by Osamu Seki
ホテルのラウンジなどちょっと高級な喫茶店やカフェで人に会う時、「何か召し上がりませんか」と聞かれる時があります。明らかにおやつの時間ならスイーツということになりましょうが、そういった物言いの場合、いわゆる軽食が想定されているのが通例で、そうなると頼みやすいのが「サンドウィッチ」ということになります。
先日、定年になられた先生とお目にかかる機会がありました。小石川にお住まいで、ご自宅の近くでお目にかかる約束をしたところ、後楽園の「はまの屋パーラー」を指定されました。一九六六年創業の有楽町で有名な老舗純喫茶「はまの屋」が二〇一一年、オーナー夫妻の引退を機に閉店。その味を継承すべく「はまの屋パーラー」が誕生し、新有楽町ビルに移転し営業を続けるもビルの閉館で日本橋にさらに移転。その支店は帝国ホテルにも入っていたとのことですがこちらもそのビルが閉館で閉店。宝塚歌劇団のファンでいらっしゃる先生はそちらの「はまの屋パーラー」によく行かれたそうですが、ご自宅の近くにも最近開店されたことを知られ、よく使われるのだそう。
駅ビルの上の飲食街の一角といった場所にその店はあり、確かにこじんまりした感じ。「帝国ホテルのお店は広かったのに」とおっしゃり、「ここの名物はサンドウィッチなの」と。確かに軽食のメニュはサンドウィッチが主で、あとはナポリタンとドリアくらい。サンドウィッチは具の名がついた六種類に「スペシャルサンドウィッチ」の七種がメニュに。得体の知れない「スペシャル」にしようと思いましたが、先生が「ここのサンドウィッチは具を二種類選べるハーフ&ハーフがあるの」。「しかも、普通はパンの耳を落として出すのだけど、そのまま出してくれるよう注文することも出来る」。「で、ここが肝心なんだけれど、パンは焼いてもくれます」。「トーストした方をお薦めします」。「フィンガーフードのように食べやすいの」と矢継ぎ早に説明して下さる。「玉子」が最初に書かれていますし、これは先生の口ぶりでも外してはいけなそうだったので、ここはハーフ&ハーフのもう一方を決めれば良いのだろうと思案していると、先生が「私はツナって決めています」っておっしゃるので、では「玉子&ツナ」でとしっかり忖度した注文に。先に来られていたもう一人の現役教授も「私も同じです」と、結局三人同じ註文になってしまいました。
出てきたサンドウィッチは確かに小ぶりで一口で食べられそうな小粋なものでした。卵はマヨネーズであえたフィリングではなく、玉子焼きで薄いレタスが一枚挟まれていました。それもプレスしたせいか水分が飛んでいて紙のよう。ツナの方もマヨネーズは極力少な目でツナツナしい感じ。おそらく両方とも食べた時には具がはみ出て、形が崩れないよう配慮されているのではないかと察せられました。この店の名物はやはりこの玉子焼きが挟んであるサンドウィッチとのことで、まずは玉子からいただくことにしました。
ところがです。これが意外に食べにくいものであることが判明しました。それはパンが表面をトーストしただけなく、レタス同様紙状にプレスされていたからです。確かにパンが紙のように薄いので簡単にサンドウィッチが口に入ります。ところがさすがに全部を一口で食べようと思うと口の中が一杯になりそうなので半分くらいに噛み切ろうとするとパンがスルメのように固く、なかなか噛み切れません。なんとか噛み切って咀嚼しようとするとパンが抵抗して口中にへばりつくのです。何度かむせそうになってしまい、正直吐き気を催しました。筆者はおそらく嚥下力に問題があるのか、元々口の中がパサパサするものが苦手で穀類を食するのが苦痛でもあり、バケットを食するならベッタリバターを塗らないと食べたくないといった風です。ツナの方もマヨネーズが少ないので形は崩れないものの口の中でツナもパサパサ。もう、美味しいとか美味しくないとかの問題ではなく、食べるのが苦痛で仕方ありません。
しかし、ここではたと気づいたのです。トーストされたパンを使ったサンドウィッチで筆者の好物だったサンドウィッチがあったことを。それは惜しまれながらも休業となってしまった山の上ホテルの「コーヒーパーラーヒルトップ」のアメリカンクラブハウスサンドウィッチです。これは育児雑誌の連載をしていた頃、担当の編集プロダクションも神保町にあり、ホテルが筆者の勤めている大学のすぐお隣ということもあり、取材を山の上ホテルのパーラーで行なっていた際、いつも注文していたメニュだったのです。まあ、自腹ではなく、先方に軽食も是非と勧められて註文したところ、これがなかなかの美味で、取材の際は必ずクラブハウスを頼むことに。おかげさまで通常一年のところ、好評で三年は続きましたので結構な回数いただきました。
思えば、あのクラブハウスもパンはトーストしてあったのですが紙状にプレスしてはいなかったので噛み切れないということはありませんでした。もちろん、クラブハウスの場合、チキンにベーコン、それにフレッシュな野菜が挟んでありますので、口に入りきれず、食べにくいことといったらありませんがそれがまた「いとおかし」といった風情で。また、トマトの薄切りとか挟まっていたと思いますので、水分が適度にパンに滲み込み、口の中でパサつくことは皆無。ふやけたパンの感触が許せないという方がいらしても筆者としては「ごもっとも」と思いつつ、やはり食していて吐き気を催してしまってはすべてが台無しで、筆者にとって「食べやすさ」とは大きさのことではなく、「飲みこみやすさ」に他ならないと確信した次第。
ゆえに結論としましては、次回「はまの屋パーラー」に出かける機会があれば、きっとまたサンドウィッチになるでしょうから、具は「玉子とツナ」でよいとして、パンをトーストせず、そのままの状態を選択することにすれば問題ないか、と。もちろん、パンの耳は切り落としていただかないと。
筆者が出会った絶品サンドウィッチの話をさせていただきたかったのですが。紙面が尽きてしまいました。それはまたの機会に。
今月のお薦めワイン 「ニュイ=サン=ジョルジュはコート・ド・ニュイの救世主か?――ピノ・ノワールの真髄を楽しむ――」
「ニュイ=サン=ジョルジュ オー=ザロ 2018年 ACニュイ=サン=ジョルジュ ドメーヌ・ベルトラン・エ・アクセル・マルシャン・ド・グラモン」11000円(税別)
ワインの価格高騰はワイン愛好家にとっては頭の痛い話。とりわけ、ブルゴーニュの価格は最新のヴィンテージが数年前の1.5倍といよいよ手が出ないように思われます。
ブルゴーニュと言えば、やはりコート・ドール。中でも赤ワインメインの北側、コート・ド・ニュイのワインがやはり飲みたいと思うのが人の常。でも、もはや村名ワインでも一万円では買えない状況になってしまいそうな勢いです。
では、最北のマルサネやそのすぐ下のフィサンであれば何とか買えそうですが、こちらもマルサネのパタイユ兄弟など素晴らしいが値段も立派なワインが目立ってきました。また、それだけ出すならやはり似たタイプのワインのジュヴレ=シャンベルタンの良心的な造り手を探した方が良いかもしれません。
となると唯一の可能性を感じるアペラシオンは一番南にあたるニュイ=サン=ジョルジュになるでしょう。コート・ド・ニュイの「ニュイ」はニュイ=サン=ジョルジュのニュイであるわけで、広さからしてもジュヴレ=シャンベルタンやヴォーヌ=ロマネに並ぶこの地区の代表的なワインになります。
ところが、ニュイ=サン=ジョルジュにはグランクリュの畑がありません。それは制定の際、当時の造り手たちが畑に差別感が増すことを嫌い、あえてグランクリュの制定を断ったという経緯があります。従って、プルミエクリュの畑の中にグランクリュに相当するものがあり、その代表格が「レ・サン=ジョルジュ」と「レ・ヴォークラン」になります。また、2007年以降、上記の二つの畑をグランクリュにするよう申請を行なっており、いよいよニュイ=サン=ジョルジュにもグランクリュが誕生するかもしれません。
という訳で、今のところ、ニュイ=サン=ジョルジュのワインは他のニュイの代表的なアペラシオンに比べ、価格が抑えられています。そこで今回ご紹介するのはヴォーヌ・ロマネに隣接する「オー=ザロ」という畑の2018年ヴィンテージ。造り手はドメーヌ・ベルトラン・エ・アクセル・マルシャン・ド・グラモン。ニュイ=サン=ジョルジュを拠点し広大な畑を所有していたシャンタル・レスキュールが相続で三分割されたドメーヌの一つ。1986年、ベルトラン氏が設立。娘のアクセル氏が2004年に継承し、ビオディナミを実践。この「オー=ザロ」は平均樹齢50年。100%除梗。新樽率20%と2〜3年樽で18ヶ月熟成。綺麗な酸が特徴的なニュイ=サン=ジョルジュにヴォーヌ=ロマネの複雑な豊かさが加わった秀逸なワイン。2020年ヴィンテージは13000円になっていますので、この2018年ヴィンテージはまさにお買い得。この機会に是非お試しあれ。
略歴関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
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by Yoichi Shumputei
東京もようやく梅雨入りし、蒸し暑い日に拍車がかかってきました。年間で最も早く過ぎ去って欲しい季節到来です。天然パーマの私に取っては日々、湿度との戦いです。今は短くしているのでなんとか誤魔化せるのですが、学生の頃は色気づいて、髪をひたすら伸ばしてました。前髪は重ければ重いほどカッコいい。目が前髪で隠れていてこそ漢だ。そう思ってました。ただ、現実は思い通りにいかず、その伸ばした髪が一本残らず縮れ、若い頃の鶴瓶師匠のようになっていました。師匠にその事を話したら、「贅沢な悩みだ」と一蹴されました。髪型にこだわりがあるかと聞かれると、そんな事はなく、床屋は安ければいいと思っている。前座の頃通っていた近所の床屋は、おじさんが1人で営んでいる"ザ・街の床屋"だった。自分以外の客がいるところを見たことがなく、行くと、亭主が大抵プレステをやっている。「(ポチポチポチ)…あ、いらっしゃーい。(ポチポチポチ)」僕の存在を確認してから暫くプレステをいじり続ける。おそらくキリのいいところまでやりたい、ということだろう。それくらいはまだ良い。一度、オンライン通信をしていることがあった。「あははは!…あ、ごめん、お客来た。あと頼んだわー。はい、いらっしゃーい。」かなり気まずい。あと、お客さんのこと「お客」っていうタイプだったのをそこで知った。椅子に座って、目の前の鏡の下にある僅かな幅の棚に千円札を置いたら、カットスタート。という仕組み。大道芸人かよ。と、いつも心の中でツッコミを入れる。少しこのご亭主に歩み寄ってみようと思い、「なんのゲームされてるんですか?」「んーーー、モンハン。」友達かよ。たまたま同じゲームをプレイしたことがあったので少し盛り上がった。「仕事なにしてんの?」「落語家です。」「へぇー、僕ね、春風亭一之輔さん好き。」「あ、僕の師匠です。「え!本当に!?」何故かそのまま師匠のラジオを一緒に聴いた。完成して、後頭部を鏡で見せてもらう。気になる所があったので、もう少し切ってもらおうとしたら、「切り直しとかはやってないからー。はい、お疲れさまー。」掴めない。さっきまであんなに盛り上がってたのに。何故この床屋に3年も通ったのか。そして二ツ目になり、今は美容師になった友人に切ってもらっているのですが、もう最高です。話が弾むわ、細かいとこまで切ってくれるわ。ノンストレスな散髪ライフを送っております。久しぶりにあのご亭主の刺激的な散髪も受けてみたい。元気にしてるかなぁ。
略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。
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by Masashi Shimada
7月の落語会は「春風亭与いちの二ツ目日記」の連載でお馴染み「春風亭与いち」さんの登場です、どんなお噺を聞かせてくれるのか、期待しましょう。
第二十二回『銀座の仕立屋落語会・与いちクロークルーム』
日時:7月7日、日曜日
12時45分開場 13時開演 終演14時30分ごろ
場所:ザ・クロークルーム
出演:春風亭与いち
開口一番 世話人:山本益博
会費:2,500円(税込)現金のみ
申し込み、お問い合わせは info@thecloakroom.jp まで (落語会の受付はメールのみ)
略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。
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by Osamu Seki
今年のゴールデンウイーク近く、筆者に縁のあるフランス在住の画家の個展が相次いで東京で開催されました。 まず、四月二十二日から一週間、銀座の「幸神ギャラリー」にてパリ在住の川辺孝雄氏の「大宇宙」と題された展覧会が。 川辺氏との出会いはまさに「美食」繋がりと言えます。今から三十年近く前の一九九六年九月にパリを訪れた際、出かけたレストランで偶然隣の席に座られた日本人が川辺さんご夫妻だったのです。 それは十五区ヴァスコ・ダ・ガマ通りにある「ロス・ア・モエル」という当時開店して間もないビストロでした。後に「ビストロノミー」、「ビストロ=ガストロ」と呼ばれるようになるグランメゾン級の最新のフランス料理をビストロ感覚の価格と雰囲気で楽しめるスタイルの店のはしりでした。グランメゾンがパリの中心部に店を構えていたのに対し、これらの店は進取の気鋭の左岸(リヴ・ゴーシュ)の外縁にあたる十三、十四、十五区にありました。そして、「ロス・ア・モエル」のティエリー・フォシェは十四区の「レギャラード」のイヴ・カンドボルドと並んでそのパイオニアとして人気のシェフでした。 ただし、それはまだ一部の「美食」に関心のある者たちのあいだでのことで、SNSなどまったくなかった時代、『地球の歩き方』や『るるぶ』などしか情報を得る手段のなかった一般の日本人にはまだほとんど知られていませんでした。つまり、フランス語で『ミシュラン』や『ゴー=ミヨ』に目を通していないと分からないことだったのです。筆者はすでに先立つ九四年、九五年とパリを訪れていましたので、当時のパリの最新のレストラン事情はそれなりに把握していました。 ですので、夜出かける星二つ、三つのグランメゾンならともかく、昼出かけるビストロで日本人にお目にかかることはありませんでした。