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『美食通信』 第二十五回「避暑地の幻影(ファンタスマゴリア)」

 『美食通信』もはや三年目に入りました。これもひとえに拙文を読んで下さっている皆様、主宰の島田さんのおかげです。この場をお借りしてお礼申し上げます。

 ところで、新年最初の連載は年末に書くことになります。ある年を締め括るに際し、その年のうちに会っておきたい人って皆さんにもいらっしゃいませんか。筆者は五月に十年近くぶりにお会いした大学院の先輩M女史にもう一度お目にかかりたいと思い、栃木県大田原市に向かいました。大田原には良い店がないと言われるので那須なら避暑地でレストランも多いかと思い、五月は「クエリ」という気軽なフレンチに出かけました。今回は別の店にしようと思ったのですが、土曜日で何処も予約が取れず、「クエリ」に電話すると時間をずらして遅い時間なら何とかなるとのことでしたので「クエリ」を再び訪れました。

 様々な飲食店の点在する那須街道からりんどうラインに入りしばらく進むとキノコの看板が目印の可愛らしい洋館が目指す「クエリ」でした。奥に進むとサンルームのような明るいホールがあり、今回もそちらに通されました。ランチの数も豊富ですが、メインをチョイスできるコースがあり、アミューズ、ハーフサイズのガレット、ポタージュ、そしてメインにデセールとなかなかのボリュームのコース仕立て。これで3000円ほどですのでカリテプリ感充分です。もちろん、味も都内のビストロに匹敵する腕前。今回は蕪のポタージュを美味しくいただきました。鶏のコンフィも美味しかった。しかも、ワインもコンパクトながら良いリストがあり、五月はブルゴーニュ、今回はボルドーの真っ当なワインが一万円ほどで飲めました。筆者にとって、このワインリストの存在が店選びの重要なポイントであることは読者の方であれば予想がつくかと思われます。

 それにしてもおとぎ話に出てくるようなちょっと不思議な趣のこうしたレストランは那須のような避暑地に相応しい。というか、他の場所にあると違和感があるのではないでしょうか。それは他ならないある種の非日常性が避暑地にはあるからではないか、と。それは幻想的とも言えるものでこれを「ファンタスマゴリア」と呼ぶことが出来ると思うのです。これは同じ非日常的な場所でも例えば、温泉地などでは感じられないと思います。筆者は毎年、伊香保温泉に出かけますがファンタスティクなものを感じることはありません。とにかく人が多い。しかも、建物が密集していますので人がいなくても幻想的ではない。昨年、長野県松本市の浅間温泉のブックホテル「松本十帖」に出かけました。コロナで人がほとんどいなかったので寂寥感はあったものの怪しげな幻想感はありませんでした。

 避暑地は別荘が点在していて、しかもいるのかいないのか分かりづらい。ファンタジーとはファントムと同じ語源です。ファントムとは「亡霊」、「幽霊」のこと。日本では『オペラ座の怪人』と呼ばれているミュージカルがありますが、原作の小説はフランス人のガストン・ルルーの『ル・ファントム・ド・ロぺラ』、まさにパリのオペラ座(オペラ・ガルニエ)に住む幽霊の話です。このいるのかいないのか分からない、即ち存在しているようでしていない感こそ、幻想的な非日常性、しかもどこかに死の匂いさえする怪しげなものなのです。フロイトは鉄道旅行の夢は「死」を意味すると言い、宮沢賢治はそれをもとに『銀河鉄道の夜』を書いたと言われています。旅には死の匂いがする。ただし、温泉やビーチなどはどうもよろしくない。また、人里離れた一軒宿なども駄目だ。匿名性の人混みの都会から隔絶した「ここにいる=在る」感に満ち満ちているから。

 どこか自分もフワフワとして夢でも見ているような、つまり、実際にいるのかいないのか分からない心地になる場所でないと。五月はまだ新緑で生き生きとしていましたが、十二月ともなると草木も枯れ、何処か寂寞とした趣が。シューベルトの歌曲集『冬の旅』の冒頭が思い出されます。こちらはドイツ語で『ヴィンターライゼ』。一曲目は「おやすみ(グーテ・ナハト)」。男声で歌われるどこか物悲しい格調高い歌の数々。いよいよ不可思議な気持ちになっているとM女史がお土産を買いに行こうと。「ペニーレイン」という有名なパン屋さんがあるのだ、と言うではありませんか。そう言えば、その店の名は聞いたことがあります。確か、ブルーベリーの食パンが有名な店ではなかったか、と。M女史に尋ねるとその通りであるのこと。それにしても那須高原に本店?があるとは知りませんでした。M女史の記憶は曖昧でしたが、今はナビがあるので調べてみると「クエリ」から車で十分ほどのところと検索されましたので出かけてみることに。

