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JOURNAL

『春風亭与いちの二ツ目日記』第十二回「梅雨」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第十二回「梅雨」

東京もようやく梅雨入りし、蒸し暑い日に拍車がかかってきました。年間で最も早く過ぎ去って欲しい季節到来です。天然パーマの私に取っては日々、湿度との戦いです。今は短くしているのでなんとか誤魔化せるのですが、学生の頃は色気づいて、髪をひたすら伸ばしてました。前髪は重ければ重いほどカッコいい。目が前髪で隠れていてこそ漢だ。そう思ってました。ただ、現実は思い通りにいかず、その伸ばした髪が一本残らず縮れ、若い頃の鶴瓶師匠のようになっていました。師匠にその事を話したら、「贅沢な悩みだ」と一蹴されました。髪型にこだわりがあるかと聞かれると、そんな事はなく、床屋は安ければいいと思っている。前座の頃通っていた近所の床屋は、おじさんが1人で営んでいる"ザ・街の床屋"だった。自分以外の客がいるところを見たことがなく、行くと、亭主が大抵プレステをやっている。「(ポチポチポチ)…あ、いらっしゃーい。(ポチポチポチ)」僕の存在を確認してから暫くプレステをいじり続ける。おそらくキリのいいところまでやりたい、ということだろう。それくらいはまだ良い。一度、オンライン通信をしていることがあった。「あははは!…あ、ごめん、お客来た。あと頼んだわー。はい、いらっしゃーい。」かなり気まずい。あと、お客さんのこと「お客」っていうタイプだったのをそこで知った。椅子に座って、目の前の鏡の下にある僅かな幅の棚に千円札を置いたら、カットスタート。という仕組み。大道芸人かよ。と、いつも心の中でツッコミを入れる。少しこのご亭主に歩み寄ってみようと思い、「なんのゲームされてるんですか?」「んーーー、モンハン。」友達かよ。たまたま同じゲームをプレイしたことがあったので少し盛り上がった。「仕事なにしてんの?」「落語家です。」「へぇー、僕ね、春風亭一之輔さん好き。」「あ、僕の師匠です。「え!本当に!?」何故かそのまま師匠のラジオを一緒に聴いた。完成して、後頭部を鏡で見せてもらう。気になる所があったので、もう少し切ってもらおうとしたら、「切り直しとかはやってないからー。はい、お疲れさまー。」掴めない。さっきまであんなに盛り上がってたのに。何故この床屋に3年も通ったのか。そして二ツ目になり、今は美容師になった友人に切ってもらっているのですが、もう最高です。話が弾むわ、細かいとこまで切ってくれるわ。ノンストレスな散髪ライフを送っております。久しぶりにあのご亭主の刺激的な散髪も受けてみたい。元気にしてるかなぁ。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第十一回「薬漬け」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第十一回「薬漬け」

先月末、声が出なくなりました。大袈裟じゃなく、本当に。喉から音が出なくなりました。その1ヶ月前くらいから、花粉やら何やらで喉の調子が悪く、それが標準の状態になっていたので、特に問題視していなかったのですが、4月20日、遂に爆発しました。その日は昼、朝枝兄さんとの二人会、夜に師匠一之輔の独演会の前方。というスケジュール。昼の二人会、その一席目で早々に出なくなりました。噺の途中で、喉がひっつくような感覚に襲われまして、それからはなんとか誤魔化し誤魔化し…しかし、流石に夜の会に行けるほどでは到底なく。急遽、その場で朝枝兄さんに代演のご快諾をいただき、兄さんを会場まで案内し、師匠にも挨拶をしようとしたのですが、声が出ず。そのまま帰宅。翌日、噺家の先輩から勧められた耳鼻科へ行ってみた。「他の落語家もよく通っているらしい」と聞いて行ってみたら、本当に同期の歌彦に会った。鼻から内視鏡を入れられる。「はい〜、もうちょっと我慢だよー。すぐ終わるからね〜。もう終わるよ。」これが永遠に感じるほど苦しい。写真を見せられながら診断結果を聞くと、声帯を司る"ひだ"が弱りきっていて、ただの空洞になっていた。「どうしてこんな風になっちゃったの!?」と言われた。こっちが聞きたい。とにかくもっと早く医者に行かなきゃいけなかったらしい。反省。その場で吸入をした。あの、蒸気を鼻から吸って口から出すあれだ。あれが私は何故か子供の頃から大好き。少しも漏らすまいと、吸い口しっかり覆い、白神山地に行った時くらい深呼吸をする。最近「シーシャバー」なる店をよく見かけるが、「吸入バー」もあっていいと思う。そっちの方がよっぽど身体にいい。アルコール飲料の代わりに、マヌカハニー湯や、R1ヨーグルトなど置いても良いだろう。それから4月いっぱいは喋らず、もちろん仕事も休むように言われた。これは死活問題だ。仕事どころか稽古もできない。替え玉の麺の硬さを伝えられない。電話がかかって来ても無視する他ない。そんな生活をなんとか乗り越え、やっと仕事復帰。発生の仕方を一から見直しながら、試行錯誤して演っている。そしてなんとなく感覚をつかめてきたと思っていた矢先、ウイルス性の胃腸炎にかかってしまった。しかも重めのやつだ。胃腸炎のくせに熱が38.8°まで上がりやがった。医者に行ったら、今度は肛門から長い棒を突っ込まれた。上から下から。まったく惨めな人間だ。家へ帰り、トイレと布団を往復するだけの日々を過ごしている。一体この1ヶ月で何錠の薬を飲んだことか。常に飲んでいる薬も他にある為、10錠までなら一度に飲み込むことができるようになった。ここ数日は液体状の食べ物と錠剤だけで動いている。おそらく未来の人間の姿はこんなだろう。ああ、早く現代らしい、寝る間も惜しんで働き、脂質糖質にまみれた食生活を送りたい。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第十回「春」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第十回「春」

