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JOURNAL

『美食通信』 第二十四回 「フランスの郷土料理」

『美食通信』 第二十四回 「フランスの郷土料理」

 先日、神泉の「ビストロ・パルタジェ」に出かけると黒板に書かれている料理の最初に「ブルゴーニュ郷土料理三種盛」とあるではありませんか。「郷土料理」という表現にまず惹かれました。とりわけ「郷土」という言葉に。フランス語ではcuisines régionales。régionalとは「地方」という意味ですから「地方料理」でよいのですが日本では「郷土料理」という言い方があり、それがフランスにもあてはめられブルゴーニュ地方の料理が「ブルゴーニュ郷土料理」と語られると何か急にノスタルジックな雰囲気が。フランス料理はいわば「郷土料理」を洗練されたものにしただけでそれとは別の「都会料理」があるわけではありません。というのも、中央集権的なフランスではパリ以外はすべて地方だからです。パルタジェの野本シェフが得意とする「シャルキュトリー」もブルゴーニュの「郷土料理」の一つ。ですのであえて「ブルゴーニュ郷土料理」と書かれるとさて何が出るのかなあ、と。  気になる三種の内容は「ウフ・アン・ムレット(ポーチドエッグの赤ワインソース)」、「ジャンボン・ペルシエ(ハムとパセリのテリーヌ)」、そしてブルゴーニュを代表するフロマージュの一つ「エポワス」でした。「エポワス」はブルゴーニュの滓取りブランデー「マール」と塩水で表皮を洗って熟成させるいわゆる「ウオッシュ」タイプのチーズで独特の風味があります。  実はブルゴーニュの「郷土料理」はワインと深い結びつきがあります。シャブリなどのある飛び地のヨンヌ県を別にするとブルゴーニュワインは北は「ディジョン」、南は「リヨン」とその郷土料理を代表する都市の間に産地が広がっているのです。そして、上記のエポワスを除いた二つの料理はブルゴーニュ公国の首都だったディジョンの料理と言えるのです。さらにディジョンと言えば、ムータール=マスタードと市長を務めたキール氏が考案したカシスのリキュール(クレーム・ド・カシス)を白ワインで割った食前酒「キール」が有名。      一方、リヨンはシャルキュトリー、即ち食肉加工品の名産地として知られています。またリヨンは美食の街としても知られており、「ブション」と呼ばれる伝統の気軽な居酒屋でワインと共に名物の「アンドゥイエット(仔牛肉腸間膜の腸詰のロースト)」や「ブーダン・ノワール(豚血のソーセージ)」などを楽しむことが出来ます。また、ポール・ボキューズなどリヨン近郊にメゾンを構える三つ星レストランが多くあります。筆者がリヨン料理で好物なのが「クネル・ド・ブロシェ(川カマスのクネル)」。肉だけでなく、川魚も加工してハンペンのような食感に。ブロシェを使うのがリヨン風なのですが、昨今は「クネル」そのものを見かけなくなりました。先日、神保町の「ビストロ・アマノ」で「魚のクネル 甲殻類のソース」をメニュに見つけた際には狂喜乱舞しました。素朴なクネルに濃厚なアメリケーヌソースが合うこと合うこと。  リヨンはブルゴーニュワインの南端。そして、さらに南下するとローヌワインの産地へと連なって行きます。ですので、リヨンに近いのはブルゴーニュでも赤であれば、ピノ・ノワールではなく、ガメイで造られるボジョレーなのです。ボジョレーを世界に広めたジョルジュ・デュブッフがボキューズと親友だったことは有名です。筆者が訪れたのは毎年のボジョレー・ヌーヴォー解禁日から間もなくでしたので、この三種盛をボジョレーと合わせても乙という訳です。ただ、この世界情勢の中ワイン価格も高騰し、ボジョレー・ヌーヴォーも前年の倍近くに値上がりしてしまったようです。野本シェフもグラスでの提供の仕方に迷われたそうでこれまで使っていたものを値上げするのも何なので、グレイドの高いヌーヴォーに代え価格をそれなりに上げたそうです。それは日本人の仲田晃司氏が営まれる「ルー・デュモン」でした。ただ、それでも利益率は下がってしまったようです。  筆者は「ウフ・アン・ムレット」が好物で野本シェフの作られる濃厚なソースのそれは絶品でお代わりしたこともあります。しかし、つい先日、元代々木町「シャントレル」で食した中田シェフが作られた「アンディーヴのブレゼ」がムレットと同じ赤ワインソースでこれまた感動しました。アンディーヴと言えばベルギー産が有名で、フランスでもベルギーに近い北部のノール・パ・ド・カレーやピカルディー地方でもアンディーヴが名産で「アンディーヴのグラタン」という郷土料理があります。蒸し煮(ブレゼ)したアンディーヴにベシャメルソースとチーズ、あるいはそれらを一体化させたモルネーソースをかけて焼いたもの。かつて、渋谷文化村のカフェ・ドゥマゴが顧客はワイン持ち込み無料ということで足繁く通ってボルドーワインを勉強していた頃、冬になるとこの「アンディーヴのグラタン」が出て、ハムが入っていてベシャメルとチーズとの相性がさらに良く、訪れると必ず注文していたのを思い出します。当時のドゥマゴはパリのカフェ料理を彷彿とさせる本格的なサーヴィスで、秋になるとキノコのバター炒めを目の前でゲリドンサーヴィスで作ってくれたものでした。もちろん、「ステック・タルタル」もメニュにあり、目の前で薬味の分量などを指示しながら自分好みの味に仕上げてもらうことが出来ました。  最初に申し上げましたようにフランスという国はパリ以外は皆田舎、即ち「郷土」ですので「郷土料理」のオンパレードです。ビストロなどで必ず見かける「カスレ」はカスレという専用鍋で作る白いんげん豆と肉類の煮込み料理なのですが南仏のラングドック地方の名物料理です。しかも、その土地その土地で微妙な違いがあり、豚肉を中心とした「カステルノダリ風」をベースに、そこにさらに羊肉や冬場には山ウズラなどを加えた「カルカッソンヌ風」、鵞鳥肉をメインにした「トゥールーズ風」が「三大カスレ」と言われています。  こうしたフランスの郷土料理を概観するのに最適なのは絶版になってしまったのですが、並木麻輝子『フランスの郷土料理』(2003年、小学館)です。地方ごとにそれぞれの料理が写真付きで解説されています。150頁ほどの薄い旅行本のムックシリーズの一冊ですが街の写真や歴史も掲載されていて充実した内容です。あと、当時の郷土料理を楽しめるレストランガイドも付されていて、日本だけではなくフランス本国のお店も紹介されています。もちろん、ほとんどの店はすでになくなっていますが菊池シェフの「ル・ブルギニョン」のような今も健在のレストランも散見され興味深いものがあります。朴訥として見た目はあまり美味しそうに見えない写真ばかりですがこれぞ「郷土料理」といった趣でついつい食べてみたくなってしまいます。  これからの冬、暖かい郷土料理と美味しいワイン、そしてその地方地方のフロマージュがあれば、なんて幸せなことでしょう。もちろん、デセールも地方ごとに名物がありますのでお忘れなく。 今月のお薦めワイン  「イタリアの島のワイン シチリア」 「ネロ・ダーヴォラ 2020年 IGT テッレ・シチリアーネ イッポリート」 2500円 (税別)    このクール最終回はイタリアの島のワインとしてシチリア島のワインを紹介させていただきます。シチリア島といえば、映画『ゴッドファーザー』に登場するマフィアの起源となった土地。「小さな大陸」と言われる独自の文化の発展した場所でもあります。食文化もシチリア料理は日本でも有名専門店があるほど。ワインはイタリア国内でも一、二を争う生産量を誇っていますが、これまでは「安くてそこそこ美味しいワイン」というイメージがありました。原産地呼称ワイン(DOCG、DOC)より地域特性ワイン(IGT)の方がまだまだ主流ですが、徐々に原産地呼称ワインに力を入れるようになっています。  その原動力の一つとなったのがマルサラ酒(DOC)の復興です。マルサラ酒はシェリー(スペイン)、ポート、マディラ(共にポルトガル)と並ぶ世界四大酒精強化ワインの一つであり、上質のマルサラ酒が普及することでシチリアワインも高級化への道を辿ることになりました。  スティルワインは赤が主流でネロ・ダーヴォラ種を中心にワインが造られています。別の名をカラブレーゼというイタリア本土のカラブリア地方原産のネロ・ダーヴォラはブレンドしても良し(唯一のDOCG、チェラスオーロ・ディ・ヴィットーリアは30%以上のフラッパート種との混醸)、単品(ヴァラエタルワイン)でも良しとボディの厚みと熟成に向くことで上質のワインが期待できます。  今回ご紹介するのはシチリア島西部のサラパルータという村で四世代にわたりワイン造りを行なっているイッポリートファミリーの手になるネロ・ダーヴォラ。IGTですが、近年サラパルータもDOGに昇格したとのこと。樽は用いずステンレスタンクでの熟成によるキュヴェ。果実の持ち味をストレートに楽しめる造りになっています。南のスパイシーで果実味豊かな味わいのワインを是非お楽しみ下さい。 今年一年のクールはフランス、イタリアの主要な地方のワインを紹介させていただきました。来期は再びフランス、イタリアのグランヴァンの産地、ボルドー、ブルゴーニュ、トスカーナ、ピエモンテのワインを紹介させていただく所存です。引き続きご愛読よろしくお願い申し上げます。   ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第二十三回 「選択することの楽しみ」

『美食通信』 第二十三回 「選択することの楽しみ」

 テレビ東京で『孤独のグルメSeason10』がスタートしました。松重豊氏扮する井之頭五郎が仕事先で決まって空腹になり、付近で店探しにいそしむというお決まりのパターン。筆者は元々外食が好きではなく、しかもとりわけ一人で外食するのが苦手で、食するならワインが飲め出来ればフレンチというのが常ですので、下戸で大食漢、まさに孤独にグルメを探求する井之頭五郎とは対極にある人間です。それでも必ず見てしまうのは筆者自身が決して食さない美食の数々への憧れからでありましょう。筆者が井之頭五郎を単なる「グルメ」ではなく「美食家」と考える理由は何が食べたいかを真剣に追及しているからです。店探しもそうですが、何といっても店を決めてからメニュから何を選ぶかで思案するところが筆者にはクライマックスに思われます。ほとんどが初めて訪れる店ですので常連と思われる客など周囲の客の注文を気にしつつも決して同調することなく、「つかの間、彼は自分勝手になり、自由になる」。そして、数あるメニュの中からこれという料理を選択するのです。 まさに一期一会の真剣勝負。  実は同じテレビ東京ではこの料理を選択することに特化したグルメ番組が今年放映されたのです。それは一月から四月まで毎週十二回限定で放送された『黄金の定食』です。お笑い芸人「シソンヌ」の長谷川忍氏とジャニーズの人気アイドルグループ「なにわ男子」のリーダー大橋和也君が定食屋に赴き、プロデューサーによる事前リサーチや常連さんの押しのメニュなど情報をもとにファーストインプレッションから最終決定までの変遷を追うという内容の番組でこれぞ筆者の見たかったことで、大いに悩みつつ究極の選択を行なう。たかが定食されど定食。まさに「選ぶことの喜怒哀楽」が画面一杯に映し出されるのは筆者の考える「美食」の原点ともいえる光景です。  筆者の敬愛する哲学者カント(1724~1804)はその批判哲学で「美」に関する人間の能力を「判断力」とし、『判断力批判』を著しています。「美」の認識は数学の真理のように演繹的に理性から導出されるものではなく、経験を重ね洗練された審美眼で主観的に「判断」されるものであり、その際重要なのは「構想力=想像力」である、と。  筆者が昨今のフレンチに大いに不満を覚えるのは、高級店に限って「お任せコース」などという筆者からすれば「押し売り」にしか思われない客に選択の余地を与えない料理を提供することが当たり前のようになっていることです。しかも、ワインまでペアリングと来た日には客には何の選択の「自由」もない。これでは「グルメ」どころではないのではないでしょうか。高い金を払って、すべての客が同じ料理とワインを飲んでいる。給食じゃああるまいし、披露宴か何かの宴席でもあるまいし。その光景を俯瞰したらさぞかしおぞましいと思えないのはまさに想像力の欠如より他の何ものでもありません。  実際、筆者がパリに出かけていた四半世紀前はもとより、比較的最近までミシュランの星を取るようなグランメゾンではアラカルトが当たり前でした。十何皿も料理がだらだら出されるお任せコースが登場するのは「エル・ブジ」あたりから、パリでは「アストランス」からではないかと思われます。それまではメニュのオードブル、メイン、デセールの項から各自「アン・ドゥ・トロワ」の三皿構成で料理を選ぶのが王道だったのです。  これは『黄金の定食』でどの定食にするか(メイン)、サイドメニュは何にするか(オードブル)。そして、食後に近くの喫茶店で甘味を食しながら(デセール)その日のチョイスの反省をするというプロセスも実はまた同じ構造を有しているのです。店を決めた限り、消費者に残された「自由」は料理の選択の「自由」に他ならない。まさに「アラカルト」の世界は選択の「自由」を謳歌するためのものなのです。  アラカルトの場合、料理人は「アン・ドゥ・トロワ」それぞれ何種類かずつの料理を作らねばなりません。同じメインでも料理に出来不出来の差が出るのは当たり前。その差を埋める努力を怠る訳にはいきません。それに対し、「お任せコース」では自分の得意な料理だけ作っていれば良い。これは客が何を食べたいかを無視した料理人のエゴでしかない。しかも、苦手なものを作りませんから技術的にも本当に一流なのか怪しい。  ゴー=ミヨの創設者の一人、アンリ・ゴーが1986年に公刊し、1988年に邦訳が出された『フランスのレストラン ベスト50』(柴田書店)という本があります。アラカルト時代のレストラン評価の方法論として現在もその最高峰の一つと言えましょう。100点満点で採点するのですが、綿密な尺度が決められ、ランキングされています。第一位がロビュション、第二位がボキューズとヌーヴェル・キュイジーヌからの世代交代の時期に当たっていたことが窺われます。その他に「各店のベスト料理」。これはボキューズの「舌平目のフィレ、フェルナン・ポワン風」が第一位。「デザートのランキング」はロビュションが第一位。さらに「質のバラツキ」として各店の最高点料理と最低点料理との開きの少なさでは、ボワイエの「レ・クレイエール」が第一位。さらにお得感のある店のランキングもあります。これも結構複雑な計算式があり、ブラの「ルー・マズュク」が第一位を獲得しています。  このようにアラカルト時代のグランメゾンでは限られたメニュとはいえ、客たちは何を食べようかとアペリティフなど飲みながらメニュとにらめっこしつつ、同席者と喧々諤々議論したものです。お行儀が悪いとは知りつつも、同席者の料理を一口食べさせてもらって、そちらにすればよかったと後悔したり、自分の方が美味しいぞと優越感を抱いたりとこれもまた一興でした。それに比べ、お任せコースではアレルギーや苦手な食材でも事前に申告していない限り、別の料理が出てくることは皆無です。しかも、正直に申告すると別料理が出てくるのですが、何せ他は同じ皿なのに一つだけ作るので明らかに手抜きやいい加減なさして美味しくもないものを平気で出してくる店が少なくないことが分かり、筆者は申告するのをやめました。上記の苦手なものを作らない弊害だと確信した次第です。食べられないものは同席者に食べてもらうか残すことにしています。  まあ、昔と違ってグランメゾンとは縁のない生活をしている貧乏大学講師ですので、最近はもっぱら黒板に料理の書いてあるビストロで慎ましやかな「美食」を楽しんでおります。『孤独のグルメ』や『黄金の定食』に共感するのもフランス料理版「定食屋」が「ビストロ」だからでしょうか。今や、ビストロの方がアラカルトで注文でき、ビストロノミー=ビストロ・ガストロと呼ばれるグランメゾンの流儀をビストロ感覚で楽しめる店が増えていますので筆者の求める「美食」に相応しいのかもしれません。メニュに並んだ料理の中から、何食べようかなあと悩みつつ、これとこれ、と料理を選び一連の流れを構成する「喜び」。そしてそれはワインに関してもまったく同様なのです。  The Cloakroomを訪れ、エレベーターの扉が開いた際、目の前に広がる素敵なスーツたちから目移りしながらも、どれが一番似合うだろう、どれが自分の好みかなと品定めしていくように、どうして自分の食べたい、飲みたいものくらい自分で選べないのか。「つかの間の自由」を取り戻すべきなのです。 今月のお薦めワイン  「フランスの島のワイン コルス」 「アペラチア キュヴェ・トラディション・ルージュ 2019年 AOP アジャクシオドメーヌ・ア・ペラチア」 3500円(税別)  今年のクール最後はフランスとイタリアの島のワインを紹介させていただきます。まず、フランスは地中海に浮かぶコルシカ島のワインを。フランス語ではコルスと言い、ナポレオンの生地として知られています。  地中海にある島ですので赤ワインが中心になります。グルナッシュ、サンソー、カリニャンといった南仏の葡萄品種が持ち込まれ多く栽培されていますが、コルシカ島ならではの葡萄品種としてまず挙げられるのは、パトリモニオで造られているニエルッキオ種でしょう。しかし、この葡萄はイタリアワインのキャンティを造るサンジョヴェーゼ種と同種と判明しています。おそらくは十八世紀後半までこの島を支配していたジェノヴァ人によってイタリア本土から持ち込まれたものと推定されています。  そして、もう一種類シャカレッロ種が挙げられます。こちらはナポレオンの生地アジャクシオを名乗るアペラシオンで造られています。ジャンシス・ロビンソンによれば、ローマ人によって移植されたに違いないが未だに品種が特定されていないとのこと。「必ずしも色調は濃くないが深い味わいの赤ワイン」を産すると書かれています。  今回ご紹介するのはシャカレッロ種100%で造られたワインで造り手はアジャクシオから車で十分ほどのペリ村にあるドメーヌ・ア・ペラチアのもの。現当主、ローラン・コスタ氏がドメーヌを継いだのは2008年。元々、栽培に農薬を用いていなかったそうでエコセール認証を取得しています。基本は地元消費でシャカレッロ種主体のフルーティで飲みやすいキュヴェを販売しているそうです。しかし、これは輸出に適さないということで、アルコール度数を髙めに仕上げることで輸送に耐えられるキュヴェも少量造っているとのこと。現在、日本にのみ輸出しており、フランス本土でも扱われていないそうです。  赤は二種類あるのですが、樽がけせず、コンクリートタンクで熟成させたトラディションの方を紹介させていただきます。明るいワインを造るよう努力しているというコスタ氏。シャカレッロ種の特性を生かしたワイン造りだけによりこの葡萄品種の魅力がストレートに伝わってくるかと思います。稀少なワインでもありますのでこの機会に是非、お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』 第二十二回 「おばあさんのカレーパン」

