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JOURNAL

『美食通信』 第四十七回 「懐かしの美食の先達――三善晃と荻昌弘――」

『美食通信』 第四十七回 「懐かしの美食の先達――三善晃と荻昌弘――」

 ようやく秋の気配を感じ始めたこの十月の初め、料理評論家として活躍されていた服部幸應氏急逝の訃報に接することになりました。  料理学校の校長先生にしては料理をしているところを余り拝見したことがなく、日本におけるフランス料理の普及に尽力された辻調理師学校の創設者、辻静雄(1933~93)氏を彷彿させるものがありました。服部先生と言えば、『料理の鉄人』、辻氏と言えば『料理天国』とテレビで美食の普及に大きな役割を果たして下さいました。  この二〇二四年は年明けの一月には日本におけるワイン界の大御所、山本博先生が九十二歳で亡くなりました。筆者がボルドーワインを極めようと常に手元に置いてきたペパーコーン『ボルドーワイン』(早川書房)をはじめ、アレクシス・リシーヌ『新フランスワイン』(柴田書店)などワインに関する翻訳本のほとんどが山本先生の手になるものです。また、実に多くのワイン本を執筆されてきました。  ペパーコーンの翻訳の監訳者紹介にもありますように、冒頭、肩書として「弁護士」と書かれるのが通例でした。ワインを100点満点で評価する日本人が大好きな「パーカースコア」を始めたロバート・パーカー・ジュニアもまた「弁護士」出身。マイケル・ブロードベントやエレナ・サトクリフは「サザビーズ」のオークショナー、『ポケット・ワインブック』のヒュー・ジョンソンもワイン愛好家を自称するワイン評論家。ワインのスペシャリストは「ソムリエ」ではないのです。「ソムリエ」はワインをサーヴィスするサーヴィスのスペシャリストであり、ワインを売らねばなりません。批評家=評論家はあくまで客観的にワインを評価する必要があります。「ソムリエ」という立場はそれに相応しくはないことを再確認すべきです。  山本先生と言えば、どうしても翻訳に目が行きがちですが、筆者は人からワインを始めるにあたって何か参考になる本はないかと尋ねられたら、迷わず、山本先生の『わいわいワイン』(柴田書店)を挙げます。山本先生はワインの歴史を重視される方でしたので、多くの本は歴史に関するやや硬い感じの本が多かったのです。そんな中、ワインを楽しむために必要な知識を軽妙な語り口で、しかも格調高く的確に提示されている『わいわいワイン』はワイン愛好家を自称する者は所持すること必須と言えましょう。  例えば、マイケル・ブロードベントの『ヴィンテージ・ワインブック』を携帯する必要性を説かれていますが、筆者も早速購入しました。翻訳はもちろんありませんので英語の原書だったのですが、オークショナーのブロードベントはフランス革命時代に造られたシャトー・マルゴーなどのテイスティングも行なっており、その時代から1980年代までヴィンテージごとに主要なワインのテイスティングコメントを掲載。  実に興味深く、ヴィンテージワインを飲むにあたり、大変参考になりました。  そう言えば、一九九〇年代半ばフランスワインを始めるあたり山本氏の本にお世話になったのに対し、大学生になった一九八〇年、フランス料理を食べ歩き始めた頃、何を頼りに「美食」を考えようとしたのか。  もちろん、辻静雄氏の本も読みましたが、やはり教科書というか啓蒙的な筆致がまだひよこだった筆者には親しみやすくはありませんでした。  そんな中、フランスの香りを筆者に伝えてくれたのが意外にも現代音楽作曲家の三善晃(1933~2013)先生が書かれた『男の料理学校 自分の味を創造しよう』(カッパブックス、1979年)でした。光文社の新書版「カッパブックス」は当時、実用書と教養書の中間というか、絶妙なスタンスでベストセラーを多数出していました。筆者が大学でお世話になった心理学者多湖輝先生の『頭の体操』などがその好例です。  ちょうど新刊だったこともあり、パリ音楽院に留学された三善先生がかの地で自炊され作られたオムレツの話など、文章もお上手で、「美食」としてのフランス料理を極めたいとおぼろげに思っていた筆者には、まさにパリが彷彿と感じられ、怖いもの知らずのフレンチ食べ歩きを始めるきっかけになったのは確かです。  また、当初筆者はワインなど酒類をほとんど嗜みませんでしたので、フランス料理以外にも様々な食べ歩きを行なっていました。その際に大いに参考にさせていただいたのが映画評論家として活躍されていた荻昌弘(1925~1988)氏の食に関する著書でした。 荻氏は今で言う「男厨(ダンチュウ)」、即ち「男の料理」のパイオニアの一人で『男のだいどこ』は一九七二年に公刊されています。筆者が手にしたのは文庫本になったばかりの『大人のままごと』(文春文庫、1979年)だったかもしれません。  その立ち居振る舞いというか、「食通」気取りを蔑み、あくまで自身を「食いしん坊」と呼ぶその洒脱な感じが素晴らしく、筆者が感動したのが「サンドウィッチハウス グルメ」を贔屓にしている文章でした。「サンドウィッチハウス グルメ」は空港や新幹線の駅に展開したサンドウィッチ専門店。今から半世紀も前のことです。サンドウィッチといえば、喫茶店で出される手軽な軽食というのが常識だった時代、クラブハウスサンドやエビフライが挟まったサンドウィッチなどちょっと贅沢で高価なサンドウィッチだけを提供する「サンドウィッチハウス グルメ」は大学生になったばかりの筆者にはちょっとした高嶺の花でした。(ちなみに「グルメ」は現在、唯一、那覇空港で営業しているとのこと)。  荻氏はその贅沢感が空港や新幹線の駅に出店している理由であること。そして、それをどのように活用するかが「食いしん坊」冥利に尽きるかを書かれていました。出発まで時間があれば、立ち寄ってゆったりと併設のレストランで出来立てを堪能する。時間がなければ、テイクアウトして、車内で駅弁代わりに楽しむ。  筆者も荻氏の本に後押しされ、当時、船橋東武のレストラン街にあった「グルメ」に一人で食べに出かけたものです。喫茶店のサンドウィッチとはまた違ったまさに「専門店」の味に感動し、駅や空港でも立ち寄れるようになりました。当時、船橋東武のレストラン街にはアメリカで成功したロッキー青木(1938~2008)氏の洋食店「紅花」(タンシチューが絶品でした)、上野精養軒もあり、また、船橋西武には一時期、高輪プリンスホテルのメインダイニングとして有名なフレンチ「ル・トリアノン」の支店があったり、デパ地下のイートインにはローストビーフの「鎌倉山」、ドイツ料理の「ローマイヤ」などもあって、東京まで行かなくても船橋西武の「リブロ」や船橋東武の「旭屋書店」へ本を買いに行くついでに食べ歩きする機会を得たものでした。  筆者の「美食」への誘いに貢献下さった、三善先生、荻氏に心から感謝する次第です。  最後になりますが、この五月にはカレー博物館初代館長を務められたカレー評論の第一人者小野員裕氏が急逝されました。筆者は縁あって、親しくさせていただいておりましたので痛恨の極みといった思いです。筆者の二歳上でいらして、ほぼ同じ年ですのでショックでした。ここのところ、お目にかかる機会がなかったのですが、本を立て続けにお出しになられて、その活躍ぶりを頼もしく思っていた矢先の訃報でした。遺作も公刊されました(『小野員裕の鳥肌が立つほどいい店、旨い店』(八重洲出版))。  心から哀悼の意を表させていただきます。 今月のお薦めワイン 「イタリア最北のピノ・ネロを楽しむ――トレンティーノ=アルト・アディジェ州のワイン――」 「ピノ・ネロ『ヴィーニャ・カンタンゲル』 2021年 DOCトレンティーノ マソ・カンタンゲル」 9000円(税抜)  今年最後のイタリアワイン。何にしようか迷いました。王道のピエモンテとトスカーナ。そして、ロンヴァルディアのピノ・ネロ。最近はブルゴーニュ好いていますのでここは再びピノ・ネロで、産地を珍しいところでいかがか、と。  そこで思い浮かんだのがイタリア最北の州、トレンティーノ=アルト・アディジェ州で造られるピノ・ネロのワインという訳です。  トレンティーノ=アルト・アディジェ州はボルザーノを中心とする北部のアルト・アディジェと州都でもあるトレントを中心とする南部のトレンティーノが合体した州です。最北と言われる通り、北に接しているのはオーストリアのチロル地方。そこで、アルト・アディジェは「南チロル」とも言われています。そして、オーストリアはドイツ語圏ですので、この州の人々はドイツ語が堪能。従って、フランスのアルザス地方と比較され、造られているワインも似た傾向があると言われています。つまり、白ワイン中心で赤は地品種のテロルテゴも有名ですが、アルザスがピノ・ノワールだったようにこの州でもピノ・ネロが造られているのです。ちなみにカベルネ・ソーヴィニヨン、メルロも造られています。  ロンヴァルディアがシャンパーニュと同じ品種で「フランチャコルタ」を造っているのでピノ・ネロが栽培されているのと対照的です。  という訳で、アルザスのピノ・ノワールと比較するつもりで選んでみました。  選んだワインの造り手はマソ・カンタンゲル。DOCトレンティーノから分かるように、トレントの街のすぐ東に位置するチヴェッザーノにあるカンティーナです。2006年、フェデリコ・シモーニが創業。6haの畑を所有し、2008年の初ヴィンテージ以来、自然派のワインを提供しています。  通常のキュヴェよりも限定された畑の上質の葡萄から造られ、バリックで12か月熟成したワインは力強くもエレガントな仕上がりになっています。  前回のロンヴァルディアのイジンバルダのピノ・ネロと比較して飲んでいただければ幸いです。 略歴関 修(せき・おさむ)...

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『美食通信』 第四十六回 「優雅なるモンテクリストサンドの朝食¬――横浜ホテルニューグランド――」