花粉がひどい。酷すぎます。まず、鼻水が止まりません。自分の体内にこんなにも水分があったのかと思い知らされるほど出てきます。朝起きて、鼻かんで、顔洗って、鼻かんで、トイレ行って、鼻かんで、鼻かみながら朝食食べて。もう顔の中心部だけ真っ赤です。日の丸顔。もう痛いだけで、匂いも感じないですし、今の鼻の役割はメガネを受け止めているだけです。かなりコスパの悪い部位に成り下がりました。目も痒すぎです。一度、眼球を取り外して水洗いしたいくらい。そして体感ですが、例年より花粉飛散時期がかなり長いです。この辛い時期は春だけの約束(してない)なのに、年末から続いてます。時間外労働が過ぎます。花粉、かなりブラックです。流石にたまらず、先日ついに耳鼻科に行きました。そこで処方された薬がかなり効くのですが、それ以上に副作用の眠気に襲われております。今となっては、つらい・痒いより、ひたすらに「眠い」です。今も半分寝た状態で書いているので、政治的な危ないことを言ったとしても許してください。「国内にある全てのスギ・ヒノキを去勢します!」という政党が出てきたら投票したいと思います。あぁ、眠い眠い。先日、また珍しいお仕事を頂戴しました。この春から、宮城の新聞社、「河北新報社」さんの電子版「河北新報オンライン」の広告キャラクターを務めさせていただくことになりました。いぇい!子供の頃から読んできた新聞社です。既に紙の新聞を購読されている方は月々たったの500円で、スマホやタブレットでも読めるようになります。月々たったの500円で!スマホでも!タブレットでも!新聞が!読めるように!なります!月々たったの!もういいですね。初のCM撮影。今回のための新作落語を作家さんが作ってくださいまして。15秒のCMなのですが、その台本、どう見ても5分かかる長さで。「フルバージョンをYouTubeで配信しようと思っておりまして!」なるほど、しかし撮影まで数日しかない。ネタ下ろしもあり、覚えられず。撮影日をずらせなかったので、フルバージョンでは台本を読み上げる形に。映像はその場面毎に合わせた表情と仕草の、静止画でお届けすることになりました。ボラギノールのCMと同じシステムです。恐らく世界初、ボラギノールシステムの落語。ぜひご覧ください。薬もらう前に撮ったので、鼻赤くなってます。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第九回「ロケ」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第九回「ロケ」

