銀座四丁目の交差点のすぐ近く、山野楽器の隣、艶やかな宝飾店のショーウィンドウの隅に暗く狭い入り口が。ドアウーマンが二名待ち受けていて、エレベーターで地下一階へ。扉が開くとメートルが二名お出迎え。入り口近くの席に通されました。正直、あまり良い席とは言えませんが、かえってホール全体を垣間見ることが出来ました。 また、ダイニングがモダンなものに変わっていたのがリニューアルなのか、と。レカンと言えば、筆者の記憶では「赤と黒」のビロード。実際、見田氏の『エピキュリアン』2000年版(丸善)にも「アール・ヌーボー調のインテリアで、壁は臙脂のビロード。ほの明るい雰囲気のなかで卓上にひときわ光を当て、料理が美しく見えるように配慮されている」と書かれていました。 しかし、確かバーは昔のままのはずだと関係者から聞かされていたのを思い出し、エレベーターで感じた違和感を再確認しました。というのも、てっきり地下二階のバーにまず通されるのかと思ったのです。あるいは、実際に使うかは別にして、ウエイティングバーをお使いになりますかくらいは聞かれるかと思ったのです。 というのも、メインダイニングはフランスでは二階にあるのが一般的だからです。フランスでは地上階はゼロ階、日本でいう二階が一階です。ですので、グランメゾンでは日本でいう一階は車止めなどでそこから一階上にあがったところにダイニングがあります。日本では閉店になりましたが老舗の芝「クレッセント」が印象的でした。また、恵比寿ガーデンプレイスの「ジョエル・ロビュション」も一階が「ラ・ターブル」で二階がメインのグランメゾンと価格帯の違う二店舗営業となっています。 筆者の記憶に残っているのは、パリ八区の「ルドワイヤン」に出かけた時のことです。一九九六年のことでした。現在、「ルドワイヤン」はヤニック・アレノが率いる三つ星ですが、当時、パリで女性シェフが初めて二つ星を獲得したと話題になっていました。ジスレーヌ・アラビアンがその人です。筆者は女性シェフに優しいというか、一つ星を初めて取ったドミニク・ナミアの料理も食べに出かけています。で、筆者が入り口に向かって歩いていると、モデル風の美女が大勢同じ方向に。これは随分華やかな宴になるかと思いきや、一階が宴会場でそこで「ランヴァン」のレセプションがあったのでした。若い筆者たちは二階に通され、年配の男性ばかりのテーブルの中で浮きまくっていた次第です。 こうした実情は映画『プレタポルテ』(1994年)で垣間見れます。パリコレを舞台にしたこの映画で「ブルガリ」のショーの後、レセプションの会食の場面が出てまいります。ゴルチエやソニア・リキエル本人が登場し、食事していたのですが、それが「ルドワイヤン」の一階でした。 つまり、「レカン」の場合、ダイニングに向かうにはまず地下二階のバーを経由して、一階上がってテーブルに着くというのがマナーといってよいのです。 それを省略するには何か理由がありそうでしたが、島田さんは余り飲まれませんし、まあとりあえず、よろしいかと思ったのですが、島田さんがダイニングのデザインを残念に思われていたようなので、ここは「臙脂のビロード」を見ずして帰れないなと悟った次第。 では、どうしたら良いか。まあ、末席に通されたのですから、ここは少々好き勝手にやらせていただこうと覚悟を決め、オーダーを開始することにしました。 その顛末は次回のお楽しみということで。 今月のお薦めワイン 「ニュイの隠れた実力者――モレ=サン=ドニのワインを楽しむ――」 「モレ=サン=ドニ 2022年 AC モレ=サン=ドニ」レシュノー 12000円(税抜) 今月はブルゴーニュの回。まずはコート・ドールのコート・ド・ニュイと王道中の王道から。何にしようか迷いました。このところのブルゴーニュワインの高騰はボルドーワインの比ではありません。今回のような村名ワインももはや一万円以下ではなかなか買えなくなってしまいました。 ニュイはジュヴレ=シャンベルタン、モレ=サン=ドニ、シャンボール=ミュジニー、ヴォーヌ=ロマネ、そしてニュイ=サン=ジョルジュと偉大な赤ワインを産する村が軒を連ねています。 ですので、価格を抑えようと思えば、格付け畑のないマルサネかプルミエクリュ止まりのフィサンという北の二つのアペラシオンから選ばざるを得ません。ところが、近年、マルサネにはパタイユ兄弟など若手で優れたワインを造るドメーヌが増え、これまで五千円くらいで買えたものが一万円超えも登場し、上記の主要アペラシオンと余り変わらなくなってしまいました。 今回も同じ造り手によるマルサネか主要アペラシオンかで迷いました。その造り手のレシュノーはニュイ=サン=ジョルジュにドメーヌを構えていますのでニュイ=サン=ジョルジュでも良かったのですが、同じ値段でしたので自分の好みのモレ=サン=ドニにしました。 レシュノーは1986年創業。ネゴシアンで働いていた父の残した3haの畑から出発し、現在10haまでの規模に成長した兄弟が営む比較的新しいドメーヌ。ビオロジックを実践。除梗100%。この村名ワインは所有するクロ・デ・ゾルムの二つの畑の葡萄から造られています。 ブルゴーニュにはよくあることですが、同じ名前の畑でも第一級の部分とただの村名の部分に分かれています。このクロ・デ・ゾルムも同じで、レシュノーは第一級、村名双方に畑を所有しており、それぞれにワインを仕込んでいる他にこの村名では両方の畑の葡萄を用いてワインを造っているという訳です。...
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ワイン仲間の新年会が向ヶ丘遊園で昨年開店したばかりの中華「五廻」で行われ、四半世紀ぶりに向ヶ丘遊園へ出かけました。世紀が変わる頃、二年ほど専修大学で教えたことがあったからです。フランスへ海外研究に出かけられた先生の代講を頼まれ、向ヶ丘遊園と九段の校舎へ出講していました。 いつものワイン会はまさにワインが主役でボルドーとブルゴーニュの赤の饗宴になるのですが、今回は「中華」に合うワインというお約束で料理に重きが置かれていましたので、持ち寄られた七本のワイン中、フランスワインは三本だけ。それもボルドー、ボジョレにローヌのタヴェル・ロゼとピノ・ノワールはなく、いつもとはまったく趣の異なったものに。いつもながらのボルドーを持参したのは筆者だけでした。 しかし、筆者が持参したのも通常のボルドーワインとは異なったものでした。それはデュロン社の造る「マルゴー」2021年といういわゆる「ジェネリック」物と言われるワインでした。 ボルドーワインの場合、「シャトー」物即ち「シャトー・~」と呼ばれるワインを普通買い求められると思います。「五大シャトー」は1855年のメドックの「シャトー格付け」で第一級を獲得した五つの「シャトー」(シャトー・ムートン=ロートシルトは例外に1973年に第二級から昇格)で、第一級から第五級まで現在61シャトーが格付けされています。その下位に「ブルジョワ級」、さらにあまり目立ちませんが「アルディザン級」があり、格付けされていないシャトーも存在します。 五本5000円くらいで通販などで販売されている「金賞受賞ワイン」セットのワインでさえ、ほとんどがACボルドーの「シャトー・何々」であるはずです。 これらは「シャトー元詰め」といって、畑を所有する者がその畑に隣接する醸造施設でワインを造り、それを自身で瓶詰めしたもの。「シャトー」とは醸造施設であり、そのワインが造られる葡萄が栽培されている畑をも意味するようになったのです。 それに対し、ジェネリック物は「ネゴシアン」と呼ばれる酒商が自身で瓶詰めして販売する余裕のない造り手からワインを樽買いしブレンドして、自身のメーカーの「ブランド」味に仕立てて販売するもの。また、最近では葡萄だけ購入し、自身の工場でワインにして販売するケースもあるようです。筆者が購入したデュロン社の「マルゴー」はACマルゴーにある契約農家から購入した葡萄からデュロン社で醸造されたワインとインポーターの資料にありました。 こうしたブレンドされたワインはシャンパーニュの「メゾン」物がその典型と言えましょう。 契約農家から購入した葡萄でシャンパーニュを造り、しかも自身のブランドの味を一定にするため、ノンヴィテージと呼ばれる複数の年のワインをブレンドするのです。年ごとにワインの出来は異なるので味を一定に保つには複数年のワインをブレンドせざるを得ないからです。 しかし、ボルドーワインの実情はなかなか複雑で「シャトー元詰め」が義務化されたのは1970年代で、それまでは五大シャトーでもネゴシアンが樽買いして、ネゴシアンで瓶詰めして販売していたのです。まあ、そうなると粗悪品や偽物が出回りやすくなるわけで、結果、造り手自らが瓶詰めして、保管することになったのです。 こうして品質は保たれることになったのですが、その分経費はかかる訳で「シャトー」物は高くなります。葡萄畑は不動産と同じで良いワインが出来る畑ほど価格が高くなる。つまり、同じボルドーでもACマルゴーだ、ACポイヤックだと格付けシャトーが数多くある地区の畑は高価で、ACボルドーしか造れないボルドーの僻地の畑は安い。 こうして、ネゴシアンは有名どころの地区の零細農家から樽ワインや葡萄を購入して、自分のところでワインに仕立てて販売する。この「ジェネリック」物はシャトー物より安く、ポイヤック味やマルゴー味を手頃な価格で楽しめるという訳です。 日本の場合、ワインの輸入は当初、大手酒造メーカーがそれぞれ有名ネゴシアンの代理店を務め、ネゴシアンを通して、シャトーワインも輸入する形をとっていました。そこで「ジェネリック」物も多く販売されていました。また、マキシムやフォションなど有名レストランや食料品店などのブランドワイン(もちろん、ネゴシアンによるジェネリック物)がお使い物などに重宝されていたものです。 そのうち、日本人もワインの知識が増し、また舌も肥えてきて、シャトー物を購入するようになりました。また、並行輸入も可能になり、ワインの価格もオープン価格となり、量販店などでシャトー物が購入しやすくなったのです。 しかし、昨今、円安や気候変動などの影響か、ワインの価格が高騰し、高級ワインほどその上昇率が高いようです。そこで、スーパーなどのワイン売り場には「ジェネリック」・ボルドーが再び多数並ぶようになりました。 シャトーの名前を覚える必要もありませんし、ACマルゴーであれば3~4000円で購入可能。ACサン=テミリオンであれば2000円台、ACメドックであれば2000円切る価格で買うことが出来ます。ACマルゴーの格付けシャトーは一万円近くから、ブルジョワ級でも最低5000円くらいはしますので。そう思うと、「ジェネリック」物ならまだ気兼ねなくマルゴーが楽しめそうです。 ところで筆者が「ジェネリック」物のACマルゴーを持参したのは理由あってのことです。それはもう三十年以上前の話になりますが、知人に「銀座アスター」に連れて行かれたことがありました。当時、筆者はボルドーワイン一筋でしたので、ワインを所望してしまったのです。その際、唯一リストにあったのがジェネリック物のACマルゴーだったのです。実際飲んでみると、中華ともそんなに相性が悪くないように思われました。 中華料理はどうしても味が濃いので、シャトー物のディティールの違いを楽しむには適していません。その点、ジェネリック物はよく言えば「おおらか」、悪く言えば「大雑把」ですのでACマルゴーのちょっと艶めかしい、ピーマンっぽい感じなどが中華料理と合うように思われるのです。 という訳で、筆者の中で、中華料理にはやはり紹興酒が一番と思うものの、ワインを求められたら、ジェネリック物のACマルゴーと心に決めた次第。 いずれにせよ、ジェネリック・ボルドーの活用はこれからのワインライフ一般にとって重要なファクターになっていくことは間違いないでしょう。 今月のお薦めワイン 「イタリアのカベルネ・ソーヴィニヨンを楽しむ――ヴェネトの存在もお忘れなきよう――」 「カベルネ・ソーヴィニヨン 2017年 IGT ヴェネト・カベルネ」アンガラーノ 8520円(税込) 今年のお薦めワインはフランス地方、イタリア地方、ブルゴーニュのサイクルでそれぞれ四アイテムずつ紹介させていただこうと思います。 前回はシャンパーニュでした。今回はイタリアワインでヴェネト州のカベルネ・ソーヴィニヨンを選んでみました。カベルネ・ソーヴィニヨンを選んだ理由は、今回フランスからはボルドーを選ばないことになるからです。もちろん、ボルドー以外のフランスの地方ではカベルネ・ソーヴィニヨンを植えていないかと言えば、南仏ではヴァン・ド・ペイ(地酒、現在はIGT)用に造られています。が、今年はフランスからカベルネ・ソーヴィニヨンを選ぶことはしないつもりでおります。 では、イタリアのカベルネ・ソーヴィニヨンと言えば、何といっても「サッシカイア」を筆頭にDOCまで獲得したトスカーナ地方の「ボルゲリ」がすぐに思い浮かぶかと思いますが、今年はトスカーナとピエモンテの二大産地は取り上げませんので、ヴェネト州がその候補に挙がった次第です。 ヴェネツィア、パドヴァといった都市を有するヴェネト州は北イタリア最大のワイン産地で、地品種の他に各種カベルネ、メルロなどフランス品種も多く栽培しています。これら外国品種の扱いはIGTで南仏同様デイリーワイン用が大半です。しかし、近年、グランヴァン仕様の上質のワインを造るワイナリーが増えています。 今回選んだアンガラーノのカベルネ・ソーヴィニヨンもバリックで24ヶ月、さらに瓶熟を五年経て出荷されるという実に手間をかけた造りで、こなれたタンニンに深みのある味わいとヴェネトのカベルネ・ソーヴィニヨンを見直すきっかけを作ってくれる逸品です。 造り手の「アンガラーノ」は現在、ジョヴァンナ家五人姉妹がバッサーノ・デル・グラッパの東端で運営するワイナリー。七百年にわたり、伝統製法のワインを造り続けています。彼女たちが住む「ヴィラ・アンガラーノ」は1570年、アンドレア・パラディオが設計した名建築で、1996年、ユネスコ世界遺産に登録されています。 由緒ある造り手によるイタリアのカベルネ・ソーヴィニヨンをこの機会に是非ご堪能あれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで...