『美食通信』 第四十六回 「優雅なるモンテクリストサンドの朝食¬――横浜ホテルニューグランド――」

 毎年九月に亡き両親の実家のある静岡市に帰省するのですが、その途中で一泊するのを常にしております。昨年は伊豆堂ヶ島にある全六室のリゾートホテル「繭二梁」に泊まりました。今年は横浜に泊まることにしました。  高校の同級生たちと日帰り旅行で年に何度か横浜に出かけるのですが、筆者は中華街近くにある「ハイアットリージェンシー横浜」の一階ラウンジが気に入っていて、必ず寄るようにしています。みなとみらいにお住いの教授に薦められて出かけてみたのですが、天井の高い贅沢な空間はもとより、若いサーヴィスの人たちの対応が清々しく気持ちが良い。折角なので一度泊まってみたいと思い、実現に至った次第です。  その際、一つだけ悩んだことがあります。それは朝食のこと。パリですと、生ジュースにパンとカフェオレというコンチネンタルスタイルが定番です。肝心なのは、それはルームサーヴィスが当たり前ということです。毎朝、起きると電話を取り、ジュースとカフェオレなどの飲み物のチョイスをする。しばらくするとバスケットに色々な種類のパンが盛られた朝食が部屋に届きます。チップを渡して、それを貰って部屋でゆるゆると食する。別にコンチネンタルである必要もないのですが、朝食はルームサーヴィスに限ると考えます。  ところが「ハイアットリージェンシー横浜」では朝食のルームサーヴィスがない。ルームサーヴィスそのものはあるのですが、夜だけのよう。朝食の選択肢は一つしかなく、二階の「ハーバーキッチン」でのブッフェ。筆者の一番苦手とするスタイルの朝食です。まあ、一流ホテル、HPでも「横浜エリア内でトップクラスの評価を誇る」朝食ブッフェだそうで、メニュを見ても和洋折衷に場所柄、中華の要素が少々加わり、中でもパンの種類の充実ぶりが自慢のようです。ペストリーショップを併設しているだけに自信があるのでしょう。  筆者は毎朝必ず朝食は摂ります。ただ、沢山食べるわけではないので、バイキング方式は少しずつ取れば良いので、まだ分量的には調整できる方ですがやはり費用対効果が悪い。「ハーバーキッチン」の朝食は税込み3800円ですので、とてもとても3800円分も朝から食べられません。それなら、同額のルームサーヴィスの定食にしていただいた方が、食べたいだけ食べて後は残せばよいだけで。  あと、やはりバイキング形式はサラマンダーに乗せられた料理が乾いてパサつくなど、美味しくない。あと、マナーの悪い客の傍若無人ぶりなど辟易する場面に遭遇したことがあり、ブッフェは出来る限り避けたいと思っています。  ですので、朝食をどうしようか、最後まで迷っていたのですが、朗報が。  朝、寝るのが6時、7時という筆者は日曜日の早朝6時から放送される「バナナマンの早起きせっかくグルメ!!」(TBS)という番組をついつい見てしまいます。早く寝れば良いのに。朝食を美味しく食べるため、食欲を掻き立ててくれる番組だそうで、様々なグルメが紹介されます。そんな中、「モンテクリストサンド」という料理が取り上げられたのです。MCのご両人も大絶賛されていたその食べ物を筆者は初めて知りました。  見たところ、「クロックムッシュ」と「フレンチトースト」が合体したようなパン料理。「クロックムッシュ」はパンの間にハムとチーズを挟んだもので、正式にはそこにベシャメルソースなどを塗って焼き目を付けるのですが、ソースを省略し、ホットサンドメーカーで作っても美味しい。ちなみにその上に目玉焼きを乗せると「クロックマダム」になります。  そうすると卵液に漬けたトーストを焼く「フレンチトースト」の真ん中にハムとチーズが挟まれている「モンテクリストサンド」は「クロックマダム」のバリエーションと考えることができます。  で、バナナマンのご両人が試食して絶賛されていた「モンテクリストサンド」は横浜の老舗ホテル「ニューグランド」のものでした。「ニューグランド」と言えば、戦後の日本のフレンチに影響を与えた名シェフ、サリー・ワイルが料理長を務め、駐留していた進駐軍人のために創作した「ナポリタン」や「ドリア」は有名。旧館にはマッカーサーが使っていた部屋が「マッカーサースイート」として宿泊可能。  筆者は二十年ほど前、隣の新館のスイートに泊まったことがあります。「モンテクリストサンド」を供してくれるのはその新館五階のフレンチ「ル・ノルマンディー」です。  そこで、今回の朝食は散歩がてらニューグランドに出かけ、「モンテクリストサンド」を食することにしました。ハイアットリージェンシーからは十分ほどで着く距離で、改めて立地の良さを感じました。前日ディナーした筆者お気に入りの「スカンディヤ」からは数分ですし、ちょっと目立たない感じがまたハイアットリージェンシーの良さでもあります。  さて、会場に着くと二十年前の朝食も「ル・ノルマンディー」だったような気がしてきました。入り口で「朝食券は」と聞かれ、「いいえ」と答えると広いダイニングをどんどん奥に誘導されて行きました。その間も結構な数の宿泊客と思われる人々が朝食中で賑わっているなあ、と。ハイアットリージェンシーは思ったより人気がなく、チェックアウト時も誰とも一緒になりませんでした。  結局、一番奥の窓際、港が一望できる席に通されました。ロケーション的には最高の席で、偶然空いていただけかもしれませんが、そうだとすればラッキーでした。とにかく広いダイニングですので、景色が楽しめるのは限られた窓際だけ。しかも、港に向いているのはさらに限られた席だけですので。  メニュは三種類。洋定食とモンテクリストサンド、さらにコンチネンタル。モンテクリストサンドはフレッシュジュースと珈琲・紅茶を選ぶだけとコンチネンタルとチョイスは同じ。野菜サラダが先に出て、モンテクリストサンドとココット型に入ったヨーグルト、あとちょっとしたフルーツが一皿に盛られて登場します。ワンプレートの朝食。それで4200円。ハイアットリージェンシーのブッフェより高い。さすが老舗だけある。  そのサンドは思ったより小ぶりながら、食するとなかなか濃厚でちょうど良いポーションかも。周囲を見るとテレビで紹介されたからか、結構多くの方がモンテクリストサンドを選ばれていました。フレンチトーストは抑え気味とはいえ甘い。しかも、ハムではなくカリカリベーコンだったので塩味がしっかりしていて、甘じょっぱいというのは日本人にはお馴染みの味なのかもしれません。筆者としてはおおいに期待していましたが、それほど感動しませんでした。不味くはないが、大変な美味というほどではないか、と。  結論としましては、次回、横浜での朝食はハイアットリージェンシーでのブッフェで充分か、と。 今月のお薦めワイン 「コート・ド・ボーヌの『秘められたる宝石』――ACサン=トーバンの赤ワインを楽しむ――」 「サン=トーバン プルミエクリュ『ピタンジュレ』ルージュ 2018年 ACサン=トーバンプルミエクリュ ドメーヌ・オ・ピエ・デュ・モンショーヴ」 10000円(税抜)    今回はブルゴーニュ。前の二回はコート・ド・ニュイのワインを取り上げさせていただきました。最後にコート・ドールのもう一方の雄、コート・ド・ボーヌの赤ワインを紹介させていただこうと思います。  コート・ド・ボーヌはやはりモンラッシェやムルソー、コルトン・シャルルマーニュといったブルゴーニュ珠玉の白ワイン産地として名声を博しています。  が、赤ワインもグランクリュに「コルトン」、赤ワインだけを産するアペラシオンとして「ヴォルネ」や「ポマール」といった銘酒を産しています。筆者は有名ネゴシアンの集まる「ボーヌ」の赤ワインがニュートラルで安定感があり、先の三アペラシオンと共にまずは選択肢となるかと思われます。  しかし、今回はサトクリフが「ブルゴーニュの秘められたる宝石の一つ」と評している(『ブルゴーニュワイン』)アペラシオン「サン=トーバン」のワインを紹介させていただこうと思います。サトクリフはどの生産者も良心的でワインが一律に良質であると書いています。白の方が多く造られていますが、赤も優れたワインが造られています。  今回選んだワインの造り手はドメーヌ・オ・ピエ・デュ・モンショーヴ。2010年がファーストヴィンテージというシャサーニュ=モンラッシェ村に拠点を置く、新進気鋭のドメーヌ。同村にあるブルゴーニュでも大手のネゴシアン「メゾン・ピカール」のミシェル・ピカールの令嬢フランシーヌ・ピカール氏が独立して設立しました。2013年より完全にビオディナミを採用。  この赤ワインの畑はプルミエクリュの「ピタンジュレ」。村の南、シャサーニュ=モンラッシェ村に接した場所にあります。100%除梗し、新樽率30%で15ヶ月熟成。その後、ステンレスタンクに移し、2ヶ月休ませ、軽くフィルターにかけ瓶詰め。  プルミエクリュは最大で1800本と「ひたすらその品質のみを追い求めている」ドメーヌのエレガントで格調高い逸品をこの機会に是非。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE...

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『美食通信』 第四十五回 「パリそぞろ歩き¬――「キャレ」の思い出――」

『美食通信』 第四十五回 「パリそぞろ歩き¬――「キャレ」の思い出――」

 今年の夏はパリで行われたオリンピックに世界中が沸きました。開会式からして、史上初の屋外での開催。パリの街を最大限に生かし、選手たちはセーヌ河を船に乗って登場し、セレモニーはイエナ橋を挟んでエッフェル搭がすぐ目の前のトロカデロ広場で行われ、そのスペクタルに圧倒されたのでした。  多くの競技は室内で行われたもののマラソンや競歩をはじめ、屋外で行われた競技もありました。すると名所旧跡の多いパリの街が垣間見れます。ただ、薄汚れたセーヌ河を泳ぐ競技だけでは実施するのも映すのも勘弁してほしいと思ったものです。確かに水質浄化に努めたのでしょうが、おぞましいものを覚えました。パリの街は道が石畳で、ペットの糞はしっ放し。毎朝早く、放水車が街をめぐって、糞を側溝に流し込むのです。まあ、下水は完備されているとのことでしたが、雨が降ると処理しきれなくてセーヌ河に流れ込むとか何とか。それって本当に下水なのか怪しいようにも思いますが、いずれにせよ、水質汚染は解消されないでしょうから。  筆者がパリを最初に訪れたのはちょうど三十年前の1994年のことでした。夏の終わりだったように記憶しております。まだ、貨幣はフランで、ネットも何もない時代で、予備知識といったら『地球の歩き方』を読むくらいしかなく、若さというか無知というかそんな程度で単身パリに乗り込んだのでした。とりあえず、オペラガルニエ近くの三つ星ホテル(ホテルは五つ星が満点)に落ち着いたのですが、今回の選手村同様、冷房がない。しかも、古い建物は壁が薄く、隣の宿泊客のいびきが聞こえてくるではありませんか。恐ろしくなって、早速翌日、スクリーブ通りにあったJTBに出かけ、空調の完備されたレジダンスを探してもらいました。  すぐに見つかったのですが、それがまたシャンゼリゼ通りの一筋裏のポンチュー通りで場所は良いのですが、歓楽街なので夜中も外がうるさく、ネオンの光がカーテンの隙間から差し込んでなんだか安眠できませんでした。ですので、次の年からは左岸のサン=ジェルマン=デ=プレ教会の裏手のジャコブ通りの「ラ・ヴィラ」というデザイナーズホテルに泊まることにしました。パリは思ったより小さな都市で中心に近くに泊まれば、主要な場所へは歩いて行けるのです。地下鉄は不潔でスリなどに狙われやすく、乗る気になりませんでした。外縁に近い二十区のペール=ラシェーズ墓地などに行くにはタクシーを使いました。  ですので、とにかく歩く歩く。そして、疲れたり、喉が渇くと目に入ったカフェに入って一休みするのです。というのも、パリにはコンビニはもとより飲み物の自動販売機などなかったのですから。それは今も大差ないのではないでしょうか。カフェというとシャンゼリゼの「フーケ」とか、サン=ジェルマンの「ドゥマゴ」や「フロール」などが有名ですがそれらはいわば「観光カフェ」で、別に日常使いする無名のカフェが街のそこここに点在しているのです。  その際、ほとんどの人が頼むのが「カフェ」でそれはエスプレッソを指します。お酒で喉を潤したい方は「ドゥミ」と呼ばれるグラスビールを頼むでしょう。炭酸飲料は日本でも売られている「オランジーナ」、ジュースは「ジョケル」が有名ですが、大人の飲み物という感じがしません。  「アンカフェ、シルヴプレ」とギャルソンに頼むとシングルのエスプレッソコーヒーとチェイサーの水、そして「キャレ」と呼ばれる正方形の一口サイズの板チョコが一枚付いて出てまいります。ちなみに「キャレ」とは正方形という意味です。  この「キャレ」は必須で、「ドゥマゴ」のような有名店では店の印や名前の入った特注の紙で包まれたものが出されますが、普通のカフェでは市販の「キャレ」が出てきます。これがまた、結構色々な会社が作っているようで、微妙に味が違っていて、食べてみて楽しい。本来は、たまたま入ったカフェのエスプレッソの味を評価すべきなのでしょうが、キャレが美味しいと何か嬉しい気持ち、得した気持ちになるものです。  そのような「キャレ」にも定番はあるもので、それは「ヴァローナ」社製のものです。例えば、再開発で閉店してしまいましたが「渋谷文化村」にあった「カフェ・ドゥマゴ」の支店でも珈琲を頼むと店の名前の入った「キャレ」が付いてきましたが、ヴァローナ社のものでした。  また、パリのレストランガイド『ルベ』には食後の珈琲(即ちエスプレッソ)を評価する項があったのですが、味の評価(カップマーク)の他にグランメゾンにとなるとプティフールやトリュフチョコレートなどが一緒に出されると書かれているのですが、日常使いの店ですとやはり「キャレ」と書かれており、中には「ヴァローナ」、「レオニダス」といった銘柄が記載されているケースもあります。  「キャレ」というのは「カフェ」のお供だけではなく、意外な日常使いをされることもありました。それはチップへのお返しです。ご存知のように、パリはチップ社会で、例えば、カフェのギャルソンは店内で自分のテリトリーが決まっており、そのテリトリーの客のチップがギャルソンの収入になるのです。ですので、自分が座った際、席の近くを通りかかったギャルソンに声をかけても無視されることがあります。それは当該のギャルソンがその席の担当ではないからです。逆に席に着いたら、担当のギャルソンが来るのを待つ必要があるということになります。そして、たとえエスプレッソ一杯でもなにがしかのチップを払うことがマナーです。  これは何処でも当てはまります。グランメゾンでも会計の時、合計金額の他にチップを払う必要がありました。筆者は請求金額をカードで払い、チップは現金で支払っていました。満足度が大きければ、多めに。サーヴィスが横柄だったり、料理がイマイチだったら少なめにと調整する。これがなかなか難しい。  また、パリの公衆トイレは個室でお金を入れると開くというスタイルだったのですが、故障している場合が多く、トイレを済ますのにカフェに入るケースも多々ありました。すると飲み物を注文しても、トイレの前に賽銭箱のようなチップ入れが置いてある店もありました。つまり、何にもチップが必要なのです。ですので、小銭(モネ)を常に持ち歩く必要がありました。  ホテルでも、荷物を持って運んでくれたらチップ。ルームサーヴィスを頼んでもチップ。そして、ベッドメーキングの際にもチップをベッドのサイドテーブルに毎日置く必要がありました。もちろん、少額で良いのですが。すると時折、部屋に戻るとチップを置いた場所に「キャレ」が置かれていることがあったのです。チップへのお礼として、ささやかなお返しとしての「キャレ」。  何と粋なことでしょう。「キャレ」は単なる「カフェ」のおまけではない。そこには「心遣い」という意味も込められていることが、意外な「キャレ」の使い方から垣間見れた何気なくも貴重な体験でした。 今月のお薦めワイン 「グラーヴの赤もお忘れなく――選ぶならACペサック=レオニャンがお薦め――」 「シャトー・ラリヴェ=オー=ブリオン 2019年 AC ペサック=レオニャン」 7700円(税抜)   今回はボルドーワインの回です。  ボルドーワインと言えば、ここ二回紹介させていただいたカベルネ・ソーヴィニョン主体のメドックのワイン(左岸)とメルロ主体のリブールヌのワイン(右岸)という対が有名ですが、忘れてならないのがグラーヴのワインです。  グラーヴは位置的にはメドックの南、ガロンヌ河上流に位置します。ボルドー市のある場所でもあります。グラーヴと言えば、ボルドーの白ワインの名産地。辛口だけではなく、ソーテルヌやバルサックといった甘口貴腐ワインも生まれます。  また、メドック格付け五大シャトーの一つ、シャトー・オー=ブリオンは例外的にグラーヴのペサック村にあるシャトーです。つまり、メドックスタイルの赤ワインにも優れたシャトーが多いということです。  この優れた赤ワインを産する地域はグラーヴの中でも北部、メドックに近いボルドー市周辺に集中しています。そこで、1953年、グラーヴはオー=ブリオンを筆頭とする赤ワインの格付けを行ない、1959年には辛口白ワインも格付けするに至りました。さらに、1986年ヴィンテージからこれら格付けワインを産する北部を示すアペラシオンACペサック=レオニャンを導入し、南部のみがACグラーヴを名乗ることになりました。  ですので、グラーヴの赤ワインをご所望の際はACペサック=レオニャンのシャトーを探されるとよいでしょう。  今回、紹介させていただくシャトー・ラリヴェ=オー=ブリオンはレオニャン村の中心地区にある有名な古いシャトーで、元はオー=ブリオン=ラリヴェという名だったのですが、オー=ブリオンから訴えられ、現在の名に。優れた赤ワインのみを産する格付けシャトー、シャトー・オー=バイイに隣接し、赤・白両方を造っていますがやはり赤ワインに見るものがあるとの評価が。  「見事な色と、スパイシーで繊細なブーケを持つ、実に古典的なグラーヴで、赤は他の格付けシャトーの一部と肩を並べ得る、いや、それ以上のワインと言えよう」とペパーコーンも『ボルドーワイン』(早川書房)で評しています。  格付けされていないだけに値段も抑えられています。この機会に、是非一度お試しあれ。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP...

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『美食通信』 第四十四回 「サヴァランそれともババ・オ・ロム?¬――お菓子かデセールか――」

『美食通信』 第四十四回 「サヴァランそれともババ・オ・ロム?¬――お菓子かデセールか――」

 高校の同級生とこの時期必ず、横浜の海岸通りにある「スカンディヤ」でランチすることになっているのですが、今回、参加者の一人が食後、常磐町の「馬車道十番館」で「サヴァラン」が食べたいというので出かけることに。「サヴァラン」とは渋い選択だなあ、と。  今から半世紀以上前、筆者が子供だった頃、街のケーキ屋さんのショーケースに並んでいたのは「シュークリーム」に「エクレア」、「ショートケーキ」。そして、栗きんとんを用いた「モンブラン」に、「モンブラン」と形こそ似ているものの生地が全然違っていた「サヴァラン」辺りが定番だったと思います。「モンブラン」も「サヴァラン」も形はブリオッシュ型で、「モンブラン」は普通のスポンジ、「サヴァラン」はまさにブリオッシュ生地。「モンブラン」はスポンジの土台の上にシャンティークリームを絞り、さらにその上に栗きんとん風の栗のペーストを絞り、缶詰の栗を一つ乗せたもの。 「サヴァラン」はブリオッシュのへそを取って、そこにシャンティークリームを絞り、へそを蓋代わりにのせたもの。ブリオッシュ生地にアルコールを飛ばしたラム酒のシロップをこれでもかと滲み込ませ、フォークを入れるとジワッとシロップが垂れてくるくらいが良い。  子供にはお酒の風味がするのと、クリームが余り使われていないので大人の食べるケーキと思い、なかなかチョイスすることはなかったように思いますが、筆者のようなパサつくものが苦手な者にはしっとりしていて、ジューシーで食べやすい。それだけにラム酒シロップをケチったパサつきのある「サヴァラン」は絶対に許せないと思ったのでした。  「サヴァラン」は「干しブドウを入れないババにシロップとラム酒を滲み込ませ、クレーム・シャンティーまたはフルーツを挟んだケーキ。1845年、当時の有名なパティシエ、ジュリアン兄弟が考案し、美食家ブリヤ=サヴァランの名を冠した」(『フランス 食の事典』、白水社)とあります。サヴァランは1826年に亡くなっていますので、ケーキはそのオマージュだったのでしょう。また、日本で最初に「サヴァラン」が作られたのは横浜という説があり、横浜の歴史を感じさせる建物が印象的な「馬車道十番館」の名物が「サヴァラン」というのもそうした経緯があるのではないでしょうか。  さて、上記の定義にも「ババにシロップとラム酒を滲み込ませ」とありますように、それをそのままフランス語にしますと「ババ・オ・ロム」となり、レストランのデセールで結構見かける一品となります。「ババ」はポーランド由来のようで、「クグロフ」がパサパサしているので、ラム酒あるいはキルシュを滲み込ませたとあります。  こちらは1836年頃、パティシエ、ストレールがパリのモントルグイユ通りに店を開き、ババを紹介したとあります(同上)。  解説を読んでいるとどちらにもシャンティークリームが登場したりと余り違いがないような気がします。レストランで出てくる「ババ・オ・ロム」はデセールの一皿ですので、シャンティークリームをババに添えるといった感じが多いかと思います。  さて、「馬車道十番館」の「サヴァラン」は珍しい形をしていました。「小さなコッペパン」のような形とか、筆者は小判型と認識しました。確かに、コッペパンですと真ん中に切れ目を入れてシャンティークリームを挟んだといった感じになります。ユニークだったのは形だけではなく、干しブドウが三粒ほど上面に印代わりに練り込まれていたことです。また、筆者が「小判」と申し上げたように極めて小ぶりの菓子で、筆者が子供の頃食べた食べ応えのある重量感のある「サヴァラン」とは印象が異なっていました。もちろん、ラム酒風味のシロップがふんだんに使われていて、美味しくいただけました。  そう言えば、ブリオッシュ型の「サヴァラン」は時間と共にシロップが下にさがってしまい、食べ始めの上の部分は結構パサパサで、下の方に来ると逆にシロップがビショビショで厚いホイルの包み紙にシロップが溜まってしまうのが常なのを思い出しました。それに比べるとこの「小判」型ですとシロップの滲み具合が均等に近い感じがしました。食べた時に常にジューシーで美味しい。なるほど、と思った次第です。ただ、やはり少々小さすぎて物足りない。やはり、「サヴァラン」はある程度ヴォリューミーでないと。  その点、筆者の記憶にある最上の「サヴァラン」は帝国ホテルのデリカテッセン「ガルガンチュワ」のものでした。フランス・ルネッサンス期を代表する作家ラブレーの『ガルガンチュア物語』もまた美食に関するエピソードに富み、美食文学の代表作の一つと言われています。そんな作品の名前を冠したホテルの売店にはパンやスイーツ、惣菜も売っています。何といっても「ビーフパイ」、帝国ホテルでは「シャリアピンパイ」が有名ですが、筆者は「サヴァラン」に感動した記憶があります。子供の頃食べた「サヴァラン」を極めたようなけれんみのないストレートな完成度の高さ。  ちなみに、シャリアピンステーキが帝国ホテル発祥であることはご存知か、と。1936年に宿泊したロシアのバス歌手シャリアピンが歯を悪くしていたため、牛肉をよく叩いたあと、すりおろした玉葱につけてマリネし、やわらかいステーキに仕上げたもの。玉葱のソースがかかっています。筆者は神戸に住んでいた小学校高学年の頃、社宅近くのレストランのシャリアピンステーキが大好物で、来客があり外食となると、件のレストランにならないかと願ったものです。  いつの間にか、家でケーキを食べるにも「サヴァラン」を買うことがなくなってしまったように思われます。そんな中、フレンチで「ババ・オ・ロム」があると頼みたくなってしまう自分がいるのに気づきます。だいたい、デセールの「ババ・オ・ロム」はまさにラム酒の効いたアルコール感たっぷりのデセール。  シャンティークリームがたっぷり添えられた、ラム酒でむせるような「ババ・オ・ロム」も悪くないのですが、ここは玉子たっぷりのブリオッシュ生地で作られた繊細な「ババ・オ・ロム」が食してみたいなあ、と。ラム酒も余り効かせすぎずに。  子供の頃、街のケーキ屋さんに並んでいた「サヴァラン」。あの、脇役で、でもなんとなく存在感のある、それでいて何処かチープな感じもする……。そんな実は複雑な相貌の「サヴァラン」は今、何処に。 今月のお薦めワイン 「夏はロンバルディーアのピノ・ネロはいかが?――少し冷やして涼やかに赤ワインを楽しむ――」 「ピノ・ネロ 〈ヴィーニャ・ディ・ジガンディ〉 2019年 DOC オルトレポー・パヴェーゼ イジンバルダ」4532円(税込)   今回はイタリアワインの回。夏はやっぱり泡。だったら、シャンパーニュと同じ品種を用いて、シャンパーニュ方式で造られるまさにイタリアのシャンパーニュ、ロンバルディーア州の「フランチャコルタ」にすれば良い。しかし、それではあまりに芸がない というか、当たり前過ぎます。  自分は赤ワインの人だから、だったらピノ・ノワール(イタリアではピノ・ネロ)を冷やして飲みたい。「フランチャコルタ」にはシャンパーニュと同じ品種が用いられています。ということは、シャルドネ、そして、ピノ・ネロ、そして、ここがフランスとは異なるのですが、フランスは赤葡萄のピノ・ムニエなのですが、フランチャコルタはピノ・ビアンコ(フランスではピノ・ブラン)を使って造られています。いずれにせよ、ロンバルディーアではピノ・ネロが造られているということは当然、ピノ・ネロのスティルワインも造られているのです。  今回ご紹介するロンバルディーアのピノ・ネロはこの州のワインを半分以上生産している南西部に位置するDOCオルトレポー・パヴェーゼの代表的造り手「イジンバルダ」の手になるもの。アンダースンの『イタリアワイン』にも造り手の欄に掲載されています。ワイナリーの名はかつてこの地域の領主であったイジンバルダ卿に由来し、当時から伝わる伝統的な栽培、製造技術が現代に生かされています。また、40haの畑を所有しています。  このピノ・ネロは数回使用しているトノーで約三ヶ月熟成。鮮やかなルビー色。ベリー系の香り。綺麗な酸が特徴。濃厚なスタイルではないので、冷やして飲んでも美味しく楽しめるでしょう。  イタリアワインにはおおらかな度量の大きさを感じます。高級なキュヴェであれば、シャンブレで襟を正して飲むべきかと思いますが、今回のオルトレポーは夏の凉を得るに相応しいピノ・ネロかと思われます。いつもとは違った楽しみ方で、灼熱の夏もワインを堪能していただければ幸いです。余りお目にかからないロンバルディーアのピノ・ネロをこの機会に是非お試しあれ。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第四十三回 「サンドウィッチ考――パンの焼き加減をどう考えるか――」

『美食通信』 第四十三回 「サンドウィッチ考――パンの焼き加減をどう考えるか――」

 ホテルのラウンジなどちょっと高級な喫茶店やカフェで人に会う時、「何か召し上がりませんか」と聞かれる時があります。明らかにおやつの時間ならスイーツということになりましょうが、そういった物言いの場合、いわゆる軽食が想定されているのが通例で、そうなると頼みやすいのが「サンドウィッチ」ということになります。  先日、定年になられた先生とお目にかかる機会がありました。小石川にお住まいで、ご自宅の近くでお目にかかる約束をしたところ、後楽園の「はまの屋パーラー」を指定されました。一九六六年創業の有楽町で有名な老舗純喫茶「はまの屋」が二〇一一年、オーナー夫妻の引退を機に閉店。その味を継承すべく「はまの屋パーラー」が誕生し、新有楽町ビルに移転し営業を続けるもビルの閉館で日本橋にさらに移転。その支店は帝国ホテルにも入っていたとのことですがこちらもそのビルが閉館で閉店。宝塚歌劇団のファンでいらっしゃる先生はそちらの「はまの屋パーラー」によく行かれたそうですが、ご自宅の近くにも最近開店されたことを知られ、よく使われるのだそう。  駅ビルの上の飲食街の一角といった場所にその店はあり、確かにこじんまりした感じ。「帝国ホテルのお店は広かったのに」とおっしゃり、「ここの名物はサンドウィッチなの」と。確かに軽食のメニュはサンドウィッチが主で、あとはナポリタンとドリアくらい。サンドウィッチは具の名がついた六種類に「スペシャルサンドウィッチ」の七種がメニュに。得体の知れない「スペシャル」にしようと思いましたが、先生が「ここのサンドウィッチは具を二種類選べるハーフ&ハーフがあるの」。「しかも、普通はパンの耳を落として出すのだけど、そのまま出してくれるよう注文することも出来る」。「で、ここが肝心なんだけれど、パンは焼いてもくれます」。「トーストした方をお薦めします」。「フィンガーフードのように食べやすいの」と矢継ぎ早に説明して下さる。「玉子」が最初に書かれていますし、これは先生の口ぶりでも外してはいけなそうだったので、ここはハーフ&ハーフのもう一方を決めれば良いのだろうと思案していると、先生が「私はツナって決めています」っておっしゃるので、では「玉子&ツナ」でとしっかり忖度した注文に。先に来られていたもう一人の現役教授も「私も同じです」と、結局三人同じ註文になってしまいました。  出てきたサンドウィッチは確かに小ぶりで一口で食べられそうな小粋なものでした。卵はマヨネーズであえたフィリングではなく、玉子焼きで薄いレタスが一枚挟まれていました。それもプレスしたせいか水分が飛んでいて紙のよう。ツナの方もマヨネーズは極力少な目でツナツナしい感じ。おそらく両方とも食べた時には具がはみ出て、形が崩れないよう配慮されているのではないかと察せられました。この店の名物はやはりこの玉子焼きが挟んであるサンドウィッチとのことで、まずは玉子からいただくことにしました。  ところがです。これが意外に食べにくいものであることが判明しました。それはパンが表面をトーストしただけなく、レタス同様紙状にプレスされていたからです。確かにパンが紙のように薄いので簡単にサンドウィッチが口に入ります。ところがさすがに全部を一口で食べようと思うと口の中が一杯になりそうなので半分くらいに噛み切ろうとするとパンがスルメのように固く、なかなか噛み切れません。なんとか噛み切って咀嚼しようとするとパンが抵抗して口中にへばりつくのです。何度かむせそうになってしまい、正直吐き気を催しました。筆者はおそらく嚥下力に問題があるのか、元々口の中がパサパサするものが苦手で穀類を食するのが苦痛でもあり、バケットを食するならベッタリバターを塗らないと食べたくないといった風です。ツナの方もマヨネーズが少ないので形は崩れないものの口の中でツナもパサパサ。もう、美味しいとか美味しくないとかの問題ではなく、食べるのが苦痛で仕方ありません。  しかし、ここではたと気づいたのです。トーストされたパンを使ったサンドウィッチで筆者の好物だったサンドウィッチがあったことを。それは惜しまれながらも休業となってしまった山の上ホテルの「コーヒーパーラーヒルトップ」のアメリカンクラブハウスサンドウィッチです。これは育児雑誌の連載をしていた頃、担当の編集プロダクションも神保町にあり、ホテルが筆者の勤めている大学のすぐお隣ということもあり、取材を山の上ホテルのパーラーで行なっていた際、いつも注文していたメニュだったのです。まあ、自腹ではなく、先方に軽食も是非と勧められて註文したところ、これがなかなかの美味で、取材の際は必ずクラブハウスを頼むことに。おかげさまで通常一年のところ、好評で三年は続きましたので結構な回数いただきました。  思えば、あのクラブハウスもパンはトーストしてあったのですが紙状にプレスしてはいなかったので噛み切れないということはありませんでした。もちろん、クラブハウスの場合、チキンにベーコン、それにフレッシュな野菜が挟んでありますので、口に入りきれず、食べにくいことといったらありませんがそれがまた「いとおかし」といった風情で。また、トマトの薄切りとか挟まっていたと思いますので、水分が適度にパンに滲み込み、口の中でパサつくことは皆無。ふやけたパンの感触が許せないという方がいらしても筆者としては「ごもっとも」と思いつつ、やはり食していて吐き気を催してしまってはすべてが台無しで、筆者にとって「食べやすさ」とは大きさのことではなく、「飲みこみやすさ」に他ならないと確信した次第。  ゆえに結論としましては、次回「はまの屋パーラー」に出かける機会があれば、きっとまたサンドウィッチになるでしょうから、具は「玉子とツナ」でよいとして、パンをトーストせず、そのままの状態を選択することにすれば問題ないか、と。もちろん、パンの耳は切り落としていただかないと。  筆者が出会った絶品サンドウィッチの話をさせていただきたかったのですが。紙面が尽きてしまいました。それはまたの機会に。   今月のお薦めワイン 「ニュイ=サン=ジョルジュはコート・ド・ニュイの救世主か?――ピノ・ノワールの真髄を楽しむ――」 「ニュイ=サン=ジョルジュ オー=ザロ 2018年 ACニュイ=サン=ジョルジュ ドメーヌ・ベルトラン・エ・アクセル・マルシャン・ド・グラモン」11000円(税別)  ワインの価格高騰はワイン愛好家にとっては頭の痛い話。とりわけ、ブルゴーニュの価格は最新のヴィンテージが数年前の1.5倍といよいよ手が出ないように思われます。  ブルゴーニュと言えば、やはりコート・ドール。中でも赤ワインメインの北側、コート・ド・ニュイのワインがやはり飲みたいと思うのが人の常。でも、もはや村名ワインでも一万円では買えない状況になってしまいそうな勢いです。  では、最北のマルサネやそのすぐ下のフィサンであれば何とか買えそうですが、こちらもマルサネのパタイユ兄弟など素晴らしいが値段も立派なワインが目立ってきました。また、それだけ出すならやはり似たタイプのワインのジュヴレ=シャンベルタンの良心的な造り手を探した方が良いかもしれません。  となると唯一の可能性を感じるアペラシオンは一番南にあたるニュイ=サン=ジョルジュになるでしょう。コート・ド・ニュイの「ニュイ」はニュイ=サン=ジョルジュのニュイであるわけで、広さからしてもジュヴレ=シャンベルタンやヴォーヌ=ロマネに並ぶこの地区の代表的なワインになります。  ところが、ニュイ=サン=ジョルジュにはグランクリュの畑がありません。それは制定の際、当時の造り手たちが畑に差別感が増すことを嫌い、あえてグランクリュの制定を断ったという経緯があります。従って、プルミエクリュの畑の中にグランクリュに相当するものがあり、その代表格が「レ・サン=ジョルジュ」と「レ・ヴォークラン」になります。また、2007年以降、上記の二つの畑をグランクリュにするよう申請を行なっており、いよいよニュイ=サン=ジョルジュにもグランクリュが誕生するかもしれません。  という訳で、今のところ、ニュイ=サン=ジョルジュのワインは他のニュイの代表的なアペラシオンに比べ、価格が抑えられています。そこで今回ご紹介するのはヴォーヌ・ロマネに隣接する「オー=ザロ」という畑の2018年ヴィンテージ。造り手はドメーヌ・ベルトラン・エ・アクセル・マルシャン・ド・グラモン。ニュイ=サン=ジョルジュを拠点し広大な畑を所有していたシャンタル・レスキュールが相続で三分割されたドメーヌの一つ。1986年、ベルトラン氏が設立。娘のアクセル氏が2004年に継承し、ビオディナミを実践。この「オー=ザロ」は平均樹齢50年。100%除梗。新樽率20%と2〜3年樽で18ヶ月熟成。綺麗な酸が特徴的なニュイ=サン=ジョルジュにヴォーヌ=ロマネの複雑な豊かさが加わった秀逸なワイン。2020年ヴィンテージは13000円になっていますので、この2018年ヴィンテージはまさにお買い得。この機会に是非お試しあれ。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第四十二回 「フランスからの二人の画家――銀座と柴又に咲く芸術の花――」

『美食通信』 第四十二回 「フランスからの二人の画家――銀座と柴又に咲く芸術の花――」

 今年のゴールデンウイーク近く、筆者に縁のあるフランス在住の画家の個展が相次いで東京で開催されました。  まず、四月二十二日から一週間、銀座の「幸神ギャラリー」にてパリ在住の川辺孝雄氏の「大宇宙」と題された展覧会が。  川辺氏との出会いはまさに「美食」繋がりと言えます。今から三十年近く前の一九九六年九月にパリを訪れた際、出かけたレストランで偶然隣の席に座られた日本人が川辺さんご夫妻だったのです。  それは十五区ヴァスコ・ダ・ガマ通りにある「ロス・ア・モエル」という当時開店して間もないビストロでした。後に「ビストロノミー」、「ビストロ=ガストロ」と呼ばれるようになるグランメゾン級の最新のフランス料理をビストロ感覚の価格と雰囲気で楽しめるスタイルの店のはしりでした。グランメゾンがパリの中心部に店を構えていたのに対し、これらの店は進取の気鋭の左岸(リヴ・ゴーシュ)の外縁にあたる十三、十四、十五区にありました。そして、「ロス・ア・モエル」のティエリー・フォシェは十四区の「レギャラード」のイヴ・カンドボルドと並んでそのパイオニアとして人気のシェフでした。  ただし、それはまだ一部の「美食」に関心のある者たちのあいだでのことで、SNSなどまったくなかった時代、『地球の歩き方』や『るるぶ』などしか情報を得る手段のなかった一般の日本人にはまだほとんど知られていませんでした。つまり、フランス語で『ミシュラン』や『ゴー=ミヨ』に目を通していないと分からないことだったのです。筆者はすでに先立つ九四年、九五年とパリを訪れていましたので、当時のパリの最新のレストラン事情はそれなりに把握していました。  ですので、夜出かける星二つ、三つのグランメゾンならともかく、昼出かけるビストロで日本人にお目にかかることはありませんでした。それは川辺ご夫妻も同じだったのでしょう。お互い、「まさか日本人に出会うとは」、というニュアンスで「日本人でいらっしゃいますか」と尋ねられたように思われました。  パリ在住の日本人画家に出会うというのは何とも珍しいことかと思われるでしょうが、実は筆者、もう一人そのよう方を存じていました。筆者がパリでお世話になった、当時パリにお住まいでその後成城大学の教授になられた末永朱胤先生のお父様もまたパリ在住の画家でいらしたのです。その末永胤生画伯は馬の絵を描かれていました。川辺さんは抽象画を描かれています。  さて、「ロス・ア・モエル」はビストロですので隣のテーブルとの間隔は狭く、色々お話を伺わせていただきました。何を食したのかはすっかり忘れてしまいましたが、何のワインを飲んだかはしっかり覚えているのが筆者らしいと言えましょうか。で、やはりワインの話を川辺さんにも尋ねたのをよく覚えています。それは日常、というか毎日どのようなワインを飲んでいらっしゃるのかという質問でした。フランスでは朝はともかく、昼、夜と毎日必ずワインを飲むのが食事の一環と言えます。ご夫妻の答えは、自分たちは手頃なものではあるが必ず瓶のワインを買って飲んでいるというものでした。  ミネラルウォーターよりワインの方が安いと言われていたように、フランスではワインは日用品です。まず、ペットボトルのワインがありました。マルシェなどで、農家が自分たちの造ったワインをペットボトルに詰めて売っていたものです。また、街角のあちこちにあるフランチャイズのワインショップ「ニコラ」では、ワインの量り売りもしていました。ですので、ワインのエチケットにも書かれている瓶詰めされた(ミザン・ブテイユ)ワインと言うのはそれだけでなかなか上等なものと言えるのです。  たった一度の遭逢でしたが、帰り際に名刺をお渡ししたところ、日本で個展を開かれる際、葉書を送って下さるようになりました。銀座松坂屋の別館でずっと開かれていたのですが、松坂屋が閉店してしばらく連絡がなかったのですが、久しぶりに葉書が届きました。やはり、銀座の画廊での開催とのこと。  折角なので、この連載主宰の島田さんのお店の近くということもあり、島田さんをお誘いして伺ったのですが、入れ替わりで帰られたとのことでお目にかかれず仕舞いになってしまいました。お互い随分年を取りましたので、これが今生の別れにならないとよろしいのですが……。  さて、もう一人はフランス人の若い作家クレマン・デュポン氏の「ハーフトーン」と名付けられた個展。こちらは何と柴又の「アトリエ485」で開催されました。五月四日の初日に伺わせていただきました。デュポン氏は筆者が翻訳した『欲望の思考』の著者マキシム・フェルステル氏の甥にあたります。トゥールーズ生まれのフェルステル氏は現在、アメリカの大学でフランス文学を教えています。彼は二度日本を訪れており、一度は千葉大学などで講演を行なっています。そのフェルステル氏から甥が初めて日本で個展を開くので顔を出して欲しいとメールが。  それにしても、帝釈天のある寅さんゆかりの柴又のギャラリーとは。外国の作家を紹介するギャラリーのようですが、他にワイン会やコンサートなど広く多様な目的で活用されているスペースのようでした。調べるとオーナーもフランス人のようです。何となく合点が行きました。外国の作家に日本を感じてもらい、また日本らしい場で作品を展示するのに、外国人だったら「銀座」を選ぶでしょうか。下町情緒あふれる「柴又」こそ、確かに「浅草」ほど観光地化しておらず、しかし賑わいのある街でそれに相応しいのではないでしょうか。 逆に、「銀座」の画廊は「パリ在住の日本人画家」に相応しい発表の場であるように思われます。  デュポン氏はまだ二十代のように思われる若者で、やはりトゥールーズ出身。フェルステル氏の家から十五分ほどのところに実家があるとおっしゃっていました。現在はパリで活動しているとのこと。初めての日本で個展は柴又だけ。全国を旅するそうで、京都では版画を教わると言っていました。作品はシルクスクリーン様なものなのですが、実は点描で色の濃淡をその厚みで表現しているとのこと。本人は「掛け軸」に興味があるらしく、自作が「表装」されるのを意識して、額に入れない展示になっていました。  「銀座」と「柴又」。同じ「東京」という都市でも、それぞれの街には意味があり、同じパリ在住でも日本人とフランス人では自らを位置付ける場が異なっていました。それはグランメゾンがパリの中心にあり、ビストロノミーのパイオニアがパリの端に店を構えたのと似ているように思われます。 ともかくも、お二人のますますのご活躍をお祈りするばかりです。  今月のお薦めワイン 「マルゴーの隠れた逸品〈シャトー・マルキ・ダレスム〉――エレガントな格付けメドックワインを楽しむ――」 「シャトー・マルキ・ダレスム 2019年 ACマルゴー 第三級」8200円(税別)  ローテーションで今回はボルドーを。前回はメドックのサン=ジュリアンの格付けシャトーでした。今回もう一度、メドックの格付けシャトーから選んでみました。今度はACマルゴーです。しかも、第三級。しかし、「小さくてほとんど知られていない」とペパーコーンも書いている「シャトー・マルキ・ダレスム」です。  ACマルゴーは他の村名アペラシオンと異なり、マルゴーの他にカントナック、ラバルド、スーサンの各村、さらにアルサック村の大部分もACマルゴーを名乗ることが出来ます。ですので、複数の村に所有する畑が点在するというケースが多い。この「マルキ・ダレスム」もマルゴー村とスーサン村に畑があります。  実は「シャトー・マルキ・ダレスム」と名乗るようになったのは2009年からで、それ以前は「シャトー・マルキ・ダレスム・ベッカー」という名でした。エチケットも馬蹄型のデザインで個性的、印象深いものでした。同じACマルゴーの第三級、シャトー・マレスコ・サン=テグジュペリを所有するジュジェ家が所有していた時代のことです。  2006年にブルジョワ級のシャトー・ラベゴルスの所有者ペロド家が購入しました。ペロド家は石油の富豪でラベゴルス=ゼデも購入、ラベゴルスに統合するなど着実にその勢力を拡大させています。  筆者はジュジェ時代の「マルキ・ダレスム・ベッカー」を好んでいました。小ぶりですが、実に品よくエレガントな趣でマルゴーらしいスタイリッシュなワインでした。  ペロド家になってからは以前よりカベルネ・ソーヴィニヨンの比率が高くなっているようで、今回紹介させていただく2019年ヴィンテージのセパージュはソーヴィニヨン57%、メルロ37%、プティ・ヴェルド6%とカベルネ・フランは使われていません。新樽率は50 %。樽熟成は18ヶ月とあります。  依然としてネームバリューは高くないので、価格的には前回の第四級のブラネール=デュクリュよりまだ随分お安くなっております。  ペロド家は2014年にシャトーを一新したようです。積極的な設備投資を行なっているようですのでその動向には注目すべき。パーカースコアも高い新たな「マルキ・ダレスム」をこの機会に是非お試しあれ。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE...