最近、有難いことに少しずつ落語以外の仕事もいただけるようになってきまして、この間は初めてテレビのロケに行ってきました。これがとにかく難しい。的確な情報と、新鮮で分かりやすいリアクション。普段やらないことだらけで、結果は惨敗でした。まず初めに伺ったのは私が出囃子でも使わせていただいている、宮城のテーマパーク、八木山ベニーランドさんです。気温は2度。風が強く、雪も降ってくる中、着物でのロケ。極寒です。男物の着物は、襟から袖からとにかく風が吹き込む吹き込む。するとディレクターさんが、「さ、与いちさん、まずはジェットコースターに乗ってもらいます!」殺す気か。とにかくなんでも挑戦です。冬季休業中ということもあり、1番迫力のあるジェットコースターではなく、比較的優しい子供向けのやつ。「なるべくオーバーなリアクションでお願いします!」無茶言わないでくださいよ。と思ったのですが、終わったら「いやー、良い表情でしたね!」寒いからですよ。続いて人生初の食リポ。その園内で販売しているフライドポテト。これが揚げたてで美味い!寒いのも相まって本当に美味い!とにかく美味い!美味い!!…はい、そうです。本番でも「美味い!」しか言えませんでした。「与いちさん、もう少し感想をいただけませんか?」そりゃそうですよね。「えーーーーーーーーーーー、この塩加減がちょうど良いですね!いや〜、この塩加減がね!最高ですね!塩加減!」いい加減にしろ。俺。いざ何か言わなくてはとなると何も出ませんでした。僕は塩加減しか分からない男です。次に伺ったのはバングラデシュ人のご亭主が営むカレー屋さん。バングラデシュの本格スパイスカレー3種盛りを頂きました。そしてこれも美味い!美味い!!またしても「美味い!」しか出てきません。見かねたディレクターさんが、「与いちさん、その豆が柔らかく煮えてませんか?」「おっ、確かに柔らかくて美味いですね〜!」「…ね、でそのカレーはスパイスが効いていて後から辛さが来ませんか?」「おっ、スパイスが効いていて後から辛さが来ますね〜!」もうディレクターさんが直接やった方がいいくらいの無能っぷり。「じゃあ与いちさん、このロケをなぞかけで締めていただきましょう!」勘弁してくれぇ。なぜか噺家なら誰しもできると思われているこの"なぞかけ"という地獄の遊戯。僕は死ぬほど苦手なのです。しかし背に腹はかえられません。下手ななぞかけでしたが、恥ずかしがってはいけないと、とにかく大きな声でやりました。「ではご亭主、ただいまの与いちさんのなぞかけ、座布団5枚中何枚でしょうか!」何故5枚中なのか。相場は10枚じゃないのか?と、一瞬思いましたがそんなことはもうどうでもいいです。とにかく何か起こってくれ。ご亭主「ザブトン、5マイ アゲチャウヨ〜!」私「お、ありがとうございます。今のなぞかけ良かったですか?」「ウン!意味ワカンナイケド、声オオキイカラ、イイネ!」じゃあ、なぞかけじゃなくて良かったんじゃないか。とかも、もうどうでもいいです。とにかく山場をくださってありがとうございました。バングラデシュのご主人。またプライベートでカレー食べに行きます。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。  

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第八回「誕生日」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第八回「誕生日」

暑い、暑過ぎます。この間年を越したばかりかと思えば、2月も半分が終わり、やっと東京でも雪が降り出した矢先、いきなり気温が20度を超す始末。確定申告は未だ終わらず。もう毎日めちゃくちゃです。先日、1月の28日に私の師匠、春風亭一之輔が46歳の誕生日を迎えました。私の友人から私宛にLINEで、「今日、師匠の誕生日じゃん!おめでとー!」と来た。私の誕生日ではないので、返答に困る。師匠、愛されてるなあ。数ヶ月前には、私の独演会に来てくれたお客さん数名に、「あんた、この間の徹子の部屋見たわよー!」と言われた。もちろん出演したのは私ではなく、師匠。「僕も見ました。」としか言いようがない。師匠、愛されてるなあ。毎年1月28日の朝に、我々弟子一同で師匠宅に伺い、誕生日プレゼントを渡す。今では「弟子一同から」として1つのプレゼントを渡しているが、元はそれぞれ1つずつ渡していた。それが切り替わった日を明確に覚えている。四番弟子の貫いちが入って最初の誕生日。それぞれ師匠に喜んでもらおうとプレゼントを選ぶが、"超"かけ出しの我々には高価なものを買えるお金は到底なく。本、マフラー、文房具、ベルト(合皮)。並んだ物はフリーマーケットのよう。かえって師匠に気を遣わせてしまい、「ありがとう。お前たちからは言えないだろうから、来年からは皆んなで1つで大丈夫です。」と、今に至ります。その弟子一同からのプレゼント一発目は完全ワイヤレスイヤホン。昨年のプレゼントとは雲泥の差です。やはり、皆で力を合わせるとそれなりの物が買えるのです。師匠も、「おい!なんで繋がってないのに、繋がってるんだ!!」と喜んでくれました。その翌年はロボット掃除機。そもそも、弟子が家を掃除しろよ、という感じですが。これも気に入ってくれ、初めのうちはコントローラーで操作しながらロボット掃除機の後ろを付いて歩いてました。「普通に掃除機かけた方が早い」なんて野暮なことは誰も言いません。 そんなこんなで今年は携帯用の電動シェーバー。師匠は今までコンビニで買った1500円程の物を使っていました。それもカバーが壊れ、若干刃が剥き出しになった状態でも数日使うため、たまに流血したまま高座に上がっておりました。それを阻止できたはずです。もし今後、血を流しながら高座に上がっていたら教えてください。すぐに買い替えます。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第七回「新年」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第七回「新年」