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by Osamu Seki
『美食通信』は五年目に入りました。読者の皆様、そして主宰の島田さんに心よりお礼申し上げます。これからもどうかよろしくお願いします。 さて、寒さも厳しくなって参りました今日この頃。定期的に会っている高校の同級生から「アリゴ」が食べたいので何処か店を探してくれないか、と。 「アリゴ」か、と。「アリゴ」はフランス料理の名前なのですが、いわゆる郷土料理ですので、お洒落な高級フレンチではお目にかかることがありません。日本の場合、フランスのある特定の地方料理専門店はほとんど見かけません。それに対して、イタリア料理は青山のシチリア料理専門店「ドンチッチョ」が一時期予約の取れない店で有名になるなど、それなりに専門店があります。ですので、フレンチの場合、郷土料理はビストロで出すところを探すということになります。 「アリゴ」にはその名も「ビストロ アリゴ」という店が神保町にあるのですが、ランチでの訪問を希望されたので探すのに苦労しました。ビストロは日本では居酒屋のような扱いですので、どうしてもお酒の出る夜営業だけの店が多いのです。フランスではランチをワインと共に食するのが当たり前ですが、日本で週末以外ランチにお酒が出るのは接待くらいではないでしょうか。何とか週末、午後二時から営業のビストロを見つけました。小川町の「神田ワイン食堂 パパン」に出かけた次第です。 さて、問題の「アリゴ」ですが意外なことを知りました。筆者にはこれから三十歳になろうという若い友人がいるのですが、彼と食事をした際、今度「アリゴ」を食べに行くという話をしたら、「アリゴ」を知っているというではありませんか。彼は飲食とは縁のない仕事の人ですので「どうして」と尋ねると「『じゃアリゴ』の『アリゴ』」ですよね、との返事。成程、と思いました。「じゃがりこ」というスナック菓子で「アリゴ」を作るのだと「じゃがりこ」を自ら一度も食したことのない筆者でもピンと来たのです。 そう、「アリゴ」とはじゃがいも料理の一種で、フランスのオーヴェルニュ地方の郷土料理です。オーヴェルニュはリヨンなどのある「リヨネ」地方の西側、「サントラル」と呼ばれる山岳地方。「アリゴ」は中でもオーブラックと呼ばれる地区でよく食べられているとの記述が。オーブラックはカトラリーやソムリエナイフで有名な「ラギオール」のある場所。日本でも刃物で有名なのは岐阜県関市とこれも山岳地帯。 で、「アリゴ」の定義は「チーズ入りマッシュポテト」とあります。「マッシュポテトに生クリーム、バター、ニンニクを合わせ火にかけ、トム・フレーシュ(熟成前のトムチーズ)を大量に加え、糸を引くまで練り上げたもの。熱いうちは一メートルくらいは軽く伸びる。料理の付け合わせでありながら、オーヴェルニュを代表する名物」との解説が。 実はフランス料理を知るには郷土料理の知識が不可欠なのです。『ミシュラン』三つ星のグランメゾンは確かにパリに集中しているものの、例えば、かの「ポール・ボキューズ」はリヨン近郊のコローニュ=オ=モン=ドールにあります。元々、宿場の食堂でした。筆者の懇意にしている元代々木町「シャントレル」の中田シェフのフランスでの師はまさにオーヴェルニュのサンボネ・ル・フロワ村にある三つ星「レジス・エ・ジャック・マルコン」のレジス・マルコン氏です。パリから600キロも離れているそうな。こうした地方にある三つ星は地元の郷土料理をベースにそれをグランメゾンの皿に昇華させたものと考える必要があります。マルコン氏は「キノコの魔術師」の異名を持つくらいですから。 ところが日本のフランス料理といえば、グランメゾンは地方色のない洗練されたスタイル、郷土料理はビストロへと二分化されてしまい、肝心の郷土料理の再現率も低いとしか言えません。 事実、「パパン」で食した「アリゴ」はじゃがいものポタージュで薄めたフォンデュのような代物で、バケットにつけて食べるスタイル。これはこれで美味しかったのですが、一メートル延びるのを期待していた同級生はちょっと残念がっていたのが分かって、申し訳ない気がしました。 神保町「ビストロ アリゴ」の「アリゴ」は画像で見る限り、もっと濃厚そうですがやはりバケットにつけて食べるスタイルのよう。しかし、解説には料理の付け合わせとあります。実際はどのようなものなのか。実は最適な本があったのですが現在は絶版です。それは並木麻輝子『フランスの郷土料理』(小学館、2003年)。検索ですと「アリゴ」しか調べられません。本でしたら、フランスの郷土料理全体が概観出来ます。しかも、この本はいわゆるムック本で150頁ほどのコンパクトなサイズながら、どの料理も写真が載っています。しかも、当時のものながら、フランスでの名店のリスト、日本で郷土料理が食べられる店のリストも。料理もさることながら、元々旅行本のシリーズの一巻なので、地方の説明や地理的な知識も得ることが出来ます。 並木氏の本の「アリゴ」の写真は付け合わせで、調理しながら料理人が伸ばしている写真も載っています。事ある毎に参照するに相応しい優れた資料です。 今回、先述の「じゃアリゴ」を調べたのですが、フォンデュ風のビストロの「アリゴ」よりある意味、付け合わせとしての本来の「アリゴ」に近いと思われました。作り方は簡単で、「じゃがりこ」のカップの中に溶けるチーズ(ネットでは「さけるチーズ」が推奨されています)を入れ、お湯を入れひたすら混ぜるというもの。塩と胡椒で味を調えるとなお良し。筆者としては牛乳や生クリームなどでのばすと良いのではと思われます。「じゃがりこ」の容器の中で作れるというのが、煩雑さを省き、後片付けも簡単と素晴らしいアイディア。 筆者としては、鴨のコンフィなどに添えたり、さらには白身魚のムニエルなどの下に「アリゴ」を敷きソース代わりに絡めながら食するなど、単品ではなく、「付け合わせ」として皿に登場する「アリゴ」を料理店で食してみたいものです。 いずれにせよ、寒い冬に暖かい部屋で食する長々と伸びる熱々の「アリゴ」を想像するだけで心躍らざるを得ません。 今月のお薦めワイン 「新年を祝ってちょっと贅沢なシャンパーニュで乾杯――ヴィンテージ物のエレガントなブラン・ド・ブラン――」 「シャンパーニュ『メ・ヴィエイユ・ヴィーニュ』ミレジム 2014年 AC シャンパーニュ(グランクリュ)」ジョゼ・ドント 16632円(税込) 『美食通信』も五周年を迎えました。ひとえに読者の皆様、主宰の島田さんのおかげです。心よりお礼申し上げます。 という訳で、新年のお祝いと五周年を記念して、まずはシャンパーニュで乾杯ということにいたしましょう。折角ですので、ここはちょっと贅沢なシャンパーニュを選ばせていただきました。 シャンパーニュにはグレイドを見極めるいくつかのポイントがあります。 まず、葡萄の良作年のみに造られる「ミレジム」と呼ばれるヴィンテージ物であるか、ないか。今回選ばせていただいた「メ・ヴィエイユ・ヴィーニュ」も2014年とヴィンテージ物です。シャンパーニュの場合、普及品はノンヴィン(NV)と呼ばれるヴィンテージの無いものになります。 次に使われる葡萄が格付けされていて、グランクリュ、プルミエクリュ、格付けなしの三段階になっています。今回のシャンパーニュはコート・デ・ブランのグランクリュ「オジェ」村にジョゼ・ドントが所有する2.5haの畑から造られるシャルドネ100%で造られる「ブラン・ド・ブラン(白の白)」です。オジェはシャンパーニュの中でもシャルドネの栽培が99.6%と最高のシャルドネの産地。 しかも、「ヴィエイユ・ヴィーニュ」とありますように、1949年に植えられた樹齢七十年以上の古樹の葡萄から造られています。 造り手のジョゼ・ドントは1974年より葡萄栽培から醸造まで一貫して行なう「レコルタン・マニピュラン」を開始した他にセザンヌに2.5ha、計5haを所有する小規模のドメーヌ。 オジェの葡萄はほとんどが大手メゾンによって高値で買い占められるため、レコルタン・マニピュランのシャンパーニュは珍しいと言われています。 また、通常のシャンパーニュはピノ・ノワール、ピノ・ムニエとの混醸なのに対し、シャルドネだけで造られた「ブラン・ド・ブラン」は通常、シンプルで酸の効いたスッキリとした仕上がり。しかし、極上のシャルドネで造られたヴィンテージ物は黄金色に輝き、複雑な香り、酸とミネラルなどのバランスとの取れた旨味と別格の仕上がり。 ヒュー・ジョンソンが「とびきり美しく、そしてとびきり美味しいワインが生まれる村」と評したテロワールから造られる稀少なシャンパーニュ。 価格も随分良心的になっていますので、是非この機会にお買い求めを。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE...