『美食通信』 第二十二回 「おばあさんのカレーパン」

 ここ数年、毎年一度は亡き両親の実家のある静岡市を訪れています。筆者は父の仕事の関係で静岡に住んだことがなく、それだけに静岡にある種の憧れがあるのだと思います。実家に祖父母たちのお線香をあげに行った後、短い時間ですが今まで知らなかった静岡の街を散策するのはこの上ない喜びでもあります。ただ、いつも悩むのが何処に泊まるかです。駅前の有名ホテルチェーンの大型ホテル以外にはビジネスホテルのようなものしかなく、筆者の好みのデザイナーズホテルは皆無に近い。昨年は商店街のビルの空いた部屋を宿泊施設に改装した「ビル泊」に泊まりました。これはこれで面白く、窓から商店街を歩く人々を眺めたり、テラスに出ると周り一面ビルに囲まれていたりと普通のホテルライフにはない興味深い体験でした。今年は少し静かな場所に泊まりたく、駿府城公園近くの鷹匠町にあるレジデンスタイプのホテルに泊まりました。基本住宅地で学校などが多くある町です。ただ、近年隠れ家的レストランなど飲食店が増え、筆者の泊まったレジデンスと同じ通りにも蔦の絡まった趣ある建物のピザハウスがありました。  この手の建物に泊まる際の問題は朝食で、レストランが併設されていないからです。「ビル泊」の時は近くに朝早くから開いているコーヒーショップがあり、サンドイッチをテイクアウトして部屋のテラスで食しました。今回のレジデンスは近くにモーニングを出す喫茶店はなく、仕方ないのでパン屋を探すことにしました。パリでは出来立てのバケットで朝食を取るべく、パン屋は朝早くから店を開けています。検索してみると確かに二、三軒あるのですがたいがい九時開店で、その日鰻を食べようと十二時に清水の「芳川」に予約を入れてありましたのでもう少し早くから開いている店はないかなあ、と。すると「モンテローザ」という店が八時半開店と出てきました。ただ、画像を見ると動物の形をしたクッキーやお誕生日ケーキのものばかり。店の外観は完全な昭和レトロで赤いビニールのひさしには消えかけた「パン、洋菓子」の文字が。パン専門店ではなく、昔よくあった「ベーカリー」と言われたお店のようです。何だか大丈夫なのか不安になったのですが、同行者が「おばあさんの作るパン」という口コミを見つけて報告してくれたので、俄然食べてみたくなりました。  調べるとレジデンスのすぐ目と鼻の先で、ともかくも「モンテローザ」に行ってみようということに。翌朝二人とも早起きしてしまい、開店まで近くを散策することに。一時間くらいあったので、駿府城公園にも行ってみました。開店時間を見計らって「モンテローザ」に出向くとそこは筆者の母が通っていた女学校のすぐ脇でした。現在は共学になり、学校名も変ってしまっています。ただ、「モンテローザ」の向かいにある付属幼稚園は昔の「精華幼稚園」のままで、店の前でおばあさんがバスで到着したばかりの子供たちに「おはよう」と声をかけていました。あ、確かにおばあさんがいた。  「おはようございます」と狭い店内に入れてもらうと、「まだパンしかないけど」とおばあさん。お菓子はお父さんが作っているらしく、お菓子のショーケースは確かに空っぽ。肝心のパンはと言えば、十種類以上あったのですがどういう訳かどれも一、二個ずつしかないのです。開店したばかりだというのに。何処かに卸しているのか?訝しく思いながらも目の前にあるパンは小振りながらどれもとても美味しそう。同行者も若者ながら喫茶店を愛する風情の持ち主でこのパンに魅かれたよう。朝食は「モンテローザ」のパンに決定。  さて、どれにしようか。筆者の眼はソーセージドーナツに。長めのソーセージにくるくるとドーナツ生地を巻き付け揚げたもの。何とノスタルジック。しかも、一個しかないではありませんか。同行者にどれにすると尋ねると即座にソーセージドーナツを指さすではありませんか。何たることか。しかし、ここは年長者として大人げない行動はとれませんので、じゃあ、自分はカレーパンにしようと。定番ながらこれも二つしかない始末。もう一つか二つくらいはと思い、「何にする」と同行者に聞くとピザ風のパンに興味を示す。これも一点もの。おばあさんが「それはキノコのピザ、美味しいよ」と絶妙な合いの手を。同行者は「じゃあ、これにします」と一点ものが二種類即完売に。筆者は朝は甘いものを食べるのが日課なので甘いパンを。リンゴのコンポートとカスタードクリームののったパンがあったのでそれに決定。筆者はこれで充分ですが、若者はどうするのか。昼の鰻を考慮して、二個で充分とおっしゃるので「セ・フィニ(これでおしまい)」(パリでは食料品を買う時、これこれ頂戴というと、店員はそれらを用意して「セ・フィニ?」と確認するのでした)。会計してもらうと四個で600円ちょっと。ここは静岡とはいえ、価格にも昭和の名残が。おばあさんの「ありがとうね」という暖かい言葉に見送られて、朝のおつかいは終了。  部屋に戻り、リビングにて早速食する。何せ散歩で二人ともお腹がペコペコでしたので。同行者が美味しそうにソーセージドーナツを食べているのを横目にカレーパンに取りかかりました。凄い。小振りなのでカレーが少なかったらどうしようと思っていたら、ドーナツ生地が薄皮のようでカレーがたっぷり。しかも、作り立てなので揚げた香りが食欲をそそり、まだ暖かい。甘めのカレーがまた美味しい。いつの間にかスーパーやコンビニのパンに慣れてしまった自分を猛省しました。パリの朝のバケットではありませんが、小学校高学年、神戸の東灘に住んでいた頃、近所の神戸屋にパンの焼き上がる時間を見計らって、母と買物に出かけていたのを思い出しました。出来立ての太めのフランスパンにバターかマーガリンを塗って食べる。普通だけれど、何だか美味しい。リンゴとカスタードのパンはそう言った意味で普通に美味しい。でも、そんな普通の美味しいも今の自分の生活ではなかなか味わえないと思うと何だか寂しい気持ちになりました。  どんなに高価で美味なフランス料理を食そうとも、筆者がもう一度どうしても食べたいと思うのは母の作った料理のいくつかです。母が亡き今、それらはもう二度と食べられない。「おばあさんのカレーパン」もいつまで食べられるのだろう。来年も必ず静岡に出かけ、朝一番に「モンテローザ」に出かけようと誓う筆者でした。      今月のお薦めワイン  「フランスの白ワイン第三の産地 ロワール」 「バスタンガージュ・ブラン 2018年 AOP アンジュー ドメーヌ・デュ・クロ・ド・レリュ」 4600円(税別)   フランスの白ワインについてはすでにブルゴーニュとアルザスを紹介させていただきました。ブルゴーニュはシャルドネ、アルザスはリースリングなど複数の葡萄からワインを造っています。そして、フランスにはもう一つ代表的な白ワインの産地があります。そして、まずはこの三つだけ押さえれば大丈夫です。それは北西部大西洋に流れ出るロワール川の流域です。この地方の白ワインの特徴は河口から地域によって白ワインを造る葡萄が変化していくこと。一番河口近いナント付近ではミュスカデ種のワインが造られています。ミュスカデは地名で実はムロン・ド・ブルゴーニュというのが元々の葡萄の名前。ブルゴーニュに由来するこの葡萄はミュスカデでその本領を発揮し、その特産となったのです。  そこからもう少し上流に上ると今度はシュナン・ブラン種で造られる白ワインにお目にかかることになります。この地域はグロロ種で造られるアンジューのロゼやカベルネ・フランで造られる赤ワイン「シノン」など白ワイン以外にもロワールを代表するワインを産する地域です。そして、さらに上流へと向かうと「中央フランス(サントル)」と呼ばれる地域に至り、ここがロワールワインの東端となります。この地方ではソーヴィニヨン・ブランから白ワインを造っています。「プイィ・フュメ」、「サンセール」といった銘柄が有名で、故ディディエ・ダグノーの造ったプイィ・フュメ「シレックス」は「火打石」の名のごとく、その強烈なミネラル分で有名になりました。  ソーヴィニヨン・ブランはボルドーでもセミヨン種とブレンドして白ワインが造られています。そこで今回はロワールを代表する葡萄品種シュナン・ブランで造られたワインをご紹介したいと思います。シュナン・ブランからは甘口から辛口まで多彩なワインが造られています。その最高峰はニコラ・ジョリーの「サヴニエール」でしょう。今回ご紹介するワインはロゼで有名なアペラシオン「アンジュー」で造られている辛口の白ワインです。造り手はシュナン・ブランに惚れ込んで2008年にドメーヌを開設したトマとシャルロットのカルサン夫妻。現在20haを所有し、ビオディナミでワイン造りを行なっています。シトラス系の香りの他にバターなどのオイリーなフレーバーを感じるシュナン・ブランの特徴が良く出ているかと思います。また、ミネラルにも富みコクのある飲みごたえ充分な白ワインに仕上がっています。是非、お試し下さい。  

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『美食通信』 第二十一回 「エスプレッソ・トニックよ、いずこに」

