
先日、明治大学の上司の教授と共通の昔の教え子五名で恵比寿のグランメゾン「ル・コック」で会食がありました。教授が顧客のフレンチレストラン。二〇〇八年、『ミシュラン』が東京に上陸した際に一つ星を獲得。その後も長らく一つ星を維持していました。教え子は教授のゼミのOBで会計士、富士フイルム、そして講談社と皆、エリートたちでした。
会計士と講談社勤務のOBは関西出身で、ゴルフの話に。筆者も実は小学校五年生の時、銀行員だった父が神戸に転勤になりゴルフを始めたのでした。当時のサラリーマンは接待ゴルフに接待麻雀など何かとお付き合いが忙しく、父も週末の一日はゴルフの練習場に出かけていました。筆者はそれに付いていき、面白くなってゴルフに熱中します。一年もしないでコースに出られるようになり、夏休みや冬休みには必ずコースに連れて行ってもらうように。
で、講談社君はゴルフがお好きなようで関西の名門コースをまわってみたいという。どの辺りと聞くと、広野、芦屋、茨木などの名が挙がりました。実は筆者、小学校六年生の時、芦屋カンツリークラブでプレーしたことがあったのです。父の勤める銀行が会員権を所有しており、それを借りて行員はプレーできたのです。一九五二年開場という老舗で距離は短いもののアップダウンが激しく、関西のゴルフ場らしい。筆者がまわった時、前の組に日本の女子プロゴルファー一期生の佐々木マサ子プロがラウンドされており、感激したのをよく覚えています。
ゴルフ場の楽しみの一つはクラブハウスで食する昼食。芦屋カンツリーに入っていたのは一九二八年、大阪の北浜で創業した西洋料理店「アラスカ」でした。「アラスカ」と言えば、のちに大学生になってフランス料理に目覚めた筆者にとって憧れの名店の一つとして記憶に残るのですが、小学生の自分には名前だけは聞いたことのあるくらいの店でした。
普通ゴルフ場でのランチと言えば、すぐ食べられて価格も安いカレーライスが定番なのですが、半世紀以上前のおぼろげな記憶ではカレーを食べたのではなく、ハヤシライスを食したのではないか、と。この度、HPを検索してみると今もクラブハウスのレストランは「アラスカ」で、メニュにはカレーもありましたが、ハヤシライスも載っていました。その時食べたハヤシライスと思われるものの記憶は美味しいというよりえも言われぬ不思議な食べ物といったもので今も鮮明に覚えています。
さて、大学に入りフランス料理を食べ歩き始めた一九八〇年代初め、東京の「アラスカ」と言えば、有楽町駅前の朝日新聞社ビルの最上階にあるレストランでした。今は築地の朝日新聞社の二階に移転して営業しています。現在、本店は中之島フェスティバルタワーにあり、東京では築地の他に内幸町の日本プレスセンタービルに一九七六年開業の支店があります。ゴルフ場での営業も関西、関東で十店舗ほど。
当時のフランス料理と言えば、まずはホテル、それから會舘系、さらに何々軒といった老舗の洋食店が中心で、「アラスカ」も老舗の高級洋食店の代表格といった位置づけでした。
本格的なフレンチレストランは銀座の「マキシム」と「レカン」、さらに「ロオジェ」くらいだったのではないでしょうか。その「ロオジェ」でさえ、どちらかというと同じビルの階下の「資生堂パーラー」の高級版といった趣でした。
ですので、「アラスカ」は筆者の憧れのレストランの一つでした。小学生の時、芦屋カンツリーで食したことのあるレストランでしたし。そして、何といっても「アラスカ」と言えば、その店名がついた「デザート」、「べイクド・アラスカ」で有名だったのです。筆者の記憶では枕詞が「燃える氷山」と記憶しているのですが、現在のHPでは「炎のデザート」となっています。「炎のデザート」は何だか凡庸で、正確さに欠ける。例えば、「クレープシュゼット」だって「炎のデザート」ですので。やはり、「アラスカ」なのだから「氷山」がいい。しかもそれが「燃えてしまう」のだから魔訶不思議ではありませんか。
しかし、実はこの「デザート」。「アラスカ」のオリジナルではありません。れっきとしたフランス料理の「デセール」で、その名を「オムレット・ノルヴェジエンヌ」、「ノルウェー風オムレツ」というのです。シロップとリキュールを染み込ませたビスキュイやジェノワーズと言ったスポンジ系の土台に「プラリネ」のアイスクリームをこんもりと乗せ、それをメレンゲで覆って冷やし固めます。サーヴィスする直前にまずバーナーでメレンゲに焼き色をつける。そして、ゲリドンサーヴィスで客の前でフランベをして、切り分け供するといった手の込んだもの。ですので、近年はめっきり見かけなくなってしまいました。
筆者は実に見事な「オムレット・ノルヴェジエンヌ」を食したことがあります。それはやはり一九八〇年代の初め、帝国ホテルのメインダイニング「フォンテンブロー」でのことでした。当時のフランス料理と言えば、村上信夫シェフ率いる帝国ホテルの「フォンテンブロー」と小野正吉シェフ率いるホテル・オークラの「ベル・エポック」がツートップ。
