栃木県の大田原から大学院時代の女性の先輩が日帰りで東京に出てこられる。三月に大学を定年退職された共通のやはり先輩を囲む会に病気で欠席されたので、その先輩と自分と彼女がお世話になったもう一人の先輩(助手を務めた筆者の前任者)の四名で会うことに。もちろん、一番若輩の筆者がお膳立てすることに。
さて、何処で会うか、がまず問題。最年長の僧侶でもあられる先輩が浅草にお住まいなので、ともかく浅草で集合ということに決めました。さらに彼女に聞くと、まずランチをして、そのあと、街をブラブラしたいとのこと。
それでもインバウンドのせいで、外国人観光客で溢れかえっている浅草で落ち着いてランチできる店などあるのだろうか。ともかく予約できる店にしないと。和食は混んでいそうだから避けてなどなど。考えていると頭が痛くなることばかり。でも、大学院時代、地元が浅草の先輩に夜な夜なご馳走になった懐かしい場所だけに、彼女も是非久しぶりに訪れてみたい、とおっしゃるので。
もう、三十年以上前になるかと思いますが、昨今『ミシュラン』で話題のおにぎり屋「宿六」をはじめ、お好み焼きの「染太郎」、バー「フラミンゴ」といった名店。酒のつまみに雲丹が一人一箱ずつ出てくる寿司屋、あと裏路地の焼き肉店街の骨付きカルビが絶品の店。キリンビールの瓶に入った自家製?マッコリに驚いたのを今でもよく覚えています。
そんな当時出かけた懐かしい店の中から、浅草と言えばロシア料理なので「ストロバヤ」にしようかと思いました。筆者は「ストロバヤ」の「ピロシキ」がとても美味しかったと記憶しているからです。
しかし、あえて出かけたことのない店にしてみようかと思い直しました。ランチの後、散策してまた何か食べることになるかと思ったからです。軽くにせよ夕食を食べて帰られるとすれば、「ストロバヤ」のランチはコースでそれなりにしっかりしていましたので、もう少し軽めのものにした方がよろしかろう、と。
そこで探してみると興味深い店が。ガレットとシードルの専門店とのこと。浅草の先輩も病気をされてからお酒をほとんど飲まれなくなりましたし、筆者を除く三名はほとんどお酒を飲まれないので、シードルくらいがちょうど良いか、と。日本語に訳すと「蕎麦の花」という意味の「フルール・ド・サラザン」という名のその店は、ネットで見ると入口から内装もお洒落で、落ち着いた雰囲気。ガレット担当のご主人とシードル担当の奥様のご夫婦が営まれている十数席のこじんまりした店。
蕎麦と言えば、先輩に連れられ、上野の老舗「蓮玉庵」で蕎麦屋での粋な酒の飲み方を教わったのを思い出しました。浅草の蕎麦屋は先輩のテリトリーでしょうから、ここはフランス風の蕎麦料理店ならよろしいか、と。
ガレットはクレープの原型というか、小麦粉で作られているクレープと異なり、蕎麦粉から作られています。元々はフランス北部ブルターニュ地方の料理。ドーバー海峡を挟んでイギリスと向かい合っているこの地方は、ブルトン語を話すブルトン人と呼ばれるブリテン島に住んでいたケルト系の民族がアングロ=サクソンの侵攻から逃れてこの地にやってきた経緯があり、イギリス流の文化が。そこでお酒も葡萄から造られるワインやブランデーではなく、リンゴから造られるシードルやカルヴァドスを飲む習慣が。
そのブルトン人がパリに出稼ぎに来て始めたのが、軽食のガレットを売る店。丸く焼いたガレットの真ん中に調理した食材を乗せ、四角くなるよう、端を少し畳む。それをナイフとフォークで食する。食材によって軽食ともなれば、デザートにもなる。
パリでこのような店を「クレプスリー」と呼びます。ちなみに巻いた形の食べ歩きできるスタイルの「クレープ」を始めたのは原宿の「マリオンクレープ」らしい。今でも竹下通りのビルの二階にカフェスタイルの「マリオンクレープ」はあるとのこと。筆者は半世紀近く前、二階の「マリオン」のカウンターで、ラム酒でフランベされた皿で出される本格的なデセールのクレープをよく食べに出かけたものです。
あと、京都の北山にある「マールブランシュ」でゲリドンサーヴィスの「クレープ・シュゼット」を食するのが好きでした。もちろん、これらのクレープは小麦粉から作られていますが。
ブルターニュ風のガレットの名店は神楽坂の「ル・ブルターニュ」が有名です。この「フルール・ド・サラザン」が一捻りあるのは国産の蕎麦粉、国産のシードルにこだわりがあるという点。店主は毎日、蕎麦粉を自分で挽いて、生地を作るとのことで臼が店内にありました。日本蕎麦とあまり変わらないのですが、出てくるのがフランススタイルという訳で。
驚いたのは国産シードルの種類の多さでした。日本ワインにはじまり、クラフトビール、クラフトジンなどよく見かけるようになりましたが、シードルもこんなに造られているとは。何にしようか迷ったのですが、筆者は子供の頃、長野県上諏訪市に住んだことがあり、リンゴにも親近感がありましたので、長野の造り手にしようか、と。