それは川辺ご夫妻も同じだったのでしょう。お互い、「まさか日本人に出会うとは」、というニュアンスで「日本人でいらっしゃいますか」と尋ねられたように思われました。 パリ在住の日本人画家に出会うというのは何とも珍しいことかと思われるでしょうが、実は筆者、もう一人そのよう方を存じていました。筆者がパリでお世話になった、当時パリにお住まいでその後成城大学の教授になられた末永朱胤先生のお父様もまたパリ在住の画家でいらしたのです。その末永胤生画伯は馬の絵を描かれていました。川辺さんは抽象画を描かれています。 さて、「ロス・ア・モエル」はビストロですので隣のテーブルとの間隔は狭く、色々お話を伺わせていただきました。何を食したのかはすっかり忘れてしまいましたが、何のワインを飲んだかはしっかり覚えているのが筆者らしいと言えましょうか。で、やはりワインの話を川辺さんにも尋ねたのをよく覚えています。それは日常、というか毎日どのようなワインを飲んでいらっしゃるのかという質問でした。フランスでは朝はともかく、昼、夜と毎日必ずワインを飲むのが食事の一環と言えます。ご夫妻の答えは、自分たちは手頃なものではあるが必ず瓶のワインを買って飲んでいるというものでした。 ミネラルウォーターよりワインの方が安いと言われていたように、フランスではワインは日用品です。まず、ペットボトルのワインがありました。マルシェなどで、農家が自分たちの造ったワインをペットボトルに詰めて売っていたものです。また、街角のあちこちにあるフランチャイズのワインショップ「ニコラ」では、ワインの量り売りもしていました。ですので、ワインのエチケットにも書かれている瓶詰めされた(ミザン・ブテイユ)ワインと言うのはそれだけでなかなか上等なものと言えるのです。 たった一度の遭逢でしたが、帰り際に名刺をお渡ししたところ、日本で個展を開かれる際、葉書を送って下さるようになりました。銀座松坂屋の別館でずっと開かれていたのですが、松坂屋が閉店してしばらく連絡がなかったのですが、久しぶりに葉書が届きました。やはり、銀座の画廊での開催とのこと。 折角なので、この連載主宰の島田さんのお店の近くということもあり、島田さんをお誘いして伺ったのですが、入れ替わりで帰られたとのことでお目にかかれず仕舞いになってしまいました。お互い随分年を取りましたので、これが今生の別れにならないとよろしいのですが……。 さて、もう一人はフランス人の若い作家クレマン・デュポン氏の「ハーフトーン」と名付けられた個展。こちらは何と柴又の「アトリエ485」で開催されました。五月四日の初日に伺わせていただきました。デュポン氏は筆者が翻訳した『欲望の思考』の著者マキシム・フェルステル氏の甥にあたります。トゥールーズ生まれのフェルステル氏は現在、アメリカの大学でフランス文学を教えています。彼は二度日本を訪れており、一度は千葉大学などで講演を行なっています。そのフェルステル氏から甥が初めて日本で個展を開くので顔を出して欲しいとメールが。 それにしても、帝釈天のある寅さんゆかりの柴又のギャラリーとは。外国の作家を紹介するギャラリーのようですが、他にワイン会やコンサートなど広く多様な目的で活用されているスペースのようでした。調べるとオーナーもフランス人のようです。何となく合点が行きました。外国の作家に日本を感じてもらい、また日本らしい場で作品を展示するのに、外国人だったら「銀座」を選ぶでしょうか。下町情緒あふれる「柴又」こそ、確かに「浅草」ほど観光地化しておらず、しかし賑わいのある街でそれに相応しいのではないでしょうか。 逆に、「銀座」の画廊は「パリ在住の日本人画家」に相応しい発表の場であるように思われます。 デュポン氏はまだ二十代のように思われる若者で、やはりトゥールーズ出身。フェルステル氏の家から十五分ほどのところに実家があるとおっしゃっていました。現在はパリで活動しているとのこと。初めての日本で個展は柴又だけ。全国を旅するそうで、京都では版画を教わると言っていました。作品はシルクスクリーン様なものなのですが、実は点描で色の濃淡をその厚みで表現しているとのこと。本人は「掛け軸」に興味があるらしく、自作が「表装」されるのを意識して、額に入れない展示になっていました。 「銀座」と「柴又」。同じ「東京」という都市でも、それぞれの街には意味があり、同じパリ在住でも日本人とフランス人では自らを位置付ける場が異なっていました。それはグランメゾンがパリの中心にあり、ビストロノミーのパイオニアがパリの端に店を構えたのと似ているように思われます。 ともかくも、お二人のますますのご活躍をお祈りするばかりです。 今月のお薦めワイン 「マルゴーの隠れた逸品〈シャトー・マルキ・ダレスム〉――エレガントな格付けメドックワインを楽しむ――」 「シャトー・マルキ・ダレスム 2019年 ACマルゴー 第三級」8200円(税別) ローテーションで今回はボルドーを。前回はメドックのサン=ジュリアンの格付けシャトーでした。今回もう一度、メドックの格付けシャトーから選んでみました。今度はACマルゴーです。しかも、第三級。しかし、「小さくてほとんど知られていない」とペパーコーンも書いている「シャトー・マルキ・ダレスム」です。 ACマルゴーは他の村名アペラシオンと異なり、マルゴーの他にカントナック、ラバルド、スーサンの各村、さらにアルサック村の大部分もACマルゴーを名乗ることが出来ます。ですので、複数の村に所有する畑が点在するというケースが多い。この「マルキ・ダレスム」もマルゴー村とスーサン村に畑があります。 実は「シャトー・マルキ・ダレスム」と名乗るようになったのは2009年からで、それ以前は「シャトー・マルキ・ダレスム・ベッカー」という名でした。エチケットも馬蹄型のデザインで個性的、印象深いものでした。同じACマルゴーの第三級、シャトー・マレスコ・サン=テグジュペリを所有するジュジェ家が所有していた時代のことです。 2006年にブルジョワ級のシャトー・ラベゴルスの所有者ペロド家が購入しました。ペロド家は石油の富豪でラベゴルス=ゼデも購入、ラベゴルスに統合するなど着実にその勢力を拡大させています。 筆者はジュジェ時代の「マルキ・ダレスム・ベッカー」を好んでいました。小ぶりですが、実に品よくエレガントな趣でマルゴーらしいスタイリッシュなワインでした。 ペロド家になってからは以前よりカベルネ・ソーヴィニヨンの比率が高くなっているようで、今回紹介させていただく2019年ヴィンテージのセパージュはソーヴィニヨン57%、メルロ37%、プティ・ヴェルド6%とカベルネ・フランは使われていません。新樽率は50 %。樽熟成は18ヶ月とあります。 依然としてネームバリューは高くないので、価格的には前回の第四級のブラネール=デュクリュよりまだ随分お安くなっております。 ペロド家は2014年にシャトーを一新したようです。積極的な設備投資を行なっているようですのでその動向には注目すべき。パーカースコアも高い新たな「マルキ・ダレスム」をこの機会に是非お試しあれ。 略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE...
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by Yoichi Shumputei
先月末、声が出なくなりました。大袈裟じゃなく、本当に。喉から音が出なくなりました。その1ヶ月前くらいから、花粉やら何やらで喉の調子が悪く、それが標準の状態になっていたので、特に問題視していなかったのですが、4月20日、遂に爆発しました。その日は昼、朝枝兄さんとの二人会、夜に師匠一之輔の独演会の前方。というスケジュール。昼の二人会、その一席目で早々に出なくなりました。噺の途中で、喉がひっつくような感覚に襲われまして、それからはなんとか誤魔化し誤魔化し…しかし、流石に夜の会に行けるほどでは到底なく。急遽、その場で朝枝兄さんに代演のご快諾をいただき、兄さんを会場まで案内し、師匠にも挨拶をしようとしたのですが、声が出ず。そのまま帰宅。翌日、噺家の先輩から勧められた耳鼻科へ行ってみた。「他の落語家もよく通っているらしい」と聞いて行ってみたら、本当に同期の歌彦に会った。鼻から内視鏡を入れられる。「はい〜、もうちょっと我慢だよー。すぐ終わるからね〜。もう終わるよ。」これが永遠に感じるほど苦しい。写真を見せられながら診断結果を聞くと、声帯を司る"ひだ"が弱りきっていて、ただの空洞になっていた。「どうしてこんな風になっちゃったの!?」と言われた。こっちが聞きたい。とにかくもっと早く医者に行かなきゃいけなかったらしい。反省。その場で吸入をした。あの、蒸気を鼻から吸って口から出すあれだ。あれが私は何故か子供の頃から大好き。少しも漏らすまいと、吸い口しっかり覆い、白神山地に行った時くらい深呼吸をする。最近「シーシャバー」なる店をよく見かけるが、「吸入バー」もあっていいと思う。そっちの方がよっぽど身体にいい。アルコール飲料の代わりに、マヌカハニー湯や、R1ヨーグルトなど置いても良いだろう。それから4月いっぱいは喋らず、もちろん仕事も休むように言われた。これは死活問題だ。仕事どころか稽古もできない。替え玉の麺の硬さを伝えられない。電話がかかって来ても無視する他ない。そんな生活をなんとか乗り越え、やっと仕事復帰。発生の仕方を一から見直しながら、試行錯誤して演っている。そしてなんとなく感覚をつかめてきたと思っていた矢先、ウイルス性の胃腸炎にかかってしまった。しかも重めのやつだ。胃腸炎のくせに熱が38.8°まで上がりやがった。医者に行ったら、今度は肛門から長い棒を突っ込まれた。上から下から。まったく惨めな人間だ。家へ帰り、トイレと布団を往復するだけの日々を過ごしている。一体この1ヶ月で何錠の薬を飲んだことか。常に飲んでいる薬も他にある為、10錠までなら一度に飲み込むことができるようになった。ここ数日は液体状の食べ物と錠剤だけで動いている。おそらく未来の人間の姿はこんなだろう。ああ、早く現代らしい、寝る間も惜しんで働き、脂質糖質にまみれた食生活を送りたい。
略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。
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by Masashi Shimada
5月の落語会は林家たま平さんの登場です。この春に真打に昇進されたつる子師匠の番頭として大忙しだったたま平さん、きっと自分も1日でも早く真打にとメラメラと闘志を燃やしているでしょう。
もはや初夏とも感じる5月の落語会、29日には30歳を迎えるたま平さんがどんなお噺を聞かせてくれるのか楽しみです。
第二十四回『銀座の仕立屋落語会・たま平クロークルーム』
日時:5月26日、日曜日
12時45分開場 13時開演 終演14時30分ごろ
場所:ザ・クロークルーム
出演:林家たま平
開口一番 世話人:山本益博
会費:2,500円(税込)現金のみ
申し込み、お問い合わせは info@thecloakroom.jp まで (落語会の受付はメールのみ)
略歴林家たま平1994年5月29日生まれ2013年4月、実の父でもある九代目林家正蔵に入門。2017年11月より二ツ目昇進。
2019年放送のドラマ「ノーサイドゲーム」などドラマや映画などの出演多数。
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by Osamu Seki
筆者が松重豊氏主演のテレビドラマ『孤独のグルメ』(テレビ東京系)を好んで見ている話をさせていただいたことがあるかと思います。大晦日の特番は必ず見ますし、再放送も時間があるときは何度目でも見てしまいます。どの店も個性的ですが、印象に残る店がいくつかありました。中でもとりわけ気になったのが、鎌倉の由比ガ浜にある「シーキャッスル」という店。名前こそ海岸沿いのサーファー御用達のカフェかと思いきや、何と落ち着いた雰囲気の本格的なドイツ料理店だったのです。しかも、かたせ梨乃さん演じるマダムがちょっと気難しそうでなんともドイツ風。ドイツと言えば、「シュヴァルツ・ヴァルト(黒い森)」と呼ばれる暗いイメージで、ゲーテもニーチェも光を求めて、イタリアへの旅に出たのは有名。つまり、海岸沿いとはまったく「場違い」な雰囲気の店だったのです。
実際はドイツ人のご家族が営まれる店で、筆者は機会があれば是非訪れてみたいと思っていました。ところが二〇二二年の十一月閉店したとのこと。何と六十五年もの歴史ある店だったそうです。ドイツ料理とは縁がない筆者ですが、大学院生時代、お世話になった先生が懇意にしていたシェフがカイテルさんというドイツ人で京王プラザホテルなどで活躍され、ちょうど新宿に「カイテル」という店を開業された(一九八六年)ので何度か伺うことがありました。その「カイテル」もカイテル氏が亡くなった後、奥様が継がれたようですが閉店となったようです。
ああ、「海岸沿い」のドイツ料理店なんて、そう滅多にお目にかかることがないのにかえすがえす残念に思っていたところ、『ミシュラン東京』掲載の「按田餃子」の按田優子さんから思いもよらぬ吉報が。按田さんは筆者が大学での卒論の指導教員を務めたのが縁で今も懇意にさせていただいております。按田さんは数年前、神奈川県三浦市に移住され、一度伺わせていただく話が出た際に、何処か食事をするのに適したレストランはないかと尋ねたところ、野比海岸沿いに「ロシア料理店」があるとのこと。その名も「火の鳥」。おお、「海岸沿い」のドイツ料理店もさることながら、ロシア料理店とはこれまた「場違い」はなはだしい。これは出かけない訳にはいきません。なかなか機会がなかったのですが、この春休み、とうとう出かけることと相成りました。
按田さん曰く、結構昔からあるらしい。調べると確かに一九九五年開店とあり、三十年になるかという老舗。店名の「火の鳥」というのはおそらくロシア人作曲家ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」からでは。一九一〇年、パリでロシア人演出家ディアギレフ率いるバレエ団が初演しました。東京のロシア料理の名店が今はなき芝の「ヴォルガ」をはじめ、新宿「スンガリー」、銀座「ロゴスキー」、六本木「バイカル」、浅草でさえ、「マノス」、「ラルース」、「ストロバヤ」とカタカナ表記のロシア語風なのに対し、「火の鳥」というネーミングは確かにロシアを連想させるもののやっぱり「場違い」感満載。
あいにくの雨模様の日となってしまいましたが、三浦海岸駅から久里浜へと海岸沿いに車を走らせると確かにその店はありました。驚いたのは海に向かって、外壁に「火の鳥」と赤い字で大きく店名が書かれていたこと。それが長年風雨にさらされ、また何とも微妙にかすれているのです。一階のガレージが四台分の駐車場になっていて、向かって一番右のスペースに車を停めたのですが、またまた驚いたのは右端の柱に表札がかかっていたのです。あれ、これは住居でもあるのか。まあ場所柄、当然と言えば当然なのですが、「シーキャッスル」同様家族経営なのだろう、と。
店内に入ると海が見えるよう、鰻の寝床風に上手にテーブルが配置され、厨房にいた中年のシェフらしき男性が明るくいらっしゃいませ、と。接客の同じくらいの年齢のご婦人が奥様なのかな。あれ、老舗なのに。もう代替わりしてしまったのか。と思いきや、厨房にはご老体のシェフの姿も。さらに常連らしき老婦人と皇室話で盛り上がっていたのが大女将であることに気づきました。あと、「研修生」と名札をつけた若い女性がサーヴィスに。
ボルシチにピロシキ、ストロガノフと日本のロシア料理店で出される典型的な料理がメニュに。中でも売りは「壺焼き」らしく、中身のシチューが十種類もありました。ユニークだったのはそれらをコースやセットとして組み合わせたものがこれでもかと何頁も書かれていて、かえって選ぶのが大変だったことです。筆者は主だった料理がすべて楽しめる「スペシャルコース」を選びました。ボルシチ、サラダ、ピロシキ、小さな壺焼き、ハーフサイズのラムステーキにデザートとロシアンティー。他に食べてみたかった「ビーフストロガノフ」を単品で注文して、同行者とシェアしました。以前この連載で取り上げた「ロールキャベツ」はメニュにありませんでした。
筆者はロシア料理では「ピロシキ」が好物で、とりわけ浅草の「ストロバヤ」の「ピロシキ」が気に入っています。ナツメグの効いた挽肉がたっぷり入っていて肉肉しい。「火の鳥」の「ピロシキ」は揚げておらず、バターのたっぷりのパン生地にフィリングを入れ焼いたもの。噛むとジュワっとバターが滲んで中の具と合わさってこれまた美味。しかし、一番気に入ったのは「ラムステーキ」でした。何かにマリネしてあったのか、しっかり火の通ったラムでしたが思ったより柔らかく、これがまた美味しい。玉葱の効いた醬油ベースのソースが絶妙。おそらく「シャリアピンステーキ」のヴァリエーションか、と。歯の悪かったロシアの名バス歌手シャリアピンが来日し、帝国ホテルに泊まった際、シェフが考案した料理。すりおろした玉葱でマリネして柔らかくした牛肉を薄くたたいて、ステーキにし、その玉葱をソースに。「ミニッツステーキ」の応用編。実際、ラムの他に牛肉のステーキもメニュにありました。でも、ここは仔羊をチョイスして正解でした。
ワインはさすがにロシアワイン、といってもほとんどはグルジアワイン、今はジョージアと言っていますが、旧ソ連だった地域のワインは置いてありませんでした。その代わり、黒板に今日のワインとして、赤はスペインのビオワインが載っていましたので、これ幸いと注文した次第。ナヴァラの産で、テンプラニーリョとメルロの混醸。最初、冷え過ぎで味が分からなかったのですが、室温に戻ってくるとなかなかいける。重すぎず、この店の料理にはちょうど良い塩梅。
それほど食べ歩いた訳ではありませんが、都内の有名ロシア料理店に劣らない出来の料理の数々。そんなレストランが何故、こんな海岸沿いに。海水浴姿のお客様は入店お断りと入り口に札がかけられているし。確かに、かたせ梨乃風の近寄りがたいオーラを出すマダムはおらず、アットホームな家族経営のお店で、ご近所さんが気軽にランチに来られるような店ではありました。
別荘地と住宅地の中間、いわゆる「境界例(ボーダーライン)」ともいうべき立地が生み出す不思議な雰囲気が「火の鳥」という名に暗示されているように思われました。按田さんの料理が按田優子という人間のライフスタイルと不可分なように、この三浦の地は独自の文化圏を成しているのではないか、と。
「火の鳥」、今度行ったら筆者は迷うことなく、メニュを決めることが出来るでしょう。その日がまた来ることを願っています。ご馳走さまでした。
今月のお薦めワイン 「トスカーナの最高峰〈ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ〉――多彩なサンジョヴェーゼ種を楽しむ――」
「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ 2017年 DOCG ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ フォッサコッレ」9920円(税別)
今回はイタリアワインの回。前回、ピエモンテ州のネッビオーロ種から造られる「ガッティナラ」を紹介させていただきましたので、今回はイタリアの二大産地のもう一つトスカーナ州のワインを。トスカーナの主要品種は「キャンティ」の主原料となるサンジョヴェーゼ種です。ネッビオーロ種はブルゴーニュのピノ・ノワール種同様、どの地域でも同様ですが、サンジョヴェーゼ種はちょっと事情が異なります。地域によってそれぞれ、その亜種からワインが造られているのです。そして、その最高峰がブルネッロ種で、「十九世紀半ば、フェルッチノ・ビオンディ・サンティによって、モンタルチーノでサンジョヴェーゼ種から分離された力強いクローンで、質的に重要である」とジャンシス・ロビンソンは書いています(『ワイン用葡萄ガイド』、ウォンズ、1999年)。
他のサンジョヴェーゼ種の亜種には、プルニョーロ・ジェンティーレ種から造られる「ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノ」、モレッリーノ種から造られる「モレッリーノ・ディ・スカンザーノ」があります。
そして、ブルネッロ種から造られるのが「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」でサンジョヴェーゼ系の葡萄から造られるワインでは最も高価なものになっています。「力強い構成を持つこのワインは、樽と瓶で熟成して温かみがあり、充分な香味を持つ深いルビー色からレンガ色までの豊かで複雑なブーケのあるワインになる」(バートン・アンダースン『イタリアワイン』、早川書房、2006年)。
また、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは長熟用の造りで飲み頃まで時間がかかることもあり、同じブルネッロ種を用いて、早飲みで値段もより手頃な「ロッソ・ディ・モンタルチーノ」が1980年代から造られるようになっています。筆者は何種類かロッソ・ディ・モンタルチーノを飲んできましたが、どれも味が単純で軽すぎるように思われました。やはり、ここは葡萄品種の特性を最大限に生かした「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」を選ぶべきでしょう。
ということで、今回選んだ「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」はフォッサコッレという、モンタルチーノで最高のロケーションに2.5haを所有する小さな家族経営の造り手のものです。古き良き時代の造りを彷彿とさせる骨太でずっしりとした味わいの逸品をこの機会に是非お試しあれ。
略歴関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
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by Masashi Shimada
数多くの経営者や著名人のスタイリングを手がけ日本を代表するファションディレクターの一人である森岡弘。元NHKアナウンサーでスポーツ実況やイベントの司会を数多く手がけ、現在はその技術を活かした「伝え方講座」を精力的に開催する河村太朗。その二人によるスペシャルセミナー「トップに学ぶ成功の法則 信頼を獲得するための装いと言葉」が5月14日にザ・クロークルームを会場にして開催されます。ご興味お有りの方は是非ご参加ください。
お問い合わせはinfo@thecloakroom.jpまで、お申し込みは画像をクリック、またはQRコードから承ります。
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by Yoichi Shumputei
花粉がひどい。酷すぎます。まず、鼻水が止まりません。自分の体内にこんなにも水分があったのかと思い知らされるほど出てきます。朝起きて、鼻かんで、顔洗って、鼻かんで、トイレ行って、鼻かんで、鼻かみながら朝食食べて。もう顔の中心部だけ真っ赤です。日の丸顔。もう痛いだけで、匂いも感じないですし、今の鼻の役割はメガネを受け止めているだけです。かなりコスパの悪い部位に成り下がりました。目も痒すぎです。一度、眼球を取り外して水洗いしたいくらい。そして体感ですが、例年より花粉飛散時期がかなり長いです。この辛い時期は春だけの約束(してない)なのに、年末から続いてます。時間外労働が過ぎます。花粉、かなりブラックです。流石にたまらず、先日ついに耳鼻科に行きました。そこで処方された薬がかなり効くのですが、それ以上に副作用の眠気に襲われております。今となっては、つらい・痒いより、ひたすらに「眠い」です。今も半分寝た状態で書いているので、政治的な危ないことを言ったとしても許してください。「国内にある全てのスギ・ヒノキを去勢します!」という政党が出てきたら投票したいと思います。あぁ、眠い眠い。先日、また珍しいお仕事を頂戴しました。この春から、宮城の新聞社、「河北新報社」さんの電子版「河北新報オンライン」の広告キャラクターを務めさせていただくことになりました。いぇい!子供の頃から読んできた新聞社です。既に紙の新聞を購読されている方は月々たったの500円で、スマホやタブレットでも読めるようになります。月々たったの500円で!スマホでも!タブレットでも!新聞が!読めるように!なります!月々たったの!もういいですね。初のCM撮影。今回のための新作落語を作家さんが作ってくださいまして。15秒のCMなのですが、その台本、どう見ても5分かかる長さで。「フルバージョンをYouTubeで配信しようと思っておりまして!」なるほど、しかし撮影まで数日しかない。ネタ下ろしもあり、覚えられず。撮影日をずらせなかったので、フルバージョンでは台本を読み上げる形に。映像はその場面毎に合わせた表情と仕草の、静止画でお届けすることになりました。ボラギノールのCMと同じシステムです。恐らく世界初、ボラギノールシステムの落語。ぜひご覧ください。薬もらう前に撮ったので、鼻赤くなってます。
略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。
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by Osamu Seki
毎年、この『美食通信』執筆のご褒美に主宰の銀座「The Cloakroom」の島田さんからグランメゾンでの食事に招待していただいております。昨年は、開店間もない銀座七丁目の「トワヴィサージュ」にお連れ下さりました。サーヴィスのユニフォームを島田さんのお店でオーダーで作られたとのこと。素晴らしい店でミシュランでもネットで紹介されたとのこと。おそらく星を取るだろうと予想したところ、その通り今年一つ星を獲得しました。
さて、今年は何処に連れて行って下さるのかと思いきや、有楽町の「アピシウス」を予約されたとのこと。一昨年は開店したばかりの銀座六丁目の「グッチ・オステリア・ダ・マッシモ・ボットゥーラ・トウキョウ」(長い!)でしたし、まさか老舗中の老舗の「アピシウス」とは。その心は「アラカルトで食する」をテーマにしたいと。なるほど。筆者はことある度に現在のグランメゾンでの「お任せコース」を「押し売りコース」と批判し、グランメゾンこそ高い金を払うのだから、自分で食べたいものを決める「アラカルト」こそ理にかなっていると申し上げてきました。また、実際、筆者がパリでグランメゾンを食べ歩いた三十年ほど前はアラカルトが常識だったのですから。
「アピシウス」は一九八三年創業。有楽町の蚕糸会舘の地下一階にあります。銀座の名店「レカン」、「ロオジェ」、「マキシム」などよりは一世代後の老舗となります。高橋徳男氏がシェフだった一九九五年、見田盛夫氏の『エピキュリアン』(講談社)で東京(即ち日本)最高峰のフレンチと称賛されています。筆者は世紀が変わる二〇〇〇年頃訪れたことがあるのですが、個室での会食でしたのでメインのホールは今回初めて拝見しました。ただ、この時はすでにシェフが交代し、見田氏も二つ星に格下げし、「サーヴィスにも緊張感がとぼしく、皿の上にも綿密な配慮にもとづいたバランスが感じられないものが多かった」と評しています(同氏、『エピキュリアン2000』、丸善)。
今回四半世紀ぶりの訪問となるのですが、近年、「アピシウス」の評判は再浮上し、二〇二四年版の『ミシュラン東京』に星こそ付いていないものの掲載されるに至っています。ただ、調べるとシェフはベテランで高橋門下の「アピシウス」一筋の方のようですし、ある種の温故知新なのではないかと予想されました。それでも「アラカルト」でいただけるというのはワクワクするものです。メニュを開いて、料理を決めるのは想像力=創造力を働かせる必要があります。たとえ、オードブル、メイン、デセールの三皿であってもそれぞれ何種類かある料理の中から組み合わせるのですから、その可能性は何十、いや何百通りもあり得るからです。
また、ご一緒する方が何を選ばれるかも気になるところです。別にまったく同じチョイスになったとしても構いません。重要なのは自分が一番食べたいものを頼むことです。そうすると意外に同じものを頼むケースは少なくなります。実際、筆者と島田さんのチョイスはまったく被りませんでした。オードブルに島田さんはフォアグラのテリーヌを、筆者は同じフォアグラでもポワレをチョイスしました。筆者はフォアグラは火が通った方が好きです。というか、もう温製でないと食べたくないかも。
さて、次はもうメインでよいのですが、メニュに季節のお薦めという項があり、ホワイトアスパラガスのオランデーズソースがありましたので、口直し程度に一本ずつ頼んでみました。ここは島田さんにお付き合いいただいた次第。料理はまったくのクラシックで丁寧な仕事ですがこの二皿は普通の出来。もちろん、悪くはないが閃きはない、といった感じ。メインは島田さんが子羊で筆者はシャラン鴨のサルミソース。このサルミソースは良かった。鴨の血のソースなのですが豚の血も混ぜているとのこと。何が良いかというとソースの味がまず良かった。滑らかで味が強くはないがコク深く飽きがこない。それが皿一面に敷きつめられた薄切りされた鴨肉にこれでもかとかけられて出てくる。この薄切り具合がまた絶妙。ソースと絡めてちょうど一口で食べられる。これは素晴らしい古典の再現でした。
次はデセールで良かったのですがワインがまだ余っていましたので、フロマージュを少々。これも種類が豊富で各々二種類ずつ頼みましたがやはり被りませんでした。デセールは懐かしいグランデセールがワゴンで登場。何種類ものケーキをお好きなだけどうぞというスタイル。ただ、筆者はこのスタイルはもう必要ないかと思っています。デセールとはいえ、やはり皿で勝負するべきだ、と。実際、いにしえのパリでもそうでした。で、デセールのメニュを取り寄せるとやはりあるではありませんか。パティシエは別の方のようで、これもまた昔ながらのグランメゾン。あるいはホテル方式と言えましょうか。島田さんはフロマージュムース。筆者はフォンダン・ショコラ。まあ、これは及第点といったところ。
さて、今回最大の収穫はやはりワインではなかったかと思われます。立派なワインリスト。見田氏はとりわけボルドーワインの揃いが良いと書かれていましたがそれは今も変わらないようです。島田さんが余り飲まれませんので食前酒などはやめて、ボトルで頼んで最初から楽しむことに。筆者はブルゴーニュが飲みたかったのですが、こちらもなかなかのもの。グランメゾンですから二万円からになりますが、ブルゴーニュのグランクリュのワインでも二万円台があるのには驚きました。レストランのワインは小売価格の二倍というのが通例ですが、近年ブルゴーニュは高騰していますので、カーヴに寝かせておいたワインをレストランで飲んだ方が安いという逆説が今回筆者が選んだワインに当てはまることに。
筆者が選んだのはモレ=サン=ドニ村のグランクリュ「クロ・ド・ラ・ロシュ」の2013年。造り手はマルシャン・フレールで三万六千円ほどでした。「クロ・ド・ラ・ロシュ」には他に二万円台、八万円台、九万円台と全部で四アイテムあり、すべて造り手が異なっていました。ブルゴーニュの場合、造り手によって価格がまったく異なってくる好例です。マルシャン・フレールは筆者の好きな造り手で価格も良心的。「クロ・ド・ラ・ロシュ」には4アールのみ所有しており、毎年一樽300本しか造っていません。ちなみに最新の2021年ヴィンテージは小売価格五万円です。
さて、最後にグランメゾンの評価の大きな要因であるサーヴィスについて。四半世紀前の見田氏の苦言もまずサーヴィスに向けられていたことを忘れてはいけません。筆者の評価はくしくも島田さんがサーヴィスの服装を評価されたことに合致します。さすがファッションのプロ。筆者とは視点が異なりますが本質を見抜かれていました。島田さんはサーヴィスのユニフォームが合羽橋辺りで売られている既製品でフィットしておらず、靴も安っぽくていけないとおっしゃったのです。
確かにホールは満席で客の数はそれなりに多かったのですが、サーヴィスの数が多すぎる気がしました。ばたばたした感じがしました。また、一通り片付くとホールの外で突っ立って皆で談笑しているではありませんか。まさに「緊張感が足りない」。黒服に加えて、白服の「コミ(助手)」というスタイルは昨今見かけず貴重な「型」なのかもしれませんが、形だけ整えても内実が伴わなければ形式「美」にはなりえないのです。
くしくも『ミシュラン』が星を付けなかったのも致し方ないと言わざるを得ません。調度は贅沢で雰囲気はノスタルジック。確かに魅力的で貴重な経験ではありますが、絶滅危惧種を「見学」に行くようなそんな趣の食事でした。それにしても満席とは。島田さんに心から感謝します。四半世紀前から変わらず筆者には縁遠い世界だと痛感した次第です。
今月のお薦めワイン 「コート・ドールの村名ワインを楽しむ――コート・ド・ニュイ最大の産地〈ジュヴレ=シャンベルタン〉はいかが?――」
「ジュヴレ=シャンベルタン メ・ファヴォリット 2021年 AC ジュヴレ=シャンベルタン エリック&ジャン=リュック・ビュルゲ」16500円(税別)
ブルゴーニュの赤を飲もうと思ったとき、やはりコート・ドールのワインに尽きると思われます。しかも、その中で北側のコート・ド・ニュイと南側のコート・ド・ボーヌだったら、やはりニュイのワインではないか、と。これはボルドーであれば、左岸のメドックか、右岸のリブールヌかという好みの選択に似ています。ただ、ボルドーであれば、メドックはカベルネ・ソーヴィニヨンが主で、リブールヌはメルロが主という葡萄品種そのものの違いがあるのに対し、ブルゴーニュはあくまでどれもピノ・ノワール100%ですから、その微妙な差異が好みを左右するという「繊細さの精神」(パスカル)が重要性を持っています。
しかも、ニュイのワインと言ってもメドックのようにアペラシオンが複数あります。どの村にするかが問題。しかも、ブルゴーニュは明らかにボルドーより高価。筆者のような貧乏大学講師が手を出すべきではないのですが、それでもそれなりの楽しみ方があるかと思います。
それはグランクリュやプルミエクリュ、さらに畑名ワインも無視して、村名ワインに特化して楽しむという手法。ボルドーはシャトー別ですが、ブルゴーニュの魅力は造り手の数が膨大であること。つまり、同じ村名ワインでも造り手が多いのでそれさえ網羅するのは難しいかと思われます。
で、筆者が今、好んで探しているのがニュイ最大の産地、ジュヴレ=シャンベルタンの村名ワインです。しかも村名ワインはだいたい二種類造られていて、スタンダードなキュヴェの上に、古樹の葡萄を厳選して造られた「ヴィエイユ・ヴィーニュ(V.V.)」と記されたキュヴェがあるはずです。
今回選んだエリック&ジャン=リュック・ビュルゲでは「サンフォニー」とこの「メ・ファヴォリット」の二種類の村名ワインを造っていますが「メ・ファヴォリット」が「ヴィエイユ・ヴィーニュ」に相当し、所有する二十六区画の平均樹齢七十年にもなる葡萄を使用し、除梗して醸造、新樽30%で二十ヶ月の長期熟成。
ドメーヌは1974年、アラン・ビュルゲが設立。ジュヴレ=シャンベルタンの代表的造り手として名声を博します。現在は子息のジャン=リュックとその息子で孫のエリックの名を冠したエリック&ジャン=リュック・ビュルゲとエチケットに記しています。アランの時代より有機農法を実践し、「自然との共存」をコンセプトに2013年からはビオディナミを採用しています。現在でも7haの所有で、他には少量のネゴシアン物のヴォーヌ=ロマネ等を生産するのみで丁寧なワイン造りを続けています。
是非この機会に魅力的なジュヴレ=シャンベルタンの逸品をお試しあれ。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴関 修(せき・おさむ)
一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
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by Yoichi Shumputei
最近、有難いことに少しずつ落語以外の仕事もいただけるようになってきまして、この間は初めてテレビのロケに行ってきました。これがとにかく難しい。的確な情報と、新鮮で分かりやすいリアクション。普段やらないことだらけで、結果は惨敗でした。まず初めに伺ったのは私が出囃子でも使わせていただいている、宮城のテーマパーク、八木山ベニーランドさんです。気温は2度。風が強く、雪も降ってくる中、着物でのロケ。極寒です。男物の着物は、襟から袖からとにかく風が吹き込む吹き込む。するとディレクターさんが、「さ、与いちさん、まずはジェットコースターに乗ってもらいます!」殺す気か。とにかくなんでも挑戦です。冬季休業中ということもあり、1番迫力のあるジェットコースターではなく、比較的優しい子供向けのやつ。「なるべくオーバーなリアクションでお願いします!」無茶言わないでくださいよ。と思ったのですが、終わったら「いやー、良い表情でしたね!」寒いからですよ。続いて人生初の食リポ。その園内で販売しているフライドポテト。これが揚げたてで美味い!寒いのも相まって本当に美味い!とにかく美味い!美味い!!…はい、そうです。本番でも「美味い!」しか言えませんでした。「与いちさん、もう少し感想をいただけませんか?」そりゃそうですよね。「えーーーーーーーーーーー、この塩加減がちょうど良いですね!いや〜、この塩加減がね!最高ですね!塩加減!」いい加減にしろ。俺。いざ何か言わなくてはとなると何も出ませんでした。僕は塩加減しか分からない男です。次に伺ったのはバングラデシュ人のご亭主が営むカレー屋さん。バングラデシュの本格スパイスカレー3種盛りを頂きました。そしてこれも美味い!美味い!!またしても「美味い!」しか出てきません。見かねたディレクターさんが、「与いちさん、その豆が柔らかく煮えてませんか?」「おっ、確かに柔らかくて美味いですね〜!」「…ね、でそのカレーはスパイスが効いていて後から辛さが来ませんか?」「おっ、スパイスが効いていて後から辛さが来ますね〜!」もうディレクターさんが直接やった方がいいくらいの無能っぷり。「じゃあ与いちさん、このロケをなぞかけで締めていただきましょう!」勘弁してくれぇ。なぜか噺家なら誰しもできると思われているこの"なぞかけ"という地獄の遊戯。僕は死ぬほど苦手なのです。しかし背に腹はかえられません。下手ななぞかけでしたが、恥ずかしがってはいけないと、とにかく大きな声でやりました。「ではご亭主、ただいまの与いちさんのなぞかけ、座布団5枚中何枚でしょうか!」何故5枚中なのか。相場は10枚じゃないのか?と、一瞬思いましたがそんなことはもうどうでもいいです。とにかく何か起こってくれ。ご亭主「ザブトン、5マイ アゲチャウヨ〜!」私「お、ありがとうございます。今のなぞかけ良かったですか?」「ウン!意味ワカンナイケド、声オオキイカラ、イイネ!」じゃあ、なぞかけじゃなくて良かったんじゃないか。とかも、もうどうでもいいです。とにかく山場をくださってありがとうございました。バングラデシュのご主人。またプライベートでカレー食べに行きます。
略歴春風亭与いち1998年4月5日生まれ2017年3月、春風亭一之輔に入門。翌年1月21日より前座となる。前座名『与いち』。2021年3月1日より二ツ目昇進。
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by Masashi Shimada
1733年創業という群を抜いた歴史を持つイタリア最高峰の生地メーカー『PIACENZA』の取扱が始まりました。イタリアで70%のシェアを持つといわれるカシミアからクラシックで機能的なスーツ素材までフルラインナップ。
紡績から生地の仕上げまで全ての工程をを自社で手がけるイタリアの一貫紡は本当に素晴らしい。ロロピアーナも、ゼニアも、コンセプトがしっかりしていて一から十まで全てを自社でコントロールできる強みが存分に発揮されています。
その中でも『PIACENZA』は一貫してクラシック、そしてハイエンド。「あ、これが歴史、これが本物なんだな」と感じることができるコレクションです。
日本ではここまで品揃えをしているお店は少ないと思います。新たに自信を持ってお勧めできる品揃えが増えました。ぜひ一度ご覧になってみてください。
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