新年明けましておめでとうございます。と言いたいところですが、年明け早々からおめでたくないニュースが続き心が痛みます。そんなことを少しでも忘れて、楽しんでもらおうと方々でお喋りさせていただいております。毎年、私の出囃子でも使わせていただいている、「八木山ベニーランド」という、地元・宮城にある世界有数のテーマパークで、新春落語会を開催しているのですが、今年も盛況で嬉しい限りでした。毎年、この会が仕事初めでは無いのですが、地元ということもあり、「今年もやるぞ」という気持ちにさせてくれます。"学生さん無料!"と謳っているのに、お子さんが1人も来ないことあったこの会ですが、今年はお子さん沢山。「落語聴いたことある?」「ない!」「笑点見たことある?」「ない!」「座布団1枚っていうやつ見たことない?」「知らない!」もはや清々しいです。元気はあるけど落語に興味はない。こういうお子さんの時ほど腕がなります。帰りに「面白かった」と言ってくれて良い1年のスタートを切れました。ありがとう、少年。今年は具体的な目標を3つ設定しました。1つ目、年間にネタ下ろしを20席すること。ネタ下ろしをしている独演会が年10回あるので、毎回2席ずつ下ろす計算です。ただ、これがかなり難しい。我々プロの落語家は勝手に覚えて口演することが許されておりません。どなたかに直接お稽古をつけていただき、1対1で自分が演って見せ、そこでオーケーが出て初めてお客さんの前で演ることが許されるのです。月に2席覚えることは努力次第でなんとかなりますが、そのお稽古をつけてくださる噺家とのスケジュールが合わなかったりすると、ネタ下ろしの会に間に合わない…なんてこともしばしば。昨年は月1席もやっとの状態だったので、とにかく覚えまくって自分の限界に挑戦します。お稽古が間に合わなければ、翌月3席下ろすつもりでやっていきます。果たして、その時お越しいただくお客さんにそれが良いのかどうか…。とにかくしゃかりきにやっていきます。2つ目、何かしら賞を取ること。私はこれまで賞レースというものから逃げてきました。「優劣より好き嫌いの問題だろ」とか、「賞取ったって売れない、売れてる人が取ってるだけ」などど、完全に卑屈になっていました(これは本当に良くない)。しかしそんなことより、賞を取ると私を応援してくださっている皆さんがきっと喜んでくれる。胸を張って「与いちを応援してます。」と言っていただけるように賞を取りたいと思うようになりました。いや、本当に。こんな拙い落語しかできない自分にお金を払って付き合ってくださる方々にお返しがしたいです。「じゃあ木戸銭返せ」とか言われても無視しますが。とにかくエントリーできる大会は全て参加します。そして、自分でエントリーできない、大会側が出場者を選んでいる賞レースの関係者様!私、春風亭与いちを是非!本気で賞取りに行きますので!3つ目、早起き。毎朝7:30には起きます。起きたいです。いやいや、あのぅ、これが1番難しいかもしれないのですよ。私にとっては。この目標を元日に立て、早2週間経ちますが、7:30に起きれたのは僅か1日。その1日も眠すぎて2時間昼寝してしまう始末。でも3つ全て達成できるよう2024年も頑張ります。本年もどうぞよろしくお願い致します。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。        

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第六回「年末」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第六回「年末」

どうも、メリークリスマスです。いつも毎月15日に更新をしておりましたが、年末の忙しさにかまけて遅くなってしまいました。街を歩いていると否が応でも飛び込んでくるイルミネーション、クリスマスソング、赤・白・緑。それらを感じる度に「ああ、早くクロークルームさんのコラムを書かなければ…」と思っていたのですが。。。気がつけばM-1が始まりました。あー、見たい。けどそんなことより書かなくては。令和ロマンさんが1番手とは思えない高得点。さや香さんが期待値上がり切った状態でも爆笑かっさらっている。面白すぎる。いかんいかん、一刻も早く書き上げなくては。これを書き上げてもまだやることは沢山ある。まずはお年玉を作らなくてはいけない。我々噺家は正月に前座さん・お囃子さんに「(あけまして)おめでとうございます」と言われたらお年玉をあげなくてはいけない。そんな素敵な風習がある。それに二ツ目に関しては、正月初席に出番が無いのにも関わらず、お年玉をあげるためだけに寄席に顔を出しに行く。大変素敵な風習だ。もちろん私も前座の頃たくさん頂戴いたしましたので大変有り難いことです。今年は新札の影響でなかなかピン札が手に入らないらしく、仲間たちがひーひー言っております。が、私には全く関係ありません。前座の頃いただいていたお年玉を全て、そのままの状態で保存してあるからです。三つ折りになったピン札のお年玉四年分。それらを自分のポチ袋に入れ直して渡している。大量の千円札がただ仲間内を回っているだけです。なにかと大変な年末ですが、先日ご褒美のようなお仕事をいただきまして。「子供たちに絵本の読み聞かせをしてください。」と。遂に来ました。今まで子供好きを言いまくってきた成果がやっと出ました。「あ、もちろん落語もやっていただけると…」普通は逆です。「落語メインで、絵本"も"…」なら分かりますが、絵本メイン。どちらも全力でやりました。絵本作家の「せなけいこ」さんとのコラボカフェ。そこに集まった親子連れ。1番小さい子で3歳。絵本は食い入るように楽しんでくれたのですが、さあ、問題は落語ですよ。まず"1人で登場人物を演じ分ける"というシステムを理解してもらえない。まずは小噺から入ろうと、「お母ちゃんパンツ破けた また(股)かい。」というのをやってみた。すると、その3歳の女の子が後ろを振り返って、「ママ呼んでるよー!」やはり難しい。続いて蕎麦をすする所作をしてみる。これは見た目で楽しんでもらえた。よしよし。じゃあ、「なんと、うどんをすする時は音が変わるんだよー。」と言うと、その子がいきなり挙手をして、「あたし、うどん食べたことあるー!」もう最高です。「うどん食べたことある人?」とは聞いていないのにですよ?その積極的な姿勢が嬉しくて、私は全力で褒めました。「食べたことあるんだ!すごいね〜!!」そしたら、自分も褒めてもらいたいと思った子供たちが続出して、「僕もー!」「あたしもー!」話が前に進まないのに、凄まじい盛り上がり。平和な学級崩壊のようでした。今年も色んなところでお喋りさせていただき、初めて年間高座数300を越えました。クリスマスの今日も噺をひとつ教わり。来年もがんがんやっていきます。当面の目標はこのコラムをちゃんと15日にアップすることです。来年もどうぞよろしくお願い致します。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第五回「昇進」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第五回「昇進」

11月の1日に弟弟子の春風亭いっ休が二ツ目に昇進しました。 やっとです。通常、入門から四年ほどで二ツ目になりますが、いっ休は約六年かかりました。古今亭志ん朝師匠ならとっくに真打ちです(それはそれで異常ですが)。実は二ツ目昇進に落語の技術云々は関係ありません。その時のタイミングのみで若干伸び縮みするもので、順番が来れば誰でもなれます。そして近年、あの忌まわしいコロナの影響でこのように伸びきってしまったのです。私はコロナ禍に入ってすぐ、入門から四年経たずに昇進となりました。なぜそんなに早まったのか、後から聞いたら、その昇進を決める落語協会の理事会(理事の師匠方による月に一回の会合)で、「上の前座さん達は働きがいいから早めの昇進でいいんじゃないか。」という話しが持ち上がったのだとか。これは謙遜でもなんでもなく、私はまるで働きの悪い前座でした。さほど必要じゃない時にずっといて、肝心な時にどっか行ってるような、耳かきの棒みたいな奴でした。ところが、同期が数年に一人出てくるような、いわゆる"スーパー前座"。楽屋での立ち居振る舞いから、鳴り物の技術、何をやらせても一級品。師匠方が思わず祝儀切ってしまいそうになるほどです。その出来具合があまりにも凄いので、なぜか「その同期の与いちもできる奴」扱いしてもらえました。よーく見るとそうでもないのに、ずば抜けたセンターがいることで全員可愛く見える大所帯アイドルグループのあれと同じです。そんなことでの昇進でしたから、すぐ下の後輩達から私は忌み嫌われました。そりゃそうです。入門時期がさほど変わらないそんな奴より、二年ほど長く前座をやることになったわけですから。私が後輩の立場だったら与いちのお茶にケシカス入れます。この間貰ったお茶に立っていたのは本当に茶柱だったのか心配になってきました。二ツ目の披露目は毎日緊張です。特に私は初めの十日間、すぐ後の出番が師匠一之輔だったので気が気じゃありませんでした。初日の高座に「粗忽の釘」という師匠から教わった噺を演り、入れ替わる時に「俺がこのままやり直してやりてぇよ」と言われました。自分でもかなり酷い高座だったのは忘れられません。次の十日間は、私の出番がなんと市馬師匠・正蔵師匠交互出演の後。後ですよ?普通は色物の方の後の出番で、その後に真打ちがお出になるんです。それどころか、我が落語協会の会長・副会長の後。幸せなパワハラです。初日は市馬師匠。降りて来られる時に師匠御自ら高座返し。拍手を煽りながら盛り上げてくださいました。後から聞いたら三十年ぶりの高座返しだったそう。そこから自分が何を喋ったのかは覚えていません。未だに夢に見ます。市馬師匠が降りて来られて、驚いて目が覚めます。ほぼ初恋と一緒です。そんな刺激的な毎日をいっ休も過ごしているはず。皆様も是非、昇進したてのキラキラした高座を観に駆けつけてください。ご祝儀もお忘れなく。※私は常時受け付けております。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。     