マダム曰く、珍しい造りの「ハードサイダー」系がお薦めと。というわけで、「サノバスミス」の「クラシック」を選びました。330㎖で店の価格が2000円となかなかのお値段。これでも一番リーズナブルな方。フレンチでしたら、グラスワイン一杯分くらいか。
ホップが加えられているせいか、通常のシードルのような甘さはなく、筆者には飲みやすい。何よりビールのように濃い色で、リンゴのエキスが凝縮された感じが素晴らしい。
ガレットの方は具材が豊富で選ぶのに一苦労しましたが、全員別のものを選んで食べ比べを。デザートガレットも同様。どれも美味しいのですが、さすがに生地が一緒なので、若干食べ飽きてしまうのが残念か、と。
これらはピザ専門店やアルザスの「タルト・フランベ」などにも感じることです。代官山にタルト・フランベの名店「コテ・フー」があり、一時期良く出かけました。薄いピザ生地のようなものに具材を乗せ、窯で焼く。やはり、食事系からデザート系まであって、とても美味なのですが、やはり飽きが来る。
日本の食材にこだわる本格的ブルターニュ料理店。インバウンド客も皆無で落ち着いて食事が出来、店主夫妻も感じのいい方でした。一度、夜来てみようか、と。夜はアラカルトっぽく、ガレットのみならずよりツマミ系が増えるようで、ワインバーならぬシードルバー的使いのようで。しかし、やはり筆者はワインが恋しくなってしまいそう。そうなると一軒で終わらず、はしごになってしまうのは必須で……。
食事を終え、浅草散策かと思いきや、女性の先輩が本が買いたいというので、神保町へ移動することに。浅草の先輩は昔からタクシー移動が当たり前の方なので、タクシーで神保町へ。その後、実はさらに渋谷へタクシー移動したのですが。
そう言えば、その昔、筆者は青山、乃木坂などに始まり、浅草でおひらきになった後、タクシー代までいただいてタクシーで千葉の自宅まで帰っていたのでした。先輩曰く、「運転手さん、千葉の暗い所まで送ってやってください」、と。
今月のお薦めワイン 「カオールのマルベック――黒ワインを楽しむ――」
「カオール 『キュヴェ・ポエム』 2022年」 シャトー・ピネレ 3080円(税込)
今回はフランスワインの回。「シュド=ウエスト(南西部)」と呼ばれる地域のワインを紹介させていただきます。
なかなかの広域で、ボルドーの上流というのがイメージですがスペインの国境に近い地域のワインも含んでいます。文化圏的にはボルドーからスペイン国境まで大西洋沿いに広がる「アキテーヌ」と内陸部でトゥールーズを中心とする「ミディ・ピレネー」に分けることが出来ます。
美食の地として有名で、とりわけトリュフとフォアグラという世界三大珍味の二つの名産地でもあります。
赤ワインに関してはボルドーのすぐ上流の「ベルジュラック」などはほぼボルドーと同じセパージュで、十本か十二本で一万円するかしないかのボルドーワインセットになにげなく混ざったりしています。
しかし、赤ワインに関して「シュド=ウエスト」を代表するのはタナ種から造られる「マディラン」とマルベック種から造られる「カオール」の二つです。
「マディラン」はアラン・ブリュモンが造る「シャトー・モンテュス」で世界的に有名になりました。
それに対し、今回紹介させていただく「カオール」は古くから赤ワインの産地として有名。使われているマルベック種はボルドーで補助品種として用いられており、カオールでは「コー」あるいは「オーセロワ」と呼ばれています。その特徴は色の濃さで「黒ワイン」と呼ばれています。味わいもタンニックで濃厚ながら、くどさはなく、アフターの切れの良さが特徴です。
カルティエの会長を務めたペラン氏が所有する「シャトー・ラグレゼット」など貴族やセレブがオーナーのシャトーが多いことでも有名です。
今回紹介させていただくシャトー・ピネレは現在のビュルク家当主が五代目というこの地を代表する造り手の一つ。50haを所有。
いくつかのキュヴェを造っていますが、カオールを名乗るにはマルベック70%以上使用することが法律で決められています。
この「キュヴェ・ポエム」は厳選された4haの畑で栽培されたマルベック100%使用。ステンレスタンクで発酵。特徴的なのは熟成が昨今流行のテラコッタ製のアンフォラで12か月熟成させていることです。その効果は「ビロードのようなタンニンを持つ、シルキーなワイン」と評されています。
麗しき個性派ワインをこの機会に是非。
略歴
関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP