『美食通信』 第六十三回「老いも若きも格別な時を過ごす空間――帝国ホテル「レ・セゾン」――」

 この『美食通信』のご褒美に毎年、主宰の銀座「The Cloakroom」の島田さんにグランメゾンに連れて行っていただいております。昨年は「銀座レカン」でした。今年は帝国ホテルの「レ・セゾン」に伺うことになりました。今までホテルのメインダイニングはなかったのでちょっと意外でした。島田さんによると、帝国ホテルには建て替えの話があり、その前にこれまでの雰囲気を堪能しておきたいとのことでした。

 筆者にとって、帝国ホテルのメインダイニングといえば「フォンテンブロー」でした。今から半世紀近く前、まだ大学生だった筆者はたった一人で「村上信夫 ガストロノミックディナーの夕べ」に出かけたのです。若気の至りというか、怖いもの知らずというか、フランス料理を食べ歩き始めて間もない若造が出かけるようなイヴェントではなかったのですが、さすがホテルのサーヴィスは完璧でそつなく自分にも対応して下さりました。村上氏ご自身がテーブルを回り、料理を切り分け、言葉をかけて下さったのに感激しました。

 当時はまだフランス料理と言えばホテルが中心で、その二大巨頭が帝国ホテルの村上信夫氏とホテルオークラの小野正吉氏でした。NHKテレビの『きょうの料理』にお二人は出演し、日本におけるフランス料理の普及・啓蒙に貢献されました。東京オリンピックの選手村の料理長を務められた村上氏は家庭で作れるフランス料理というか洋食の基本を伝授。小野氏はロビュションなどフランスの新進気鋭のシェフを招聘し、テレビで紹介し、その料理ぶりなどをお茶の間に届けたのです。

 こうしたテレビの活用は戦後フランスで、パリ一区の「グラン・ヴェフール」のシェフだったレイモン・オリヴィエ氏が実践し成功を収めたのでした。

 また当時の帝国ホテルには「フォンテンブロー」の他に魚料理専門のフレンチ「プルニエ」もあったのです。「プルニエ」は現在、東京會舘のメインダイニングとしてその名を残していますが魚料理専門ではありません。

 それ以来、ラウンジやオールダイニング、さらには「ラ・ブラッスリー」(閉店)などは使ったことはありますが、メインダイニングのフレンチは筆者には縁のない世界でした。いつしか「フォンテンブロー」と「プルニエ」は閉店し、おそらく「プルニエ」のあった場所に「レ・セゾン」として統合されたのです。

「レ・セゾン」は現在、『ミシュラン』で一つ星を獲得。シャンパーニュ地方の名店「レ・クレイエール」のシェフを務めたティエリー・ヴォワザン氏を招聘。氏の監修のもと、「ムニュ・ド・ティエリー」を中心に、今回は時期的に「トリュフ」の特別なコースがありました。監修と申し上げたのは、ご挨拶にテーブルに来られたのは日本人のシェフでしたから。

ホテルのグランメゾンに出かけるのを筆者が躊躇するのは料理の値段はもとより、ワインの価格がレストラン価格と比べ物にならないくらい高いからです。今回も料理はすんなり決めることが出来たのですが、ワインリストを見て困惑しました。ブルゴーニュの赤ワインはニュイですといわゆる村名ワインが五万円、その上のクラスは十万円超えといった具合です。その中間がない。

昨年、一昨年とニュイのグランクリュのワインをいただきましたので、さて今回はどうしたものか、と。有楽町「アピシウス」や銀座「レカン」はワイン揃いの良いことで有名で、しかもセラーに以前購入したストックを相当数持っています。しかも、販売価格は購入時の価格から算定されていて、現在の価格からすれば大変安くグランヴァンが飲めるというありがたい存在。実際、ニュイのグランクリュ二本とも五万円前後で飲むことが出来ました。

それに比べ、帝国ホテルのリストは現行ヴィンテージが大半で、しかもホテル価格とくれば、十万円でニュイのグランクリュを飲むのは不可能です。そこで、ボーヌ唯一の赤のグランクリュ、コルトン「ルナルド」2016年を選びました。造り手がパランだったので。それでも九万円近い。小売価格の三倍以上します。

興味深かったのはソムリエ氏が抜栓、試飲して「ブショネ」ですのでお取替えさせていただきますと即断したこと。新しいブテイユは問題なく、実に美味しかったのですが、さすがホテルだけあって相当ストックがあるのではないかと思った次第。何ということはない、グラスワインのリストを見せてもらったら、自分の選んだ「ルナルド」がグラス14000円で売られているではありませんか。そりゃあ、在庫があるはずだ。それにしてもボトルではなく、グラス14000円とは。筆者には縁のない世界だと再確認した次第。