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第四回「神頼み」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第四回「神頼み」

最近、何かと上手くいかない。一,二年に一度、こういう周期が来る。公衆トイレでトイレットペーパーが予備も含め全て無くなっていた事がここ一週間で二度あった。二回ともポケットティッシュ等持ち合わせていなかったので仕方なく、扉を少し開け、周りに人がいないことを確認しながら、隠密のように隣の個室に移動し事なきを得た。高座に上がり、まくらを振っている最中にお客さんに話しかけられたことは一週間で三度もあった。話しかけてもいい雰囲気を出してしまっている自分も悪いのだろうが、あれはとにかくやり辛い。「がんばれ!」言われなくても頑張る。お金もらってるし。「与いち!」知ってる。めくりにでっかく書いてある。「最高!」聞いてねえ!なによりだ!上手いこといなすことができれば良いのだが、そのまま話し続けようとしてくる輩に当たると、「誰か代わってくれ」という気持ちになる。そして誰も代わってくれないから泣きたくなる。これはいかんと思い、行ってきました。伊勢神宮。こういう時は神頼みしかありません。もちろん、外宮と内宮。両方参拝しました。外宮に着くと、なにやら仰々しい雰囲気。ベージュの警備服に菊の紋。それを着た男性がおよそ30人。「何かあるのか」とそのうちの一人に尋ねてみたら、秋篠宮さまが海外渡航をされるにあたってその為の参拝とのこと。なるほど。どこに行かれるのだろうとスマホで調べてみたら確かに出てきた。「秋篠宮さま、ベトナムに無事到着」ん、、、?"到着"?これから伊勢神宮にいらっしゃるのではないのか?と、尋ねてみたら、「実はこのようなことは良くありまして、今回も代理の方が参拝されます」とのこと。いや、もう面倒くさくなってないか?とは思っても言えず。せっかくなので、その代理の方々を拝見することに。参道の周りに護衛の方々が立ち、他の参拝客を一時的に止める。遂にその一団がいらっしゃった。一番立派な格好をされた、恐らく代理の方が先頭の一つ後ろ。ポジションで言うとトップ下。香川真司の位置。同じ黒スーツの方がその両脇と、後ろに二人。その周りをベージュの方々が囲むような形。フォーメーションで言うと、4-2-3-1のダブルボランチだ。これはサッカーでも守りの堅い位置取り。サッカーファンの私にはたまらない陣形だ。むしろ秋篠宮さまより珍しい光景を見ることができ、ご利益アップ。それから伊勢神宮に祀られている神様全てにお賽銭を5万円ずつ(嘘)入れてご挨拶させていただきました。いわゆる"パワースポット"と呼ばれる箇所も全てまわり、1500円の御札にも5万円払い「釣りは要らない」とお伝えしました(嘘)。そして早速ご利益がありました。このコラムをもう少しで書き終えられそうなのです。みなぎっているのが自分でも分かります。先程、手が濡れている状態でスマホのパスコードを一発で解除できました。間違いありません。東の落語家で今一番パワーを持っているのが私でしょう。あなたとどこかで会ったら、握手でも肩車でもなんでもして、パワーのお裾分けをして差し上げましょう。その時はどうぞお賽銭も忘れずに。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第三回「姪っ子」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第三回「姪っ子」