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『美食通信』 第四十一回 「場違いなロシア料理店――野比海岸『火の鳥』――」

『美食通信』 第四十一回 「場違いなロシア料理店――野比海岸『火の鳥』――」

 筆者が松重豊氏主演のテレビドラマ『孤独のグルメ』(テレビ東京系)を好んで見ている話をさせていただいたことがあるかと思います。大晦日の特番は必ず見ますし、再放送も時間があるときは何度目でも見てしまいます。どの店も個性的ですが、印象に残る店がいくつかありました。中でもとりわけ気になったのが、鎌倉の由比ガ浜にある「シーキャッスル」という店。名前こそ海岸沿いのサーファー御用達のカフェかと思いきや、何と落ち着いた雰囲気の本格的なドイツ料理店だったのです。しかも、かたせ梨乃さん演じるマダムがちょっと気難しそうでなんともドイツ風。ドイツと言えば、「シュヴァルツ・ヴァルト(黒い森)」と呼ばれる暗いイメージで、ゲーテもニーチェも光を求めて、イタリアへの旅に出たのは有名。つまり、海岸沿いとはまったく「場違い」な雰囲気の店だったのです。  実際はドイツ人のご家族が営まれる店で、筆者は機会があれば是非訪れてみたいと思っていました。ところが二〇二二年の十一月閉店したとのこと。何と六十五年もの歴史ある店だったそうです。ドイツ料理とは縁がない筆者ですが、大学院生時代、お世話になった先生が懇意にしていたシェフがカイテルさんというドイツ人で京王プラザホテルなどで活躍され、ちょうど新宿に「カイテル」という店を開業された(一九八六年)ので何度か伺うことがありました。その「カイテル」もカイテル氏が亡くなった後、奥様が継がれたようですが閉店となったようです。  ああ、「海岸沿い」のドイツ料理店なんて、そう滅多にお目にかかることがないのにかえすがえす残念に思っていたところ、『ミシュラン東京』掲載の「按田餃子」の按田優子さんから思いもよらぬ吉報が。按田さんは筆者が大学での卒論の指導教員を務めたのが縁で今も懇意にさせていただいております。按田さんは数年前、神奈川県三浦市に移住され、一度伺わせていただく話が出た際に、何処か食事をするのに適したレストランはないかと尋ねたところ、野比海岸沿いに「ロシア料理店」があるとのこと。その名も「火の鳥」。おお、「海岸沿い」のドイツ料理店もさることながら、ロシア料理店とはこれまた「場違い」はなはだしい。これは出かけない訳にはいきません。なかなか機会がなかったのですが、この春休み、とうとう出かけることと相成りました。  按田さん曰く、結構昔からあるらしい。調べると確かに一九九五年開店とあり、三十年になるかという老舗。店名の「火の鳥」というのはおそらくロシア人作曲家ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」からでは。一九一〇年、パリでロシア人演出家ディアギレフ率いるバレエ団が初演しました。東京のロシア料理の名店が今はなき芝の「ヴォルガ」をはじめ、新宿「スンガリー」、銀座「ロゴスキー」、六本木「バイカル」、浅草でさえ、「マノス」、「ラルース」、「ストロバヤ」とカタカナ表記のロシア語風なのに対し、「火の鳥」というネーミングは確かにロシアを連想させるもののやっぱり「場違い」感満載。  あいにくの雨模様の日となってしまいましたが、三浦海岸駅から久里浜へと海岸沿いに車を走らせると確かにその店はありました。驚いたのは海に向かって、外壁に「火の鳥」と赤い字で大きく店名が書かれていたこと。それが長年風雨にさらされ、また何とも微妙にかすれているのです。一階のガレージが四台分の駐車場になっていて、向かって一番右のスペースに車を停めたのですが、またまた驚いたのは右端の柱に表札がかかっていたのです。あれ、これは住居でもあるのか。まあ場所柄、当然と言えば当然なのですが、「シーキャッスル」同様家族経営なのだろう、と。  店内に入ると海が見えるよう、鰻の寝床風に上手にテーブルが配置され、厨房にいた中年のシェフらしき男性が明るくいらっしゃいませ、と。接客の同じくらいの年齢のご婦人が奥様なのかな。あれ、老舗なのに。もう代替わりしてしまったのか。と思いきや、厨房にはご老体のシェフの姿も。さらに常連らしき老婦人と皇室話で盛り上がっていたのが大女将であることに気づきました。あと、「研修生」と名札をつけた若い女性がサーヴィスに。  ボルシチにピロシキ、ストロガノフと日本のロシア料理店で出される典型的な料理がメニュに。中でも売りは「壺焼き」らしく、中身のシチューが十種類もありました。ユニークだったのはそれらをコースやセットとして組み合わせたものがこれでもかと何頁も書かれていて、かえって選ぶのが大変だったことです。筆者は主だった料理がすべて楽しめる「スペシャルコース」を選びました。ボルシチ、サラダ、ピロシキ、小さな壺焼き、ハーフサイズのラムステーキにデザートとロシアンティー。他に食べてみたかった「ビーフストロガノフ」を単品で注文して、同行者とシェアしました。以前この連載で取り上げた「ロールキャベツ」はメニュにありませんでした。  筆者はロシア料理では「ピロシキ」が好物で、とりわけ浅草の「ストロバヤ」の「ピロシキ」が気に入っています。ナツメグの効いた挽肉がたっぷり入っていて肉肉しい。「火の鳥」の「ピロシキ」は揚げておらず、バターのたっぷりのパン生地にフィリングを入れ焼いたもの。噛むとジュワっとバターが滲んで中の具と合わさってこれまた美味。しかし、一番気に入ったのは「ラムステーキ」でした。何かにマリネしてあったのか、しっかり火の通ったラムでしたが思ったより柔らかく、これがまた美味しい。玉葱の効いた醬油ベースのソースが絶妙。おそらく「シャリアピンステーキ」のヴァリエーションか、と。歯の悪かったロシアの名バス歌手シャリアピンが来日し、帝国ホテルに泊まった際、シェフが考案した料理。すりおろした玉葱でマリネして柔らかくした牛肉を薄くたたいて、ステーキにし、その玉葱をソースに。「ミニッツステーキ」の応用編。実際、ラムの他に牛肉のステーキもメニュにありました。でも、ここは仔羊をチョイスして正解でした。  ワインはさすがにロシアワイン、といってもほとんどはグルジアワイン、今はジョージアと言っていますが、旧ソ連だった地域のワインは置いてありませんでした。その代わり、黒板に今日のワインとして、赤はスペインのビオワインが載っていましたので、これ幸いと注文した次第。ナヴァラの産で、テンプラニーリョとメルロの混醸。最初、冷え過ぎで味が分からなかったのですが、室温に戻ってくるとなかなかいける。重すぎず、この店の料理にはちょうど良い塩梅。  それほど食べ歩いた訳ではありませんが、都内の有名ロシア料理店に劣らない出来の料理の数々。そんなレストランが何故、こんな海岸沿いに。海水浴姿のお客様は入店お断りと入り口に札がかけられているし。確かに、かたせ梨乃風の近寄りがたいオーラを出すマダムはおらず、アットホームな家族経営のお店で、ご近所さんが気軽にランチに来られるような店ではありました。  別荘地と住宅地の中間、いわゆる「境界例(ボーダーライン)」ともいうべき立地が生み出す不思議な雰囲気が「火の鳥」という名に暗示されているように思われました。按田さんの料理が按田優子という人間のライフスタイルと不可分なように、この三浦の地は独自の文化圏を成しているのではないか、と。 「火の鳥」、今度行ったら筆者は迷うことなく、メニュを決めることが出来るでしょう。その日がまた来ることを願っています。ご馳走さまでした。 今月のお薦めワイン 「トスカーナの最高峰〈ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ〉――多彩なサンジョヴェーゼ種を楽しむ――」 「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ 2017年 DOCG ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ フォッサコッレ」9920円(税別)  今回はイタリアワインの回。前回、ピエモンテ州のネッビオーロ種から造られる「ガッティナラ」を紹介させていただきましたので、今回はイタリアの二大産地のもう一つトスカーナ州のワインを。トスカーナの主要品種は「キャンティ」の主原料となるサンジョヴェーゼ種です。ネッビオーロ種はブルゴーニュのピノ・ノワール種同様、どの地域でも同様ですが、サンジョヴェーゼ種はちょっと事情が異なります。地域によってそれぞれ、その亜種からワインが造られているのです。そして、その最高峰がブルネッロ種で、「十九世紀半ば、フェルッチノ・ビオンディ・サンティによって、モンタルチーノでサンジョヴェーゼ種から分離された力強いクローンで、質的に重要である」とジャンシス・ロビンソンは書いています(『ワイン用葡萄ガイド』、ウォンズ、1999年)。  他のサンジョヴェーゼ種の亜種には、プルニョーロ・ジェンティーレ種から造られる「ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノ」、モレッリーノ種から造られる「モレッリーノ・ディ・スカンザーノ」があります。  そして、ブルネッロ種から造られるのが「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」でサンジョヴェーゼ系の葡萄から造られるワインでは最も高価なものになっています。「力強い構成を持つこのワインは、樽と瓶で熟成して温かみがあり、充分な香味を持つ深いルビー色からレンガ色までの豊かで複雑なブーケのあるワインになる」(バートン・アンダースン『イタリアワイン』、早川書房、2006年)。  また、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは長熟用の造りで飲み頃まで時間がかかることもあり、同じブルネッロ種を用いて、早飲みで値段もより手頃な「ロッソ・ディ・モンタルチーノ」が1980年代から造られるようになっています。筆者は何種類かロッソ・ディ・モンタルチーノを飲んできましたが、どれも味が単純で軽すぎるように思われました。やはり、ここは葡萄品種の特性を最大限に生かした「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」を選ぶべきでしょう。  ということで、今回選んだ「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」はフォッサコッレという、モンタルチーノで最高のロケーションに2.5haを所有する小さな家族経営の造り手のものです。古き良き時代の造りを彷彿とさせる骨太でずっしりとした味わいの逸品をこの機会に是非お試しあれ。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第四十回 「アラカルトで食するフレンチの魅力――「アピシウス」訪問記――」

『美食通信』 第四十回 「アラカルトで食するフレンチの魅力――「アピシウス」訪問記――」

 毎年、この『美食通信』執筆のご褒美に主宰の銀座「The Cloakroom」の島田さんからグランメゾンでの食事に招待していただいております。昨年は、開店間もない銀座七丁目の「トワヴィサージュ」にお連れ下さりました。サーヴィスのユニフォームを島田さんのお店でオーダーで作られたとのこと。素晴らしい店でミシュランでもネットで紹介されたとのこと。おそらく星を取るだろうと予想したところ、その通り今年一つ星を獲得しました。  さて、今年は何処に連れて行って下さるのかと思いきや、有楽町の「アピシウス」を予約されたとのこと。一昨年は開店したばかりの銀座六丁目の「グッチ・オステリア・ダ・マッシモ・ボットゥーラ・トウキョウ」(長い!)でしたし、まさか老舗中の老舗の「アピシウス」とは。その心は「アラカルトで食する」をテーマにしたいと。なるほど。筆者はことある度に現在のグランメゾンでの「お任せコース」を「押し売りコース」と批判し、グランメゾンこそ高い金を払うのだから、自分で食べたいものを決める「アラカルト」こそ理にかなっていると申し上げてきました。また、実際、筆者がパリでグランメゾンを食べ歩いた三十年ほど前はアラカルトが常識だったのですから。  「アピシウス」は一九八三年創業。有楽町の蚕糸会舘の地下一階にあります。銀座の名店「レカン」、「ロオジェ」、「マキシム」などよりは一世代後の老舗となります。高橋徳男氏がシェフだった一九九五年、見田盛夫氏の『エピキュリアン』(講談社)で東京(即ち日本)最高峰のフレンチと称賛されています。筆者は世紀が変わる二〇〇〇年頃訪れたことがあるのですが、個室での会食でしたのでメインのホールは今回初めて拝見しました。ただ、この時はすでにシェフが交代し、見田氏も二つ星に格下げし、「サーヴィスにも緊張感がとぼしく、皿の上にも綿密な配慮にもとづいたバランスが感じられないものが多かった」と評しています(同氏、『エピキュリアン2000』、丸善)。  今回四半世紀ぶりの訪問となるのですが、近年、「アピシウス」の評判は再浮上し、二〇二四年版の『ミシュラン東京』に星こそ付いていないものの掲載されるに至っています。ただ、調べるとシェフはベテランで高橋門下の「アピシウス」一筋の方のようですし、ある種の温故知新なのではないかと予想されました。それでも「アラカルト」でいただけるというのはワクワクするものです。メニュを開いて、料理を決めるのは想像力=創造力を働かせる必要があります。たとえ、オードブル、メイン、デセールの三皿であってもそれぞれ何種類かある料理の中から組み合わせるのですから、その可能性は何十、いや何百通りもあり得るからです。  また、ご一緒する方が何を選ばれるかも気になるところです。別にまったく同じチョイスになったとしても構いません。重要なのは自分が一番食べたいものを頼むことです。そうすると意外に同じものを頼むケースは少なくなります。実際、筆者と島田さんのチョイスはまったく被りませんでした。オードブルに島田さんはフォアグラのテリーヌを、筆者は同じフォアグラでもポワレをチョイスしました。筆者はフォアグラは火が通った方が好きです。というか、もう温製でないと食べたくないかも。  さて、次はもうメインでよいのですが、メニュに季節のお薦めという項があり、ホワイトアスパラガスのオランデーズソースがありましたので、口直し程度に一本ずつ頼んでみました。ここは島田さんにお付き合いいただいた次第。料理はまったくのクラシックで丁寧な仕事ですがこの二皿は普通の出来。もちろん、悪くはないが閃きはない、といった感じ。メインは島田さんが子羊で筆者はシャラン鴨のサルミソース。このサルミソースは良かった。鴨の血のソースなのですが豚の血も混ぜているとのこと。何が良いかというとソースの味がまず良かった。滑らかで味が強くはないがコク深く飽きがこない。それが皿一面に敷きつめられた薄切りされた鴨肉にこれでもかとかけられて出てくる。この薄切り具合がまた絶妙。ソースと絡めてちょうど一口で食べられる。これは素晴らしい古典の再現でした。  次はデセールで良かったのですがワインがまだ余っていましたので、フロマージュを少々。これも種類が豊富で各々二種類ずつ頼みましたがやはり被りませんでした。デセールは懐かしいグランデセールがワゴンで登場。何種類ものケーキをお好きなだけどうぞというスタイル。ただ、筆者はこのスタイルはもう必要ないかと思っています。デセールとはいえ、やはり皿で勝負するべきだ、と。実際、いにしえのパリでもそうでした。で、デセールのメニュを取り寄せるとやはりあるではありませんか。パティシエは別の方のようで、これもまた昔ながらのグランメゾン。あるいはホテル方式と言えましょうか。島田さんはフロマージュムース。筆者はフォンダン・ショコラ。まあ、これは及第点といったところ。  さて、今回最大の収穫はやはりワインではなかったかと思われます。立派なワインリスト。見田氏はとりわけボルドーワインの揃いが良いと書かれていましたがそれは今も変わらないようです。島田さんが余り飲まれませんので食前酒などはやめて、ボトルで頼んで最初から楽しむことに。筆者はブルゴーニュが飲みたかったのですが、こちらもなかなかのもの。グランメゾンですから二万円からになりますが、ブルゴーニュのグランクリュのワインでも二万円台があるのには驚きました。レストランのワインは小売価格の二倍というのが通例ですが、近年ブルゴーニュは高騰していますので、カーヴに寝かせておいたワインをレストランで飲んだ方が安いという逆説が今回筆者が選んだワインに当てはまることに。  筆者が選んだのはモレ=サン=ドニ村のグランクリュ「クロ・ド・ラ・ロシュ」の2013年。造り手はマルシャン・フレールで三万六千円ほどでした。「クロ・ド・ラ・ロシュ」には他に二万円台、八万円台、九万円台と全部で四アイテムあり、すべて造り手が異なっていました。ブルゴーニュの場合、造り手によって価格がまったく異なってくる好例です。マルシャン・フレールは筆者の好きな造り手で価格も良心的。「クロ・ド・ラ・ロシュ」には4アールのみ所有しており、毎年一樽300本しか造っていません。ちなみに最新の2021年ヴィンテージは小売価格五万円です。  さて、最後にグランメゾンの評価の大きな要因であるサーヴィスについて。四半世紀前の見田氏の苦言もまずサーヴィスに向けられていたことを忘れてはいけません。筆者の評価はくしくも島田さんがサーヴィスの服装を評価されたことに合致します。さすがファッションのプロ。筆者とは視点が異なりますが本質を見抜かれていました。島田さんはサーヴィスのユニフォームが合羽橋辺りで売られている既製品でフィットしておらず、靴も安っぽくていけないとおっしゃったのです。  確かにホールは満席で客の数はそれなりに多かったのですが、サーヴィスの数が多すぎる気がしました。ばたばたした感じがしました。また、一通り片付くとホールの外で突っ立って皆で談笑しているではありませんか。まさに「緊張感が足りない」。黒服に加えて、白服の「コミ(助手)」というスタイルは昨今見かけず貴重な「型」なのかもしれませんが、形だけ整えても内実が伴わなければ形式「美」にはなりえないのです。  くしくも『ミシュラン』が星を付けなかったのも致し方ないと言わざるを得ません。調度は贅沢で雰囲気はノスタルジック。確かに魅力的で貴重な経験ではありますが、絶滅危惧種を「見学」に行くようなそんな趣の食事でした。それにしても満席とは。島田さんに心から感謝します。四半世紀前から変わらず筆者には縁遠い世界だと痛感した次第です。 今月のお薦めワイン 「コート・ドールの村名ワインを楽しむ――コート・ド・ニュイ最大の産地〈ジュヴレ=シャンベルタン〉はいかが?――」 「ジュヴレ=シャンベルタン メ・ファヴォリット 2021年 AC ジュヴレ=シャンベルタン エリック&ジャン=リュック・ビュルゲ」16500円(税別)   ブルゴーニュの赤を飲もうと思ったとき、やはりコート・ドールのワインに尽きると思われます。しかも、その中で北側のコート・ド・ニュイと南側のコート・ド・ボーヌだったら、やはりニュイのワインではないか、と。これはボルドーであれば、左岸のメドックか、右岸のリブールヌかという好みの選択に似ています。ただ、ボルドーであれば、メドックはカベルネ・ソーヴィニヨンが主で、リブールヌはメルロが主という葡萄品種そのものの違いがあるのに対し、ブルゴーニュはあくまでどれもピノ・ノワール100%ですから、その微妙な差異が好みを左右するという「繊細さの精神」(パスカル)が重要性を持っています。  しかも、ニュイのワインと言ってもメドックのようにアペラシオンが複数あります。どの村にするかが問題。しかも、ブルゴーニュは明らかにボルドーより高価。筆者のような貧乏大学講師が手を出すべきではないのですが、それでもそれなりの楽しみ方があるかと思います。  それはグランクリュやプルミエクリュ、さらに畑名ワインも無視して、村名ワインに特化して楽しむという手法。ボルドーはシャトー別ですが、ブルゴーニュの魅力は造り手の数が膨大であること。つまり、同じ村名ワインでも造り手が多いのでそれさえ網羅するのは難しいかと思われます。  で、筆者が今、好んで探しているのがニュイ最大の産地、ジュヴレ=シャンベルタンの村名ワインです。しかも村名ワインはだいたい二種類造られていて、スタンダードなキュヴェの上に、古樹の葡萄を厳選して造られた「ヴィエイユ・ヴィーニュ(V.V.)」と記されたキュヴェがあるはずです。  今回選んだエリック&ジャン=リュック・ビュルゲでは「サンフォニー」とこの「メ・ファヴォリット」の二種類の村名ワインを造っていますが「メ・ファヴォリット」が「ヴィエイユ・ヴィーニュ」に相当し、所有する二十六区画の平均樹齢七十年にもなる葡萄を使用し、除梗して醸造、新樽30%で二十ヶ月の長期熟成。  ドメーヌは1974年、アラン・ビュルゲが設立。ジュヴレ=シャンベルタンの代表的造り手として名声を博します。現在は子息のジャン=リュックとその息子で孫のエリックの名を冠したエリック&ジャン=リュック・ビュルゲとエチケットに記しています。アランの時代より有機農法を実践し、「自然との共存」をコンセプトに2013年からはビオディナミを採用しています。現在でも7haの所有で、他には少量のネゴシアン物のヴォーヌ=ロマネ等を生産するのみで丁寧なワイン造りを続けています。  是非この機会に魅力的なジュヴレ=シャンベルタンの逸品をお試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第三十九回 「魅惑のロールキャベツ――おふくろの味から高級フレンチまで――」

『美食通信』 第三十九回 「魅惑のロールキャベツ――おふくろの味から高級フレンチまで――」

 今年初めての元代々木町「シャントレル」での食事を前に中田シェフから「メインはシューファルシということで」とのメールが入りました。寒い冬の時期、シャントレル定番のメイン料理の一つにこの「シューファルシ」があります。「シューファルシ」はフランスオーベルニュ地方の郷土料理でキャベツを丸ごと使ったロールキャベツのこと。シェフが修業されたオーベルニュ地方サンボネ・ル・フロワ村にある三つ星レストラン「レジス・マルコン」のスペシャリテ。キャベツに挟むひき肉はマルコンでは豚肉なれど、福島県川俣町の「川俣シャモ」を用いているところが中田流。さらに鶏肉ではオイリーさが足りないのでフォアグラを忍ばせるところが憎い。身も心も温まる逸品。  しかし、思い起こせばロールキャベツというのはまさに「おふくろの味」。筆者が子供の頃、必ず食卓に上ることのある料理でした。ゆがいたキャベツで俵状のひき肉を包んで楊枝で止めて、水に溶かした固形コンソメでコトコトと煮込む。それだけ。だいたい肉よりキャベツの量の方が多くて、何か損した気持ちになったものでした。ですので、ナイフとフォークで食べるにしてもキャベツとひき肉を一緒に食することなど稀で、コンソメと肉の味の滲みたキャベツを一口分に切り分け、まずそれを平らげ、むき出しにされた可愛らしいひき肉の残骸を半分か三等分にして食し、最後に残ったスープをいただくといった手順。肉の旨味を充分吸った甘みのあるキャベツがメインの食べ物であることは子供心にも何となく分かるも、やっぱり肉が恋しい気持ちになったものです。  マルコンの流れを汲む中田シェフの「シューファルシ」ももとはと言えば、フランスの田舎の家庭料理を芸術品にまで高めたもの。ただ、筆者はこの「シューファルシ」から今は亡き母のロールキャベツを懐かしく連想することはありません。あれはまったく別物だ。筆者の母は外食を好まず、来客があっても店屋物(出前)をとることは滅多にありませんでした。別に料理上手というほどのことはないと思うのですが、自分の作ったものを子供に食べさせるという信念があったらしいことは、亡くなった後の叔母たちの話からも明白なようです。ですから、今でも筆者はどうしてももう一度食べたいものがあるとすれば、母の作ったある料理に尽きると思っています。「ロールキャベツ」ではないのですが、「おふくろの味」というのは別格なのです。  そんな「おふくろの味」の一つである「ロールキャベツ」などお金を払って外で食べるものではないと当初筆者は考えていたように思います。それを覆すことになったのは、大学生になって、友人に安くて美味しいものがあるから食べに行こうと誘われて、新宿の「アカシア」という店に連れて行かれたときのことでした。今調べてみると洋食屋でハヤシライスやカレー、ポークソテーやクリームコロッケもあるようですが、半世紀近く前に出かけた際は「ロールキャベツ」しかないと思っていました。誰もが「ロールキャベツ」を頼んでいたからです。しかも、その「ロールキャベツ」はコンソメ仕立てではなく、白いシチュー仕立てでした。しかも、安い。「ロールキャベツシチュー」にご飯が付いて、四百円しなかったのでは。美味しいかと言えば、筆者はあまり感動しませんでした。ただただ、「ロールキャベツ」が外食になっているのに驚いた。カルチャーショックでした。  当時、メニュが一つきりということで覚えているのは渋谷百軒店(だな)にある「ムルギー」というカレーの老舗です。筆者は「ライオン」というクラシック喫茶によく出かけていて、そのすぐ近くに「ムルギー」はあり、ついでに寄ってしまう。それは怖い物見たさと言った風で。とにかく店内が暗いのです。厨房だけが妙に明るく、店内の照明はその明かりだけで賄っていたのでは。暗がりを恐る恐る空いたテーブルに座ると、ご老体が水の入ったコップを持って登場し、ボソッと「ムルギー卵入りですね」とおっしゃる。か細い声ながら有無を言わせぬ無言の圧力があり、「はい」と答えざるを得ない。確か店の入り口には何種類かのカレーが書いてあったようななかったような。もう、どうでも良い。出てきたカレーにまたビックリ。ご飯がピラミッド型に盛られているのです。カレールーの味もインド風でもなければ、欧風でもない。茹で卵が乗っているし。当時はネットも何もないので、本か何かで調べたのだと思いますが、老夫婦が営んでおられ、ご夫人が厨房を担当。御主人が第二次世界大戦中赴いたインドネシアで食べたカレーを再現したものらしい。これも美味しいかどうかはよく分からないのですが、あの雰囲気がクセになってしまい、結構出かけました。もちろん、「ムルギー卵入りですね」を聞きたくて。驚くべきは代替わりしたとはいえ、「ムルギー」も「ライオン」も健在なこと。新宿「アカシア」もそうですが、老舗恐るべしです。  閑話休題。さて、あと「ロ―ルキャベツ」が名物なのは「ロシア料理」。こちらはトマト味にサワークリーム。これも何だか怪しいのですが、東京で「ロシア料理」店といえば、浅草。筆者が何度か訪れたのも浅草の「ストロバヤ」です。これは今回調べたのですが、赤坂のロシア料理店で修業した方が浅草で「マノス」を開店。「マノス」出身の料理人たちが同じ浅草で「ストロバヤ」、「ラルース」、「ボナフェスタ」を開店。この四店が老舗であるとのこと。下町の「ロシア料理店」は同じ浅草の「洋食店」、例えば「ヨシカミ」、「グリルグランド」、「リスボン」といった店と似た趣があります。洗練さよりも親しみやすさ、本格的なロシア料理ではなく、日本風にアレンジメントされたもの。フランス料理ではなく、あくまで「洋食」であること。この怪しさがまた魅力的なのですが。なかなか高価な「ロールキャベツ」を食することが出来ます。  結局のところ、「ロールキャベツ」はノスタルジックな料理なのかも。しかも、ちょっとマージナルな(周辺的な)趣が。新宿の安くて美味しい老舗洋食。浅草のロシア料理店。それにフランスの片田舎の郷土料理、と。しかも、意外にも高級フランス料理店で食した「シューファルシ」がシンプルな澄んだスープ仕立てで、家で食していたものに一番近い。巡り巡って、行きつく先は「おふくろの味」ということかもしれません。 今月のお薦めワイン 「メドックの秀逸なる次席〈サン=ジュリアン〉――隠れたる第四級の逸品〈シャトー・ブラネール=デュクリュ〉――」 「シャトー・ブラネール=デュクリュ 2018年 ACサン=ジュリアン 第四級」12000円(税別)   ブルゴーニュ、イタリア、そしてこのクールの最後はボルドーワインです。筆者はワインを本格的に嗜もうと思った際、ボルドーワインを極めることがそれに相応しい方途(メソッド)であると考え、四半世紀近くそれを貫き通しました。ただ、ここ数年はブルゴーニュに関心があります。年を取り、酒量もめっきり減り、重いワインが辛くなってきたからです。それでも長年親しんだボルドーワインへの敬意は変わりありません。ということで、まずはボルドーを代表するメドックの格付けワインから紹介させていただきたく思います。  ボルドーと言えば、五大シャトー。この五大は1855年のメドック格付け(一級から五級)で第一級を獲得した四つのシャトーに、例外的に1973年第二級から昇格したシャトー・ムートン=ロートシルトを加えたもの。筆者がボルドーに決めたのもムートンの1984年に感動したからでした。  格付けされたワインを産するのは四つの村と一つの広域のアペラシオン(オー=メドック)に限られ、第一級はポイヤックとマルゴーだけ(オー=ブリオンは例外でメドックではなくグラーヴのワイン)。第二級になるとサン=ジュリアンとサン=テステフも登場し、オー=メドックは第三級以下になります。  今回紹介させていただくシャトー・ブラネール=デュクリュはサン=ジュリアンの第四級。サン=ジュリアンは第一級こそないものの第二級が五シャトーもあり、そのすべてがスーパーセカンドと呼ばれる第一級に迫る優れもの。色は青インクのように濃く、色を見ただけでサン=ジュリアンと分かる。タンニンのしっかりしたタイトな造りは堂々たるポイヤックとは対照的ながらどちらも品格がある。女性的なマルゴー、土っぽさを感じるサン=テステフ、ニュートラルなオー=メドックとそれぞれが個性的。  ブラネール=デュクリュは色、香り、味わいのすべてに「チョコレートに似た風味」を持つというサン=ジュリアンの中の個性派。固い感じのワインが多いサン=ジュリアンでしなやかさを有し、比較的早くから美味しく飲めるというメリットも。筆者が愛好するシャトーの一つで、パリで二十世紀最大のグレイトヴィンテージの一つ、1945年を購入し開けたこともあります。 サン=ジュリアンの「偉大さ」より「魅力」をお求めなら、迷わずブラネール=デュクリュを選ばれることです。という訳で、今回はグレイトヴィンテージですのでまだちょっと早いかもしれない2018年を選んでみました。今飲んでも良し、もう少し寝かせてから飲んでも良し。この機会に是非、その魅力を体験していただければ幸いです。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP  

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『美食通信』第三十八回 「例外的なラーメン食――島田「ル・デッサン」――」

『美食通信』第三十八回 「例外的なラーメン食――島田「ル・デッサン」――」

 事ある毎にお伝えしていると思いますが筆者は「グルメ」ではありません。グルメには類語に「グルマン」があり大食漢という意味からも、美味しいものであれば何でも食べるのが好きというニュアンスだと思います。それに対し、「美食」は「ガストロノミー」、「ガストン」が胃を意味し「食べること」ととしたら、「ノミー」は「ノモス」=法、「律すること」であり、「ガストロノミー」は「食を律すること」即ち「テイスティング」であると筆者は考えます。  筆者は外食を好みませんし、外食するとしたら、基本フランス料理あるいはフランスワインを嗜むことと決めております。「美食」とはある種の専門性を持つものではないでしょうか。フランス料理のシェフがフランス料理を極めようとするなら、それを食する方もフランス料理を食することを極めようと応えるべきでは。これが「美食」であり、食する方は何でも食い散らかしてよいという訳ではありません。  筆者は自宅でフランス料理を食することはありませんが、食後に必ずデセールをいただきます。そこでいつの頃からか、主食の炭水化物を摂らないようになりました。米、パン、麺類。パンを少しは食べますが、例えば、大学での昼食に時間もないので菓子パンをかじったり、ホテルの朝食でクロワッサンを一つくらいとか、まあそんなものです。いわゆる「おかずっ食い」というやつです。  カレーは好物で一週間に一度は自宅で夕食にカレーを食しますが、決まった銘柄のレトルトカレー四種をローテーションで食べています。もちろん、ルーだけであとは野菜系の副菜を食して終わり。デセールがありますので。フランス料理以外の外食で鰻が好みなのも、蒲焼だけ頼めるからです。鰻重は食しません。イタリアンが悩ましいのは料理的には好みなのですがパスタが食べきれないので、一口くらいテイスティングさせていただき、あとは同行者に食べてもらうしかありません。生ものは元々それほど好みではなく、フランス料理を選んだのも基本火が通ったもの、即ち手を加え調理したものがフランス料理の文化だったからでしょう。  ですので胃にもたれる麺類を食することが一番ありません。その中でも滅多に食べないのがラーメンです。何が駄目なのかと言えば、スープの中に麺が浮かんでいるのが許せないのです。パスタはソースにあえてあるのでまだ食べてみたい。蕎麦は軽いので「ざる」ならまだいける。うどんもぶっかけなら少々。ラーメンはスープが命でしょうから、それも麺も残して具だけ食べる訳にもいかず、何とも縁がなさそうな食べ物であることよ。  もちろん、子供の頃は食べていました。インスタントラーメン全盛期の生まれですので。カップヌードルが登場した時は驚きましたが、正直美味しいと思ったことはありません。インスタントラーメンでもう一度食べてみたいと思うのは明星の「劉昌麺(りゅうしょうめん)」です。あくまでスープが他の銘柄と比べて断トツに美味しく思えたからです。まだ諏訪に住んでいた一九七〇年初めの頃の話です。  そんな筆者がラーメンを食する機会をこのところ年一、二回持つようになっています。それは静岡県の島田市にある「ル・デッサン」というラーメン店に出かけるようになったからです。両親が亡くなった後、二人の故郷の静岡市に年に一、二度出かけるようにしているのですがその折、市内にある「カワサキ」というフレンチに出かけています。『ゴ・エ・ミヨ』でミシュランの一つ星に相当する三トック(コック帽)を獲得している名店です。何故か〆にラーメンが出るのでどうしてか、店主の河崎シェフに尋ねたところ、島田の「ル・デッサン」で教わって出しているとのこと。「ル・デッサン」という名前に聞き覚えがあったので、あの増田シェフの「ル・デッサン」と確かめたところ、そうである、と。 「ル・デッサン」というのはもう四半世紀近く前になりましょうか、都営地下鉄大江戸線が開業となった際、新設の牛込柳町駅近くに開業したフランス料理店でした。壁には増田シェフが描かれた絵が飾られている小洒落た店で奥様の暖かいサーヴィスと共に人気の店で筆者もよく通ったものです。ただ、筆者は二〇〇五年に大病をして、九死に一生を得たもののしばらく外出を極力控えねばならなくなりました。そのうち、気づくと「ル・デッサン」は閉店しており、増田シェフご一家は実家のある島田市に帰られたという話を聞いたのです。  筆者はフレンチ以外のことに疎いので、まさか島田に戻られた増田シェフがラーメン店を開かれたとは露知らず。しかもフレンチの時と同じ「ル・デッサン」を名乗られているとは。しかし、事情が分かると納得の行くことばかりで。元々、静岡市のお隣の藤枝市やさらにそのお隣の島田市には「朝ラー」と呼ばれる朝食にラーメンを食する習慣があり、ラーメン店の激戦区であるとのこと。実際、「ル・デッサン」は朝七時から午後一時までの営業で麺が無くなり次第、閉店になります。さらに、増田シェフのラーメンの出汁はホロホロ鳥、鴨などフランス料理の出汁をベースにしたもので牛込柳町時代の延長線上にあることが分かります。  そのような唯一無二(ユニーク)のラーメンは全国区の名店と評価され、この年明け一月十八日放映のTBSテレビでの「今一番美味しいラーメン決定戦!神の舌が選ぶ全国TOP30!最強ラーメン番付SHOW」にもホロホロ鳥の醤油ラーメンが取り上げられ、十五位にランクインしました。  筆者はこの番組を観ようかと思ったのですが、審査委員の一人が場違いで納得が行かなかったので見るのをやめました。ラーメンは専門の評論家が多数いらして、一人は石神某氏とまあ良かったのですが。ここは複数のラーメン専門家にきっちり判定してもらいたかったのに残念です。フランス料理はもっと悲惨で、日本では故見田盛夫氏以外、まともな評論家が皆無という状況。筆者が求めているのは料理評論家ではなく、あくまでフランス専門の評論家の必要性であることを誤解なきよう。  さて、増田シェフご夫妻のご尊顔を拝したく、筆者は島田に朝早くから出かけるのですが、何せこの時以外ラーメンを食しませんので何を選ぶかが至難の業で。というのも、スープの中に麺が浮かんでいるのが許せない筆者としては、同伴者の食するホロホロ鳥だのホタテだののスープは一口テイスティングさせていただきますが自分が選ぶことはなく……。唯一の救いは「まぜそば」でいつもこれを頼んでしまいます。ラーメン通からすれば、邪道かもしれませんがこれがなかなかの美味。花かつおがこれでもかと一面を覆った和のベースにオイスターソースやごま油と中華の要素も加わって旨味満載。筆者でも半分は食することが出来ます。この夏は「冷やし中華」に挑戦しました。アボカド、オリーブオイルで作られたマヨネーズと見た目もフレンチ風でこれも実に美味でした。  この三月に按田餃子の按田優子さんたちと静岡に出かける予定ですので、当然「ル・デッサン」にもお邪魔させていただきます。今度もまた新たなメニュにチャレンジしようと思っていますがまたまた傍流の変化球的なものになってしまうのだけは確かです。それでも多彩な球種を用意して下さっている増田シェフといつも暖かな出迎えをして下さる奥様に心から感謝する次第です。これまでも行列が出来る店ですので、ますます待ち時間が増えませんように。筆者は基本、予約なしに店に出かけることはなく、並んでまで食べるのは苦手ですから。 今月のお薦めワイン 「ネッビオーロはバローロ・バルバレスコだけではない――ピエモンテの逸品〈ガッティナラ〉――」 「ガッティナラ 2017年 DOCG ガッティナラ アンツィヴィーノ」 6620円(税別)   ブルゴーニュの次はボルドーと行きたいところですが、間にイタリアワインを挟んでボルドーの順に四クールしたいと思います。  さて、すでにイタリアのブルゴーニュに相当するのがピエモンテ州のネッビオーロ種100%で造られるワインであることは説明済みです。実際、ブルゴーニュが「ワインの王」と呼ばれているように、バローロが「イタリアワインの王」と呼ばれていることも。ただし、バローロはピエモンテの一村の名であり、ブルゴーニュで言えば、ヴォーヌ=ロマネのようなもの。これもまた、バローロにバルバレスコと言われますし、ブルゴーニュならさしずめジュヴレ=シャンベルタンと言ったところでしょうか。  しかも、バローロ、バルバレスコはピエモンテ州の南部に位置し、北部にもネッビオーロ種100%で造られる銘酒があり、「ゲンメ」に関しては名手ロヴェロッティの逸品を紹介させていただきました。実は北部にはもう一つ重要な地区があります。それが「ガッティナラ」です。という訳で今回は「ガッティナラ」を紹介させてください。  ブルゴーニュのコート・ドールでは北部のニュイの方が赤の銘酒に適しており、南部のボーヌはコルトン、ポマール、ヴォルネを擁するものの白ワインの銘酒の産地であったのに対し、ピエモンテでは南部アルバ地区のバローロ、バルバレスコばかりがクローズアップされて、北部のゲンメやガッティナラに陽が当たらないのは残念。  アンダースンは『イタリアワイン』でガッティナラを「菫の花の香りを持ち、鼻にはタール臭が感じられる。ソフトで後口にアーモンドの苦味が残る」とその特徴を書いています。  今回ご紹介するのは「アンツィヴィーノ」という1999年創業の新しいカンティーナのもの。ミラノから移り住んだオーナーは蒸留酒製造に使われていた古い修道院を購入し、伝統的な手法でワイン造りを行なっています。具体的には熟成はスロヴェニア産の大樽で三年、さらに瓶熟で一年といったように。ドライでアロマ、味わいにミネラルなどの複雑さがあり、それでいて、酸とタンニンのバランスは良く上品な仕上がり。  この機会に是非、ネッビオーロの多彩なポテンシャリティの一端をお楽しみいただければ幸いです。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第三十七回 「昼のご馳走『鰻』――サクッと食べる贅沢な時間――」

『美食通信』第三十七回 「昼のご馳走『鰻』――サクッと食べる贅沢な時間――」

 この『美食通信』も四年目に入りました。主宰のThe Cloakroomの島田さん、また読者の皆様には引き続きのご贔屓どうかよろしくお願いたします。  さて、昨年に続き十二月の初め、栃木県大田原市にお住まいの大学院時代の先輩、M女史に会いに出かけました。昨年は那須の「レストラン・クエリ」でランチしましたが、今年はMさんのリクエストで芦野町にある「丁子屋」で鰻を食することになりました。大田原からは車で一時間弱、現在は那須町に属するのですが、同じ那須町でも別荘地として有名な那須高原は新幹線を挟んで反対側で、同じ山の中なれどこちらは鄙びた感じの旧奥州街道沿いに「丁子屋」はありました。M女史は子供の頃、「丁子屋」の真向かいにあった公証役場でお父様が所長をされており、役場の裏の社宅に住んでいたそうです。現在は更地となって町営の無料駐車場に。そこに車を停めて、「丁子屋」へ。週末は予約が必要な名店とのこと。  品書きは鰻重と蒲焼、白焼のみと酒のつまみもほぼ皆無に近く、何と潔いことよ。筆者は銘柄不明の冷酒一合に蒲焼、冷奴というシンプルな選択。蒸しが弱めで身がしっかりとしており、食べ応えのある蒲焼でした。  それにしてもこんな山の中に鰻屋とは。元々は旅籠として江戸時代から三百年以上の歴史があるそうで、鰻は近くに奈良川があるからとのこと。そう言えば、高知の四万十川の鰻は有名です。関東も坂東太郎、利根川を始め、多くの河川があるので鰻はあちこちで名物に。埼玉では浦和、川越。千葉では成田や佐原などなど。成田は新勝寺の参道沿いに鰻屋がずらっと軒を並べ、「川豊」、「駿河屋」といった名店が。  佐原は利根川べりですので、伊能忠敬旧邸周辺の昔の街並みを散策した後は鰻を食するのが常道でしょう。筆者は日帰りの他にも旧家をリノベーションした「ニッポニア」に何回か宿泊したことがあり、ディナーは付属のレストランでフレンチですが、翌日の昼はやはり鰻を食べました。「山田」が有名なようですが、筆者のお薦めは街並みからは離れてしまうのですが、まさに利根川ベリにある「麻生屋本店」です。工場のようなビルで趣はありませんが、一階で座敷に上がって鰻をいただくことができます。観光地から離れているので比較的空いているのと、蒲焼、白焼の他に「塩焼」があり、これが絶品です。見た目は白焼に似ているのですが、こちらはそのまま塩焼にするというなかなか野趣味ある一品。蒸していないので鰻に油がのっていて、なかなか食べ応えがあります。  思えば、筆者が子供の頃、ご馳走と言えば「鰻」でした。半世紀以上前、幼稚園から小学校四年生まで筆者は長野県の上諏訪市に住んでいたのですが、当時、家族での外食といえば、父の勤めていた銀行のすぐ脇にあった「寿司金」か、湖畔の方にしばし歩いたところにある鰻の「おび川」でした。「寿司金」はカウンターで、子供が食べるのはせいぜい巻物や海老、穴子、玉子といったところで、筆者の好物はその原型を知らない「蝦蛄(しゃこ)」でした。海老のように火が通っていて、穴子のような甘いツメがかかっている。それに比べ、「おび川」は二階に上がった座敷で大人も子供も同じ「鰻重」をいただくので、子供ながらに「おび川」に連れて行ってもらう方がご馳走感があり、嬉しく思ったものでした。数年前、四十年ぶりくらいに諏訪を訪れる機会を得ました。中学生の頃、父と一度出かけて以来です。「寿司金」も「おび川」も健在でした。「おび川」は昔のままの佇まいで、旅の終わりに昼に鰻をいただいて帰りました。焼きがしっかりしていて、味も濃く、子供の頃食べていたのはこんな鰻だったのかと感慨深いものがありました。  諏訪から神戸に引っ越したのですが、神戸で鰻を食した記憶がありません。穴子や鱧の押し寿司はいただきましたが。父がお土産に何処かからいただいてきた鱧の押し寿司は絶品でした。神戸での外食はやはりステーキが多かったです。印象に残っているのは父が「加美乃素」の偉い方とご一緒し美味しかったといって、来客があった際連れて行ってくれた「いかりや」でした。ステーキソースではなく、一口にカットされた肉をぽん酢でいただいたのは初めてでその美味しさに子供ながらに驚いたのをよく覚えています。この店も健在のようでさすが老舗と感心しました。和食で外食に出かけたのは「うどんすき」くらいでした。ポートタワーにあった「美々卯」に連れて行ってもらい美味しかったのでリクエストしたのですが高価だったのか「美々卯」は時々で、名前を逸しましたが新神戸駅近くの別の店によく出かけたものでした。  やはり、鰻さらには寿司は関東風が良かったのでしょう。しかし、思えば、筆者の亡き両親は共に静岡市生まれだったのですが、静岡で鰻を食したことがありませんでした。まあ、鰻は浜松が有名で静岡と浜松では同じ静岡県でも歴史的には藩が異なり、文化圏も異なっているからでしょうか。やはり駿河湾は魚介が豊富で、子供の頃、母方の祖母は料理が上手で、家に出入りの行商のおばさんが毎日来て、祖母が見繕って料理してくれ、寿司も家で手作りでしたので鰻の出番がなかったのでしょう。夜が和食でしたので、子供の頃の母方の祖父とのランチはもっぱら「グリル中島屋」で洋食でした。  両親が亡くなり、静岡に住んだことのない筆者はある種の郷愁もあり、年に何回か実家に出かけることがあるのですが、筆者の場合夜はフレンチですので、昼に何を食そうかと考えた時、鰻はどうかと思い、探したところ素晴らしい料理屋を見つけました。  現在は静岡市に合併した清水にある、旧東海道沿い、やはり街道沿いの筆者の好物の「追分羊羹」本店からしばらく静岡方向に向かうとある老舗の割烹「芳川」です。清水の次郎長や西郷隆盛も訪れたという料理屋で鰻が自慢ですが、他の料理も色々とあります。何が素晴らしいかというと素敵な中庭を眺めながら個室の和室で食する鰻は上品で格調高い。それで価格は普通の鰻屋と変わらない。今や栃木でも佐原でも5000円弱というのが相場で、あの空間で同じくらいの価格なら正直安いくらいです。  本来、鰻は鰻重の場合、焼き上がるまでに時間はかかるものの料理が出てくれば、お重をかき込む感じになります。「丁子屋」でも同じ部屋の先に来られていたお客様たちもお重が出てくると三十分もかからず、皆いなくなっていきました。筆者は蒲焼を肴に日本酒をちびちびやっているのですが、お重を食される方たちが食べ終わるまで焼きの待ち時間を含め一時間ほどでしょうか。「竹葉亭」や「野田岩」で鰻のコースでも食するなら別ですが、ディナーで何時間も座を温める料理ではありません。ちょっとした旅行や週末の昼を贅沢に過ごしたい時、「鰻」は最適のご馳走ではないでしょうか。次にいつ何処で「鰻」を食することになるのか。筆者はいつも楽しみにしております。 今月のお薦めワイン 「新たな年を祝って――シャンパーニュで乾杯――」 「クロエ AC シャンパーニュ ドメーヌ・ヴァンサン・クーシュ」 12000円(税別)   『美食通信』も四年目に入りました。この三年間、「今月のお薦めワイン」のコーナーはフランスとイタリアのワインに関してそれぞれを比較、類推させ、システマティックに概観して参りました。両国の主要なワインに関してはおおよそ網羅できたと自負しております。  そこで今年は筆者の飲んでみたいワインをブルゴーニュ、ボルドー、イタリアと三つのグループに限ってローテーション的に紹介させていただこうと思います。  フランス料理に関しては大学に入ってすぐから愛好家となり、半世紀近くになりますが、ワインはそれに遅れて十年ほど、一九九〇年代半ばパリに海外研究に出かけることになった頃からボルドーワインに特化して傾倒して参りました。その成果は現在、Facebookにて「エチケットは語る」という形で紹介させていただいております。  また、ここ十年近くは筆者も年を取ったのと、元代々木町「シャントレル」の中田シェフとの出会いからブルゴーニュワインに関心が移っています。さらにこのコーナーに協力下さっているイタリアワイン専門のインポーター「アビコ」の阿掛社長とも懇意にさせていただいており、イタリアワインにも貴重な体験を多々重ねることが出来ました。  そこで今年は筆者の心の赴くまま、まさに「お薦め」ワインを紹介させていただければと思う次第です。  といいつつ、最初から例外で申し訳ありませんが初回はブルゴーニュではなく、代わりにシャンパーニュでございます。まあ、ご存知のようにブルゴーニュの北にあたるシャンパーニュ地方はブルゴーニュと栽培する葡萄が重なってしまい、このままではブルゴーニュに太刀打ちできないのでドン・ペリニヨン修道士がシャンパーニュを考案なさったということになっております。  筆者は発泡酒に関してはシャンパーニュに尽きると思っています。これに匹敵するのは葡萄品種が同じイタリアのフランチャコルタくらいか、と。あるいはクレマンでブルゴーニュかアルザスに逸品があれば何とかといった感じでしょうか。  新しい年の門出にはやはりシャンパーニュが似合います。今回選んでみたのはACシャンパーニュの最南端、ブルゴーニュに近いコート・デ・バール地域のビュクスイユにドメーヌを構える自然派シャンパーニュの代表的造り手として有名なヴァンサン・クーシュの「クロエ」です。  セパージュはピノ・ノワール66%、シャルドネ34%。地域的にはシャンパーニュ南部なのでピノ・ノワールが主です。ただし、クーシュはシャルドネに適した畑も所有しており、ブラン・ド・ブランも造っています。「クロエ」はそのモングーのシャルドネをバランス良くブレンドした亜硫酸無添加の自然派シャンパーニュの名手による自信作です。  では、今年も良い年でありますように。読者の皆様の健康とご活躍をお祈りして。乾杯! 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第三十六回 「エクレア好き――シュークリームでもなく、モンブランでもなく――」

『美食通信』 第三十六回 「エクレア好き――シュークリームでもなく、モンブランでもなく――」

 先日、あるテレビ番組で、究極の二択として「シュークリームかモンブランか」というテーマで街行く一般市民にアンケートし、どちらが多数だったかを当てるという企画を放映していました。筆者はシュークリームだろうと予想しました。  最新のトレンドとして紹介されていたシュークリームはカスタードクリームの上にバタークリームの塊を乗せたもので、最近よく見かけるバターを挟んだどら焼きとかの高級ヴァージョンなのが分かりました。モンブランは相変わらず、和栗とか、出来たら何分以内に食さないといけないとか、一時期ブームだった延長路線だったように感じました。シュークリームは「クロシュー」といったクロワッサンに様々なクリームを詰めたものなどヴァリエーションに富んでいるのに対し、モンブランは高級化にしか未来はないように思われたからです。結果は予想通り、シュークリームの勝ちでした。  思えば、シュークリームもモンブランも比較的手ごろに楽しめる身近な馴染み深い洋菓子だからこそこの二択に選ばれたのでしょう。シュークリームは今でも中のクリームがカスタードか生クリームかが基本でコンビニでも必ず見かけます。一方、モンブランは筆者の子供の頃はカップ型のスポンジケーキの上の真ん中にシャンティクリームを搾り、その周りに栗なのか芋なのか怪しげなきんとんを糸状に絞り出し。半分に切った栗の甘露煮を乗っけたものが定番でした。色が黄色から濃厚な茶色に変わったのは、フランスで有名なアンジェリーナのモンブランが銀座プランタンで紹介されるようになってからでしょう。スポンジではなく、メレンゲの上にクリームがたっぷり。濃厚な栗のペーストがこれでもかとそれを覆いつくしたフランスの半分のサイズでも食するとなかなかヘビーなお菓子でした。本格的なフランス菓子はとにかく甘いと実感した次第。  ですので、筆者など街の洋菓子店の昔ながらの怪しげな手作りの似非モンブランの方が懐かしく食してみたいと思います。コンビニのスイーツも多彩で美味しいのですがやはり大量生産の味なのです。それはシュークリームにしても同じ。  しかし、筆者がその二択でひっかかったのは「シュークリームかモンブランか」ではなく、「シュークリームかエクレアか」ではないかと思ったからです。おそらくエクレアはシュークリームの一ヴァージョンに過ぎないとの認識なのでしょう。パリで人気のエクレア専門店「レクレール・ド・ジェニ」が高島屋に出店したのですがあっけなく十年もせず撤退してしまいました。  しかし、筆者はシュークリームとエクレアは全くの別物と考えます。同じシュー生地であるにもかかわらず、まず形状が異なる。これも重要かもしれません。シュークリームの場合、シューが半分に割られていたり、切れ目が入れられ、クリームが詰められている場合、蓋を外して、蓋にクリームを付けて食し、残りをナイフとフォークで食する。切れ目がない場合はナイフとフォークを使って、左側から少し切り取って食し、クリームだけを食しながら、なるべく形を崩さないように食するといったマナーがあります。  それに対して、エクレアは「レクレール・ド・ジェニ」の小ぶりのエクレアもそうでしたがフィンガーフードの趣があります。筆者の遠い記憶なのですが、上諏訪に住んでいた小学校低学年の時、父がお土産で買ってきてくれたエクレアがそうでした。シューにコーティングされていたのもチョコレートではなく、コーヒーかキャラメル味でカスタードクリームの味もそれに合わせたもので小学生にも小ぶりでパクッと食べれて、二つ、三つは食べれたものです。  さらに凝った作りのものは、神戸に引っ越して、小学校最後の二年を過ごした社宅が神戸市の東のはずれで数メートル先は芦屋市という立地。父が通勤で使っていた阪神芦屋駅の近く、警察署の隣に「アンリ・シャルパンティエ」があったのです。もう、半世紀前になりますか。今でこそ全国展開でパリにも研究所を持っているほどのブランドになっていますが、当時はまさに街の洋菓子屋さんとして日常使いするケーキ屋さんだったのです。もちろん、他の店に比べると値段は高めで、併設されていた喫茶コーナーで珈琲を註文するとクロワッサンが付いてきて、さすが神戸・芦屋だなあと子供ながらに驚いたものです。  おそらく難しいフランス語が付いていたのでしょう。母が「毛虫のケーキ」と呼んでいた筆者の好物のケーキがありました。記憶が正しければ、長方形のガナッシュ系のケーキの上に小さなエクレアが乗っていたように思うのです。当時のアンリ・シャルパンティエのケーキはすべてが小ぶりでそのくせ値段は高い。しかし、味は抜群で隣にもう一軒洋菓子屋があったのですがそこで買うことはありませんでした。  神戸時代、筆者の父が銀行員だったので、取引先に有名な菓子店が多くありました。お土産の定番だった「ヒロタのシュークリーム」、きんつばで有名な「本高砂屋」、チョコレート菓子の老舗「ゴンチャロフ」などなど。ゴンチャロフなどは父に連れられて工場見学させてもらいました。酒会社も多く、菊正宗にも連れて行ってもらったのです。盆暮れだけでなく、事ある毎に付け届けがあり、ワインも送られてくることが多々ありました。母方の祖父が静岡県の酒造組合に勤め、母の弟の叔父が合同酒精に勤めていましたのでこの頃からワインには興味があったのです。  さて、ヒロタの影響かは分かりませんが、筆者はシュークリームにはカスタードクリームが似合うように思うのですが、エクレアには何といってもシャンティクリームだと思うのです。シャンティクリームとは砂糖の入った生クリームのことです。それは他ならないシューにコーティングされたチョコレートとの相性がシャンティクリームの方が良いからです。チョコパイを思い出していただければ一目瞭然。あれはバター系のクリームですがホワイトクリームで卵黄系のクリームではありません。  ですので、コンビニなどで迷うことなくエクレアを買いたいところですが、どうも中身がカスタードクリームのものばかりで何となく躊躇してしまいます。思い起こせば、子供の頃、生クリームシューを売っている菓子店ではエクレアもシャンティクリームで、シンプルながらチョコと生クリームの絶妙なハーモニーに感動したものです。お値段も手ごろな方ですし。冒頭のモンブランではありませんが、洋菓子の高級化と複雑化は決して悪いことではないと思いますが、シンプルに美味しい手頃な手作りの洋菓子こそ、今必要とされているものではないでしょうか。 今月のお薦めワイン 「イタリア赤ワインの隠れた逸品――アマローネ――」 「アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ クラシッコ2017年 DOCG アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ モンテ・サントッチョ」 13020円(税別)  この連載も三クール目が終わろうとしています。この三年間、フランスワインとイタリアワインについてシステマティックに概観して参りました。今期のクールの最後は補完的にイタリア赤ワインの隠れた逸品について紹介させていただこうと思います。イタリアワインもフランスワイン同様、二大産地、ピエモンテ州とトスカーナ州を押さえておけばほとんど事足ります。  しかし、フランスワインにシラーを主として造られるローヌ地方の「コート・ロティ」という赤の逸品がありますように、イタリアワインにも他の州でイタリアワインを代表する銘酒が造られています。  それがヴェネト州のヴェローナ県のヴァルポリチェッラで造られている「アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ」です。ちなみに、県都ヴェローナはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の舞台として有名です。  アマローネとは苦い(アマロ)に由来する苦みを意味する言葉で、イタリアワインの名称の基本、葡萄品種を表わすものとは異なる例外に当たります。ワインとしては主としてコルヴィーナ種を用いるヴァルポリチェッラの製法違いのワインとなります。  それが葡萄を収穫後平均三ヶ月ほど陰干し(アパッシメント)し、半分近くの水分を取り除き、糖度の上がった葡萄を発酵。最低二年以上の樽熟成と六ヶ月以上の瓶内熟成を経てリリースされるワインです。辛口で「力強い、ブルゴーニュワインのような魅力を引き出す」(アンダースン『イタリアワイン』)と言われています。  今回ご紹介する「モンテ・サントッチョ」の造り手、ニコラ・フェッラーリはアマローネを代表するカンティーナ「クインタレッリ」で働き、2006年、自身のワインを造るためこの「モンテ・サントッチョ」を創業。現在もクインタレッリのサポートを続けているヴァルポリチェッラへの強い探求心に溢れる醸造家です。  このクラシッコ2017年はトノーで三十ヶ月熟成。セパージュはコルヴィーナ40%、コルヴィノーネ30%、ロンディネラ25%、モリナーラ5%。濃いルビー色。干したプルーンやバルサミコの香り。後味にスパイスを感じる伝統的なアマローネの味わいを継承することに意を注いだ逸品です。  手間暇のかかる稀少性の高いワインですので少々値が張りますが、この機会に是非一度お試しいただければ幸いです。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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