今年初めての元代々木町「シャントレル」での食事を前に中田シェフから「メインはシューファルシということで」とのメールが入りました。寒い冬の時期、シャントレル定番のメイン料理の一つにこの「シューファルシ」があります。「シューファルシ」はフランスオーベルニュ地方の郷土料理でキャベツを丸ごと使ったロールキャベツのこと。シェフが修業されたオーベルニュ地方サンボネ・ル・フロワ村にある三つ星レストラン「レジス・マルコン」のスペシャリテ。キャベツに挟むひき肉はマルコンでは豚肉なれど、福島県川俣町の「川俣シャモ」を用いているところが中田流。さらに鶏肉ではオイリーさが足りないのでフォアグラを忍ばせるところが憎い。身も心も温まる逸品。
しかし、思い起こせばロールキャベツというのはまさに「おふくろの味」。筆者が子供の頃、必ず食卓に上ることのある料理でした。ゆがいたキャベツで俵状のひき肉を包んで楊枝で止めて、水に溶かした固形コンソメでコトコトと煮込む。それだけ。だいたい肉よりキャベツの量の方が多くて、何か損した気持ちになったものでした。ですので、ナイフとフォークで食べるにしてもキャベツとひき肉を一緒に食することなど稀で、コンソメと肉の味の滲みたキャベツを一口分に切り分け、まずそれを平らげ、むき出しにされた可愛らしいひき肉の残骸を半分か三等分にして食し、最後に残ったスープをいただくといった手順。肉の旨味を充分吸った甘みのあるキャベツがメインの食べ物であることは子供心にも何となく分かるも、やっぱり肉が恋しい気持ちになったものです。
マルコンの流れを汲む中田シェフの「シューファルシ」ももとはと言えば、フランスの田舎の家庭料理を芸術品にまで高めたもの。ただ、筆者はこの「シューファルシ」から今は亡き母のロールキャベツを懐かしく連想することはありません。あれはまったく別物だ。筆者の母は外食を好まず、来客があっても店屋物(出前)をとることは滅多にありませんでした。別に料理上手というほどのことはないと思うのですが、自分の作ったものを子供に食べさせるという信念があったらしいことは、亡くなった後の叔母たちの話からも明白なようです。ですから、今でも筆者はどうしてももう一度食べたいものがあるとすれば、母の作ったある料理に尽きると思っています。「ロールキャベツ」ではないのですが、「おふくろの味」というのは別格なのです。
そんな「おふくろの味」の一つである「ロールキャベツ」などお金を払って外で食べるものではないと当初筆者は考えていたように思います。それを覆すことになったのは、大学生になって、友人に安くて美味しいものがあるから食べに行こうと誘われて、新宿の「アカシア」という店に連れて行かれたときのことでした。今調べてみると洋食屋でハヤシライスやカレー、ポークソテーやクリームコロッケもあるようですが、半世紀近く前に出かけた際は「ロールキャベツ」しかないと思っていました。誰もが「ロールキャベツ」を頼んでいたからです。しかも、その「ロールキャベツ」はコンソメ仕立てではなく、白いシチュー仕立てでした。しかも、安い。「ロールキャベツシチュー」にご飯が付いて、四百円しなかったのでは。美味しいかと言えば、筆者はあまり感動しませんでした。ただただ、「ロールキャベツ」が外食になっているのに驚いた。カルチャーショックでした。
当時、メニュが一つきりということで覚えているのは渋谷百軒店(だな)にある「ムルギー」というカレーの老舗です。筆者は「ライオン」というクラシック喫茶によく出かけていて、そのすぐ近くに「ムルギー」はあり、ついでに寄ってしまう。それは怖い物見たさと言った風で。とにかく店内が暗いのです。厨房だけが妙に明るく、店内の照明はその明かりだけで賄っていたのでは。暗がりを恐る恐る空いたテーブルに座ると、ご老体が水の入ったコップを持って登場し、ボソッと「ムルギー卵入りですね」とおっしゃる。か細い声ながら有無を言わせぬ無言の圧力があり、「はい」と答えざるを得ない。確か店の入り口には何種類かのカレーが書いてあったようななかったような。もう、どうでも良い。出てきたカレーにまたビックリ。ご飯がピラミッド型に盛られているのです。カレールーの味もインド風でもなければ、欧風でもない。茹で卵が乗っているし。当時はネットも何もないので、本か何かで調べたのだと思いますが、老夫婦が営んでおられ、ご夫人が厨房を担当。御主人が第二次世界大戦中赴いたインドネシアで食べたカレーを再現したものらしい。これも美味しいかどうかはよく分からないのですが、あの雰囲気がクセになってしまい、結構出かけました。もちろん、「ムルギー卵入りですね」を聞きたくて。驚くべきは代替わりしたとはいえ、「ムルギー」も「ライオン」も健在なこと。新宿「アカシア」もそうですが、老舗恐るべしです。