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by Osamu Seki
先日行われたワイン会で偶然とはいえ、いわゆる「古酒」を四本も開ける機会がありました。ボルドー二本、1995年と1986年、どちらとも1990年のブルゴーニュ二本という内容でした。造られて三十年から四十年経っているワインたちですので、これはまさしく「古酒」の部類に入ります。 では、そもそも何年くらい経ったらいったい「古酒」と言えるのでしょう。これは意外に難しい問題です。例えば、ボジョレ(とりわけ、ボジョレ・ヌーヴォ)のような早飲みのワインを数年寝かせて飲んだとしてもそれは「古酒」と言えるのかもしれません。ただし、この場合、まさに「古いワイン」という意味で美味しいかは別の話です。 ワイン愛好家が「古酒」という場合、それは「古くても美味しい」ワイン、その場合、しかも「数十年経って初めて美味しくなるワイン」と「飲み頃とは別の美味しさがあるワイン」の二種類に分かれると考えられます。しかし、いずれにせよ、年を経ても「美味しく」なくてはいけません。それには経年熟成して美味しいワインを造るという造り手の意志が必要となります。いわゆる「長熟用のワイン」と言われるものです。 こうした長熟用のワインに必要なのはワインの渋みを担うタンニンです。ですので、フランスワインではボルドーワインが古酒に向いていると言えます。では、どのくらい年を経たものを「古酒」と呼ぶのが適切と言えるのでしょうか。 愛好家以外の一般の方々が特別にヴィンテージワインを所望されるのは、まずは成人式ではないでしょうか。そう、「古酒」の一つの目安は二十年以上経ったワインというものです。 実際、例えば、ボルドーその中でもカベルネ・ソーヴィニヨンを主とする「メドック」地域のワインの場合、格付けシャトーは十年、その下位にあたる「クリュ・ブルジョワ」のワインの場合、七~八年が最初の飲み頃と言われています。ですので、二十年経てば、飲み頃から二倍から三倍の年月が経っていることになります。 もちろん、最初に述べましたように最初から何十年も熟成させてから飲むように造られている銘酒もあります。その代表がメドック格付け第一級いわゆる「五大シャトー」の一つ、シャトー・ラトゥールです。筆者がボルドーワインを学び始めた頃、ラトゥールは三十年寝かさないと本領を発揮しないというのが定説でした。 成人に達し、ワインを嗜むことが許されるようになれば、バースデーに誕生年のワインを開けるというのが一つの「古酒」の楽しみ方にもなります。一九九〇年代後半、ボルドーワインにのめり込んでいた筆者は友人たちのバースデーに必ずといってよいほど誕生年のワインを開けていました。 当時、筆者は三十代後半で友人のほとんどは筆者より若い方々でしたので、一九六〇年代後半から一九七〇年代前半のボルドーワインを探しては購入していました。現在のようにネットなどない時代でしたので、足繁く有名なワインショップや多くは主要デパートのワイン売り場に出向き、ダイレクトメール(DM)を送ってもらっていました。 虎ノ門にある「桝本」の「ヴァン・シュール・ヴァン」はパリのワイン商「ペーター・ツーストラップ」と提携していますので、当時から「古酒」も多く扱っており、現在に至っています。「エノテカ」などはまだ広尾にしか店がなかった時代、店に出かけるとビストロの今日の料理のように黒板に本日の古酒が書かれていて、気になるものが購入出来た際はまさに一期一会だけに嬉しく思ったものです。 しかし当時、古酒と言えば何と言っても専門のインポーター「海外酒販」が有名でした。前回書かせていただいた故山本博先生の『わいわいワイン』にも古酒なら「海外酒販」がよろしいと書かれていました。紙のリストを送ってもらい、電話して在庫を確認して、六本木の事務所まで買いに出かけたものです。ワインは足で探す時代でした。 ワインは開けてみなければ分からないもの。普通のワインでも「ブショネ」と呼ばれる主にコルクに問題があり、ワインにダメージが生じてしまうことがあります。「古酒」ともなれば、コルクだけでなく、保存によって熱劣化など様々な問題が生じかねません。また、ワインそのものが熟成と共に経年劣化して参ります。 ですので、シャトーで保存している場合など、途中でコルクを新しい物に変え、場合によっては目減りした分を補って再び栓をする「リコルク」という作業を行なう場合があります。その場合、新しいコルクには元のワインのヴィンテージと共にリコルクした年を明記しています。 いずれにせよ、開けてテイスティングしてみないと分かりません。目視できるのは目減りがひどくないか、エチケットなどが高温による吹きこぼれで汚れていないかを確認できるくらいです。 また、いくら五大シャトーなどの銘酒でもヴィンテージが悪ければ、元々美味しいワインが造れませんし、長持ちもしません。例えば、1991年のボルドーは全体的に不作で中でもメルロの出来が悪く、とりわけポムロールが駄目で、シャトー・ペトリュスは造られませんでした。シャトー・ボールガールもすべてセカンドワインとして販売されたと言われています。 そこまででなくとも恵まれないヴィンテージの古酒は価格こそ、まだ良い年の古酒に比べれば安いかと思いますが、早くに消費されてしまいますので、年を経れば経るほど入手しにくくなることは必須です。また、正直それほど美味しくはないでしょう。 逆に良いヴィンテージの古酒は随分年をとってもそれなりに得も言われぬ熟成感のある通常飲むワインとは別の素敵な景色を見せてくれることでしょう。 ボルドーではとりわけタンニンが強く長熟用のワインが出来る年があります。そうしたワインを「ヴァン・ド・ギャルド」=「見守るべきワイン」と言います。 ボルドーのヴィンテージチャートで「ヴァン・ド・ギャルド」として有名なのは1986年です。今でも充分美味しく飲めるシャトーが沢山あります。 バースデーはもとより、時に「古酒」を嗜むのもワインの楽しみの幅を広げることになり、ワインの奥深い魅力を知ることが出来るかと思います。 最後に一言。1990年のブルゴーニュもなかなかの逸品でした。ボルドーより探すのが難しいとは思いますが、やはり、ボルドーとブルゴーニュはそれぞれ偉大なワインであると実感した次第です。 今月のお薦めワイン 「ボルドー右岸のメルロ主体のワインを楽しむ――サン=テミリオンの隠れた逸品『シャトー・キノ=ランクロ』――」 「シャトー・キノ=ランクロ 2019年 AC サン=テミリオン グランクリュクラッセ」 7800円(税抜) このクール最後のワインはボルドーから。今までメドック、グラ―ヴと左岸のワインを紹介させていただきました。そこで、今回は右岸リブールヌのワインを選んでみました。メドックのワインはカベルネ・ソーヴィニヨンが主体なのに対し、リブールヌのワインはメルロが主体。タンニンより果実味に見るものがあります。 また、リブールヌのワインは「サン=テミリオン」と「ポムロール」が二大産地となっています。サン=テミリオンが格付けにご執心なのに対し、ポムロールはあえて格付けをしないと対照的。ワイン的にはサン=テミリオンがカベルネ・フラン、さらにはカベルネ・ソーヴィニヨンとカベルネ系が補助品種として重要な役割を果たしているのに対し、ポムロールはほぼメルロで造られているとお考えになって良いかと思われます。 さらに、ポムロールとほぼ同じくメルロで造られるワインで果実味がよりストレートに伝わってくる「フロンサック」(カノン=フロンサックだとなお良し)、サン=テミリオンに隣接してよりスパイシーで野趣味にあふれた「カスティヨン」が価格的にも手頃に楽しむことが出来ます。 今回はサン=テミリオンのワインから、グランクリュクラッセのシャトー・キノ=ランクロを選んでみました。サン=テミリオンは格付けにうるさい。選ぶなら、グランクリュクラッセから選ぶことをお勧めします。グランクリュになりますと二百種類を超えると言われ玉石混交で、思わぬ逸品に出会うことも可能ですがそれにはかなりの知識が必要となるでしょう。 キノ=ランクロは1997年、ポムロールにもシャトーを有するアラン・レイノー夫妻が購入し、一躍注目を浴びます。2008年にはプルミエAのシャトー・シュヴァル=ブランのオーナーたちが買収。レイノー博士はコンサルタントとして残ったようです。2012年にはグランクリュクラッセに昇格しましたが、2022年、シュヴァル=ブランとオーゾンヌのツートップがころころ変わる格付けに嫌気がさしたのか脱退。キノ=ランクロも格付けから脱退しました。 オーナーを見れば、キノ=ランクロが隠れた逸品であることは明白か、と。筆者は以前、台北の「ターブル・ロビュション」でランチした際、選んだことがあり、フランス人のソムリエに褒められました。 年末の美食を囲む楽しいひと時、是非このとっておきのワインを開けていただければ幸いです。...
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ようやく秋の気配を感じ始めたこの十月の初め、料理評論家として活躍されていた服部幸應氏急逝の訃報に接することになりました。 料理学校の校長先生にしては料理をしているところを余り拝見したことがなく、日本におけるフランス料理の普及に尽力された辻調理師学校の創設者、辻静雄(1933~93)氏を彷彿させるものがありました。服部先生と言えば、『料理の鉄人』、辻氏と言えば『料理天国』とテレビで美食の普及に大きな役割を果たして下さいました。 この二〇二四年は年明けの一月には日本におけるワイン界の大御所、山本博先生が九十二歳で亡くなりました。筆者がボルドーワインを極めようと常に手元に置いてきたペパーコーン『ボルドーワイン』(早川書房)をはじめ、アレクシス・リシーヌ『新フランスワイン』(柴田書店)などワインに関する翻訳本のほとんどが山本先生の手になるものです。また、実に多くのワイン本を執筆されてきました。 ペパーコーンの翻訳の監訳者紹介にもありますように、冒頭、肩書として「弁護士」と書かれるのが通例でした。ワインを100点満点で評価する日本人が大好きな「パーカースコア」を始めたロバート・パーカー・ジュニアもまた「弁護士」出身。マイケル・ブロードベントやエレナ・サトクリフは「サザビーズ」のオークショナー、『ポケット・ワインブック』のヒュー・ジョンソンもワイン愛好家を自称するワイン評論家。ワインのスペシャリストは「ソムリエ」ではないのです。「ソムリエ」はワインをサーヴィスするサーヴィスのスペシャリストであり、ワインを売らねばなりません。批評家=評論家はあくまで客観的にワインを評価する必要があります。「ソムリエ」という立場はそれに相応しくはないことを再確認すべきです。 山本先生と言えば、どうしても翻訳に目が行きがちですが、筆者は人からワインを始めるにあたって何か参考になる本はないかと尋ねられたら、迷わず、山本先生の『わいわいワイン』(柴田書店)を挙げます。山本先生はワインの歴史を重視される方でしたので、多くの本は歴史に関するやや硬い感じの本が多かったのです。そんな中、ワインを楽しむために必要な知識を軽妙な語り口で、しかも格調高く的確に提示されている『わいわいワイン』はワイン愛好家を自称する者は所持すること必須と言えましょう。 例えば、マイケル・ブロードベントの『ヴィンテージ・ワインブック』を携帯する必要性を説かれていますが、筆者も早速購入しました。翻訳はもちろんありませんので英語の原書だったのですが、オークショナーのブロードベントはフランス革命時代に造られたシャトー・マルゴーなどのテイスティングも行なっており、その時代から1980年代までヴィンテージごとに主要なワインのテイスティングコメントを掲載。 実に興味深く、ヴィンテージワインを飲むにあたり、大変参考になりました。 そう言えば、一九九〇年代半ばフランスワインを始めるあたり山本氏の本にお世話になったのに対し、大学生になった一九八〇年、フランス料理を食べ歩き始めた頃、何を頼りに「美食」を考えようとしたのか。 もちろん、辻静雄氏の本も読みましたが、やはり教科書というか啓蒙的な筆致がまだひよこだった筆者には親しみやすくはありませんでした。 そんな中、フランスの香りを筆者に伝えてくれたのが意外にも現代音楽作曲家の三善晃(1933~2013)先生が書かれた『男の料理学校 自分の味を創造しよう』(カッパブックス、1979年)でした。光文社の新書版「カッパブックス」は当時、実用書と教養書の中間というか、絶妙なスタンスでベストセラーを多数出していました。筆者が大学でお世話になった心理学者多湖輝先生の『頭の体操』などがその好例です。 ちょうど新刊だったこともあり、パリ音楽院に留学された三善先生がかの地で自炊され作られたオムレツの話など、文章もお上手で、「美食」としてのフランス料理を極めたいとおぼろげに思っていた筆者には、まさにパリが彷彿と感じられ、怖いもの知らずのフレンチ食べ歩きを始めるきっかけになったのは確かです。 また、当初筆者はワインなど酒類をほとんど嗜みませんでしたので、フランス料理以外にも様々な食べ歩きを行なっていました。その際に大いに参考にさせていただいたのが映画評論家として活躍されていた荻昌弘(1925~1988)氏の食に関する著書でした。 荻氏は今で言う「男厨(ダンチュウ)」、即ち「男の料理」のパイオニアの一人で『男のだいどこ』は一九七二年に公刊されています。筆者が手にしたのは文庫本になったばかりの『大人のままごと』(文春文庫、1979年)だったかもしれません。 その立ち居振る舞いというか、「食通」気取りを蔑み、あくまで自身を「食いしん坊」と呼ぶその洒脱な感じが素晴らしく、筆者が感動したのが「サンドウィッチハウス グルメ」を贔屓にしている文章でした。