私は赤ちゃんが大好きだ。何よりも好きだ。この世のあらゆるジャンル(食・ファッション・娯楽など)全てを総合しても1番好きだ。決して危ない意味ではなく。あの丸いフォルム。すべすべのお肌。屈託のない表情。全てが愛おしい。食べたい。もちろん危ない意味ではなく。本当に赤ちゃんが好き過ぎて、YouTubeでチャンネル登録しているのは赤ちゃんユーチューバーばかり。閲覧履歴がほぼ肌色だ。春風亭一之輔チャンネルか、赤ちゃん系しかフォローしていないので、たまにオススメで流れてくる師匠と赤ちゃんを見間違える時がある。順番に流れて来ると分かるが、フォルムが似ている。決して悪い意味ではなく。そんな赤ちゃん大好きな私に先日、姪っ子が誕生した。これは一大事件だ。今まで街中で見かけても、遠くから眺めることしかできなかった赤ちゃん。私は、自分が汚い人間だという認識があるので、決して赤様には近寄らず、親御さんに席を譲るなどして、その場を離れていた。しかし、その赤ちゃんがかなりの身近に誕生したのだ。それも三親等しか離れていないとなると、こちらから望まざるとも触れ合うことができる。「みてね」という身内だけの写真共有アプリで毎日の様子が確認できる。可愛いが押し寄せてくる。QOLが。クオリティ オブ ライフが爆上がりです。落語の出来が良くなかったり、「あれは失敗だったな〜。」なんて日も、姪っ子の事を考えると全てチャラになります。私の、やってしまった時の合言葉は「姪っ子」です。そんな毎日ですから、何事にも腹が立たなくなりましたし、ふわっふわでハートフルな事しか考えられなくなりました。福島第一原子力発電所の処理水問題ついてどう思いますか?「福島県産の農水産物を食べるな」などの声には、福島出身の母を持つ私はひどく腹を立てております。安全基準を十分に満たしているものを、イメージだけで"汚染水"などと。風評被害も甚だしい行為に、怒りのあまり夜も眠れません。この間食べた、福島県産の桃もウニもめちゃくちゃ美味かった。間違いなく、騒いでいる連中が作った物より遥かに美味しいです。そこで、私が思いついた処理水の正しい放出先は、尖閣諸島周辺です。分かりやすく、バケツに「しょ り す い」と書いて、大人数で手分けして方々に撒きましょう。そうすれば連中は近寄らなくなるでしょう。はい、「姪っ子」!!! 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第二回「夏」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第二回「夏」

お暑うございます。夏休み・お盆休み真っ只中ですね。街には子供たちとご先祖様たちで溢れかえっています。私は中学生の頃、生徒会長をやっておりました。全てはこの学校をより良くする為。自分たち生徒全員が明るく、前向きに、素晴らしい学校生活を送れるようにする為に。などという立派な考えはまるで無く。ただ、人前で喋りたいが為になってしまったので、話す以外の事はてんでダメ。宿題を1教科も終えられないまま夏休みを明けたことも。黒板に未提出者の名前が貼り出されるのですが、全課題に自分の名前が書いてある始末。もはや書かなくてもいいくらい。新学期の集会、生徒会長として全校生徒の前で、「えー、皆さん休み明けですが、気の緩みのない学校生活を送っていきましょう。」お前だろ。緩み切ってんじゃねぇか。偉そうなことばかり言って申し訳ありませんでした。仙台市立柳生中学校でお世話になった皆様。その頃から未だに進歩しておらず。この原稿を提出するのもギリギリなってしまっております。ザ・クロークルームさん、申し訳ありません。この夏、各地の花火大会は4年ぶりの開催でかなりの賑わいとのこと。良いことです。隅田川の花火大会に関しては過去最多の103万人が集まったそうで。調べたら山形県民とほぼ同じ人数。何もそこまでして行かなくても。花火は隅田川以外でもやってるし。こんなクソ暑い最中に人混みに飛び込むなんて信じられない。冷房の効いた部屋でテレ東の花火中継見てる方がよっぽど良い……行ってきました。隅田川。花火めちゃくちゃ綺麗でした。行って良かった。ただ、やはりとんでもない人の数。山形県民をギュッと集めたら確かにこのくらいになりそう。という感じでした。だから、口が裂けても「芋煮は味噌派です」とか絶対言えない。山形新幹線から見える、広ーい田んぼの真ん中にポツンと建っているタワーマンション。あれ誰が住んでるんだ?とかも絶対言えない。そんな緊張感のある花火大会でした。おそらく芋煮戦争を起こさせない為でしょう。警察もかなりの人数動員されてました。電車に乗るのも、道路を渡るのにも一苦労で。二週間ほど経った今も尚、帰れていない人がいるとか。いないとか。しかし職業柄か、周りの浴衣の着こなしに目がいってしまいます。まず、男性。帯が自分で結ぶ普通のじゃなくて、後ろがマジックテープになってるやつ。それは良いのですが、止める位置が腰じゃなくてヘソの上ぐらい。それで歩き回るからどんどん上がっていって乳の下まできている。左手には、一体どこで売ってるんだと言いたくなるくらい巨大なレインボー綿あめ。足元はナイキのエアマックス。令和のバカボンです。女性はおそらくどこかの貸衣装屋で着付けてもらったりする人が多いのか、男よりはマシです。ただやはり、暑いんでしょう。襟がガバガバに開き、裾が紅白の小林幸子くらい広がり。その格好で駆け出してズッコケて。場所は浅草。吉原から逃げ出して来た花魁のようです。もう少しなんとかならないものか。そう言えばこの間、落語会のアンケートで、「与いちの着崩れが酷い。」と書かれていたのを思い出しました。私は昔から自分のことを棚に上げるのです。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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『春風亭与いちの二ツ目日記』第一回「はじめまして」