閑話休題。さて、あと「ロ―ルキャベツ」が名物なのは「ロシア料理」。こちらはトマト味にサワークリーム。これも何だか怪しいのですが、東京で「ロシア料理」店といえば、浅草。筆者が何度か訪れたのも浅草の「ストロバヤ」です。これは今回調べたのですが、赤坂のロシア料理店で修業した方が浅草で「マノス」を開店。「マノス」出身の料理人たちが同じ浅草で「ストロバヤ」、「ラルース」、「ボナフェスタ」を開店。この四店が老舗であるとのこと。下町の「ロシア料理店」は同じ浅草の「洋食店」、例えば「ヨシカミ」、「グリルグランド」、「リスボン」といった店と似た趣があります。洗練さよりも親しみやすさ、本格的なロシア料理ではなく、日本風にアレンジメントされたもの。フランス料理ではなく、あくまで「洋食」であること。この怪しさがまた魅力的なのですが。なかなか高価な「ロールキャベツ」を食することが出来ます。
結局のところ、「ロールキャベツ」はノスタルジックな料理なのかも。しかも、ちょっとマージナルな(周辺的な)趣が。新宿の安くて美味しい老舗洋食。浅草のロシア料理店。それにフランスの片田舎の郷土料理、と。しかも、意外にも高級フランス料理店で食した「シューファルシ」がシンプルな澄んだスープ仕立てで、家で食していたものに一番近い。巡り巡って、行きつく先は「おふくろの味」ということかもしれません。
今月のお薦めワイン 「メドックの秀逸なる次席〈サン=ジュリアン〉――隠れたる第四級の逸品〈シャトー・ブラネール=デュクリュ〉――」
「シャトー・ブラネール=デュクリュ 2018年 ACサン=ジュリアン 第四級」12000円(税別)
ブルゴーニュ、イタリア、そしてこのクールの最後はボルドーワインです。筆者はワインを本格的に嗜もうと思った際、ボルドーワインを極めることがそれに相応しい方途(メソッド)であると考え、四半世紀近くそれを貫き通しました。ただ、ここ数年はブルゴーニュに関心があります。年を取り、酒量もめっきり減り、重いワインが辛くなってきたからです。それでも長年親しんだボルドーワインへの敬意は変わりありません。ということで、まずはボルドーを代表するメドックの格付けワインから紹介させていただきたく思います。
ボルドーと言えば、五大シャトー。この五大は1855年のメドック格付け(一級から五級)で第一級を獲得した四つのシャトーに、例外的に1973年第二級から昇格したシャトー・ムートン=ロートシルトを加えたもの。筆者がボルドーに決めたのもムートンの1984年に感動したからでした。
格付けされたワインを産するのは四つの村と一つの広域のアペラシオン(オー=メドック)に限られ、第一級はポイヤックとマルゴーだけ(オー=ブリオンは例外でメドックではなくグラーヴのワイン)。第二級になるとサン=ジュリアンとサン=テステフも登場し、オー=メドックは第三級以下になります。
今回紹介させていただくシャトー・ブラネール=デュクリュはサン=ジュリアンの第四級。サン=ジュリアンは第一級こそないものの第二級が五シャトーもあり、そのすべてがスーパーセカンドと呼ばれる第一級に迫る優れもの。色は青インクのように濃く、色を見ただけでサン=ジュリアンと分かる。タンニンのしっかりしたタイトな造りは堂々たるポイヤックとは対照的ながらどちらも品格がある。女性的なマルゴー、土っぽさを感じるサン=テステフ、ニュートラルなオー=メドックとそれぞれが個性的。
ブラネール=デュクリュは色、香り、味わいのすべてに「チョコレートに似た風味」を持つというサン=ジュリアンの中の個性派。固い感じのワインが多いサン=ジュリアンでしなやかさを有し、比較的早くから美味しく飲めるというメリットも。筆者が愛好するシャトーの一つで、パリで二十世紀最大のグレイトヴィンテージの一つ、1945年を購入し開けたこともあります。
サン=ジュリアンの「偉大さ」より「魅力」をお求めなら、迷わずブラネール=デュクリュを選ばれることです。という訳で、今回はグレイトヴィンテージですのでまだちょっと早いかもしれない2018年を選んでみました。今飲んでも良し、もう少し寝かせてから飲んでも良し。この機会に是非、その魅力を体験していただければ幸いです。
略歴
関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
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