『美食通信』 第二十一回 「エスプレッソ・トニックよ、いずこに」

 筆者の珈琲好きにつきましてはすでに「フレンチスタイルの珈琲店」のお話で披露させていただきました。しかし、筆者には他にも好きな珈琲があります。それは「エスプレッソ」です。大学に入学してフランス料理を食べ歩き始めた際、食後に出されるエスプレッソに一口で魅了されました。  その語源は外に(ex)押し出す(press)こと。蒸気の力で一気にその成分を凝縮して抽出した濃厚なる液体。自らの心の内なるものを外に押し出すエクスプレッションは「表現」となり、その抽出の素早さはエクスプレス、列車の「特急」の意となる、想像力に富む名前の珈琲。  フランスやイタリアで「カフェ」と言えば、「エスプレッソ」のことを指します。私たちが日常飲んでいるような珈琲は「アメリカーノ」となります。そう、エスプレッソより薄い珈琲はすべてアメリカーノ。  パリを歩いていると喉が渇く。日本のように湿度が高くないからです。フランスで飲んだ同じワインを日本で飲んでもあまりおいしく感じないと多くの方がおっしゃります。リーファーで輸送されてきてもです。それはおそらく湿度の関係だと筆者は考えます。ヴァン・ド・ソワフ、渇きを癒すワインという言葉があるくらい。湿度の低い環境で飲むワインは喉をスムースに通っていくのではないでしょうか。  自動販売機のないパリで喉が渇いたら、街のあちこちにあるカフェに入ります。時間がなければカウンターでエスプレッソをクイッとひっかけ、時間に余裕があればテーブル席に座ってのんびり通りを行く人々を眺めるもよし。「ドゥミ」と呼ばれるグラスのビールを飲んでいる人も結構います。「オランジーナ」や「ジョケル」といったジュースの類はやはり子供っぽいので頼むのを躊躇います。やはり、エスプレッソを頼んでチビチビやるもよし、一気に飲み干し、あとはのんびりするもよし。この際、カウンターとテーブルでは同じ一杯のエスプレッソの料金は相当異なります。テーブルで過ごす時間の代金がかかるからです。スーパーで冷えたミネラルウォーターと常温のミネラルウォーターの価格が違うように。  日本にそんな店は滅多にありません。いや、ありました。とても素敵な店が。表参道、青山通り沿いの紀伊國屋スーパーの裏に「ソル・レヴァンテ」という本格派のイタリアンカフェがあったのです。滋賀の老舗和菓子店「たねや」がオーナーでメインはイタリア菓子の店でした。入り口を入って左側にカウンター、右側がお菓子のショーケース。その奥にカフェスペースがありました。料理も出していて、アンティパストにパスタ、ドルチェが複数出てメインとさえ言えるランチは予約できないのでいつも女性たちの行列が出来る人気店でした。ワインも揃えていたのにディナーはなし。さすが「たねや」の殿様商売と感心しきり。  特に見事だったのはカウンターでした。特大のエスプレッソマシーン。優秀なバリスタ。  近くのイタリアンで働く方々の憩いの場でした。筆者はそのエスプレッソの美味しさはもとより、バリスタとの会話、さらに彼らがイタリアから買ってくるグラッパがとにかく美味しくて、食事の前にグラッパをひっかけ、エスプレッソで〆てレストランに向かうようにしていました。何せ早く店じまいしてしまいますので。そして、エスプレッソの値段はカウンターで飲むと160円。奥のカフェで飲むと480円。三倍だったと記憶しています。これぞ、ヨーロッパ!ところがある日、あっさり閉店してしまいました。  閉店と聞き及び、バリスタ氏に何処に行けばこれからも美味しいエスプレッソが飲めるの、と尋ねると広尾の「イル・バール・ピエトレ・プレツィオーゼ」を薦められました。残念ながら広尾に行く機会があまりなく、女性シェフの大塚さんの「レギューム」に伺う時くらいなのですがある夏、その「レギューム」に出かける前、プレツィオーゼに寄ったのです。  すると入り口の看板に「エスプレッソ・トニック」がお薦めと。エスプレッソ歴四十年になろうという筆者、初めて聞く名前で早速頼んでみることに。その名の通り、エスプレッソをトニックウォーターで割ったもので、これが飲んでみると美味。エスプレッソの苦みにトニックウォーターの酸味と甘みが相まって複雑な味わいに。炭酸なので爽快感もあり、夏にはピッタリ。バリスタ氏に聞くと、自分は生のライムを絞って加えて出しているとのこと。だからかフレッシュな爽やさが心地よく、夏はエスプレッソ・トニックにしようと思った次第。  市販はされていないか調べたところ、二〇一〇年頃北欧のカフェに登場した新しい飲み物のようで、アサヒ飲料の「ワンダ」から「コニック」という商品名で売られていましたので早速購入してみました。市販品にしてはまずまずの出来でしたがやはり甘過ぎる。しかし、翌年にはもうなくなっていました。スタバでも限定で出したが人気がなかったようでリピートされなかったようです。それ以降、専門店でもなかなか見かけることがありませんでした。  ところが、旅先でエスプレッソ・トニックに遭遇することに。珈琲中毒の筆者は旅先でもまず珈琲専門店を探します。このご時世、何処でも美味しい珈琲店の一軒や二軒は必ず存在する。昨年九月、小学校四年生までの七年間を過ごした長野県上諏訪市に出かけた時のこと。「アンバード」というお洒落なコーヒーショップに立ち寄りました。小さな店ですが自家焙煎で若いご夫妻?が切り盛りされていました。メニュを見てビックリ。エスプレッソ・トニックがあるではありませんか。カウンターに様々な豆が並んでいるので失礼とは思いながら、エスプレッソ・トニックを注文。またこれが本格的でエスプレッソとトニックウォーターが別々に出てきて、自分で混ぜるというシステム。泡が結構出ますのでお気をつけてと言われたのにもかかわらず、大丈夫だろうと一気に注いだら案の定、昔懐かしい「もこもこアイス」のように急に泡が立ってグラスから溢れてしまいました。大失態。しかし、実に美味しいエスプレッソ・トニックでした。また、諏訪に行く機会があれば子供の頃のご馳走だった「うなぎの寝床 おび川」と「アンバード」だけはリピートして出かけたいと思っています。  そして、今年の五月、群馬県前橋市の「白井屋ホテル」に出かけた際にもエスプレッソ・トニックに出会ったのです。ホテルの敷地内にブルーボトルコーヒーがあったのですが別に前橋に来てまで飲むこともないと思い、近くを探すと「アーツ前橋」という美術館に併設された「ロブソンコーヒー」なる店を発見。美術館の一角ですのでこれまたなかなかお洒落なお店でした。調べると地元前橋の珈琲専門店で二〇一〇年創業とのこと。現在、前橋市内に三店舗を展開し、その中の一店でした。エスプレッソのヴァリエーションが充実していて、その中にエスプレッソ・トニックも。前橋でもお目にかかれるとは。ここはやはり、エスプレッソ・トニックを注文させていただきました。  なんだか旅先でしかお目にかかれない飲み物になってしまっていますが筆者はエスプレッソ・トニックのファンです。今年の九月は亡き両親の実家のある静岡市に出かけますのでまた何処かでエスプレッソ・トニックにお目にかかれることを願っております。     今月のお薦めワイン  「南イタリアを代表する葡萄品種  アリアニコ」 「アリアニコ・ムニフィコ 2018年 DOC サンニオ・アリアニコ ヴィニコラ・デル・サンニオ」 2800円(税別)  前回、南フランスの赤ワインをご紹介させていただきました。ですので、今回はそのイタリア版、南イタリアの赤ワインを紹介させていただきます。すでに、ピッツェリアやトラットリアなどでよく見かける気軽でポピュラーなモンテプルチアーノ・ダブルッツォが登場していますがアブルッツォ州はイタリア半島の長靴の真ん中辺りにあります。ですので、モンテプルチアーノ種の葡萄以外でさらに南、長靴の底の方で造られている赤ワインの中から代表的なものを選ぶことになります。  この際、イタリアワインは州ごとにワインを分類し、しかも複数の州で同じ葡萄品種のワインを造っていますのでどうしても葡萄品種で選ぶことになります。念頭に浮かぶのは、プーリア州のプリミティーヴォ、ネグロアマーロ、そして今回紹介させていただくカンパーニャ州、バジリカータ州で造られているアリアニコです。プリミティーヴォはアメリカを代表するジンファンデルの祖先でその起源はクロアチアと言われています。さらにネグロアマーロはモンテプルチアーノにどちらかというと近いので、ここではギリシアに起源を有し、ジャンシス・ロビンソンが「イタリアで最も優れたワインの一つになる可能性を秘めている」と評するアリアニコ種から造られるワインを紹介させていただこうと思います。  その特徴をバートン・アンダースンは「ネッビオーロと同様に力と洗練さをあわせ持つ堅固でタンニンに富む長命のワインを造る」と端的に解説しています。いわゆるフルボディで深みがあり、はっきりした酸と渋み、寝かせて飲むタイプのワインが出来ます。中でもナポリを州都とするカンパーニャ州の「タウラージ」はこのアリアニコの赤に特化し、DOCGを獲得するに至っています。  タウラージは5000円前後のものが主流ですので、今回は同じカンパーニャ州で比較的最近DOCを獲得した「サンニオ」で造られているアリアニコを紹介させていただきます。サンニオはタウラージよりは内陸に位置し、その地で五十年以上にわたりワイン造りを続けるヴィニコラ・デル・サンニオ社の製品です。「ムニフィコ」とは「豊かな、フルボディ」を意味するとのこと。その名の通り、タウラージほどの濃密さはないものの、深い赤、品格のある香り、しっかりしたタンニンと酸のバランスの良い味わいとアリアニコ種の魅力を楽しめること間違いなし。是非、一度お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第二十回「歌舞伎町の夜は更けて―ホストクラブそして韓国料理―」

『美食通信』第二十回「歌舞伎町の夜は更けて―ホストクラブそして韓国料理―」

 繁華街が苦手。銀座、六本木、とりわけ歌舞伎町などと言ったら、何か闇の世界に引き込まれてしまいそうでまず一人では立ち入りません。筆者の贔屓にしているレストランをお考え下さい。いにしえの代官山のはずれの「ヴィスコンティ」に始まり、元代々木町の「シャントレル」、神泉の「ビストロ・パルタジェ」、大阪は谷町四丁目の「コション・ローズ」に北浜の「マキュア(旧ユニック)」と皆、喧騒から離れた隠れ家的な立地にあります。  思えば、初めてパリに出かけた際、何の土地勘もなく便利だろうと思って借りたレジデンスがシャンゼリゼ通りを北に一本入ったポンチュー通りだったのです。そこはリドなどのある歓楽街で古い建物をリノベした部屋は夜中もその賑わいの音が聞こえ続け、カーテンの隙間からはネオンの色とりどりの光が差し込むというそれは苦痛の日々でした。夜中、頻繁に鳴り響く救急車の音。当時、パリは銃はないと言われていましたが不安でまともに眠れなかったのをよく覚えています。これに懲りて、翌年からは左岸のサン=ジェルマン=デ=プレ裏、ジャコブ通りの「ラ・ヴィラ」に泊まることにしたくらいです。  しかも、今回歌舞伎町に出かけたのはホストクラブに伺うというなかなかヘビーなミッション。本『美食通信』主宰の島田さんが是非ホストクラブのスーツ事情をリサーチされたいとのことで同行させていただいた次第です。筆者、2018年に編著『イケメンホストを読み解く6つのキーワード』(鹿砦社新書)を出版したのが縁で、歌舞伎町を中心にホストクラブをはじめ多くの事業を展開しておられるスマッパグループ会長の手塚マキ氏と懇意にさせていただいております。また、毎年六月恒例の伊香保のワイン会に昨年から手塚さん、島田さんにも参加していただいています。で、先日の伊香保で最後まで起きていたのが筆者も含む三名でホストにおけるスーツの話になった訳です。  今年九周年を迎えた現在唯一のホスト月刊誌『ワイプラス』は当初、私服のホストを「ネオホス」、スーツのホストを「バトラー」と命名して対照的なスタイルを軸に展開していました。それがいつしか、スーツ系は消え、私服のスタイルがBTS系の「新宿男子」と黒系でちょっとダークな雰囲気の「裏宿」スタイルの二極に至っています。それでもスーツ着用のホストクラブは少数派とはいえ健在で、スマッパグループ七店舗のホストクラブのうち、全員がスーツを着用しているのは一店舗。その「スマッパ!ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン」に伺うことになったのです。  スマッパグループではホスト文化に気軽に触れていただけるよういくつかの「ツアー」が用意されています。その一つに「ワインツアー」があり、それを利用させていただきました。定額で所要時間は二時間ほど。都合がつけば、二店舗回ることもできるようです。初めて出かけられた島田さん、伊香保のメンバーでフードコーディネーターのタカハシユキさん、東京ウォーカー編集長を務められた加藤玲奈さんは楽しんでおられたようですが、以前按田餃子の按田優子さんたちと同じツアーを利用したことのある筆者は何回出かけてもどうも馴染めません。手塚会長が島田さんのところで作られたスーツを着てわざわざ挨拶に来て下さったので、筆者は手塚さんと話してばかりでした。  というのも、男性が客としてホストクラブに出かけるのに筆者はためらいがあるのです。やはり、女性客のための社交の場ですのでホストも男性客は扱いづらいと思うからです。では、筆者はホストの何に魅かれるのか。それはまず、個人的にはそのイケメンぶりとファッションです。しかし、セクシュアリティ研究者として興味があるのはその「ホモソーシャル的集団」に他なりません。例えば、キャバクラや銀座の高級クラブでもいい、ホステスさんのいるお店。従業員全員が女性だけの店ってありますでしょうか。支配人、ボーイ、いわゆる「内勤」に男性が必ずいるはずです。華やかなホステスさんを支える寡黙で頼りになる男性陣の存在は必須です。ところがホストクラブの従業員は裏方も含め全員男性。こうした男性だけの集団を「ホモソーシャル」と申します。「ホモソーシャル」と「ホモセクシュアル」との微妙な関係性はジェンダー研究の重要なテーマの一つ。若くして亡くなった女性研究者セジウィックの『男同士の絆』はその代表的著作です。  女性相手の接客業ながら、男だらけの日常。駆け出しのホストはマンションの一室で集団生活をしているわけで、ジャニーズ事務所の「合宿所」のようなものです。もうこれはボーイズラブ的な雰囲気にあふれているわけで、このよく言えば捻りのある複雑な、悪く言えばある種歪んだ関係性こそ筆者がホストに魅かれる理由です。ですので、女性に接客しているホストさんたちを眺めていても心ここに在らずという訳で。  まあそれはさておき、全員がスーツを着用されたお店はやはりきちんとされている。手塚さんがおっしゃっていましたが、テーブルにお酒や水などを運んで置くとき、跪いて目線を座っているお客様と同じにしてから置くといった所作を守っているのはこの店くらいだろう、と。ただし、スーツの着方には色々問題があるようで手塚さんはもとより島田さんのファッションチェックも女性陣は楽しんでおられたようでした。  あっという間の二時間は過ぎ、再び歌舞伎町の雑踏の中に連れ戻された四人。食事がまだでしたので軽く何処かでしようということに。手塚さんからは美味しいピザ屋があると教えていただいていたのですが、「千円でベロベロ=千ベロ」の本も作られた加藤さんから四川料理か韓国料理はどうとの提案が。店にあてがあるようです。筆者はすかさず韓国料理が良いと。すぐ裏手が新大久保なのでそちらへ移動するかと思いきやホストクラブからすぐのちょっと路地を入ったところにビニールテント張りのどう見ても韓国料理店があるではありませんか。歌舞伎町の闇に映える明るい店構え。ここは鍾路(チョンノ)かと錯覚したくらい。これだこれ、ホストクラブの後は韓国料理に限ると妙に納得した筆者。  「テンチョ」というその店は気のいい店長さんがこの日は一人で切り盛りされていて、客も韓国人ばかりで料理も本格的。セリのチヂミに感嘆し、「チュムルロク」という豚肉の甘辛ダレの鍋が最高。昔給食で脱脂粉乳を飲まされたアルマイトの器でマッコリを飲むのも何とも乙ではありませんか。  こちらもあっという間に帰る時間となり、筆者一人だけ別の駅に向かうので急に不安に。島田さんに道を調べてもらい、一刻も早くこの街を抜け出さないと、と一目散に歩く歩く。目印の公園が見えてきたときはちょっとホッとしましたがまだここは歌舞伎町。もう一息と歩みを早め、西武線の駅入り口が見えた時、ようやく安堵の気持ちが。  毎日が「祭」の歌舞伎町で働く人々のパワーに圧倒された夜でした。島田さん、ご招待いただきありがとうございました。   今月のお薦めワイン  「フランス最大のワイン産地 ラングドック=ルーション」 「フォジェール 2016年 AOP フォジェール カルメル・エ・ジョセフ」 2500円(税別)    ブルゴーニュ、ローヌとローヌ河を下って行くと地中海に出ます。南仏のワイン、とりわけローヌ河の西側に広がるラングドック地方は「オック語」という意味で隣接するルーション地方と共にラングドック・ルーションのワインとして知られています。 さて、「オック」という言葉に聞き覚えるのある方も多いかと思います。ラングドック・ルーションはフランスワイン全体の40%近くを生産するも、アペラシオンを名乗るワインは少なく、一ランク下の以前ヴァン・ド・ペイ(地酒)と呼ばれていたワインの生産量がフランス全体の80%を占めるという一大デイリーワインの産地なのです。そして、その代表格が「ヴァン・ド・ペイ・オック」でした。  オレンジ色のエチケットにフクロウのマークが印象的な「ミティーク」、ボルドーに匹敵する高品質のワインを生産するドマ・ガサックの造るデイリーワイン「テラス・ド・ギレム(現、ムーラン・ド・ガサック)」は日本でもお馴染みのカリテプリな日常使いのワインですが皆、ラングドック・ルーションのものです。  そのようなラングドック・ルーションはまた、フランスにおける葡萄品種別のワイン=ヴァラエタルワインの一大産地でもあり、あらゆる葡萄品種が栽培されています。しかし、本来はグルナッシュ、カリニャンと言った葡萄の産地であり、アペラシオンを名乗るワインはこれらの地品種を用いて造られています。  今回紹介させていただくフォジェールはラングドックを代表するアペラシオンの一つです。上記の地品種を50%以上使用すること。とりわけ、カリニャンの10~40%の使用が義務付けられています。造り手のカルメル・エ・ジョセフは1995年設立のメゾン。カルカッソンヌ近くのモンティユ村にあるラングドック・ルーションに特化したネゴシアンです。  このフォジェールのセパージュはシラー50%、グルナッシュ30%、カリニャン20%。以前紹介させていただいたコート・デュ・ローヌとはカリニャンの有無に違いがあります。両者を比較することで、果実味をより生かしつつ独特のスパイシーさが魅力で、ローヌとは異なった凝集性よりは広がりを持った南仏のワインのある種のおおらかさを堪能することが出来るかと思われます。これを機に地酒クラスばかりではなく、ラングドック・ルーションの様々なアペラシオンワインも是非お楽しみいただければ幸いです。  ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』  第十九回  「誕生年のワイン」