『春風亭与いちの二ツ目日記』第一回「はじめまして」

落語家の春風亭与いち(しゅんぷうてい よいち)と申します。「与一」でも「よいち」でもありません。「与いち」です。ザ・クロークルームさんで毎月開催している「銀座の仕立て屋落語会」に出演させていただいておりまして、そのご縁でこの連載を始めることになりました。月に1回、1000文字程度の駄文ですので、1分半くらいで読み終わるかと思います。トイレで踏ん張っている最中に読むのがオススメです。便通が良くなります。そして、このページをSNS等で「この落語家さん面白いから是非読んで!」と拡散すると、その1ヶ月間はお通じに悩まされることが無くなります。更に、「銀座の仕立て屋落語会」に足を運ぶと、ご家族全員の腸内環境が改善されることでしょう。それでは改めまして自己紹介を致します。1998年4月5日生まれの25歳です。原田さんの「ふなきぃ…」から2ヶ月後の誕生です。出身は、その原田雅彦さんの出身地でもある北海道上川町。から、南に約640㎞の宮城県仙台市。宮城は通貨が牛タンで、家の表札が笹かまぼこ。主な移動手段がずんだ餅。そんな素敵な街です。美味しい食べ物が沢山ある宮城県ですが、私が1番オススメなのは県内にしかない洋食屋の「レストランHACHI」です。卵の含有量が多いふわっふわのハンバーグや、大会で日本一に選ばれたナポリタン。何を食べても美味しい。イチオシのお店です。別に、このお店からお金貰って宣伝している訳ではありません。私の父親がそこの社長というだけです。芸の上での親、師匠は春風亭一之輔。先日、日本テレビ「笑点」の新メンバーになりました。年間900席以上落語を口演している怪物です。よく、落語会のチラシのコピー等に「飛ぶ鳥を落とす勢い」と書いてありますが本当です。師匠が街を歩くだけで、飛んでいるスズメやカラスが気絶して落ちていきます。私は高校1年の時、師匠一之輔の元へ弟子入り志願に行きました。「せっかく高校入ったんだから卒業したら?」と言われ、2017年卒業と同時に入門が許されました。親の影響で小学生の頃から落語を聴いていたからこんな感じになってしまったのでしょう。親御さん達。お気をつけください。中学生の頃には前座さんの落語を腕組みしながら、審査員みたいな面で聴いていました。落語家になった今、1番嫌いなタイプのお客さんです。あの頃の前座の方々、大変申し訳ありませんでした。そんな私でもなんとか"二ツ目"に昇進でき、あちこちで落語を演らせていただいております。目標は、自分がそうだったように、若い世代の落語ファンも増やすこと。地元・宮城にお客さんを呼び込める噺家になること。そして夢は人間国宝!!どうぞ今後ともご贔屓のほど宜しくお願い致します。 略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。

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