料理はアミューズの「鱒のゼリー寄せピスタチオのクリーム」がなかなか斬新で、続く、冷製オードブル「様々な貝と雲丹のシャンパーニュヴィネガー」、温製オードブル「カリフラワーのフリット、モルネ―ソース」と攻めの姿勢を感じる美味が続き、メインに期待するも、魚の舌平目は魚が大きすぎて大味でしかも半生で生臭く、食感もイマイチ。クラシックをやりたいなら、しっかり火を通してソースで食べさせること。オードブルまではソースが良かっただけに急にギアが減速した感じ。メインの蝦夷鹿も無難な出来で、別に供された付け合わせのビーツの燻製仕立ての方が存在感があるという本末転倒ぶり。デセールもアヴァンデセールの量が多すぎて、メインのファーブルトンは美味しかったのにポーションも小さく、その存在が霞んでしまいました。

料理の皿の構成は音楽と同じでメインの部分が映えるよう、味付けやポーションで強弱をつける必要があります。それなのに全体のヴィジョンが感じられないというか、ポリシーがないというか。

しかし、気づいたのです。隣に座られていた老夫妻は何かのお祝いで昼は蟹を食したので、夜はフランス料理を食べようと訪れたとソムリエ氏に語っておられました。また、若いカップルがやはり何か特別なことがあったのでしょう。楽しげに食事を楽しんでおられます。そう、ここは美食を求めてやってくる場ではないのだ、と。

もちろん、ホテルにも前掲の「ガストロノミックディナーの夕べ」や海外からスターシェフを招いての特別な「フェア」(例えば、20232月のホテル・ニューオータニでの「ジャック・マルコン×田中一行」のコラボレーション)など美食家垂涎の宴があるのは確かです。

しかし、ホテルのメインダイニングはお祝い事など特別な私事に花を添える贅沢な場を提供することこそ、本来のレゾンデートル(存在意義)ではないでしょうか。

老いも若きも集いて満足できるまさに「中庸」の美食が求められている。それは裏を返せば、「無難」ということです。

料理重視の現在の『ミシュラン』ではそれは星一つが妥当でしょう。そして、それをまさに体現している貴重な存在が「レ・セゾン」だと得心した次第です。

島田さん、貴重な経験をさせていただきありがとうございました。

今月のお薦めワイン 「フィサン――コート・ド・ニュイの隠れた実力派――」

フィサン 2022年」 モンジャール・ミュニュレ 13200円(税込)

 今回は先の「マルサネ」に続き、コート・ド・ニュイの村名ワインを北から紹介させていただきます。すると最北の「マルサネ」と「ジュヴレ=シャンベルタン」に挟まれる形に存在するのが「フィサン」になります。

 「マルサネ」も「ジュヴレ=シャンベルタン」もアペラシオンとしては複数の村が該当し、400haを超える栽培面積があるのに対し、「フィサン」は125haほどとまさに「狭間」の感があります。

 さて、そのワインの特徴は「ジュヴレ=シャンベルタン」に近いということが出来ましょう。色は濃く、タンニンがしっかり。しかし、「ジュヴレ=シャンベルタン」ほど頑強ではなく、スケールも大きくない。どちらかと言えば、どこかエレガントさがあり、まとまりの良さが持ち味か、と。

 しかも、陰に隠れて目立たない分、価格が「ジュヴレ=シャンベルタン」に比べ安価に設定されています。

 そこで、今回紹介させていただくモンジャール=ミュニュレのような有名な造り手は「ジュヴレ=シャンベルタン」にも畑を持っていますので、モンジャールの「ジュヴレ」は二万円と7000円近くその価格差があることになります。

 従って、このブルゴーニュ高騰のご時世、優れた造り手のワインをより手頃に楽しむのに「フィサン」は絶好の選択肢になっているのです。

 また、レストランでも「ジュヴレ=シャンベルタン」は二万円以上になるのに対し、「フィサン」ならまだ一万円台で提供可能と思われます。

 今回、紹介させていただくモンジャール=ミュニュレはヴォーヌ=ロマネにドメーヌを構える造り手。現当主が八代目という歴史ある名家。ニュイだけなくボーヌにも畑を所有。その総面積は33haにも及びます。

 この「フィサン」はいくつかの区画の葡萄をブレンド。平均樹齢50年の葡萄から造られています。100%除梗。新樽率510%で熟成。

 酸とタンニンのバランスが良くしっかりした構成力がありつつ、繊細さにも欠けていない。まさに「力強くもエレガンス溢れる」ワインに仕上がっています。

 この2022年ヴィンテージは最良年に該当し、すでに売り切れ寸前となっています。昨今の造りとして今飲んでも充分美味しいが、長く寝かせることも可能なヴィンテージ。

 この機会に是非お買い求めいただければ幸いです。

略歴
関 修(せき・おさむ)

一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP

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