『美食通信』 第十九回 「誕生年のワイン」

 先日、人気お笑いコンビがMCのバラエティー番組で、2000年生まれの女性アイドルに送る誕生日プレゼントを出演者が競い合うという企画を放映していました。最下位の方が他の方全員の分も支払うという「ゴチになります」方式。Diorのコスメ、高級ハンドクリーム、マスクメロンと二万円から三万円のなかなか高額なプレゼントが並ぶ中、MCコンビのツッコミの方が誕生年のワインを購入されていました。ボルドーの第五級、ポイヤックのシャトー・クレール=ミロンの2000年を購入されていました。25000円。クレール=ミロンはボルドー五大シャトーの一角、シャトー・ムートン=ロートシルトのロートシルト(ロスチャイルド)家が同じポイヤックに所有するシャトーで、さらにもう一つ第五級のシャトー・ダルマヤックもポイヤックに所有しています。クレール=ミロンの方がダルマヤックより高く評価されていてお値段もお高い。2000年はミレニアムの上、良いヴィンテージでしたのでムートンは50万円ほどしてしまっています。そう思うと、同じ造り手で25000円はまずまずとも言えます。  実は昨年、毎年恒例の伊香保での泊りがけのワイン会で2000年のムートンを飲む機会を得ました。この通信を主宰下さっている島田さんも同席されていました。まだ早いくらいで見事な出来でしたがさすがに高価過ぎる。五大シャトーは尋常ではありませんが2000年はどのワインも高い値がついているのも事実です。  そして、かく言う筆者も先日、若い友人のバースデーを祝うのに誕生年の1995年のワインを開けました。ブルゴーニュのセラファン・ペール・エ・フィスのジュヴレ=シャンベルタン・ヴィエイユ・ヴィーニュにしました。というか、それが精一杯でした。レストランでの会食の折でしたので小売価格の二倍を覚悟しておく必要があります。ですので、レストランでバースデーワインを開けたいと思われたら、持ち込みが可能な店でご自身で準備したものにされることをお勧めします。  誕生年のワインは三十歳くらいまでなら比較的すぐ見つけられると思います。しかし、それ以上になると良いヴィンテージは見つかりますが高価であり、ヴィンテージが悪いと早飲みになってしまいますのでなかなか見つからず、どちらにせよそれぞれヘヴィーな状況に。  随分昔のことになりますが、1996年のこと。ちょうどパリに出かけることになりましたので知人の誕生日にと1965年のワインを探すことにしました。当時はまだインターネットが普及していませんでしたので、ワインはとにかく足で探す時代でした。現在は醸造技術が進歩して、以前ほどワインの出来不出来の差がなくなっています。ところが60年代になりますと不出来な年は散々で生産量は少なく長持ちしませんのでどこを探しても見つからないことに。1965年は60年代最悪の年と言われており、パリなら大丈夫だろうとたかをくくったのが裏目に。いつもヴィンテージワインを購入していたギャラリー・ヴィヴィエンヌのルグランならあるだろうと思ったのですが1965年はないとのこと。チェーン展開していたニコラの総本山、マドレーヌ広場の本店に出かけてみたのですが、ヴィンテージポルトならあるがボルドーはないと。他にいくつか店を回ったのですがどこにもありません。途方に暮れ、何とかワインショップの情報をとゴー=ミヨのワイン雑誌を購入しました。当時唯一の情報媒体でしたので雑誌にはワインショップの広告が載っていたのです。それらを探していると15区のあるワインショップがヴィンテージ物の立派なリストを載せていたのです。  ここならあるのではないか。早速翌日、その店を訪れました。すると五大シャトーの一つ、オー=ブリオンの1965年があるとのこと。蔵出しで1990年にリコルクされたもので、カーヴに寝かせていた際、エチケットがボロボロになってしまったらしく張り替えてあったのですが、元のエチケットを残したまま反対側に新しいエチケットを貼っていたので極めて珍しいブテイユ(ボトル)だったのです。もちろん、即刻購入しました。古いオー=ブリオンをたくさん所持していたようで他のオフヴィンテージもどうかと言われましたがそんな余裕はなく、ともかく入手することが出来ました。その知人とワインを一緒に開ける機会は逸してしまいましたが、後年某ワイン会で開けてみることにしました。リコルクした際、ワインを補填したのか予想以上に飲めたのです。その珍しいブテイユはそのまま保存することにしました。  古酒は通常飲むワインとは別の次元ですので枯れた感じを楽しむことが大事。もちろん傷んでしまっていてはいけませんが、果実の香り(アロマ)ではなく熟成香(ブケ)を嗅ぎ分け、ミネラルなど複雑な味わいを堪能することが肝要です。偉大なヴィンテージは抜栓後徐々にその眠りから覚め深い年輪を感じさせ、静かな感動を覚えることでしょう。残念な年のワインは開けたらすぐにピークが来ますのでそれを楽しみ、酸化を覚悟して後半に臨みましょう。  その点、三十年くらいまではどのワインもそれなりに楽しめます。2000年であれば、先述のようにムートン級のグランヴァンならまだ寝かせた方が良いくらいです。ですので、クレール=ミロンでしたら充分美味しくいただけると思われます。「新樽の魔術師」と言われたクリスチャン・セラファンが新樽率100%で造ったヴィエイユ・ヴィーニュも1995年が良作年だったこともあり、後半の方が美味しさが増してきて驚きました。  ただし、オールドヴィンテージはその状態が開けてみないとわからないというリスクが付きものであることをお忘れなく。高価な買い物になりますので、そのためにも信頼できるショップで買うこと。とりわけインポーターには配慮すべきでしょう。また、オフヴィンテージの場合はワインそのものを楽しむより一緒にお祝いすることが第一であることに意識的でありますように。  現在、筆者はFacebookに「エチケットは語る」というシリーズで過去に飲んだワインの記事を書いています。1997年篇を今執筆中ですが、当時筆者も若く、一緒にワインを囲む方々はさらに若い方ばかりでしたので、しょっちゅう誕生年のワインを開けていました。そのほとんどが1970年代で、おかげさまで1970年代のボルドーを良い年も残念な年もほとんど網羅的にテイスティングすることが出来ました。当時悪いヴィンテージは値段が安く、五大シャトーでも1984年、1987年といった80年代の残念な年はデパートで7000円くらいで売っていました。70年代のワインも同様で、一万円も出せばたいていのワインは充分購入することが出来たのです。  それを知っていましたので、25000円のクレール=ミロンを見たとき、「高い」と思わず呟いてしまいました。だって、これにディナーを加えたらレストランでいくら払うことになるのだろう。愛はお金に代えがたい。確かに。しかし、背に腹は代えられぬ。ワインとはかくも罪なものよ。そういつも思う筆者なのです。 今月のお薦めワイン  「イタリアスプマンテの期待のホープ プロセッコ」 「プロセッコ エクストラ・ドライ NV DOCプロセッコ・トレヴィーゾ レ・コンテッセ」 2160円(税別)  この回はイタリアのスプマンテ(スパークリングワイン)を紹介させていただくことになります。昨年は名実ともにシャンパーニュと肩を並べるロンバルディア州の「フランチャ・コルタ」でした。「フランチャ・コルタ」は地名で、使われる葡萄品種にもシャンパーニュと同じシャルドネ、ピノ・ネッロ(ノワール)が含まれ、製法も瓶内二次発酵を用いています。では、それに対し、イタリア独自のスプマンテは何かと問われれば、その筆頭に挙がるのがヴェネト州の「プロセッコ」ではないでしょうか。  プロセッコは葡萄品種の名前でしたが、ワイン固有の名前として採用しようと品種名を2010年から「グレラ」種に変更しました。最低でもグレラ種を85%使うことが義務付けられています。ちなみに今回ご紹介する「レ・コンテッセ」のプロセッコはグレラ100%で造られています。また、DOCから出発した格付けはDOCGを名乗れるものも出来、さらにスペリオーレの中の43村だけが名乗れる「リヴェ」、さらには最高の畑と言われる「カルティッツェ」に至っては単一畑名の表記が許されるなど階層化が進んでいます。  そして、2013年にはシャンパーニュを抜き、世界で一番売れているスパークリングワインとなり、スペインのカヴァを加えて、世界の三大スパークリングワインの一角をなすまでに至っています。  製法は他の二つとは異なり密閉タンク方式を用いています。そのため、シャンパーニュに感じられる酵母のトースト感(パンのような香り)はなく、葡萄本来の香りとフレッシュでフルーティーな味わいが特徴となります。葡萄の特性からやや甘みを感じるかと思いますが傾向としてはやはりシャンパーニュに合わせるべく辛口に仕上げるのが主流で、今回ご紹介するプロセッコも「エクストラ・ドライ」、爽快感のある辛口仕様となっています。アルコール度数はシャンパーニュよりやや低く10~11%。このプロセッコも10%です。そして、何より大量生産が可能ですので価格的にリーズナブルなことが多くの方に選ばれる理由の一つと言えましょう。  造り手の「レ・コンテッセ」はコネリアーノ地区にあるスプマンテを得意とするカンティーナ。最新の技術を用いて、プロセッコに関しては通常のガス圧より高い5.3気圧に上げて生産しているとのこと。こうして、一週間ほど寝かせておくと泡がワインに溶け込み、シャンパーニュ方式のような綺麗できめ細かい泡になるそうです。シャンパーニュとは一味違った軽やかで爽やかなフレッシュな味わいを是非気軽にお楽しみください。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第十八回「クロワッサン好き」

『美食通信』第十八回「クロワッサン好き」

 筆者はいわゆる「おかずっ食い」で食事の際、主食の穀類を基本食しません。少食なのと食後にデザートを必ず食べますので(それも結構しっかりと)、炭水化物はそれまで控えるようにしたいと思っているからです。お米は週に一回、昼に具がたっぷりの太巻を食べるくらいです。カレーはルウだけ食します。一番苦手なのが麺類。見ただけでお腹が一杯になってしまいますので、滅多に食しません。何人かでイタリアンに出かけた際、ちょっといただくくらいです。個人的にはカルボナーラとかパスタソースは好きですのでレトルトで買ってソースだけ食してみるのですが、さすがに濃過ぎて美味しくいただけません。そんな中、まだパンはましな方で、大学で昼食をとらなければならないとき、アンドーナツなどコンパクトでカロリーが摂れ、パサパサしていないパン類は救いの神です。パンでもパサパサしたものは苦手でアンパンは中のあんこだけにして欲しいと思うくらい。例外はバケットなどフランスパンで、フレンチに出かけて手を出すことは稀なのですが、時折、料理やワインが口の中に残り過ぎた時、水で洗い流すとお腹が膨れるのでバケットをちょっと齧りたくなります。そのままの時とバターをたっぷり付けたいときと、それは時に応じて異なるのですが。  そんな筆者ですが、時折どうしても食べたくなるパンがあります。それは「クロワッサン」。  ただ、クロワッサンであれば何でも良いという訳ではありません。バターをこれでもかとふんだんに使ったクロワッサンでないとダメ。外見は良く焼けていて、でも持つと手にバターが付いてしまう。さらに食すと、中は噛み切る際ねっとり感があり、バターが滲み出てきて、口の周りがテカテカに光ってしまうくらいでないと。ですので、ホテルの朝食バイキングのバターをケチったミニクロワッサンなるものを見るたび、おかずだけにしてパンはやめようと思うのですが、ついつい一つ取ってしまい、一口食べて後悔し、給食用のバターを持って来てべったりつけて食するのですがマーガリンもどきでは、これまたどんどんキワモノ化してしまうのがオチです。  筆者にとって、「『クロワッサン』はこうでないと」とのある種の基準化は一九九四年、パリに初めて一人で海外研究に出かけた際、食した「クロワッサン」にあるかと思われます。それはパリのデパート「ギャラリー・ラファイエット」の食料品専門フロア(日本でいう「デパ地下」)「ラファイエット・グルメ」にあった「ルノートル」の「クロワッサン」。「ルノートル」は当時、日本では西武百貨店が提携を結んでいて、西武デパートには何処にも「ルノートル」が付設されていました。「ルノートル」はパティシエのガストン・ルノートル(1920~2009)が始めたブランドで、ガストン氏はプロのための料理学校をフランスで初めて設立(1971年)するなどフランス料理界に絶大な影響力を持っていました。また、シャンゼリゼ大通りに、甥のパトリック氏がシェフを務める「ル・パヴィヨン・エリゼ」という星付きレストランを経営していた時代もありました。ですので、「ルノートル」はすでに知っていて、日本では主にケーキを食していたのですが、「ラファイエット・グルメ」の「ルノートル」のクロワッサンは壮観でした。焼き上がる時間が決まっていて、その時間になると台の上にこれでもかとクロワッサンがてんこ盛りに出されるのです。それを待ってましたとばかりに、客がワッと寄ってたかって大量に買って帰る。あっという間に無くなってしまうので、筆者も一つか二つですが焼き上がる時間に出かけて、おこぼれを頂戴するかのようにクロワッサンを買いに出かけたものです。その時はシャンゼリゼ大通りを一本奥に入ったポンチュー通りのレジダンスを借りていましたので、散歩がてら歩いて通いました。確かにそれなりに高級なのですが気取ったものではなく、日常のちょっとした贅沢くらいのパンだと思うのです。  その後、二十一世紀になってほどなく、『どっちの料理ショー』で「日本一美味しいクロワッサン」というふれ込みで名古屋の「ブランパン」のクロワッサンが紹介されたことがありました。もう、どうしても食べたくなって、当時、三菱重工に勤める昔の教え子が名古屋にいましたので、友人たちと名古屋詣でし、繁華街から離れた名古屋大学の近くにある「ブランパン」まで教え子の運転するランボルギーニでクロワッサンを食べに出かけました。フランス人の店主が作るクロワッサンは不味くはないものの「日本一」というほど美味しくもなくガッカリしたものです。持って帰るのを待ちきれず、近くの公園で皆で食べたのをよく覚えています。夜、ホテルでワインを飲むとき用といって買った総菜や総菜パンの方がおフランスしていて美味しかった。  人生において、一番クロワッサンを食べたのは二〇〇五年、呼吸器疾患で生死の淵を彷徨い、二ヶ月間入院した時でした。人生初めての入院が面会謝絶になるほどの重篤なもので、精神的にもパニックになってしまい、体重は三十キロ台まで落ちていました。そんなこんなで個室にずっと入院していたのですが、それが功を奏したというか、病院食に融通をきかせてもらうことが出来ました。相当の偏食家だと思われるようですが、何せおかずは文句を言わずに食べるので、ご飯はイヤと言ったら、じゃあ何でもよいので炭水化物を取って下さいということに。呼吸器の病気なので食事に制限がなく、治療者側もともかく栄養を摂って体重を増やして欲しいわけです。またその病院、昼は麺類だというのでそれもイヤだと言ったら、おかずだけ作って出してくれるというではありませんか。そこで筆者は家人にクロワッサンを買ってきて欲しいとお願いしたのです。もちろん、一日三食クロワッサンですので、スーパーに売っている一袋に数個入った大量生産のものを食べていました。チューブ状のバターやチョコレートクリームをたっぷり付けて。おかげさまで何とか生還することが出来ました。まさに「クロワッサンさまさま」です。  それから時折、有名店のクロワッサンなど食してみるのですが大体ダメです。余分な味がする。砂糖が入っているのか甘さを感じる場合が多い。菓子パンのイメージなのでしょうか。先日も南青山にフランスでも有名なクロワッサンの店が再オープンしたというので食べてみたのですがやはり菓子パンに近く、香りは良いのですがオイリーなバター感がなく、澄ました上から目線の味わいでガッカリしました。そんな中、最近食したクロワッサンで最高だったのは昨年九月、浅間温泉に出かけた際泊まった「松本十帖」の朝食で出された「アルプスベーカリー」の「クロワッサン」です。隣の「小柳」の二階に店を構えるベーカリーで焼き立てだったようですが、ともかく持つ手がベトベト、滲み出す大量のバター、お口の周りはテッカテカと食べるのにお行儀よく出来ず一苦労するのですが、これこそ「クロワッサン」を食する醍醐味。久しぶりに美味しいクロワッサンに出会えました。ただ、「信州ガストロノミー」の朝食はメニュがテーブルに置かれてある立派なコース仕立て。クロワッサンにたどり着く頃には少食の筆者はもうギブアップ寸前で。この時ほど、パリの朝食が「コンチネンタル」(生ジュース、パンの盛り合わせ、飲み物のみ)だったことの正しさを痛感したことはありませんでした。   今月のお薦めワイン  「イタリア赤ワインの手頃な定番 モンテプルチアーノ」 「モンテプルチアーノ・ダブルッツォ レ・モルジェ 2020年 DOCモンテプルチアーノ・ダブルッツォ テッレ・ダブルッツォ」 1900円(税別)   私たちにとって、イタリア料理はフランス料理に比べ、身近で日常使いにも適した得難い西洋料理です。もちろん、高級リストランテでの食事も素敵ですが、ピッツェリアでちょっと小腹を満たしたり、トラットリアで親しい方たちと賑やかな食卓を囲むのも食の幸せな時間に他なりません。そんな気軽な食事の際、欠かせない手頃に楽しめて美味しいイタリアの赤ワインと言えば、「キャンティ」と「モンテプルチアーノ・ダブルッツォ」が双璧ではないでしょうか。切れのいい酸とタンニンのタイトな味わいを楽しみたければ「キャンティ」、ストレートな充実した果実味を楽しみたければ「モンテプルチアーノ・ダブルッツォ」とお考え下さい。「モンテプルチアーノ・ダブルッツォ」はイタリア半島の長靴のちょうど真ん中辺りに位置するアブルッツォ州でモンテプルチアーノ種という葡萄から造られるワインです。このアブルッツォ州、他の州と異なり、この赤のモンテプルチアーノ・ダブルッツォと白のトレッビアーノ・ダブルッツォという二種類のワインが大半を占め、他のワインが殆どありません。しかし、「モンテプルチアーノ・ダブルッツォ」はイタリアワインを代表する赤ワインの一つというユニークな州です。  そして、「キャンティ」が千円を切るコンビニワインから、ヴィンテージ物の高級なものまでグレイドが多岐にわたるように、「モンテプルチアーノ・ダブルッツォ」もエミディオ・ペペのように少数ながら、長熟用に造られ数万円するような銘酒も存在するのです。しかし、ほとんどは手頃な価格の早飲みタイプ。濃いルビー色、ベリー系の香り、果実味豊かですがクセがなく、後に引かない飲みやすさがあり、アフターにちょっとリコリスのようなハーブ系の余韻があります。やや温度を低めにすると料理とも合いやすく、ついつい飲み過ぎてしまうくらい。  今回ご紹介する「テッレ・ダブルッツォ」は1999年設立の新しいカンティーナ(ワイナリー)。クオリティは高く、しかし、手頃に楽しめるワインを提供することをポリシーとする品質管理を徹底したモダンな造り手と言えるでしょう。ちょっとイタリアンな時にどのようなシチュエイションにもピッタリの一本です。どうぞ、お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第十七回「嗜みとしてのゴルフ――マスターズを終えて――」

『美食通信』第十七回「嗜みとしてのゴルフ――マスターズを終えて――」

 今年もマスターズの季節となりました。昨年は松山英樹プロが日本人初さらにアジア人初の優勝という快挙を成し遂げました。まさか自分が生きている間に日本人が優勝するとは思っていませんでしたので、筆者もまた大変感激しました。大学がちょうどコロナ禍でリモートになっていましたので、ついついテレビに釘付けになり、気づくと朝になっている数日でした。最終日、松山選手は最終組でしたので一番ホールから最終十八番ホール、最後のパットを入れて優勝するまでずっとテレビ観戦していました。今年はちょっと残念な結果になりましたがそれでもついつい朝方までテレビに見入ってしまう日々でした。  実は筆者、スポーツが苦手というかあまり好きではありません。団体で行なう競技がとりわけ好きになれず、学校体育は苦痛の日々でした。そんな中、唯一自ら熱中したスポーツがゴルフだったのです。ゴルフを始めたのは小学校五年生の時。ちょうど父の転勤で長野県の諏訪から神戸に引っ越してからということになります。思えば、半世紀も前のことになってしまいました。神戸に引っ越して、父が毎週末、ゴルフの練習場に行くようになったのです。 最初は興味本位でついて行ったのですが、自分も打たしてもらうとがぜんやってみたくなり、毎週父と練習するようになりました。社宅から歩いていける距離に二軒練習場があり、新しくできた方は結構な距離でしたがまだ国道に阪神電鉄の路面電車が走っていて、それに乗るとすぐでした。社宅は一軒家でしたので、小さな庭で父からもらったお古のクラブで毎日素振りをしたり、空き缶を地面に埋めてカップに見立て、パターやアプローチの練習をするようになったのです。基本的なマナーや技術などは父がくれた中村寅吉プロの書かれた初心者用の本を頼りに学んでいきました。  子供ならではの好奇心で我流とはいえ、みるみる上達し、すぐにショートコースに出られるようになり、六年生になる頃には父に連れられ、コースを回るようになりました。父は銀行員でしたので銀行が持っている会員券があり、それをお借りして、名門の芦屋カントリークラブでもプレーさせていただきました。すでに書かせていただきましたが、関西は付け届けが盛んで、お歳暮お中元だけでなく、バレンタインなどことある毎に何か家に届くのですが、その他に休みに家族連れで旅行にご招待下さるなどということもありました。 東条湖という遊園地やゴルフ場といったリゾートを湖畔にしつらえた人口湖があり、そのほとりにある某企業の保養所に数回出かけました。社宅の隣の方とご一緒し、家人は遊園地、自分は父とお隣のご主人と三人でゴルフという訳です。自分はその東条湖カントリーが一番好きでした。関西のゴルフ場は関東の林間コースとは異なり、丘陵コースと言い、アップダウンが激しく、ホールの周囲を木が囲むこともありません。海辺にあるイギリスのゴルフコースをそのまま内陸に移した感じです。ところが東条湖は人口湖ですので、その周囲はフラットでまさに関西では珍しい林間コースだったのです。真夏でも木がありますのでどこか涼やかで実に気分良くプレー出来たのです。 今から五十年も前に小学生がゴルフなどというとよほど特別なことのように思われましょうがそれ程でもありませんでした。当時の会社員は誰もが接待ゴルフ、麻雀等々が仕事のようなものでしたので、自分と同じような境遇のゴルフ少年が同じクラスにいたのです。内田君といってお父様は鐘紡に勤められていました。まさに転勤族の子息です。夏休みが終わって学校が再開すると、お互い、休み中にどこのコースを回ったかなど語り合ったものです。 そのように子供の頃からゴルフをしていたならプロになることを考えたりしなかったのなどと若い友人たちからよく尋ねられるのですが、微塵もそのようなことを考えたことはありません。ゴルフはあくまで趣味、嗜みでしかないというのが常識だったからです。自分が子供の頃、ゴルフを生業にするというのは中卒でゴルフ場に勤め、キャディーから叩き上げるまさに職人の修行でしかなかったからです。 もともと、ゴルフはプロスポーツではなく、「紳士の嗜み」として人気を博してきたのではないでしょうか。実際、筆者の子供の頃、アマチュアゴルフ界には中部銀次郎(1942~2001)という「プロより強いアマチュア」といわれた名プレーヤーがいました。今でこそ、アマチュアゴルフ界はプロになる前の大学生のためにあるかの如くの様相を呈していますが、当時プロゴルフとアマチュアゴルフは別の世界と子供ながらに筆者は捉えていました。中部氏は大洋漁業の社長のご子息。小学校からゴルフを始められ、甲南大学卒業後は大洋漁業の関係会社に就職。サラリーマンをしながら、生涯アマチュアとして活躍されました。ですので、筆者は一度もプロゴルファーになろうなどとは露ほども思ったことはありません。また、父も自分をプロゴルファーにしようなどと考えたことはなかったでしょう。実際、中学二年生の夏に東京支店に転勤になり、船橋の社宅に住むようになってからもゴルフコースには連れて行ってもらいましたが、筆者は以前のような熱心さをなくしていました。それでも、父は別にあれこれ言うことはありませんでした。銀行の同僚が会員権を買うというので、お付き合いで買っていましたが筆者はそれを使わせてもらうこともあまりなく、時々父と一緒に回ったりするくらいでした。 父は筆者が大学に入ってフランス料理に熱中し始めると、銀行の部下の女性行員を二名招いて筆者と四名で毎月フランス料理の食べ歩きをさせてくれました。訪れる店は筆者に任せて、金は出すが口は出さない。ゴルフの時と一緒でした。今は亡き父に心から感謝している次第です。 筆者の母方の祖父はアマチュア野球の審判として、高校野球の甲子園への静岡県大会決勝の主審を務めるなど社会人野球に尽力していました。その縁もあり、母の妹は父の母校ででもある県立静岡商業が甲子園で準優勝した際の監督と結婚し、その叔父はアマチュアゴルファーとして静岡県でもトップクラスの成績を収め、ゴルフショップを経営しています。しかし、筆者は叔父とは一緒に回ったことはありません。ゴルフの話はもちろんしますが。 つまり、ゴルフはあくまで「社交」の一つなのであり、それぞれのテリトリーの中で一緒にプレーすることで人間関係も潤滑になり、生活に潤いが出るのではないでしょうか。筆者は子供の頃、内田君と学校でゴルフの話で盛り上がりましたが、彼と一緒にプレーしようと思ったことはありませんでした。それは内田君には彼の家庭のテリトリーがあり、転校生というその境遇は同じであっても自分の家庭とは異なっていると子供ながらに理解していたからと思います。 一家総出で子供をゴルファーにしようという家庭を見るにつけ、父が平凡なサラリーマンであって本当に良かったと心底思う今日この頃です。     今月のお薦めワイン 「フランスワイン第三の産地 ヴァレ・デュ・ローヌ」 「コート・デュ・ローヌ ルージュ プティ・ロワ 2018年 AC コート・デュ・ローヌドメーヌ・ヴァル・デ・ロワ」 2200円(税別)  今回はフランスの赤ワインでブルゴーニュ、ボルドー以外の代表的ワインを紹介させていただきます。すでに繰り返し申し上げてきましたように、ブルゴーニュは緯度的に赤・白双方の銘酒を産することの出来る実に恵まれた地勢を有しています。ですので、赤ワインはより南が適していることが分かります。そして、ブルゴーニュをそのまま南下した場所に位置するのが「ローヌ」のワインということになります。  ローヌの赤ワインを代表する葡萄品種は何といっても「シラー」でしょう。ボルドーの「カベルネ・ソーヴィニヨン」「メルロ」、ブルゴーニュの「ピノ・ノワール」と並んで世界中でヴァラエタルワインとして造られている品種の一つです。南の葡萄だけにスパイシーで野性味にあふれ、アルコール度数も高い。北ローヌではシラー単品種で造るワインが多く見られ、最北の「コート・ロティ」はその中でも高価な銘酒を生み出しています。また、そのすぐ南に位置する「コンドリュー」は早飲みの高級白ワインの産地でヴィオニエ種という珍しい葡萄品種から造られています。  しかし、多くのローヌのワインはシラーとグルナッシュなどの混醸でスタイルとしてはボルドーに近いと言えましょう。その中でも珍しいのは南ローヌを代表する赤ワイン「シャトーヌフ=デュ=パープ」で13種類の葡萄品種を用いることが出来ます。造り手によっては単品種で造る者もいて、多彩な味わいを楽しむことが出来ます。  今回ご紹介するのはもっともポピュラーな「コート・デュ・ローヌ」の赤です。ブルゴーニュで言えば、ACブルゴーニュに相当するワインです。上記の通り、シラー、グルナッシュ等の混醸で、グルナッシュは南仏のワインでもよく用いられますので、シラーの割合の多いワインを選んでみました。この「プティ・ロワ」はシラー60%、グルナッシュ40%となっています。  造り手はエマニュエル・ブシャール。ブルゴーニュワインを代表するドメーヌ、ブシャール家の一族で父のロマン氏が1965年に南ローヌのヴァルレアに畑を持ったのがこの「ドメーヌ・ヴァル・デ・ロワ」の始まり。エマニュエル氏は97年にドメーヌを継承。2013年にエコセール認証を得るなど自然派ワインを造っています。自然酵母での発酵、樽を用いず、葡萄の味わいそのものを感じられるワイン造りがモットーとのこと。  若くても楽しめる果実味たっぷりのローヌのワイン。ブルゴーニュの洗練さと対照的な野趣味にあふれたパワフルな味わいはこれからの季節、野外でのバーベキューなどにもピッタリかと思われます。是非お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第十六回「菅田将暉現象―『ミステリと言う勿れ』をめぐって―」

『美食通信』第十六回「菅田将暉現象―『ミステリと言う勿れ』をめぐって―」

 「月九」と言えば、一九九〇年代のテレビドラマ全盛期、『東京ラブストーリー』、『ロングバケーション』、『ビーチボーイズ』といったトレンディなラブロマンス路線で一世を風靡したものでした。しかし、SNSが発達し、テレビ離れが進む中、テレビドラマ全体がエンタメにその座を奪われ、低迷状態が続いています。そんな中、「月九」も路線変更を図り、『コンフェデンスマンJP』や『監察医朝顔』といったそれぞれがコンセプトを持った個性的な作品で視聴者を取り戻しつつあります。そして、この二〇二二年最初のクール、話題を呼んでいるのが菅田将暉主演の『ミステリと言う勿れ』です。原作は『月刊フラワーズ』に二〇一七年一月初掲載の田村由美によるミステリー漫画。「普通の大学生」を名乗る天然パーマが印象的な主人公、久能整(くのう・ととのう)が次々と不可解な事件を解決していくというもの。  特徴的なのは主人公が極めて無感情な面持ちで、長口舌を繰り広げ、事件の真相を明らかにすることでしょう。若者ですから豊富な経験からではなく、抜群の記憶力と観察力からの推理。実際、人生初の焼肉屋で、「メニュが多すぎて、注文のシステムがわからないから選べない」とお手上げ状態に。ちなみにカレーが好物でジャワカレーとバーモントカレーのルーを半々で作るのがルーティーンとか、サッポロ一番は味噌ではなく塩に限る。しかも、何も具を入れず、封入されている「すりごま」の風味で食するのが最高と食にもこだわりを見せています。筆者が思い出したのは、大学院生時代、博士課程から入ってきた後輩に(といっても年は自分の方が若かったのですが)大変な偏食家がいて、「どうして食べられないの」と尋ねたら「経験がないから」との答えが。「じゃあ、食べてみなければ食べられないかわからないじゃん」と筆者。  このドラマで主人公が解決する事件は家族というテーマが重要な意味を担っていると考えられます。整の初恋?の相手「ライカ」は父親に性的虐待を受け、重い解離性同一性障害(多重人格症)に罹患し、長期入院している女性の最後に残った別人格という設定。かく言う、整も胸に火傷の跡があり、親から虐待を受けていたことを示唆しています。これは犯罪心理学的に言えば、ラカンの言う「家族複合(コンプレックス)」に原因のある犯罪。このような複雑なキャラクターを演じることの出来る若手俳優は菅田将暉をおいて他にいるでしょうか。彼は横浜流星や神尾楓珠のようなイケメンではありませんが、菅田将暉という独自の存在感を放っています。  それは例えば、「スダラー」と呼ばれる「菅田将暉の名言通りに生き、服も食事も思考もすべて菅田を完コピする信者」を生み出すことに。その代表の「将暉」さんは歌舞伎町のホストクラブでナンバーワンになり、テレビにも登場。「これぞ、今どき男子的生き方術」と帯に記された『影ニャでニートでアイドルオタクだった僕が歌舞伎町で指名ナンバーワンホストになって水を売る理由』という本まで出されています。  では、その菅田将暉的生き方でポイントとなるのは何かと言えば、音楽活動とファッションと言えましょう。こうしたライフスタイルの確立は2016年3月20日に放映された『情熱大陸』をご覧になるとその起源を知ることが出来るでしょう。筆者も『美男論』の講義で取り上げたことがあります。この回は通常の製作スタッフが撮影したのではなく、菅田の希望で彼を知る映画監督がフィルムを回したのでした。ある意図を持ったドキュメントというより菅田の日常をありのままに記録に残す形になっています。その中で菅田は部屋を借り、友人たちと服作りに励んでいます。また、GReeeeNの楽曲「キセキ」の誕生実話をもとにした映画『キセキ―あの日のソビト―』(2017年1月28日公開)の主役として、バンドのヴォーカリストを演じ、同じバンド仲間を演じた横浜流星、成田凌、杉野遥亮とスタジオで練習する光景も撮影されていました。このユニットは「グリーンボーイズ」としてCDも発売しています。そして、この辺りから菅田はミュージシャンとしての活動も本格化していきました。 実際にまた、ドラマが終わるこの三月、アルバム『COLLAGE』が九日に、これまで五年間のスタッフによるスナップと私服のコーディネイトを撮り下ろした本『着服史』が二十五日に発売されます。しかも、『着服史』の帯や表紙に使われた写真は俳優の永山瑛太が撮影したもの。以前は「瑛太」と名乗っていた永山も『ミステリと言う勿れ』に犬童我路役で登場。しかも、そのストレートの金髪姿が初見で「これ誰?」と思う意外性に富んでおり、しかも極めて美しい。実は筆者、瑛太時代、やはり金髪で演じた『のだめカンタービレ』(2009~10年)での峰龍太郎が大好きで、瑛太の金髪は大好物なのです。  また、永山だけに限らず、『ミステリと言う勿れ』に登場する事件関係者は皆個性的で魅力的。「ライカ」を演じた門脇麦を筆頭に、虐待された子供を救うため家に放火して両親を焼死させる白装束の「炎の天使」、早乙女太一の美しさにも感嘆。また、『三好達治詩集』の詩を用いて爆破予告をする記憶喪失の爆弾男を演じた柄本佑も実に素晴らしい。菅田将暉の個性的演技は独壇場になるのではなく、他のキャラクターをも生かし、いや引きたてさえもしています。菅田の主役としての存在感は揺らぐことなく、ゲストの俳優の魅力も最大限に引き出させる。こうして、『ミステリと言う勿れ』は実に充実した作品に仕上がっていると言えましょう。  最後に筆者が嬉しく思ったのは、文学作品が重要な役割を担っていることです。爆弾男は『三好達治詩集』を肌身離さず持っていました。そして、何といっても「ライカ」と整の会話がマルクス・アウレリウスの『自省録』を用いた暗号で行なわれるのに整が岩波文庫版の『自省録』を携帯したことで、文庫が増刷されたのでした。いにしえの文人ローマ皇帝(121~180)の人生訓。哲学史的には「ストア派」に属する作品です。美智子上皇后さまの相談役としても知られる精神科医の神谷美恵子氏(1914~79)が昭和二十三年に公刊し、三十一年に文庫になった四半世紀も前の訳が現代に蘇る。さすがに本屋で平積みされていた文庫の帯に整の菅田の写真が使われていたのにはちょっと違和感を覚えました。天下の岩波書店でも背に腹は代えられないか、と。筆者にとって、岩波文庫と言えば、半透明のパラフィン紙をカバーにしていた質素なスタイルこそ本領発揮と思うのですが。  いずれにせよ、菅田将暉現象が「今の」日本文化の様々な領域でその一翼を担っているのは明白。ますます菅田から目が離せません。   今月のお薦めワイン 「フランスのドイツ 多彩なる白ワインの宝庫アルザス」 「レ・プランス・アベ・ゲヴュルツトラミネール 2018年 AC アルザス  ドメーヌ・シュルンバジェ」 3800円(税別)   昨年のクールの第四回目はフランスの白ワインを紹介させていただきました。今年はそのヴァリエーションです。「ワインの王様」、ブルゴーニュワインはその地勢が赤白共に優れたワインを産する場所に位置し、赤はピノ・ノワール、白はシャルドネという最適な葡萄品種を得て、それぞれ単品種のみで多様なワインの世界を構築することになりました。緯度的にブルゴーニュより北は白、南は赤が優勢ということになります。従って、ブルゴーニュ以外のフランスの白ワインの名産地の第一はドイツとの国境にある「アルザス地方」のワインがすぐに思い浮かぶことでしょう。実際、アルザス地方はドイツとの国境をめぐる戦争が起こるたびに所属が変わる歴史を持っています。現在はフランスですが、今回の造り手シュルンバジェはドイツ語読みでシュルンベルガー、パリっ子ならシュランベルジェと発音することからも分かりますように明らかにドイツ系の血を引く人々の住む土地なのです。  従って、アルザスワインの最有力品種はドイツワインと同様、リースリングとなります。しかし、アルザスではその他にグランクリュを名乗れる品種として、リースリングと共に今回ご紹介するゲヴュルツトラミネール、ピノ・グリ、ミュスカの四種があり、他にもピノ・ブラン、シルヴァネールといった品種が単品種で造られています。もちろん、「ヴァン・ダルザス」と名乗る混醸のワインも造られていますが、やはり単品種で造られたワインの方が高級です。  今回、その中から「ゲヴュルツトラミネール」を選ばせていただいたのは、極めて個性的かつアルザスが主たる産地であるからです。その個性は「香り」にあります。おそらく、世界中の白ワインの中で一番香りが強いのではないでしょうか。それも香水のようなフルーツ系をベースにスパイスが効いたフローラルな実に印象深い香りで一度体験すれば、次回から香りを嗅ぐだけで言い当てることが出来るでしょう。味わいは辛口が主ですが、アルザスには稀少な甘口もあります。辛口は香りに見合うコクがあり、口当たりは滑らか、微かな塩味も感じられます。  今回ご紹介させていただくシュルンバジェは1810年創業の歴史あるアルザスを代表するドメーヌの一つ。現当主、アラン=ペイドン氏は七代目とのこと。栽培はビオロジック。所有する畑の半分がグランクリュ畑。今回はグランクリュでなく、リーズナブルなスタンダードのキュヴェの方を紹介させていただきますがそちらも15年未満のグランクリュの若木の葡萄が使用されているそうです。ボルドーで言えば、セカンドワインに相当します。「重たさのないリッチさ」がモットーのワイン造りとのこと。他の品種、グランクリュとラインナップも多彩なので、興味を持たれたら、他のワインもぜひお試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP  

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『美食通信』第十五回「ヴァレンタイン考」

『美食通信』第十五回「ヴァレンタイン考」

 二月に入ると毎年何だか憂鬱になります。このコロナ禍で外出を控えているのですが、一人暮らしの筆者は近所のスーパーに買い物に出かけないわけには行かず、レジを済ませて買った品物を袋などに詰めるスペースの脇がヴァレンタインデーのチョコレートを売る臨時のコーナーになっているのです。この人生ヴァレンタインに縁のない筆者とはいえ、急ごしらえの大々的なスペースに圧倒され、なんとも惨めな思いに苛まれるのです。  思えば、ヴァレンタインデーにチョコレートをプレゼントするという習慣はお菓子業界の戦略で日本独自のものであることは周知のこと。ただ、その起源は諸説あるらしく、戦前の「モロゾフ」製菓の広告であるとか、戦後、メリーチョコレートが伊勢丹でキャンペーンを行なったのが最初など定かではないようです。ただ、その習慣化は1970年代、小学校高学年から高校生の女子が好意を持つ男子にチョコレートを贈るという行為が広まり、80年代に入ると大人たちの間でも「義理チョコ」といった同僚や上司への気遣い、さらには「ホワイトデー」といった返礼の商戦が展開していった模様。筆者は70年代初めに小学校高学年になっていましたので「本命チョコ」の洗礼をもろに被っていたわけです。しかも、ちょうど父の転勤で長野県の諏訪から神戸に転校したのは小学校五年生の時でしたので、「モロゾフ」の本拠地神戸ではヴァレンタインは一大行事だったのです。女子からチョコをもらうことはありませんでしたが、父が銀行員で取引先にモロゾフ、ゴンチャロフといった地元の菓子会社も含まれていましたので、ヴァレンタインには家にチョコレートの詰め合わせが贈られて来ました。チョコ好きの筆者としてはモテない虚しさを覚えながらも、チョコレートには不自由することなく過ごすことが出来たのです。  その後もヴァレンタインのチョコにはまったく縁のないまま現在に至っているのですが、唯一の例外で、昔の教え子のNさんから毎年律義にヴァレンタイン当日にチョコレートが贈られて参ります。Nさんはキャリアウーマンで多忙な方なのですが、昨年の『美食通信』一周年のイヴェントにも紅一点参加下さり、場を盛り上げて下さいました。「按田餃子」の按田優子さんと大学の同級生であの年の学生さんとは御縁があるようです。二十年近く前、生死の淵を彷徨う二か月の入院を余儀なくされたことがあるのですが、その際もNさんはライターのO君と一緒にお見舞いに来てくださり、当時伊勢丹に上陸したばかりのジャン=ポール・エヴァンのチョコを持参して下さいました。筆者が今生の別れにエヴァンが食べたいとリクエストしたらしいのですが、何せ重篤な病で精神的にも混乱していて当時の記憶がおぼつかないのです。  また、ヴァレンタインデーが毎年の恒例行事となると、プレゼントするものがチョコレートだけではなくなってきました。ワイン業界もエチケットにハートマークをあしらった銘酒シャトー・カロン=セギュールを筆頭にヴァレンタインが名前についているシャトー・ロル・ヴァランタンなどあの手この手でヴァレンタイン用のワインをプレゼンしています。  しかしこの時期、筆者の脳裡をよぎるのはジャズのスタンダートナンバー、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」です。一時期、1950年代後半の女性ジャズヴォーカルにはまった筆者にとって数々の名唱に遭遇してきましたが、やはりまず聴くべきはチェット・ベイカー(1929~88)の演奏でしょう。もともと、1937年に発表されたロジャーズ/ハートのミュージカル『ベイブス・イン・アーム』の劇中歌で、歌唱を広めたのはフランク・シナトラ、またトランペットの巨匠マイルス・デイヴィスがインストナンバーとしてカバーしたことで有名になりました。ベイカーはトランペッターであり、また独特の中性的な声とそのイケメンぶりで50年代、時代の寵児と謳われ大変な人気を博しました。そんなベイカーの事実上のデヴューアルバム『チェット・ベイカー・シングス』(1954~56年録音)には「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」も収録され、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」といえば、ベイカーのこの録音の名前が挙がることでしょう。「パシフィック・ジャズ」レーベルから出されたアルバムは白Tのベイカーがマイクの前で歌う姿が赤・黄・青のトリコロールを背景に浮かび上がるというジャケットがまた秀逸。レコードの時代、ジャケットは購買力を左右するものであり、また芸術性も兼ね備えた重要な要素だったのです。  確かに上記のアルバムでのちょっと物憂げなハイトーンヴォイスのベイカーの歌唱はお洒落で素敵なのですが、他の曲に比べ演奏時間も短く、印象が弱い気がします。同じアンニュイな歌唱なら「ザ・スリル・イズ・ゴーン」や「アイ・フォール・イン・ラヴ・イージリー」などの方が聴きごたえがあるか、と。筆者がお薦めするのは1958~59年にミラノでステレオ録音された『チェット・ベイカー・ウィズ・フィフティー・イタリアン・ストリングス』に収められた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」です。実はこの演奏はオリジナルLPには収録されておらず、CD化された際に復刻されたもの。ベイカーは麻薬中毒でこの後不遇の時代を過ごし、70年代後半から活動を再開。80年代に入ると86年、87年と来日を果たすなど活躍の場を広げましたが、88年アムステルダムのホテルの窓から転落死するという波乱の人生を送りました。このアルバムもアメリカにいると逮捕される危険があったのでヨーロッパへ脱出し、その旅先で録音したもの。しかし、60年夏にはイタリア警察に逮捕され、61年末まで活動停止に。ここで聴かれる「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はパシフィック盤のような気だるいものではなく、もっと深刻でメランコリックな歌唱。ストリングスの海に溺れてしまうのではないかと不安になるような印象深いもの。このアルバムでは歌っているのも半分であとはトランペットソロとパシフィック盤のような勢いはまったく感じられません。当時、彼が置かれていた状況を反映しているのかも。  もちろん、女性ヴォーカルにも名演は多々存在します。例えば、ダイナ・ショアがアンドレ・プレヴィンといれた『ダイナ・シングス・プレヴィン・プレイズ』(1959~60年録音)に収められた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は落ち着いた大人の女性の魅力にあふれ、後にクラシックの指揮者に転身したプレヴィンのピアノのセンスの良さが光ります。しかし、今回色々聴き直して圧倒されたのが、アニタ・オデイ(1919~2006)が1958年に録音した『アニタ・オデイ・シングス・ザ・ウイナーズ』に収められた歌唱です。ご機嫌なエリントンの「A列車で行こう」から始まるアルバムで「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」の直前はビッグバンドをバックにスウィングしまくる「シング・シング・シング」と果たしてどうなるかと思いきや、ほとんど譜面とは異なった音程で壮大なオデイ独自の世界を繰り広げて行く、堂々と歌い上げるオデイの何と魅力的なことよ。筆者はオデイが最後に来日した1994年のライヴを聴く機会を得ましたが、50年代の偉大なシンガーを生で聴けたのはオデイが唯一でその貴重な体験は今でも鮮明に覚えています。当時はオデイのクセの強い歌唱が苦手でどうしたものかと持て余してしまっていたのですが、今聴くと50年代後半から60年代初頭のいわゆるヴァーヴ(レーベル)時代のオデイのアルバムはどれも高水準で外れがないのに驚かされました。  さあ、珈琲を淹れて、昼間Nさんから届いたエヴァンをいただくことにしましょう。さて、どの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を聴くことにしましょうか(2022年2月14日、脱稿)。   今月のお薦めワイン 「イタリアのオールラウンドプレーヤー、ヴェネトのワイン」 「マシエーロ メルロ 2017年 DOC ブレガンツェ・ロッソ アンガラーノ」 4500円(税別)   イタリアの二大ワイン産地(トスカーナ・ピエモンテ)はどちらもイタリア北部に位置しますが、イタリア北部で最もワインの生産量が多いのはヴェネツィアを州都とするヴェネト州です。ソアーヴェなど白ワインが主であるのですが、カベルネ・ソーヴィニヨンやシャルドネなどフランスの葡萄品種に適した土地でもあり、街の気軽なイタリアンなどでキャンティやモンテプルチアーノなどと一緒にリーズナブルな価格で提供されているカベルネなどはきっとヴェネト産です。もちろん、イタリアでボルドーの葡萄品種を使って上質のワインを造っているのはトスカーナのスーパートスカンと言われるワインやDOC「ボルゲリ」を名乗るワインですが、気軽に楽しめるカベルネをはじめとしたフランスの葡萄品種のワインはほとんどヴェネトのワインです。これは、フランスでは南仏のヴァン・ド・ペイ(現在、IGP)でカベルネなど他の地方の葡萄品種のワインを手頃な価格で造っているのに類似しています。  前回、フランスでボルドーに似たワインとして南西部のカオールを紹介させていただきました。今回はその応用で、イタリアでボルドーに似たワインをお探しの場合は昨年の「ボルゲリ」が筆頭に思い浮かびましょうが、より手頃に楽しめるのはヴェネトのワインであることを知っていただきたいのです。しかも、フランスワインの葡萄品種であれば、ピノ・ネーロ(ピノ・ノワール)やリースリングなど主要な産地の葡萄品種はどれも造っていますので何かと使い勝手が良いかと思われます。  また、近年はコスパだけを売りにするのではなく、品質にもこだわったワインを造るようになっています。今回紹介させていただく「マシエーロ」もDOCブレガンツェを名乗るメルロ100%のワインです。ジョヴァンナ家五人姉妹による家族経営のワイナリー。イタリアを代表する醸造家マルコ・ベルナベイをコンサルタントに招くなど品質にこだわったワイン造りを行なっています。1570年完成のワイナリーの建物「ヴィラ・アンガラーノ」は、アンドレア・パラディオの設計で、1996年、ユネスコの世界遺産に登録された由緒あるもの。エリザベス女王の母君、エリザベス王太后(1900~2002)がよく訪れたそうで、王太后はメルロを愛飲していたと言われています。  王太后がヴィラで飲まれたワインの現在形を是非、お試しあれ。 ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第十四回「想像のグルメ」