 これがまた、街道沿いとは違ってどんどん別荘地の方に入っていくではありませんか。冬は訪れることはないのでしょうか、何処も人の気配のない別荘を眺めながらしばし進むとこれまたまさにイギリス風の洋館が。しかも、こちらはなかなか大規模で立派な建物。結構車が停まっていて、ちょっと出っ張った部分がベーカリーでその奥の洋館がレストランらしい。確かに人は多い。しかし、人気のない別荘地の一角だけ賑わいがあり、何か異様な感じがします。しかもベーカリーは暗い山小屋風で照明は暖色系で薄暗く、商品が良く見えないという普通のベーカリーとは程遠いシチュエイション。

 ビートルズファンの店主がその世界観を反映させた空間ということでこれもまたある種の「幻影」を追い求めているものです。1967年にリリースされた曲名から取られた店名はメンバーの出身地リバプールにある通りの名前とのこと。店のロゴはピースマーク。筆者はそのロゴとハートマークをかたどった「ラブ&ピースクッキー」をお土産に買い求めました。確かにここは1960年代のイギリスではありません。那須に他ならないのですが「幻影」に彩られたその一帯だけが何処かリアリティを欠いた浮遊感を覚えさせるのです。

「夢か現(うつつ)か幻か」。不在の中に存在する「避暑地」でのひと時は筆者には極めて魅力的に感じられます。「ペニーレイン」を後にする頃には冬の陽はすっかり暮れて、闇が迫って来ました。無事に帰宅できるだろうか。そんな一抹の不安を抱えながら、日常に戻っていくのもこれまた一興ではありませんか。来年もまた、那須を訪れたいと思った次第です。

今月のお薦めワイン  「グランヴァンへの旅を祝して シャンパーニュ」

「シャンパーニュ ブリュット ブラン・ド・ブラン NV ACシャンパーニュ ジョゼ・ドント」 10000円 (税別)

  今月のお薦めワインのコーナーも三クール目に入りました。これまでの二クールでフランス、イタリアの主要なワインをざっと紹介させていただきました。そこで三クール目は赤ワインのグランヴァン、本流中の本流、フランスのブルゴーニュとボルドー、イタリアのピエモンテとトスカーナのワインを取り上げてみたいと思います。この四地方のワインをしっかり押さえれば、世界の赤ワインは応用的にほぼ理解できると言っても過言ではありません。

 その前にこれからのグランヴァンへの旅に幸あれとシャンパーニュでお祝いと参りましょう。進水式の際、シャンパーニュの瓶を船にぶつけて割るように。シャンパーニュ地方は上記のどの地方でもありませんが、使われる葡萄品種がピノ・ノワール、シャルドネ、ピノ・ムニエとブルゴーニュワインとかぶります。位置的にはブルゴーニュの北にあたりますが、シャブリなどを産する飛び地のヨンヌ県とはシャンパーニュ地方の南端、コート・デ・パール地区はほぼ緯度が同じと言えます。作る葡萄が一緒なので、普通のワインではブルゴーニュにかなわないとドン・ペリニヨン師が考案したのが発泡酒のシャンパーニュだったというのは有名な言い伝えです。

 シャンパーニュは普通、上記の三種の葡萄を混醸して造られます。また、ベーシックなNV=ノンヴィンテージは味を均一に保つことでメゾンの特徴を伝えようという意図があります。ヴァリエーションとしては「ブリュット」=「辛口」といった糖度による違いがまず挙げられます。近年、いよいよ辛口がもてはやされる傾向がありますが、元来また通は甘口のシャンパーニュを好むものです。

 また、混醸ではなく、黒葡萄のピノのみを用いた「ブラン・ド・ノワール(黒の白)」とシャルドネだけを用いた「ブラン・ド・ブラン(白の白)」といったヴァリエーションもあります。

 今回紹介させていただくのは「ブラン・ド・ブラン」、シャルドネ100%のシャンパーニュです。造り手はジョゼ・ドント。シャルドネに適したコート・デ・ブランのオジェとコート・ド・セザンヌに合わせて5haの畑を所有し、1974年からルコルタン・マニピュラン(RM)として醸造まで行なうようになった家族経営のメゾン。伝統的な製法で丁寧に造られた少量生産のブラン・ド・ブランは酸が決め手ながらデリケートで心地良い余韻のある逸品です。この機会に是非お試しあれ。

 では、次回から早速グランヴァンの紹介を始めることにいたしましょう。

ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで

略歴
関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。
専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。
著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。
関修FACE BOOOK
関修公式HP

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