「サンドウィッチハウス グルメ」は空港や新幹線の駅に展開したサンドウィッチ専門店。今から半世紀も前のことです。サンドウィッチといえば、喫茶店で出される手軽な軽食というのが常識だった時代、クラブハウスサンドやエビフライが挟まったサンドウィッチなどちょっと贅沢で高価なサンドウィッチだけを提供する「サンドウィッチハウス グルメ」は大学生になったばかりの筆者にはちょっとした高嶺の花でした。(ちなみに「グルメ」は現在、唯一、那覇空港で営業しているとのこと)。 荻氏はその贅沢感が空港や新幹線の駅に出店している理由であること。そして、それをどのように活用するかが「食いしん坊」冥利に尽きるかを書かれていました。出発まで時間があれば、立ち寄ってゆったりと併設のレストランで出来立てを堪能する。時間がなければ、テイクアウトして、車内で駅弁代わりに楽しむ。 筆者も荻氏の本に後押しされ、当時、船橋東武のレストラン街にあった「グルメ」に一人で食べに出かけたものです。喫茶店のサンドウィッチとはまた違ったまさに「専門店」の味に感動し、駅や空港でも立ち寄れるようになりました。当時、船橋東武のレストラン街にはアメリカで成功したロッキー青木(1938~2008)氏の洋食店「紅花」(タンシチューが絶品でした)、上野精養軒もあり、また、船橋西武には一時期、高輪プリンスホテルのメインダイニングとして有名なフレンチ「ル・トリアノン」の支店があったり、デパ地下のイートインにはローストビーフの「鎌倉山」、ドイツ料理の「ローマイヤ」などもあって、東京まで行かなくても船橋西武の「リブロ」や船橋東武の「旭屋書店」へ本を買いに行くついでに食べ歩きする機会を得たものでした。 筆者の「美食」への誘いに貢献下さった、三善先生、荻氏に心から感謝する次第です。 最後になりますが、この五月にはカレー博物館初代館長を務められたカレー評論の第一人者小野員裕氏が急逝されました。筆者は縁あって、親しくさせていただいておりましたので痛恨の極みといった思いです。筆者の二歳上でいらして、ほぼ同じ年ですのでショックでした。ここのところ、お目にかかる機会がなかったのですが、本を立て続けにお出しになられて、その活躍ぶりを頼もしく思っていた矢先の訃報でした。遺作も公刊されました(『小野員裕の鳥肌が立つほどいい店、旨い店』(八重洲出版))。 心から哀悼の意を表させていただきます。 今月のお薦めワイン 「イタリア最北のピノ・ネロを楽しむ――トレンティーノ=アルト・アディジェ州のワイン――」 「ピノ・ネロ『ヴィーニャ・カンタンゲル』 2021年 DOCトレンティーノ マソ・カンタンゲル」 9000円(税抜) 今年最後のイタリアワイン。何にしようか迷いました。王道のピエモンテとトスカーナ。そして、ロンヴァルディアのピノ・ネロ。最近はブルゴーニュ好いていますのでここは再びピノ・ネロで、産地を珍しいところでいかがか、と。 そこで思い浮かんだのがイタリア最北の州、トレンティーノ=アルト・アディジェ州で造られるピノ・ネロのワインという訳です。 トレンティーノ=アルト・アディジェ州はボルザーノを中心とする北部のアルト・アディジェと州都でもあるトレントを中心とする南部のトレンティーノが合体した州です。最北と言われる通り、北に接しているのはオーストリアのチロル地方。そこで、アルト・アディジェは「南チロル」とも言われています。そして、オーストリアはドイツ語圏ですので、この州の人々はドイツ語が堪能。従って、フランスのアルザス地方と比較され、造られているワインも似た傾向があると言われています。つまり、白ワイン中心で赤は地品種のテロルテゴも有名ですが、アルザスがピノ・ノワールだったようにこの州でもピノ・ネロが造られているのです。ちなみにカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロも造られています。 ロンヴァルディアがシャンパーニュと同じ品種で「フランチャコルタ」を造っているのでピノ・ネロが栽培されているのと対照的です。 という訳で、アルザスのピノ・ノワールと比較するつもりで選んでみました。 選んだワインの造り手はマソ・カンタンゲル。DOCトレンティーノから分かるように、トレントの街のすぐ東に位置するチヴェッザーノにあるカンティーナです。2006年、フェデリコ・シモーニが創業。6haの畑を所有し、2008年の初ヴィンテージ以来、自然派のワインを提供しています。 通常のキュヴェよりも限定された畑の上質の葡萄から造られ、バリックで12か月熟成したワインは力強くもエレガントな仕上がりになっています。 前回のロンヴァルディアのイジンバルダのピノ・ネロと比較して飲んでいただければ幸いです。 略歴関 修(せき・おさむ)...
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by Osamu Seki
毎年九月に亡き両親の実家のある静岡市に帰省するのですが、その途中で一泊するのを常にしております。昨年は伊豆堂ヶ島にある全六室のリゾートホテル「繭二梁」に泊まりました。今年は横浜に泊まることにしました。 高校の同級生たちと日帰り旅行で年に何度か横浜に出かけるのですが、筆者は中華街近くにある「ハイアットリージェンシー横浜」の一階ラウンジが気に入っていて、必ず寄るようにしています。みなとみらいにお住いの教授に薦められて出かけてみたのですが、天井の高い贅沢な空間はもとより、若いサーヴィスの人たちの対応が清々しく気持ちが良い。折角なので一度泊まってみたいと思い、実現に至った次第です。 その際、一つだけ悩んだことがあります。それは朝食のこと。パリですと、生ジュースにパンとカフェオレというコンチネンタルスタイルが定番です。肝心なのは、それはルームサーヴィスが当たり前ということです。毎朝、起きると電話を取り、ジュースとカフェオレなどの飲み物のチョイスをする。しばらくするとバスケットに色々な種類のパンが盛られた朝食が部屋に届きます。チップを渡して、それを貰って部屋でゆるゆると食する。別にコンチネンタルである必要もないのですが、朝食はルームサーヴィスに限ると考えます。 ところが「ハイアットリージェンシー横浜」では朝食のルームサーヴィスがない。ルームサーヴィスそのものはあるのですが、夜だけのよう。朝食の選択肢は一つしかなく、二階の「ハーバーキッチン」でのブッフェ。筆者の一番苦手とするスタイルの朝食です。まあ、一流ホテル、HPでも「横浜エリア内でトップクラスの評価を誇る」朝食ブッフェだそうで、メニュを見ても和洋折衷に場所柄、中華の要素が少々加わり、中でもパンの種類の充実ぶりが自慢のようです。ペストリーショップを併設しているだけに自信があるのでしょう。 筆者は毎朝必ず朝食は摂ります。ただ、沢山食べるわけではないので、バイキング方式は少しずつ取れば良いので、まだ分量的には調整できる方ですがやはり費用対効果が悪い。「ハーバーキッチン」の朝食は税込み3800円ですので、とてもとても3800円分も朝から食べられません。それなら、同額のルームサーヴィスの定食にしていただいた方が、食べたいだけ食べて後は残せばよいだけで。 あと、やはりバイキング形式はサラマンダーに乗せられた料理が乾いてパサつくなど、美味しくない。あと、マナーの悪い客の傍若無人ぶりなど辟易する場面に遭遇したことがあり、ブッフェは出来る限り避けたいと思っています。 ですので、朝食をどうしようか、最後まで迷っていたのですが、朗報が。 朝、寝るのが6時、7時という筆者は日曜日の早朝6時から放送される「バナナマンの早起きせっかくグルメ!!」(TBS)という番組をついつい見てしまいます。早く寝れば良いのに。朝食を美味しく食べるため、食欲を掻き立ててくれる番組だそうで、様々なグルメが紹介されます。そんな中、「モンテクリストサンド」という料理が取り上げられたのです。MCのご両人も大絶賛されていたその食べ物を筆者は初めて知りました。 見たところ、「クロックムッシュ」と「フレンチトースト」が合体したようなパン料理。「クロックムッシュ」はパンの間にハムとチーズを挟んだもので、正式にはそこにベシャメルソースなどを塗って焼き目を付けるのですが、ソースを省略し、ホットサンドメーカーで作っても美味しい。ちなみにその上に目玉焼きを乗せると「クロックマダム」になります。 そうすると卵液に漬けたトーストを焼く「フレンチトースト」の真ん中にハムとチーズが挟まれている「モンテクリストサンド」は「クロックマダム」のバリエーションと考えることができます。 で、バナナマンのご両人が試食して絶賛されていた「モンテクリストサンド」は横浜の老舗ホテル「ニューグランド」のものでした。「ニューグランド」と言えば、戦後の日本のフレンチに影響を与えた名シェフ、サリー・ワイルが料理長を務め、駐留していた進駐軍人のために創作した「ナポリタン」や「ドリア」は有名。旧館にはマッカーサーが使っていた部屋が「マッカーサースイート」として宿泊可能。 筆者は二十年ほど前、隣の新館のスイートに泊まったことがあります。「モンテクリストサンド」を供してくれるのはその新館五階のフレンチ「ル・ノルマンディー」です。 そこで、今回の朝食は散歩がてらニューグランドに出かけ、「モンテクリストサンド」を食することにしました。ハイアットリージェンシーからは十分ほどで着く距離で、改めて立地の良さを感じました。前日ディナーした筆者お気に入りの「スカンディヤ」からは数分ですし、ちょっと目立たない感じがまたハイアットリージェンシーの良さでもあります。 さて、会場に着くと二十年前の朝食も「ル・ノルマンディー」だったような気がしてきました。入り口で「朝食券は」と聞かれ、「いいえ」と答えると広いダイニングをどんどん奥に誘導されて行きました。その間も結構な数の宿泊客と思われる人々が朝食中で賑わっているなあ、と。ハイアットリージェンシーは思ったより人気がなく、チェックアウト時も誰とも一緒になりませんでした。 結局、一番奥の窓際、港が一望できる席に通されました。ロケーション的には最高の席で、偶然空いていただけかもしれませんが、そうだとすればラッキーでした。とにかく広いダイニングですので、景色が楽しめるのは限られた窓際だけ。しかも、港に向いているのはさらに限られた席だけですので。 メニュは三種類。洋定食とモンテクリストサンド、さらにコンチネンタル。モンテクリストサンドはフレッシュジュースと珈琲・紅茶を選ぶだけとコンチネンタルとチョイスは同じ。野菜サラダが先に出て、モンテクリストサンドとココット型に入ったヨーグルト、あとちょっとしたフルーツが一皿に盛られて登場します。ワンプレートの朝食。それで4200円。ハイアットリージェンシーのブッフェより高い。さすが老舗だけある。 そのサンドは思ったより小ぶりながら、食するとなかなか濃厚でちょうど良いポーションかも。周囲を見るとテレビで紹介されたからか、結構多くの方がモンテクリストサンドを選ばれていました。フレンチトーストは抑え気味とはいえ甘い。しかも、ハムではなくカリカリベーコンだったので塩味がしっかりしていて、甘じょっぱいというのは日本人にはお馴染みの味なのかもしれません。筆者としてはおおいに期待していましたが、それほど感動しませんでした。不味くはないが、大変な美味というほどではないか、と。 結論としましては、次回、横浜での朝食はハイアットリージェンシーでのブッフェで充分か、と。 今月のお薦めワイン 「コート・ド・ボーヌの『秘められたる宝石』――ACサン=トーバンの赤ワインを楽しむ――」 「サン=トーバン プルミエクリュ『ピタンジュレ』ルージュ 2018年 ACサン=トーバンプルミエクリュ ドメーヌ・オ・ピエ・デュ・モンショーヴ」 10000円(税抜) 今回はブルゴーニュ。前の二回はコート・ド・ニュイのワインを取り上げさせていただきました。最後にコート・ドールのもう一方の雄、コート・ド・ボーヌの赤ワインを紹介させていただこうと思います。 コート・ド・ボーヌはやはりモンラッシェやムルソー、コルトン・シャルルマーニュといったブルゴーニュ珠玉の白ワイン産地として名声を博しています。 が、赤ワインもグランクリュに「コルトン」、赤ワインだけを産するアペラシオンとして「ヴォルネ」や「ポマール」といった銘酒を産しています。筆者は有名ネゴシアンの集まる「ボーヌ」の赤ワインがニュートラルで安定感があり、先の三アペラシオンと共にまずは選択肢となるかと思われます。 しかし、今回はサトクリフが「ブルゴーニュの秘められたる宝石の一つ」と評している(『ブルゴーニュワイン』)アペラシオン「サン=トーバン」のワインを紹介させていただこうと思います。サトクリフはどの生産者も良心的でワインが一律に良質であると書いています。白の方が多く造られていますが、赤も優れたワインが造られています。 今回選んだワインの造り手はドメーヌ・オ・ピエ・デュ・モンショーヴ。2010年がファーストヴィンテージというシャサーニュ=モンラッシェ村に拠点を置く、新進気鋭のドメーヌ。同村にあるブルゴーニュでも大手のネゴシアン「メゾン・ピカール」のミシェル・ピカールの令嬢フランシーヌ・ピカール氏が独立して設立しました。2013年より完全にビオディナミを採用。 この赤ワインの畑はプルミエクリュの「ピタンジュレ」。村の南、シャサーニュ=モンラッシェ村に接した場所にあります。100%除梗し、新樽率30%で15ヶ月熟成。その後、ステンレスタンクに移し、2ヶ月休ませ、軽くフィルターにかけ瓶詰め。 プルミエクリュは最大で1800本と「ひたすらその品質のみを追い求めている」ドメーヌのエレガントで格調高い逸品をこの機会に是非。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE...
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by Osamu Seki
今年の夏はパリで行われたオリンピックに世界中が沸きました。開会式からして、史上初の屋外での開催。パリの街を最大限に生かし、選手たちはセーヌ河を船に乗って登場し、セレモニーはイエナ橋を挟んでエッフェル搭がすぐ目の前のトロカデロ広場で行われ、そのスペクタルに圧倒されたのでした。 多くの競技は室内で行われたもののマラソンや競歩をはじめ、屋外で行われた競技もありました。すると名所旧跡の多いパリの街が垣間見れます。ただ、薄汚れたセーヌ河を泳ぐ競技だけでは実施するのも映すのも勘弁してほしいと思ったものです。確かに水質浄化に努めたのでしょうが、おぞましいものを覚えました。パリの街は道が石畳で、ペットの糞はしっ放し。毎朝早く、放水車が街をめぐって、糞を側溝に流し込むのです。まあ、下水は完備されているとのことでしたが、雨が降ると処理しきれなくてセーヌ河に流れ込むとか何とか。それって本当に下水なのか怪しいようにも思いますが、いずれにせよ、水質汚染は解消されないでしょうから。 筆者がパリを最初に訪れたのはちょうど三十年前の1994年のことでした。夏の終わりだったように記憶しております。まだ、貨幣はフランで、ネットも何もない時代で、予備知識といったら『地球の歩き方』を読むくらいしかなく、若さというか無知というかそんな程度で単身パリに乗り込んだのでした。とりあえず、オペラガルニエ近くの三つ星ホテル(ホテルは五つ星が満点)に落ち着いたのですが、今回の選手村同様、冷房がない。しかも、古い建物は壁が薄く、隣の宿泊客のいびきが聞こえてくるではありませんか。恐ろしくなって、早速翌日、スクリーブ通りにあったJTBに出かけ、空調の完備されたレジダンスを探してもらいました。 すぐに見つかったのですが、それがまたシャンゼリゼ通りの一筋裏のポンチュー通りで場所は良いのですが、歓楽街なので夜中も外がうるさく、ネオンの光がカーテンの隙間から差し込んでなんだか安眠できませんでした。ですので、次の年からは左岸のサン=ジェルマン=デ=プレ教会の裏手のジャコブ通りの「ラ・ヴィラ」というデザイナーズホテルに泊まることにしました。パリは思ったより小さな都市で中心に近くに泊まれば、主要な場所へは歩いて行けるのです。地下鉄は不潔でスリなどに狙われやすく、乗る気になりませんでした。外縁に近い二十区のペール=ラシェーズ墓地などに行くにはタクシーを使いました。 ですので、とにかく歩く歩く。そして、疲れたり、喉が渇くと目に入ったカフェに入って一休みするのです。というのも、パリにはコンビニはもとより飲み物の自動販売機などなかったのですから。それは今も大差ないのではないでしょうか。カフェというとシャンゼリゼの「フーケ」とか、サン=ジェルマンの「ドゥマゴ」や「フロール」などが有名ですがそれらはいわば「観光カフェ」で、別に日常使いする無名のカフェが街のそこここに点在しているのです。 その際、ほとんどの人が頼むのが「カフェ」でそれはエスプレッソを指します。お酒で喉を潤したい方は「ドゥミ」と呼ばれるグラスビールを頼むでしょう。炭酸飲料は日本でも売られている「オランジーナ」、ジュースは「ジョケル」が有名ですが、大人の飲み物という感じがしません。 「アンカフェ、シルヴプレ」とギャルソンに頼むとシングルのエスプレッソコーヒーとチェイサーの水、そして「キャレ」と呼ばれる正方形の一口サイズの板チョコが一枚付いて出てまいります。ちなみに「キャレ」とは正方形という意味です。 この「キャレ」は必須で、「ドゥマゴ」のような有名店では店の印や名前の入った特注の紙で包まれたものが出されますが、普通のカフェでは市販の「キャレ」が出てきます。これがまた、結構色々な会社が作っているようで、微妙に味が違っていて、食べてみて楽しい。本来は、たまたま入ったカフェのエスプレッソの味を評価すべきなのでしょうが、キャレが美味しいと何か嬉しい気持ち、得した気持ちになるものです。 そのような「キャレ」にも定番はあるもので、それは「ヴァローナ」社製のものです。例えば、再開発で閉店してしまいましたが「渋谷文化村」にあった「カフェ・ドゥマゴ」の支店でも珈琲を頼むと店の名前の入った「キャレ」が付いてきましたが、ヴァローナ社のものでした。 また、パリのレストランガイド『ルベ』には食後の珈琲(即ちエスプレッソ)を評価する項があったのですが、味の評価(カップマーク)の他にグランメゾンにとなるとプティフールやトリュフチョコレートなどが一緒に出されると書かれているのですが、日常使いの店ですとやはり「キャレ」と書かれており、中には「ヴァローナ」、「レオニダス」といった銘柄が記載されているケースもあります。 「キャレ」というのは「カフェ」のお供だけではなく、意外な日常使いをされることもありました。それはチップへのお返しです。ご存知のように、パリはチップ社会で、例えば、カフェのギャルソンは店内で自分のテリトリーが決まっており、そのテリトリーの客のチップがギャルソンの収入になるのです。ですので、自分が座った際、席の近くを通りかかったギャルソンに声をかけても無視されることがあります。それは当該のギャルソンがその席の担当ではないからです。逆に席に着いたら、担当のギャルソンが来るのを待つ必要があるということになります。そして、たとえエスプレッソ一杯でもなにがしかのチップを払うことがマナーです。 これは何処でも当てはまります。グランメゾンでも会計の時、合計金額の他にチップを払う必要がありました。筆者は請求金額をカードで払い、チップは現金で支払っていました。満足度が大きければ、多めに。サーヴィスが横柄だったり、料理がイマイチだったら少なめにと調整する。これがなかなか難しい。 また、パリの公衆トイレは個室でお金を入れると開くというスタイルだったのですが、故障している場合が多く、トイレを済ますのにカフェに入るケースも多々ありました。すると飲み物を注文しても、トイレの前に賽銭箱のようなチップ入れが置いてある店もありました。つまり、何にもチップが必要なのです。ですので、小銭(モネ)を常に持ち歩く必要がありました。 ホテルでも、荷物を持って運んでくれたらチップ。ルームサーヴィスを頼んでもチップ。そして、ベッドメーキングの際にもチップをベッドのサイドテーブルに毎日置く必要がありました。もちろん、少額で良いのですが。すると時折、部屋に戻るとチップを置いた場所に「キャレ」が置かれていることがあったのです。チップへのお礼として、ささやかなお返しとしての「キャレ」。 何と粋なことでしょう。「キャレ」は単なる「カフェ」のおまけではない。そこには「心遣い」という意味も込められていることが、意外な「キャレ」の使い方から垣間見れた何気なくも貴重な体験でした。 今月のお薦めワイン 「グラーヴの赤もお忘れなく――選ぶならACペサック=レオニャンがお薦め――」 「シャトー・ラリヴェ=オー=ブリオン 2019年 AC ペサック=レオニャン」 7700円(税抜) 今回はボルドーワインの回です。 ボルドーワインと言えば、ここ二回紹介させていただいたカベルネ・ソーヴィニョン主体のメドックのワイン(左岸)とメルロ主体のリブールヌのワイン(右岸)という対が有名ですが、忘れてならないのがグラーヴのワインです。 グラーヴは位置的にはメドックの南、ガロンヌ河上流に位置します。ボルドー市のある場所でもあります。グラーヴと言えば、ボルドーの白ワインの名産地。辛口だけではなく、ソーテルヌやバルサックといった甘口貴腐ワインも生まれます。 また、メドック格付け五大シャトーの一つ、シャトー・オー=ブリオンは例外的にグラーヴのペサック村にあるシャトーです。つまり、メドックスタイルの赤ワインにも優れたシャトーが多いということです。 この優れた赤ワインを産する地域はグラーヴの中でも北部、メドックに近いボルドー市周辺に集中しています。そこで、1953年、グラーヴはオー=ブリオンを筆頭とする赤ワインの格付けを行ない、1959年には辛口白ワインも格付けするに至りました。さらに、1986年ヴィンテージからこれら格付けワインを産する北部を示すアペラシオンACペサック=レオニャンを導入し、南部のみがACグラーヴを名乗ることになりました。 ですので、グラーヴの赤ワインをご所望の際はACペサック=レオニャンのシャトーを探されるとよいでしょう。 今回、紹介させていただくシャトー・ラリヴェ=オー=ブリオンはレオニャン村の中心地区にある有名な古いシャトーで、元はオー=ブリオン=ラリヴェという名だったのですが、オー=ブリオンから訴えられ、現在の名に。優れた赤ワインのみを産する格付けシャトー、シャトー・オー=バイイに隣接し、赤・白両方を造っていますがやはり赤ワインに見るものがあるとの評価が。 「見事な色と、スパイシーで繊細なブーケを持つ、実に古典的なグラーヴで、赤は他の格付けシャトーの一部と肩を並べ得る、いや、それ以上のワインと言えよう」とペパーコーンも『ボルドーワイン』(早川書房)で評しています。 格付けされていないだけに値段も抑えられています。この機会に、是非一度お試しあれ。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP...