『美食通信』第十四回「想像のグルメ」

 明けましておめでとうございます。今年も拙文を楽しんでいただければ幸いです。  さて、年末年始どのようにお過ごしでしたでしょうか。筆者は千葉の郊外住宅地に住む独居老人ですのでおせち料理を食べるでもなく、いつも通りの生活を送っておりました。一人寂しく食卓につきますのでどうしてもテレビをつけてしまいます。静寂の中での食事は苦痛に過ぎませんので。フランス料理では会話を楽しむからこそ食事に数時間かかるのであり、「黙食」ではフランス料理の醍醐味は堪能できません。もちろん、筆者も大学生の頃、フランス料理を一人食べ歩いた時期がありました。それは勉強というか修行というか、テイスティング能力を高めるため家で毎日ワインを開け続けたのと同じことで、フランス料理を堪能すること、時間と空間を楽しむ「美食」を実践するための前提だったと言えましょう。フランス語を活用するためにはフランス語の文法を学び、単語や人称変化を覚えなければならないのと同じことです。  実際、1994年に海外研究でパリに一人出かけた際、ビストロで昼食くらいは取りましたがグランメゾンへディナーに行く気にはなりませんでした。当時は珍しかったパリの日本人オーナーシェフの店「レ・キャルト・ポスタル」(一区、マルシェ・サントノレ)でランチをした際、隣のテーブルにきちんとした身なりのサラリーマン四人組(男女各二名)が座るなり、メニュを広げ、何を食べるんだと何を飲むんだと喧々諤々話し合いを始めました。その料理ならこのワインだろうとか、なかなか決まらず、それでも最終的に白・赤一本ずつボトルでワインを注文し、良く食べ良く飲み、良く話すこと。もう圧倒されました。これこそ、フランス料理の醍醐味ではないか、と。ですので、95年、96年とパリに出かけた際は明治大学の学生さんにご同行願い、昼はビストロ、夜は星付きグランメゾンと一週間以上毎日食べ歩いたものです。もちろん、昼も夜もワインをボトルで頼みました。筆者は少食で一口試食すれば充分という訳で、たくさん食べて下さる方と出かけるのを常にしています。グランメゾンになりますと、当時はアラカルトが常識でしたのでオードブル、メイン、デセールの三皿しか頼まないのですが、何故か気づくと12時近くというのが毎回でした。自分たちは7時に予約を入れますがフランス人はだいたい8時頃やって来て、日付が変わりそうなのでそろそろ我々が退散しようとしてもまだ腰を落ち着けて話に興じています。それもそのはず、当時筆者でさえ、一食一人二万~三万円の予算だったのですから、お金をかけた分時間と空間を堪能し尽そうというフランス人の自然体の在り方に感嘆した次第です。ですので、元々外食が好きではない筆者は自ら外食する場合、ほぼフランス料理店にしか出かけなくなりました。もちろん、お金がかかるので頻繁に外食できないからでもあります。  そんな筆者ですので、一人家での食事で静寂に耐えられず、テレビをつけてしまうのですが年末年始はろくな番組がなく、しかもグルメ番組が多い。お笑い芸人やタレントが大勢で馬鹿の一つ覚えの「美味しい、美味しい」を連呼する情報系の番組を見る気になれず、もっと嫌なのは料理人が出てきて、コンビニやファミレスの商品を審査する番組です。昔、『料理の鉄人』という番組がありましたがあの番組がまだましだったのは、料理人は審査される側であって、審査する側ではないからです。しかも、専門外の商品にまであれこれ言うのはいかがなものか。案の定、トラブルが生じました。イタリアンのミシュランシェフがコンビニのおにぎりか何かを、見映えが悪いので食べる価値なしと食せず失格としたとのこと。視聴者から批判が殺到。しかも運悪く名前のよく似たイタリアンシェフの店まで苦情が殺到し、風評被害甚だしいこと。さらに、業界通を気取るネット文化人?があれはテレビ局の台本通りに動いたのだからシェフが可哀そうといった本末転倒の言説まで飛び出して呆れ返りました。もし、そのシェフが台本通りに演じていたとしたら、そのシェフは自身では審査していないのであり、判定能力に欠けているやもしれないわけです。というか、本物のミシュランシェフであれば、そんな番組には出ないでしょう。出る必要がないからです。とんだ茶番に過ぎません。  そんな中、筆者はテレビ東京の『孤独のグルメ』をずっと観ていました。年末には九時間連続で再放送していた日もあり、朝食、昼食と居間に降りていき、テレビをつけると松重豊氏演じる「井之頭五郎」がもくもくと一人食事をするシーンが出てまいります。結局、大晦日も『孤独のグルメ』の特番を見終わって、新年を迎えることになりました。  もうお気づきかと思いますが、筆者もこの『孤独のグルメ』大好きなのですが、通常のファンの皆さんと筆者が決定的に違うのは筆者が主人公のような食事を絶対にしないというこの一点に尽きます。つまり、筆者は紹介された店に出かけることは少なくとも一人では絶対にない。しかも、井之頭五郎は酒を一切飲まず、頼むのはだいたいウーロン茶。しかも、大食漢で炭水化物大好き。筆者はデセールを必ず食するのでそれまで炭水化物は基本食しません。ご飯はもとより、麺類も。フレンチに出かけてもパンにはほとんど手をつけません。    主人公が横浜の洋食店に立ち寄った際、ハンバーグ定食か何かを食した後、さらにナポリタンを平らげていて、もう驚くばかり。その食べっぷりが見事で松重氏は本当に食されているというから感心するばかり。その店なら自分も行ってみたいと思いますが、一人では絶対無理で何名かで出かけて、自分は単品で料理だけ取って、他の方たちの料理を味見させていただき、ワインなどあれば一緒にいただきたいとは思うものの……。まあ、その可能性は限りなく低いわけです。同じ横浜の中華街で五郎がフラリと入ったこじんまりした中華料理店もたまたま友人たちと「スカンディヤ」に行くときその前を通ったのですが行列が出来ていて、行ってみたいけれど予約が出来ないなら無理だねえ、と。   そう言った意味では松の内が明けた頃に放映された『ラーメン大好き小泉さん』もとても楽しく拝見しました。ラーメン大好きな女子高生たちがあちこちのラーメン店を食べ歩くのですが、何時間も並んだ末に十分そこいらで食べ終わってしまう。しかも麺と来れば、筆者に最も縁のない食べ物なのですが何故か見入ってしまいます。何故なのか。  井之頭五郎は黙食しているのですが、心の声が食事中ずっと流れていて、何が美味しいのかを実に雄弁に語ってくれるのです。小泉さんも食べ終わった時の至福の表情もさることながら、食するラーメンについて語る語る。店主の苦労話や解説まで聞くことが出来ます。つまり、食について詳しく語られることで、筆者など決して口にしないものでありながら、想像力がフル稼働して、きっとこんな風に美味しいのだろうなあと思い描くだけでもう脳が喜ぶというか幸せな気持ちになるのです。  タレントたちの「美味しい」の連呼や、ミシュランシェフの見映えが悪いから食する価値なしという言動は想像力がまったく働かない虚しい「言葉」の浪費に過ぎないのです。想像力を掻き立てる「言葉」こそ、「美食」を語る者が磨きに磨きをかけねばならぬもの。とすれば、明日は我が身と常に反省する毎日です。   今月のお薦めワイン 「ボルドーがない場合はカオールかマディランを」 「カオール 2015年 AOPカオール ドメーヌ・レ・ロック・ド・カナ」 2800円(税別)   昨今、気軽で小洒落た飲食店であれば、何処でもワインを置いてあります。その場合、ワールドワイドなチョイスの場合が多いかと思います。そうした場合、ボルドー、ブルゴーニュは高くなりますし、専門性も高い。そこでリストに載っていない場合も多々見受けられるかと思われます。そんな場合、ボルドーっぽいタンニン=渋みのしっかりした濃厚なワインを飲みたいと思ったときに意外にリストアップされているのが「カオール」、「マディラン」といった地名=アペラシオンのワインです。実際、これらのワインはボルドーを流れるガロンヌ河の上流域、南西地方と総称される地域で造られています。  その中でも「カオール」はボルドーで補助品種として用いられている葡萄マルベックを最低でも70%使用したワインですので必然的にボルドーと類縁性があります。地元ではコー(コット)と呼ばれているマルベックで造られる「カオール」は別名「黒ワイン」とも呼ばれ、色が濃く、タンニンも豊富で熟成させることも可能です。ボルドーワインを素朴にしたような味わいと思われれば良いでしょう。しかし、中でもシャネルが経営しているシャトー・ラグレゼットはさすがに洗練された造りで価格も若干高めですが一度お飲みになられる価値はあります。また、カオールが無くてもアルゼンチンの気候がマルベックに合うようで、アルゼンチンではリーズナブルなマルベック100%のヴァラエタルワイン(品種表示ワイン)を造っていますのでお店のリストに見つけることが出来るかもしれません。カオールとアルゼンチンのマルベックを飲み比べてみるのも良いかもしれませんね。  ちなみに「マディラン」の方はタナという葡萄品種を主に造られており、こちらも濃厚でタンニンの豊富なワインとなっています。アラン・ブリュモン氏が造る「シャトー・モンテュス」はマディランを代表する銘酒であり、トム・クルーズが自家用ジェットで買いに来るとか来ないとかで有名に。  今回ご紹介する「カオール」は、約2000年前、ガリア人がローマ侵略の際植樹した最初の葡萄畑の一つという歴史あるドメーヌ。マルベック100%、ビオロジックで造られています。熟成にも耐えるようですので程よくこなれた感じを楽しめるかと思います。価格もリーズナブルですので、是非お試しあれ。  ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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『美食通信』第十三回「佐原のニッポニア」

『美食通信』第十三回「佐原のニッポニア」

 七月最後の日でした。高校の同級生と季節ごとに出かける約束があり、いつもなら横浜のスカンディヤに出かけるのですが、コロナの感染状況が芳しくなく、飲食店の酒類提供制限や県外への外出を控えるようにとのことで行先変更を余儀なくされ、結局、県内の香取市に出かけることになりました。香取神宮を参拝し、佐原の昔ながらの町並みを残した伊能忠敬の旧宅付近を散策することにしました。土曜日でしたので県内からの観光客で随分賑わっていました。駐車場へと路地を入っていくと両脇に「ニッポニア」と書かれた暖簾がかかった建物が。調べると「佐原商家町ホテル」とあり、古民家や蔵などを宿泊出来るように改装し、何軒か点在しているとのこと。食事はレセプションを兼ねた酒蔵を改装したフレンチレストランで取ることが出来るらしいのです。九月に松本十帖を訪れ、好印象を持ちました。松本十帖はブックホテルでしたが、佐原も客室にテレビは置いていないとのことで、観光客が余りいない日に一度泊まってみたいと思いました。  十一月は筆者の誕生月であり、例年誕生日には十名ほどで会食を行なうのを常としてきたのですが、このコロナ禍で昨年は親しい友人と南青山の「ランタンポレル」で食事出来たものの今年のバースデーは一人家で過ごすことに。何か味気ないなあ、と。ちょうど月末の日曜日に教え子の結婚式があり、横浜に出かけることに。披露宴が午後二時くらいには終わるというので、友人に車で迎えに来てもらい、そのまま佐原の「ニッポニア」に出かけることにしました。何だかんだと横浜を出たのが四時頃になってしまったのですが、湾岸、東関道と高速を飛ばせば、六時には到着してしまいました。五時を過ぎると辺りは真っ暗で、成田空港との分岐以降はほとんど車も通っておらず、佐原に入っても細く暗い道が続くばかりで人影もまばら。九月、人のほとんどいない浅間温泉に夜八時近くに到着した時のことを思い出してしまいました。  それでもナビに従い、レセプションのあるKAGURA棟に到着。一番近いSEIGAKU棟に泊まることに。しばし、歩いて路地を曲がると一番手前の暖簾がかかった引き戸が筆者たちの泊る部屋の入り口。同じ出入り口で大家は母屋に現在も住み、筆者たちの泊まる部屋は蔵を改造したもの。あれ、何処かで見たような光景が。そうだ、七月に駐車場に停めようと曲がった路地はここだったと気づきました。あの時は真夏の昼下がりでしたが、暖色のライティングで入り口がほんのり明るく照らされた路地は確かにあの時通った路地でした。部屋はメゾネットになっていて二階建て。広さ的には一棟貸しのスイートに次ぐ部屋のタイプです。中に入ると暖房が効いていて、とても暖かい。蔵の手前に小さなリビングが設置され、バストイレもそちら側に。蔵の扉は開かれたまま、蔵の中は一階にも二階にもベッドが置かれていて、一階には畳が敷かれてちゃぶ台と座布団が置かれたスペースがありました。二階は歴史的資料が飾られていて、松本十帖のようなブックホテル風。ベッド四台でしたので二人ではなく、四人で来るとき使うべきだったと。結局、二階はまったく使わず仕舞でしたので。檜風呂の風呂場が若干寒い以外は空調が効いていて、特に一階のベッドの付近はとても暖かく、大変気に入りました。  さて、食事は先ほどチェックインしたKAGURA棟の奥が「ル・アン」というレストランになっていて、地産地消のフレンチを堪能することが出来ます。また、酒蔵を改装したレストランということからも分かりますように酒蔵や醤油など発酵食品が盛んな土地柄、発酵をテーマにしたメニュになっています。朝食は和食ですがこちらも発酵食品を多用して、味噌汁の他に粕汁も選べるようになっていて、酒粕の大好きな筆者としては嬉しく思いました。ご存じのように千葉県は首都圏ながら農業県でもあり、魚は銚子から、野菜も地元のものを用いています。メインは上総和牛のローストでしたが肉の脂ののり方がちょうどいい塩梅で、豚肉が有名なのは知っていましたが牛肉もこんなに美味しいとは灯台下暗しだと感心した次第です。全体的にレヴェルは高く、都内のフレンチと遜色のない出来だったと思います。 しかし、何より嬉しかったのはワインリストでした。九月の松本でも諏訪でも、さして美味しくもない信州ワインのみを小売価格の三倍以上の観光地価格で提供し、折角のレストランの評価を下げる結果になっていたのですが、「ル・アン」のワインリストは数こそ少ないものの高価なワインはすべてボルドーかブルゴーニュという筆者には嬉しい限りのチョイス。しかも価格的にも宿泊者は10%オフになりますので、小売価格の1.5倍くらいで飲むことが出来ました。筆者が選んだのはリニエ=ミシュロのモレ=サン=ドニ2019年でした。2012年のジュヴレ=シャンベルタンが欠品だったのでブルゴーニュはこれしかなかったのです。まだ早いかなあと思ったのですが飲んでみるとこれが充分飲めて、とても美味しい。後で調べてみると、造り手が最初の五年間の良さを楽しんでもらえるように造っているとのことで納得。ただし、グラスが小さめのボルドーグラスだったのは残念。二万円近いワインですからグラスくらい大きめのブルゴーニュグラスにしていただいたら、若いワインはもっと開いて美味しくなっていたでしょうに。もちろん、デキャンティングが良いのですがそれを要求するのは酷でしょう。ですから、せめてグラスを適切なものにしていたら、問題は生じないのですから。  ホテルのチェックアウトは12時とこれも合格。朝食を済ませて、小江戸の街並みを散歩するのにちょうど良い。ところが、月曜日は何処も店が休みで、うっかりしていました。七月に寄った伊能忠敬記念館向かいにある上品な老夫妻が営んでおられる珈琲店に行こうと思ったのですがそこも休み。注文を受けたあと、豆を挽き、ペーパードリップで丁寧に落として下さる美味しい珈琲だったので。しかも、今回出かけるに際して調べたところ、店主は伊能忠敬の子孫で伊能家十七代目の伊能さんと判明。珈琲を飲む店も見当たらず……。昼食後に寄るはずだった香取神社に先に行って昼食にすることに。  さて、昼食ですが「水郷佐原」と言われるように、利根川がすぐのところにあり、川向うは茨木県という地形。従って、名物は「鰻」です。これも一番有名な山田屋本店は休みで、大きな国道沿いの別館に出かけてみたのですが、交通の便の良いファミレス風の店は行列が出来ていました。仕方なく、二番目に有名らしい「麻生屋」本店に出かけることに。こちらはナビで到着することが出来ず、住宅街をうろうろしてしまう結果に。利根川の堤防脇に工場のようなビルがあり、そこが本店であることが判明。分かりにくい場所にあるせいか、客はほとんどいませんでした。座敷に上がって、品書きを見ると、蒲焼、白焼、の他に「塩焼」があるではありませんか。頼もうか迷ったのですが、まずは蒲焼でお手並み拝見と蒲焼と地元の日本酒「東薫」の冷酒、そして肝焼きを注文。肝焼きは大きな肝で濃厚なタレが肝の苦みとマッチして久しぶりに美味しい肝をいただきました。蒲焼は逆にふっくら、タレもしつこくなく上品な仕上がり。店は田舎風ですが、味は洗練されていて、再訪し次回は「塩焼」に挑戦したいと思った次第です。  都心から二時間かからず、このような素敵な旅が堪能出来るとは。もう少し街並みを楽しめる日にまた来たいと思いました。しかし、週末は混むのでやはり平日がよろしいかと。 今月のお薦めワイン  「シャルドネだけで造られたシャンパーニュ ブラン・ド・ブラン」 「シャルドネ・ド・モングー NV AOPシャンパーニュ ヴァンサン・クーシュ」 8000円(税抜)   『美食通信』も二年目に入りました。ワインの紹介は6×2=12のワンクールでシステマティックに展開させていただいております。つまり、第一回目がシャンパーニュで第七回目がイタリアのフランチャコルタとどちらもスパークリングワインでした。今回から2クール目に入る形になります。今年もやはり、引き続きフランスワインとイタリアワインをパラレルに展開させて行こうと思います。今年は各国二大産地ではない地域のワインを紹介していきたいと思います。どうぞよろしくお付き合いください。   さて、二年目の第一回目となる今回は再びシャンパーニュをご紹介したいと思います。前回はピノ・ノワールだけで造られたコクのあるブラン・ド・ノワールを紹介させていただきました。今回はその逆でシャルドネだけを使って造られたシャンパーニュをご紹介したいと思います。これをブラン・ド・ブラン(白の白)と申します。白葡萄=シャルドネで造られたロゼに対する白シャンパーニュという意味です。シャルドネだけで造りますので、酸の切れ味の良い爽やかな味わいが特徴的です。今回選んだ造り手はシャンパーニュを造る一番南の地区コート・デ・バールのビュクセイユ村にドメーヌを構え、ビオデュナミを実践するヴァンサン・クーシュ。ただし、この地はピノ・ノワールに適した土地ですので、このブラン・ド・ブランは北のコート・ド・セザンヌとの中間にあるトロワ近くの飛び地、モングー村に所有する畑で造られたシャルドネを用いています。この地は白亜質土壌のため、ミネラル分が多く、キリっとしたブラン・ド・ブランに相応しいシャルドネが出来るのです。 昨年最初のブラン・ド・ノワールと比較して飲んでいただければ、シャンパーニュにも様々なスタイルのあることが実感出来るかと思われます。是非、お試しあれ。  ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで  略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP

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