『美食通信』 第五十二回 「銀座レカン(後)――臙脂のビロードとの対面――」

 席に着くとメートルが登場し、「料理は伺っております」というので、島田さんに尋ねるとコースしか取り扱いがなく、しかも二種類で料理は同じで一品多いか少ないかだけの違いとのこと。筆者が少食なため、少ない方のコースにしたと。その分、ワインを楽しんで下さいとの粋な計らいに感謝。ともかくも、すでにメニュがテーブルに置いてあり、自分で選べるのはそれこそ飲み物くらい。まあ、その他にもあり得ますが、それは後々お分かりになるでしょう。

 まず、ミネラルウォーターの選択です。グランメゾンでは水も有料なので、フランスでは「ガズーズ、ノンガズーズ」と聞かれます。つまり、炭酸水か、炭酸水で無いか。炭酸水を頼むと選択肢はなく、国産の一種類だけである、と。これには驚きました。日本にも炭酸のミネラルウォーターがあったとは。それは奥会津金山の「天然炭酸水」で伊勢志摩サミットでも用いられたそうです。広く商品化されているのはこの水だけらしく、調べると「日本で唯一の炭酸水」と銘打っていました。飲んでみると悪くない。いい勉強になりました。

 さて、余りお飲みになられない島田さんにアペリティフはと尋ねると、「今日はいただきます」と嬉しい返答が。ですので、シャンパーニュをグラスで頼むことに。下階のバーでしたら、カクテルなどもよさそうですが今回はもう手遅れなのでシャンパーニュで。

 他のテーブルはどうもほとんどがペアリングのようで次々と色々なワインが注がれていきます。アペリティフはシャンパーニュと決まっているのでしょう。五種類ほどブテイユが並んだワゴンがソムリエと共に登場しました。なかなかの壮観です。

 実は前日、ヴィンテージ物の素晴らしいブラン・ド・ブランを飲んでいましたのでこの日はブラン・ド・ノワールにしようと思った次第。

 五種類の内訳はブラン・ド・ブランとブラン・ド・ノワールが一種類ずつ。あとはブレンド物。でしたので、これも一択になりました。

 ミニョン・ブラールの造るピノ・ムニエ100%の「1911 スー・レ・パヴェ・ル・テロワール」NVという長い名前のもの。古樹のムニエ100%と珍しいセパージュのシャンパーニュでこれまた良い勉強になりました。味わいもまた悪くない。正解でした。

 さて、いよいよ食事の開始です。特製の器に盛られた一口大のアミューズ「タジャスカオリーブのマドレーヌ」が恭しく登場しました。続いて、「新玉ねぎ キャビアオシェトラ」。この玉ねぎのムース。そして、キャビアは美味しかった。グランメゾンの使うキャビアらしく上質。「ちょっとだけよ」というのも筆者は歓迎。本来、グランメゾンのアラカルトでのオードブルの定番であるキャビアは富の象徴のようなもので食通は通常選ばない。コースにおけるグランメゾンとしての存在感を示すためのキャビアは嫌味でない程度に「プティ」が正解。

 この間にワインを註文。選択に時間がかけられるという点ではある意味、今回のメインでしょうか。リストは昨年の「アピシウス」と並んで素晴らしいものでした。価格も抑えられていて、昔に買ったものがストックされているからであるとソムリエ氏も説明されていました。

 ただ、思ったより点数は少なかった。ブルゴーニュよりボルドーが得意のようにも思えました。昔の筆者であれば、狂喜乱舞したでしょうがブルゴーニュと決めていましたのでちょっと悩ましいものがありました。昨年、モレ=サン=ドニの「クロ・ド・ラ・ロッシュ」を飲みましたので価格的に今回はヴォーヌ=ロマネ系の「エシェゾー」辺りかなあ、と。

  グランクリュは最高がDRCからと価格がまちまちになりますので選ぶのが意外に難しい。「エシェゾー」は三アイテム。「フェヴレ」、「ダヴィド・デュバン」、「カシュー」。この中でヴォーヌ=ロマネの造り手はカシューのみでカシューにしようかとその頁を見直すと一番上に「クロ・ド・ヴージョ」が一アイテムだけ載っていました。

それがこのアンヌ・グロの2007年でした。価格的にはエシェゾーと同じくらい。オフヴィンテージでしたが、アンヌ・グロは魅力的。エシェゾーは別の機会にして、この日はアンヌ・グロのクロ・ド・ヴージョにしよう、と。

アンヌ・グロはヴォーヌ=ロマネを代表する造り手グロ一族の一人。一方、クロ・ド・ヴージョはシャンボール=ミュジニ村に隣接する小さなヴージョ村にあるグランクリュ畑。村の大部分を占め、極めて広域。ノーマン『ブルゴーニュのグラン・クリュ』には82の所有者がいると記されています。そのため,ワインも玉石混交。その中で優れた非公式の二つの区画があり、その一方が「ル・グラン・モーペルチュイ」で、「アンヌ・グロによって傑出したキュヴェが造られている」とノーマンは書いています。

オフヴィンテージは造り手の技量が試されるとソムリエ氏が言われていたように、二十年近く経ったこのクロ=ヴージョは繊細なワインでした。色合いは熟成感は見られない綺麗な紫。香りも穏やかながら清々しく、複雑さは感じるも華やかなものではありません。抜栓直後はスッキリした味わいで、タンニンが心地よく果実味より骨格の確かさに感心しました。

ソムリエ氏は清涼感があると評していました。途中でより大きめのブルゴーニュグラスに変えました。サーヴィスはパニエに入れたまま。香りは強くなり、果実味が広がり、確かに揮発性は少ないものの膨らみも感じられ、この辺りがベストなのかと思った次第。フロマージュを頼むことにし、残りはソムリエ氏に差し上げたところ、三つ目のグラスを用意され、少しどうぞと残りのワインを。グラスは小ぶりのチューリップ型。確かに少し濁りを感じるものの、噛み締めるような旨味があり、青黴やウォッシュなどのフロマージュにも対応出来る味わいでその違いに驚きました。

ソムリエ氏曰く、こうしたデリケートなワインは最初の上澄的な部分と最後の瓶の底に近い部分では味わいが異なるので、それぞれ相応しいグラスで味わうのが良かろう、と。まさしくその通りで、充分に堪能させていただきました。今回の最大の収穫はこの若く優れたソムリエ松田氏で、彼の華麗なワインサーヴィスの数々こそグランメゾンに相応しいもので「レカン」を訪れる価値があったと納得の行くものでした。

 さていよいよ、本格的な食事の開始。オードブルは「ホロホロ鳥」と食材が示され、その後に「岩手県石黒農場から届くホロホロ鳥とフォワグラのシューファルシ モリーユ茸のソースブランケット」と料理名がメニュに記されています。以下の料理も同様。

 見開きのメニュは左側に料理名が。右側にはこのホロホロ鳥の料理の絵が描かれていました。ということは、この料理がスペシャリテなのか。

 とすれば、これは残念としか言えません。今回のコース料理の中で最も残念な皿をメインの「ナヴァラン」と争うことに。それはひとえにシューファルシがいけない。ソースと詰め物をしたモリーユ茸は大変美味しかっただけに悔やまれてなりません。

コース一択となれば、同じ料理の大量生産となります。いわば、ホテルの宴会料理を小規模化したもの。シューファルシはロールキャベツのことで、本来は温かい料理。しかし、何と冷製。しかも、パテアンクルートの中味のような硬い食感。ですので、ナイフを入れるとフォアグラとホロホロ鳥がバラバラになってしまう。作り置きに温かいソースと手間をかけたモリーユ茸を添えましたみたいな感じになってしまいました。

魚は「甘鯛」。料理名は「甘鯛 ホワイトアスパラガス 春のコキヤージュ」。コキヤージュというのは「貝」のことで、ソースが貝味のクリームソースにさらにレモングラス風味の貝出汁をメートルが目の前でかけるというグランメゾン風のサーヴィスは良かった。甘鯛の火通りも良い。鱗のパリパリ感も素晴らしい。それだけに付け合わせはアスパラガスだけで良かったと思うのです。貝が二、三種類添えられていましたが余分に思えたのです。「ソースが命」と謳っているのですから、それなら貝のソースで勝負すれば良い。

メインは「仔羊」。「ロゼール産仔羊のデュオ」ということで二皿でサーヴィス。まず、「背肉のロティ ソースシャスール」。この肉の火通しも見事。それだけに二皿目の「鞍下肉のナヴァラン プランタニエール」がまたまた作り置きの残念な一皿。ナヴァランは「煮込み」なのにこれもまた出来合いの温め直し風になってしまっている。「プランタニエール」とは「春(プランタン)の予感」とでも訳せましょうか。付け合わせの野菜を指しているのですが、島田さんも「これって、ミックスベジタブル」っぽくないですかとおっしゃるくらい貧弱な見映え。しっかりしたポーションのロティ一本で勝負した方が良かったのでは。

デセールも二皿。小さな方が「やまもも」。「和歌山県産やまももと紫蘇のスープ ビーツのアイスクリーム」。これは美味しかった。しかし、メインの「サントモールブラン」。「シェーブルと三ヶ日蜂蜜のムース 甘夏とういきょうのコンポート」は普通の出来。これもメインのデセールに感動が少ない。先ほどの仔羊もそうでしたが、二皿目が際立つ構成にする必要が。

さて、ここでまだワインも少し残っていましたし、フロマージュを註文することにしました。これには感心しました。種類の豊富さ、状態の良さ。ソムリエの松田氏の対応の素晴らしさは上記の通り。また、それまでの客は誰一人フロマージュを頼んでいませんでした。しかし、筆者たちが頼むと隣のテーブルの客もフロマージュを註文。レストランとはそういうものです。

コースに縛られるのではなく、プラス・アルファでフロマージュを註文すれば、自分の食べたいフロマージュを自分で選べるではありませんか。

そして最後に「余韻」と名付けられた最後のプティフールは見事なボックスサーヴィスで好きなだけチョイスできます。

さて、仕上げは「ディジェスティフ」です。ここで筆者はソムリエ氏を呼び、「ディジェスティフ」が飲みたいので階下のバーでとオーダーしました。ここで肝心なのは「階下のバーで」という註文です。「ディジェスティフ」だけでは目の前に出されることになったでしょう。

島田さんはダイニングのモダンな作りが安っぽいと残念がられていましたので、バーの「臙脂のビロード」こそご所望かと思い、ここはバーでディジェスティフをという流れを作る必要があるか、と。

もちろん、断られる理由はなく、筆者たちは階下のバーに席を移しました。念願の「臙脂のビロード」の空間の登場です。もちろん、誰も使っておらず、その後も誰も来ませんでした。

ソムリエの松田氏が続いて対応。彼はダイニングとバーの掛け持ちで大変そうでしたがまあこっちの方が松田氏とも話しやすい。ヴォギュエのマール・ド・ブルゴーニュをいただきました。

お行儀のよい筆者たちはバーでくだを巻くこともなく、閉店時間の十時になりましたのでおいとま致しました。エレベーターで松田氏と共に一階へ。預けていたコートが用意されており、お土産のマカロンまでいただいて、帰宅の途に。

このご時世、お土産付きのディナーなんて。まあ、この過剰ぶりが満席を呼ぶのかなあ、と思いつつ、「レカン」はやはりサーヴィスの店だったのだと確信した次第。

『エピキュリアン』から遅れること三年、一九九八年に公刊された初期のネット民たちによるグルメサイトの単行本化『ジバラン』で「レカン」のサーヴィスが絶賛されていたのが懐かしく思い出されました。

老舗の伝統がこれからも末永く継承されますように。

 

今月のお薦めワイン 「ロワールの赤ワイン――カベルネ・フランの魅力を楽しむ――」

「アンジュ ルージュ カベルネ・フラン 2020年 AC アンジュ」クロー・ド・ネル 5600円(税抜)

 

 フランスワインにおいてロワール地方と言えば、ミュスカデやプイィ・フュメといった白ワインが有名ですが、赤ワインも造られています。

 その中で有名なのはACシノンでしょう。軽やかでスッキリした味わい。カベルネ・フランから造られています。

 カベルネ・フランはボルドーで補助品種の要とも言うべき存在。メドックではカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロを媒介するその中間的存在として。リブールヌ、とりわけサン=テミリオンではメルロと共にそのワインの個性を引き出すパートナーとして、欠かせない存在です。しかし、あくまで主役ではなく名脇役といった位置づけです。

 それに対し、ロワールではカベルネ・フランは主役として大活躍という訳です。カベルネ・ソーヴィニヨンよりタンニンが少なく、香りにスミレのようなフローラルさがあります。少し枯草のようなフレーバーもあり、カベルネではありながら、ソーヴィニヨンとはまた違った趣の美味しさを楽しめます。

 今回ご紹介するカベルネ・フラン100%で造られたワインはACアンジュのもの。アンジュと言えば、ローヌ地方の「タヴェル」、南仏の「プロヴァンス」と並んでフランスの三大ロゼワインの一つに数えられています。

 実はアンジュで造られているロゼには二種類あり、「ロゼ・ダンジュ」はグロロ種、「カベルネ・ダンジュ」はカベルネ・フランとソーヴィニヨンから造られています。色が薄い方が「ロゼ・ダンジュ」とお考えいただければと思います。

 という訳で、アンジュでも素晴らしいカベルネ・フランが造られていますし、これを赤ワインに仕立てれば、シノンに勝るとも劣らない逸品が生まれます。

 今回ご紹介する「クロー・ド・ネル」は元々2000年代初め、ブルゴーニュ出身のビシャール夫妻がアンジュで創業したドメーヌ。志は高かったが経済的に恵まれず、支援していたブルゴーニュの名家ルフレーヴ家(ル・モンラッシェで有名)のアンヌ=クロード氏が2008年に買い取ることに。

 ビオディナミを実践し、完全除梗で発酵、ドメーヌ・ルフレーヴで使われた古樽を用いて樽熟させています。

 深い色調の凝縮度の高いカベルネ・フラン。一流の造り手によるロワールの赤をこの機会に是非ご堪能あれ。

略歴
関 修(せき・おさむ)

一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP

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