両シェフともNHKの『きょうの料理』に出演され、日本のフランス料理の普及に貢献されました。家庭で作れるフランス料理というか洋食を紹介されたいつも笑顔のふくよかな村上シェフと細身で厳格な面持ちの小野シェフは対照的。小野シェフは若きロビュション、パコーなどを日本に招き、『きょうの料理』で紹介。ロビュションとは番組で対談されています。両者それぞれ自身のキャラクターに相応しいやり方でフランス料理を紹介されたのでした。
まだひよっこだった筆者には親しみやすい村上シェフがお気に入りで、村上シェフじきじきにお出ましになられる「村上信夫ガストロノミック・ディナーの夕べ」なるフェアにこともあろうか一人で乗り込んだのでした。今では珍しい本当のフルコースで肉料理の後に「焼き物」としてさらにもう一皿供されるもの。
これは本来主人が客のために振舞う料理で、肉の塊などを焼いて、主人自らが切り分けて供することで「ホスト」としての役を象徴的に示すものでした。ちなみにこのディナーの「焼き物」は「子羊のマリアカラス」でパイ包み焼きの子羊を村上シェフ自らがテーブルを回って切り分け、サーヴィスして下さるという趣向。一人若造が座るテーブルにも村上シェフは来られ、皿をサーヴィスされながら「今日の料理はいかがでしたか?」と声をかけて下さり、筆者は感激したのを昨日のことのように覚えております。
その興奮を静めてくれたのが、いや、ますますフランス料理への関心をめらめらと燃え上がらせることになったのが、まさに暖かくて冷たい炎のデセール「オムレット・ノルヴェジエンヌ」だったのです。そのプラリネアイスクリームの美味だったこと。このデセールのグラスはやはりプラリネに限ると確信した次第。
時は流れたものの、「アラスカ」の「べイクド・アラスカ」は今も健在のよう。久しぶりに「燃える氷山」を食しに出かけてみたくなったのでした。
今月のお薦めワイン 「コート・ド・ボーヌの中庸の美―ACボーヌの赤を堪能する――」
「ボーヌ・プルミエクリュ 『ブレッサンド』 2020年 ACボーヌ・プルミエクリュ」アルベール・モロ 10340円(税込)
このクール最後はブルゴーニュ。コート・ドールの南半分、コート・ド・ボーヌの赤を紹介させていただきます。ニュイが赤中心なのに対し、ボーヌは赤と白が半々といったところで、しかも白に「モンラッシェ」や「ムルソー」といった銘酒が多いのが特徴。
赤はグランクリュが「コルトン」だけで、赤ワインだけを産出するアペラシオンは「ヴォルネ」と「ポマール」の二つといった具合。「ヴォルネ」がエレガントで芳しいしなやか系なのに対し、「ポマール」は野趣味にあふれ、タンニックと対照的。ただし、価格的にはニュイの有名どころのアペラシオンと変わりませんので、リストから選ぶとき、筆者などどうしてもニュイの方を選んでしまいがちです。
ボーヌでお財布に優しいのはなんといっても以前最南端だった「サントネ」。さらに最近注目されているのが、1988年に新たにアペラシオンに認定され最南端となった「マランジュ」。ニュイにおける最北端の「マルサネ」が1987年に認定され、若手の造り手がその才能を発揮する格好の場所となっているのとパラレルに、「マランジュ」も例えば、バシュレ=モノ兄弟が「マルサネ」におけるパタイユ兄弟のような活躍を見せています。
しかし、筆者が皆様にお勧めしたいのはAC「ボーヌ」のワインです。「ヴォルネ」と「ポマール」のまさに中庸を行くバランスの良い品格のあるワインが特徴。さすが、ブルゴーニュのネゴシアンの中心地を有するアペラシオンだけあります。
今回はその中でも42もあるプルミエクリュの畑の中で「グレーヴ」、「マルコネ」と並ぶ最上位の畑と言われる「ブレッサンド」を紹介させていただきます。「上質で繊細、複雑でエレガント、気品があって長熟タイプのワインが産み出される」と評されている畑です。
造り手はアルベール・モロ。1820年、ネゴシアンとして創設。1890年にドメーヌ部門も併設。プルミエクリュに七つの畑を所有。1980年代からはドメーヌに特化していた老舗の造り手。2023年に所有者が変わり、新たなスタッフはこれまでの伝統を引き継ぎつつ、さらなる進化へとチャレンジして行くとのこと。
この2020年ヴィンテージはモロ一族の集大成のようなワインで、今後は造りが変わるのでこの機会に購入されることをお薦めします。今飲んでも美味しいでしょうし、もっと寝かせることも可能なのが「ブレッサンド」の魅力です。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴
関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP