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by Osamu Seki
高校の同級生とこの時期必ず、横浜の海岸通りにある「スカンディヤ」でランチすることになっているのですが、今回、参加者の一人が食後、常磐町の「馬車道十番館」で「サヴァラン」が食べたいというので出かけることに。「サヴァラン」とは渋い選択だなあ、と。
今から半世紀以上前、筆者が子供だった頃、街のケーキ屋さんのショーケースに並んでいたのは「シュークリーム」に「エクレア」、「ショートケーキ」。そして、栗きんとんを用いた「モンブラン」に、「モンブラン」と形こそ似ているものの生地が全然違っていた「サヴァラン」辺りが定番だったと思います。「モンブラン」も「サヴァラン」も形はブリオッシュ型で、「モンブラン」は普通のスポンジ、「サヴァラン」はまさにブリオッシュ生地。「モンブラン」はスポンジの土台の上にシャンティークリームを絞り、さらにその上に栗きんとん風の栗のペーストを絞り、缶詰の栗を一つ乗せたもの。
「サヴァラン」はブリオッシュのへそを取って、そこにシャンティークリームを絞り、へそを蓋代わりにのせたもの。ブリオッシュ生地にアルコールを飛ばしたラム酒のシロップをこれでもかと滲み込ませ、フォークを入れるとジワッとシロップが垂れてくるくらいが良い。
子供にはお酒の風味がするのと、クリームが余り使われていないので大人の食べるケーキと思い、なかなかチョイスすることはなかったように思いますが、筆者のようなパサつくものが苦手な者にはしっとりしていて、ジューシーで食べやすい。それだけにラム酒シロップをケチったパサつきのある「サヴァラン」は絶対に許せないと思ったのでした。
「サヴァラン」は「干しブドウを入れないババにシロップとラム酒を滲み込ませ、クレーム・シャンティーまたはフルーツを挟んだケーキ。1845年、当時の有名なパティシエ、ジュリアン兄弟が考案し、美食家ブリヤ=サヴァランの名を冠した」(『フランス 食の事典』、白水社)とあります。サヴァランは1826年に亡くなっていますので、ケーキはそのオマージュだったのでしょう。また、日本で最初に「サヴァラン」が作られたのは横浜という説があり、横浜の歴史を感じさせる建物が印象的な「馬車道十番館」の名物が「サヴァラン」というのもそうした経緯があるのではないでしょうか。
さて、上記の定義にも「ババにシロップとラム酒を滲み込ませ」とありますように、それをそのままフランス語にしますと「ババ・オ・ロム」となり、レストランのデセールで結構見かける一品となります。「ババ」はポーランド由来のようで、「クグロフ」がパサパサしているので、ラム酒あるいはキルシュを滲み込ませたとあります。
こちらは1836年頃、パティシエ、ストレールがパリのモントルグイユ通りに店を開き、ババを紹介したとあります(同上)。
解説を読んでいるとどちらにもシャンティークリームが登場したりと余り違いがないような気がします。レストランで出てくる「ババ・オ・ロム」はデセールの一皿ですので、シャンティークリームをババに添えるといった感じが多いかと思います。
さて、「馬車道十番館」の「サヴァラン」は珍しい形をしていました。「小さなコッペパン」のような形とか、筆者は小判型と認識しました。確かに、コッペパンですと真ん中に切れ目を入れてシャンティークリームを挟んだといった感じになります。ユニークだったのは形だけではなく、干しブドウが三粒ほど上面に印代わりに練り込まれていたことです。また、筆者が「小判」と申し上げたように極めて小ぶりの菓子で、筆者が子供の頃食べた食べ応えのある重量感のある「サヴァラン」とは印象が異なっていました。もちろん、ラム酒風味のシロップがふんだんに使われていて、美味しくいただけました。
そう言えば、ブリオッシュ型の「サヴァラン」は時間と共にシロップが下にさがってしまい、食べ始めの上の部分は結構パサパサで、下の方に来ると逆にシロップがビショビショで厚いホイルの包み紙にシロップが溜まってしまうのが常なのを思い出しました。それに比べるとこの「小判」型ですとシロップの滲み具合が均等に近い感じがしました。食べた時に常にジューシーで美味しい。なるほど、と思った次第です。ただ、やはり少々小さすぎて物足りない。やはり、「サヴァラン」はある程度ヴォリューミーでないと。
その点、筆者の記憶にある最上の「サヴァラン」は帝国ホテルのデリカテッセン「ガルガンチュワ」のものでした。フランス・ルネッサンス期を代表する作家ラブレーの『ガルガンチュア物語』もまた美食に関するエピソードに富み、美食文学の代表作の一つと言われています。そんな作品の名前を冠したホテルの売店にはパンやスイーツ、惣菜も売っています。何といっても「ビーフパイ」、帝国ホテルでは「シャリアピンパイ」が有名ですが、筆者は「サヴァラン」に感動した記憶があります。子供の頃食べた「サヴァラン」を極めたようなけれんみのないストレートな完成度の高さ。
ちなみに、シャリアピンステーキが帝国ホテル発祥であることはご存知か、と。1936年に宿泊したロシアのバス歌手シャリアピンが歯を悪くしていたため、牛肉をよく叩いたあと、すりおろした玉葱につけてマリネし、やわらかいステーキに仕上げたもの。玉葱のソースがかかっています。筆者は神戸に住んでいた小学校高学年の頃、社宅近くのレストランのシャリアピンステーキが大好物で、来客があり外食となると、件のレストランにならないかと願ったものです。
いつの間にか、家でケーキを食べるにも「サヴァラン」を買うことがなくなってしまったように思われます。そんな中、フレンチで「ババ・オ・ロム」があると頼みたくなってしまう自分がいるのに気づきます。だいたい、デセールの「ババ・オ・ロム」はまさにラム酒の効いたアルコール感たっぷりのデセール。
シャンティークリームがたっぷり添えられた、ラム酒でむせるような「ババ・オ・ロム」も悪くないのですが、ここは玉子たっぷりのブリオッシュ生地で作られた繊細な「ババ・オ・ロム」が食してみたいなあ、と。ラム酒も余り効かせすぎずに。
子供の頃、街のケーキ屋さんに並んでいた「サヴァラン」。あの、脇役で、でもなんとなく存在感のある、それでいて何処かチープな感じもする……。そんな実は複雑な相貌の「サヴァラン」は今、何処に。
今月のお薦めワイン 「夏はロンバルディーアのピノ・ネロはいかが?――少し冷やして涼やかに赤ワインを楽しむ――」
「ピノ・ネロ 〈ヴィーニャ・ディ・ジガンディ〉 2019年 DOC オルトレポー・パヴェーゼ イジンバルダ」4532円(税込)
今回はイタリアワインの回。夏はやっぱり泡。だったら、シャンパーニュと同じ品種を用いて、シャンパーニュ方式で造られるまさにイタリアのシャンパーニュ、ロンバルディーア州の「フランチャコルタ」にすれば良い。しかし、それではあまりに芸がない というか、当たり前過ぎます。
自分は赤ワインの人だから、だったらピノ・ノワール(イタリアではピノ・ネロ)を冷やして飲みたい。「フランチャコルタ」にはシャンパーニュと同じ品種が用いられています。ということは、シャルドネ、そして、ピノ・ネロ、そして、ここがフランスとは異なるのですが、フランスは赤葡萄のピノ・ムニエなのですが、フランチャコルタはピノ・ビアンコ(フランスではピノ・ブラン)を使って造られています。いずれにせよ、ロンバルディーアではピノ・ネロが造られているということは当然、ピノ・ネロのスティルワインも造られているのです。
今回ご紹介するロンバルディーアのピノ・ネロはこの州のワインを半分以上生産している南西部に位置するDOCオルトレポー・パヴェーゼの代表的造り手「イジンバルダ」の手になるもの。アンダースンの『イタリアワイン』にも造り手の欄に掲載されています。ワイナリーの名はかつてこの地域の領主であったイジンバルダ卿に由来し、当時から伝わる伝統的な栽培、製造技術が現代に生かされています。また、40haの畑を所有しています。
このピノ・ネロは数回使用しているトノーで約三ヶ月熟成。鮮やかなルビー色。ベリー系の香り。綺麗な酸が特徴。濃厚なスタイルではないので、冷やして飲んでも美味しく楽しめるでしょう。
イタリアワインにはおおらかな度量の大きさを感じます。高級なキュヴェであれば、シャンブレで襟を正して飲むべきかと思いますが、今回のオルトレポーは夏の凉を得るに相応しいピノ・ネロかと思われます。いつもとは違った楽しみ方で、灼熱の夏もワインを堪能していただければ幸いです。余りお目にかからないロンバルディーアのピノ・ネロをこの機会に是非お試しあれ。
略歴関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
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by Osamu Seki
ホテルのラウンジなどちょっと高級な喫茶店やカフェで人に会う時、「何か召し上がりませんか」と聞かれる時があります。明らかにおやつの時間ならスイーツということになりましょうが、そういった物言いの場合、いわゆる軽食が想定されているのが通例で、そうなると頼みやすいのが「サンドウィッチ」ということになります。
先日、定年になられた先生とお目にかかる機会がありました。小石川にお住まいで、ご自宅の近くでお目にかかる約束をしたところ、後楽園の「はまの屋パーラー」を指定されました。一九六六年創業の有楽町で有名な老舗純喫茶「はまの屋」が二〇一一年、オーナー夫妻の引退を機に閉店。その味を継承すべく「はまの屋パーラー」が誕生し、新有楽町ビルに移転し営業を続けるもビルの閉館で日本橋にさらに移転。その支店は帝国ホテルにも入っていたとのことですがこちらもそのビルが閉館で閉店。宝塚歌劇団のファンでいらっしゃる先生はそちらの「はまの屋パーラー」によく行かれたそうですが、ご自宅の近くにも最近開店されたことを知られ、よく使われるのだそう。
駅ビルの上の飲食街の一角といった場所にその店はあり、確かにこじんまりした感じ。「帝国ホテルのお店は広かったのに」とおっしゃり、「ここの名物はサンドウィッチなの」と。確かに軽食のメニュはサンドウィッチが主で、あとはナポリタンとドリアくらい。サンドウィッチは具の名がついた六種類に「スペシャルサンドウィッチ」の七種がメニュに。得体の知れない「スペシャル」にしようと思いましたが、先生が「ここのサンドウィッチは具を二種類選べるハーフ&ハーフがあるの」。「しかも、普通はパンの耳を落として出すのだけど、そのまま出してくれるよう注文することも出来る」。「で、ここが肝心なんだけれど、パンは焼いてもくれます」。「トーストした方をお薦めします」。「フィンガーフードのように食べやすいの」と矢継ぎ早に説明して下さる。「玉子」が最初に書かれていますし、これは先生の口ぶりでも外してはいけなそうだったので、ここはハーフ&ハーフのもう一方を決めれば良いのだろうと思案していると、先生が「私はツナって決めています」っておっしゃるので、では「玉子&ツナ」でとしっかり忖度した注文に。先に来られていたもう一人の現役教授も「私も同じです」と、結局三人同じ註文になってしまいました。
出てきたサンドウィッチは確かに小ぶりで一口で食べられそうな小粋なものでした。卵はマヨネーズであえたフィリングではなく、玉子焼きで薄いレタスが一枚挟まれていました。それもプレスしたせいか水分が飛んでいて紙のよう。ツナの方もマヨネーズは極力少な目でツナツナしい感じ。おそらく両方とも食べた時には具がはみ出て、形が崩れないよう配慮されているのではないかと察せられました。この店の名物はやはりこの玉子焼きが挟んであるサンドウィッチとのことで、まずは玉子からいただくことにしました。
ところがです。これが意外に食べにくいものであることが判明しました。それはパンが表面をトーストしただけなく、レタス同様紙状にプレスされていたからです。確かにパンが紙のように薄いので簡単にサンドウィッチが口に入ります。ところがさすがに全部を一口で食べようと思うと口の中が一杯になりそうなので半分くらいに噛み切ろうとするとパンがスルメのように固く、なかなか噛み切れません。なんとか噛み切って咀嚼しようとするとパンが抵抗して口中にへばりつくのです。何度かむせそうになってしまい、正直吐き気を催しました。筆者はおそらく嚥下力に問題があるのか、元々口の中がパサパサするものが苦手で穀類を食するのが苦痛でもあり、バケットを食するならベッタリバターを塗らないと食べたくないといった風です。ツナの方もマヨネーズが少ないので形は崩れないものの口の中でツナもパサパサ。もう、美味しいとか美味しくないとかの問題ではなく、食べるのが苦痛で仕方ありません。
しかし、ここではたと気づいたのです。トーストされたパンを使ったサンドウィッチで筆者の好物だったサンドウィッチがあったことを。それは惜しまれながらも休業となってしまった山の上ホテルの「コーヒーパーラーヒルトップ」のアメリカンクラブハウスサンドウィッチです。これは育児雑誌の連載をしていた頃、担当の編集プロダクションも神保町にあり、ホテルが筆者の勤めている大学のすぐお隣ということもあり、取材を山の上ホテルのパーラーで行なっていた際、いつも注文していたメニュだったのです。まあ、自腹ではなく、先方に軽食も是非と勧められて註文したところ、これがなかなかの美味で、取材の際は必ずクラブハウスを頼むことに。おかげさまで通常一年のところ、好評で三年は続きましたので結構な回数いただきました。
思えば、あのクラブハウスもパンはトーストしてあったのですが紙状にプレスしてはいなかったので噛み切れないということはありませんでした。もちろん、クラブハウスの場合、チキンにベーコン、それにフレッシュな野菜が挟んでありますので、口に入りきれず、食べにくいことといったらありませんがそれがまた「いとおかし」といった風情で。また、トマトの薄切りとか挟まっていたと思いますので、水分が適度にパンに滲み込み、口の中でパサつくことは皆無。ふやけたパンの感触が許せないという方がいらしても筆者としては「ごもっとも」と思いつつ、やはり食していて吐き気を催してしまってはすべてが台無しで、筆者にとって「食べやすさ」とは大きさのことではなく、「飲みこみやすさ」に他ならないと確信した次第。
ゆえに結論としましては、次回「はまの屋パーラー」に出かける機会があれば、きっとまたサンドウィッチになるでしょうから、具は「玉子とツナ」でよいとして、パンをトーストせず、そのままの状態を選択することにすれば問題ないか、と。もちろん、パンの耳は切り落としていただかないと。
筆者が出会った絶品サンドウィッチの話をさせていただきたかったのですが。紙面が尽きてしまいました。それはまたの機会に。
今月のお薦めワイン 「ニュイ=サン=ジョルジュはコート・ド・ニュイの救世主か?――ピノ・ノワールの真髄を楽しむ――」
「ニュイ=サン=ジョルジュ オー=ザロ 2018年 ACニュイ=サン=ジョルジュ ドメーヌ・ベルトラン・エ・アクセル・マルシャン・ド・グラモン」11000円(税別)
ワインの価格高騰はワイン愛好家にとっては頭の痛い話。とりわけ、ブルゴーニュの価格は最新のヴィンテージが数年前の1.5倍といよいよ手が出ないように思われます。
ブルゴーニュと言えば、やはりコート・ドール。中でも赤ワインメインの北側、コート・ド・ニュイのワインがやはり飲みたいと思うのが人の常。でも、もはや村名ワインでも一万円では買えない状況になってしまいそうな勢いです。
では、最北のマルサネやそのすぐ下のフィサンであれば何とか買えそうですが、こちらもマルサネのパタイユ兄弟など素晴らしいが値段も立派なワインが目立ってきました。また、それだけ出すならやはり似たタイプのワインのジュヴレ=シャンベルタンの良心的な造り手を探した方が良いかもしれません。
となると唯一の可能性を感じるアペラシオンは一番南にあたるニュイ=サン=ジョルジュになるでしょう。コート・ド・ニュイの「ニュイ」はニュイ=サン=ジョルジュのニュイであるわけで、広さからしてもジュヴレ=シャンベルタンやヴォーヌ=ロマネに並ぶこの地区の代表的なワインになります。
ところが、ニュイ=サン=ジョルジュにはグランクリュの畑がありません。それは制定の際、当時の造り手たちが畑に差別感が増すことを嫌い、あえてグランクリュの制定を断ったという経緯があります。従って、プルミエクリュの畑の中にグランクリュに相当するものがあり、その代表格が「レ・サン=ジョルジュ」と「レ・ヴォークラン」になります。また、2007年以降、上記の二つの畑をグランクリュにするよう申請を行なっており、いよいよニュイ=サン=ジョルジュにもグランクリュが誕生するかもしれません。
という訳で、今のところ、ニュイ=サン=ジョルジュのワインは他のニュイの代表的なアペラシオンに比べ、価格が抑えられています。そこで今回ご紹介するのはヴォーヌ・ロマネに隣接する「オー=ザロ」という畑の2018年ヴィンテージ。造り手はドメーヌ・ベルトラン・エ・アクセル・マルシャン・ド・グラモン。ニュイ=サン=ジョルジュを拠点し広大な畑を所有していたシャンタル・レスキュールが相続で三分割されたドメーヌの一つ。1986年、ベルトラン氏が設立。娘のアクセル氏が2004年に継承し、ビオディナミを実践。この「オー=ザロ」は平均樹齢50年。100%除梗。新樽率20%と2〜3年樽で18ヶ月熟成。綺麗な酸が特徴的なニュイ=サン=ジョルジュにヴォーヌ=ロマネの複雑な豊かさが加わった秀逸なワイン。2020年ヴィンテージは13000円になっていますので、この2018年ヴィンテージはまさにお買い得。この機会に是非お試しあれ。
略歴関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
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by Osamu Seki
今年のゴールデンウイーク近く、筆者に縁のあるフランス在住の画家の個展が相次いで東京で開催されました。 まず、四月二十二日から一週間、銀座の「幸神ギャラリー」にてパリ在住の川辺孝雄氏の「大宇宙」と題された展覧会が。 川辺氏との出会いはまさに「美食」繋がりと言えます。今から三十年近く前の一九九六年九月にパリを訪れた際、出かけたレストランで偶然隣の席に座られた日本人が川辺さんご夫妻だったのです。 それは十五区ヴァスコ・ダ・ガマ通りにある「ロス・ア・モエル」という当時開店して間もないビストロでした。後に「ビストロノミー」、「ビストロ=ガストロ」と呼ばれるようになるグランメゾン級の最新のフランス料理をビストロ感覚の価格と雰囲気で楽しめるスタイルの店のはしりでした。グランメゾンがパリの中心部に店を構えていたのに対し、これらの店は進取の気鋭の左岸(リヴ・ゴーシュ)の外縁にあたる十三、十四、十五区にありました。そして、「ロス・ア・モエル」のティエリー・フォシェは十四区の「レギャラード」のイヴ・カンドボルドと並んでそのパイオニアとして人気のシェフでした。 ただし、それはまだ一部の「美食」に関心のある者たちのあいだでのことで、SNSなどまったくなかった時代、『地球の歩き方』や『るるぶ』などしか情報を得る手段のなかった一般の日本人にはまだほとんど知られていませんでした。つまり、フランス語で『ミシュラン』や『ゴー=ミヨ』に目を通していないと分からないことだったのです。筆者はすでに先立つ九四年、九五年とパリを訪れていましたので、当時のパリの最新のレストラン事情はそれなりに把握していました。 ですので、夜出かける星二つ、三つのグランメゾンならともかく、昼出かけるビストロで日本人にお目にかかることはありませんでした。それは川辺ご夫妻も同じだったのでしょう。お互い、「まさか日本人に出会うとは」、というニュアンスで「日本人でいらっしゃいますか」と尋ねられたように思われました。 パリ在住の日本人画家に出会うというのは何とも珍しいことかと思われるでしょうが、実は筆者、もう一人そのよう方を存じていました。筆者がパリでお世話になった、当時パリにお住まいでその後成城大学の教授になられた末永朱胤先生のお父様もまたパリ在住の画家でいらしたのです。その末永胤生画伯は馬の絵を描かれていました。川辺さんは抽象画を描かれています。 さて、「ロス・ア・モエル」はビストロですので隣のテーブルとの間隔は狭く、色々お話を伺わせていただきました。何を食したのかはすっかり忘れてしまいましたが、何のワインを飲んだかはしっかり覚えているのが筆者らしいと言えましょうか。で、やはりワインの話を川辺さんにも尋ねたのをよく覚えています。それは日常、というか毎日どのようなワインを飲んでいらっしゃるのかという質問でした。フランスでは朝はともかく、昼、夜と毎日必ずワインを飲むのが食事の一環と言えます。ご夫妻の答えは、自分たちは手頃なものではあるが必ず瓶のワインを買って飲んでいるというものでした。 ミネラルウォーターよりワインの方が安いと言われていたように、フランスではワインは日用品です。まず、ペットボトルのワインがありました。マルシェなどで、農家が自分たちの造ったワインをペットボトルに詰めて売っていたものです。また、街角のあちこちにあるフランチャイズのワインショップ「ニコラ」では、ワインの量り売りもしていました。ですので、ワインのエチケットにも書かれている瓶詰めされた(ミザン・ブテイユ)ワインと言うのはそれだけでなかなか上等なものと言えるのです。 たった一度の遭逢でしたが、帰り際に名刺をお渡ししたところ、日本で個展を開かれる際、葉書を送って下さるようになりました。銀座松坂屋の別館でずっと開かれていたのですが、松坂屋が閉店してしばらく連絡がなかったのですが、久しぶりに葉書が届きました。やはり、銀座の画廊での開催とのこと。 折角なので、この連載主宰の島田さんのお店の近くということもあり、島田さんをお誘いして伺ったのですが、入れ替わりで帰られたとのことでお目にかかれず仕舞いになってしまいました。お互い随分年を取りましたので、これが今生の別れにならないとよろしいのですが……。 さて、もう一人はフランス人の若い作家クレマン・デュポン氏の「ハーフトーン」と名付けられた個展。こちらは何と柴又の「アトリエ485」で開催されました。五月四日の初日に伺わせていただきました。デュポン氏は筆者が翻訳した『欲望の思考』の著者マキシム・フェルステル氏の甥にあたります。トゥールーズ生まれのフェルステル氏は現在、アメリカの大学でフランス文学を教えています。彼は二度日本を訪れており、一度は千葉大学などで講演を行なっています。そのフェルステル氏から甥が初めて日本で個展を開くので顔を出して欲しいとメールが。 それにしても、帝釈天のある寅さんゆかりの柴又のギャラリーとは。外国の作家を紹介するギャラリーのようですが、他にワイン会やコンサートなど広く多様な目的で活用されているスペースのようでした。調べるとオーナーもフランス人のようです。何となく合点が行きました。外国の作家に日本を感じてもらい、また日本らしい場で作品を展示するのに、外国人だったら「銀座」を選ぶでしょうか。下町情緒あふれる「柴又」こそ、確かに「浅草」ほど観光地化しておらず、しかし賑わいのある街でそれに相応しいのではないでしょうか。 逆に、「銀座」の画廊は「パリ在住の日本人画家」に相応しい発表の場であるように思われます。 デュポン氏はまだ二十代のように思われる若者で、やはりトゥールーズ出身。フェルステル氏の家から十五分ほどのところに実家があるとおっしゃっていました。現在はパリで活動しているとのこと。初めての日本で個展は柴又だけ。全国を旅するそうで、京都では版画を教わると言っていました。作品はシルクスクリーン様なものなのですが、実は点描で色の濃淡をその厚みで表現しているとのこと。本人は「掛け軸」に興味があるらしく、自作が「表装」されるのを意識して、額に入れない展示になっていました。 「銀座」と「柴又」。同じ「東京」という都市でも、それぞれの街には意味があり、同じパリ在住でも日本人とフランス人では自らを位置付ける場が異なっていました。それはグランメゾンがパリの中心にあり、ビストロノミーのパイオニアがパリの端に店を構えたのと似ているように思われます。 ともかくも、お二人のますますのご活躍をお祈りするばかりです。 今月のお薦めワイン 「マルゴーの隠れた逸品〈シャトー・マルキ・ダレスム〉――エレガントな格付けメドックワインを楽しむ――」 「シャトー・マルキ・ダレスム 2019年 ACマルゴー 第三級」8200円(税別) ローテーションで今回はボルドーを。前回はメドックのサン=ジュリアンの格付けシャトーでした。今回もう一度、メドックの格付けシャトーから選んでみました。今度はACマルゴーです。しかも、第三級。しかし、「小さくてほとんど知られていない」とペパーコーンも書いている「シャトー・マルキ・ダレスム」です。 ACマルゴーは他の村名アペラシオンと異なり、マルゴーの他にカントナック、ラバルド、スーサンの各村、さらにアルサック村の大部分もACマルゴーを名乗ることが出来ます。ですので、複数の村に所有する畑が点在するというケースが多い。この「マルキ・ダレスム」もマルゴー村とスーサン村に畑があります。 実は「シャトー・マルキ・ダレスム」と名乗るようになったのは2009年からで、それ以前は「シャトー・マルキ・ダレスム・ベッカー」という名でした。エチケットも馬蹄型のデザインで個性的、印象深いものでした。同じACマルゴーの第三級、シャトー・マレスコ・サン=テグジュペリを所有するジュジェ家が所有していた時代のことです。 2006年にブルジョワ級のシャトー・ラベゴルスの所有者ペロド家が購入しました。ペロド家は石油の富豪でラベゴルス=ゼデも購入、ラベゴルスに統合するなど着実にその勢力を拡大させています。 筆者はジュジェ時代の「マルキ・ダレスム・ベッカー」を好んでいました。小ぶりですが、実に品よくエレガントな趣でマルゴーらしいスタイリッシュなワインでした。 ペロド家になってからは以前よりカベルネ・ソーヴィニヨンの比率が高くなっているようで、今回紹介させていただく2019年ヴィンテージのセパージュはソーヴィニヨン57%、メルロ37%、プティ・ヴェルド6%とカベルネ・フランは使われていません。新樽率は50 %。樽熟成は18ヶ月とあります。 依然としてネームバリューは高くないので、価格的には前回の第四級のブラネール=デュクリュよりまだ随分お安くなっております。 ペロド家は2014年にシャトーを一新したようです。積極的な設備投資を行なっているようですのでその動向には注目すべき。パーカースコアも高い新たな「マルキ・ダレスム」をこの機会に是非お試しあれ。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE...
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by Osamu Seki
筆者が松重豊氏主演のテレビドラマ『孤独のグルメ』(テレビ東京系)を好んで見ている話をさせていただいたことがあるかと思います。大晦日の特番は必ず見ますし、再放送も時間があるときは何度目でも見てしまいます。どの店も個性的ですが、印象に残る店がいくつかありました。中でもとりわけ気になったのが、鎌倉の由比ガ浜にある「シーキャッスル」という店。名前こそ海岸沿いのサーファー御用達のカフェかと思いきや、何と落ち着いた雰囲気の本格的なドイツ料理店だったのです。しかも、かたせ梨乃さん演じるマダムがちょっと気難しそうでなんともドイツ風。ドイツと言えば、「シュヴァルツ・ヴァルト(黒い森)」と呼ばれる暗いイメージで、ゲーテもニーチェも光を求めて、イタリアへの旅に出たのは有名。つまり、海岸沿いとはまったく「場違い」な雰囲気の店だったのです。
実際はドイツ人のご家族が営まれる店で、筆者は機会があれば是非訪れてみたいと思っていました。ところが二〇二二年の十一月閉店したとのこと。何と六十五年もの歴史ある店だったそうです。ドイツ料理とは縁がない筆者ですが、大学院生時代、お世話になった先生が懇意にしていたシェフがカイテルさんというドイツ人で京王プラザホテルなどで活躍され、ちょうど新宿に「カイテル」という店を開業された(一九八六年)ので何度か伺うことがありました。その「カイテル」もカイテル氏が亡くなった後、奥様が継がれたようですが閉店となったようです。
ああ、「海岸沿い」のドイツ料理店なんて、そう滅多にお目にかかることがないのにかえすがえす残念に思っていたところ、『ミシュラン東京』掲載の「按田餃子」の按田優子さんから思いもよらぬ吉報が。按田さんは筆者が大学での卒論の指導教員を務めたのが縁で今も懇意にさせていただいております。按田さんは数年前、神奈川県三浦市に移住され、一度伺わせていただく話が出た際に、何処か食事をするのに適したレストランはないかと尋ねたところ、野比海岸沿いに「ロシア料理店」があるとのこと。その名も「火の鳥」。おお、「海岸沿い」のドイツ料理店もさることながら、ロシア料理店とはこれまた「場違い」はなはだしい。これは出かけない訳にはいきません。なかなか機会がなかったのですが、この春休み、とうとう出かけることと相成りました。
按田さん曰く、結構昔からあるらしい。調べると確かに一九九五年開店とあり、三十年になるかという老舗。店名の「火の鳥」というのはおそらくロシア人作曲家ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」からでは。一九一〇年、パリでロシア人演出家ディアギレフ率いるバレエ団が初演しました。東京のロシア料理の名店が今はなき芝の「ヴォルガ」をはじめ、新宿「スンガリー」、銀座「ロゴスキー」、六本木「バイカル」、浅草でさえ、「マノス」、「ラルース」、「ストロバヤ」とカタカナ表記のロシア語風なのに対し、「火の鳥」というネーミングは確かにロシアを連想させるもののやっぱり「場違い」感満載。
あいにくの雨模様の日となってしまいましたが、三浦海岸駅から久里浜へと海岸沿いに車を走らせると確かにその店はありました。驚いたのは海に向かって、外壁に「火の鳥」と赤い字で大きく店名が書かれていたこと。それが長年風雨にさらされ、また何とも微妙にかすれているのです。一階のガレージが四台分の駐車場になっていて、向かって一番右のスペースに車を停めたのですが、またまた驚いたのは右端の柱に表札がかかっていたのです。あれ、これは住居でもあるのか。まあ場所柄、当然と言えば当然なのですが、「シーキャッスル」同様家族経営なのだろう、と。
店内に入ると海が見えるよう、鰻の寝床風に上手にテーブルが配置され、厨房にいた中年のシェフらしき男性が明るくいらっしゃいませ、と。接客の同じくらいの年齢のご婦人が奥様なのかな。あれ、老舗なのに。もう代替わりしてしまったのか。と思いきや、厨房にはご老体のシェフの姿も。さらに常連らしき老婦人と皇室話で盛り上がっていたのが大女将であることに気づきました。あと、「研修生」と名札をつけた若い女性がサーヴィスに。
ボルシチにピロシキ、ストロガノフと日本のロシア料理店で出される典型的な料理がメニュに。中でも売りは「壺焼き」らしく、中身のシチューが十種類もありました。ユニークだったのはそれらをコースやセットとして組み合わせたものがこれでもかと何頁も書かれていて、かえって選ぶのが大変だったことです。筆者は主だった料理がすべて楽しめる「スペシャルコース」を選びました。ボルシチ、サラダ、ピロシキ、小さな壺焼き、ハーフサイズのラムステーキにデザートとロシアンティー。他に食べてみたかった「ビーフストロガノフ」を単品で注文して、同行者とシェアしました。以前この連載で取り上げた「ロールキャベツ」はメニュにありませんでした。
筆者はロシア料理では「ピロシキ」が好物で、とりわけ浅草の「ストロバヤ」の「ピロシキ」が気に入っています。ナツメグの効いた挽肉がたっぷり入っていて肉肉しい。「火の鳥」の「ピロシキ」は揚げておらず、バターのたっぷりのパン生地にフィリングを入れ焼いたもの。噛むとジュワっとバターが滲んで中の具と合わさってこれまた美味。しかし、一番気に入ったのは「ラムステーキ」でした。何かにマリネしてあったのか、しっかり火の通ったラムでしたが思ったより柔らかく、これがまた美味しい。玉葱の効いた醬油ベースのソースが絶妙。おそらく「シャリアピンステーキ」のヴァリエーションか、と。歯の悪かったロシアの名バス歌手シャリアピンが来日し、帝国ホテルに泊まった際、シェフが考案した料理。すりおろした玉葱でマリネして柔らかくした牛肉を薄くたたいて、ステーキにし、その玉葱をソースに。「ミニッツステーキ」の応用編。実際、ラムの他に牛肉のステーキもメニュにありました。でも、ここは仔羊をチョイスして正解でした。
ワインはさすがにロシアワイン、といってもほとんどはグルジアワイン、今はジョージアと言っていますが、旧ソ連だった地域のワインは置いてありませんでした。その代わり、黒板に今日のワインとして、赤はスペインのビオワインが載っていましたので、これ幸いと注文した次第。ナヴァラの産で、テンプラニーリョとメルロの混醸。最初、冷え過ぎで味が分からなかったのですが、室温に戻ってくるとなかなかいける。重すぎず、この店の料理にはちょうど良い塩梅。
それほど食べ歩いた訳ではありませんが、都内の有名ロシア料理店に劣らない出来の料理の数々。そんなレストランが何故、こんな海岸沿いに。海水浴姿のお客様は入店お断りと入り口に札がかけられているし。確かに、かたせ梨乃風の近寄りがたいオーラを出すマダムはおらず、アットホームな家族経営のお店で、ご近所さんが気軽にランチに来られるような店ではありました。
別荘地と住宅地の中間、いわゆる「境界例(ボーダーライン)」ともいうべき立地が生み出す不思議な雰囲気が「火の鳥」という名に暗示されているように思われました。按田さんの料理が按田優子という人間のライフスタイルと不可分なように、この三浦の地は独自の文化圏を成しているのではないか、と。
「火の鳥」、今度行ったら筆者は迷うことなく、メニュを決めることが出来るでしょう。その日がまた来ることを願っています。ご馳走さまでした。
今月のお薦めワイン 「トスカーナの最高峰〈ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ〉――多彩なサンジョヴェーゼ種を楽しむ――」
「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ 2017年 DOCG ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ フォッサコッレ」9920円(税別)
今回はイタリアワインの回。前回、ピエモンテ州のネッビオーロ種から造られる「ガッティナラ」を紹介させていただきましたので、今回はイタリアの二大産地のもう一つトスカーナ州のワインを。トスカーナの主要品種は「キャンティ」の主原料となるサンジョヴェーゼ種です。ネッビオーロ種はブルゴーニュのピノ・ノワール種同様、どの地域でも同様ですが、サンジョヴェーゼ種はちょっと事情が異なります。地域によってそれぞれ、その亜種からワインが造られているのです。そして、その最高峰がブルネッロ種で、「十九世紀半ば、フェルッチノ・ビオンディ・サンティによって、モンタルチーノでサンジョヴェーゼ種から分離された力強いクローンで、質的に重要である」とジャンシス・ロビンソンは書いています(『ワイン用葡萄ガイド』、ウォンズ、1999年)。
他のサンジョヴェーゼ種の亜種には、プルニョーロ・ジェンティーレ種から造られる「ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノ」、モレッリーノ種から造られる「モレッリーノ・ディ・スカンザーノ」があります。
そして、ブルネッロ種から造られるのが「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」でサンジョヴェーゼ系の葡萄から造られるワインでは最も高価なものになっています。「力強い構成を持つこのワインは、樽と瓶で熟成して温かみがあり、充分な香味を持つ深いルビー色からレンガ色までの豊かで複雑なブーケのあるワインになる」(バートン・アンダースン『イタリアワイン』、早川書房、2006年)。
また、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは長熟用の造りで飲み頃まで時間がかかることもあり、同じブルネッロ種を用いて、早飲みで値段もより手頃な「ロッソ・ディ・モンタルチーノ」が1980年代から造られるようになっています。筆者は何種類かロッソ・ディ・モンタルチーノを飲んできましたが、どれも味が単純で軽すぎるように思われました。やはり、ここは葡萄品種の特性を最大限に生かした「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」を選ぶべきでしょう。
ということで、今回選んだ「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」はフォッサコッレという、モンタルチーノで最高のロケーションに2.5haを所有する小さな家族経営の造り手のものです。古き良き時代の造りを彷彿とさせる骨太でずっしりとした味わいの逸品をこの機会に是非お試しあれ。
略歴関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
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