by Osamu Seki
当初は「珈琲中毒」というタイトルで書こうと思っていたのですが、思わぬことに気付いてしまいました。筆者は物心ついた頃から珈琲好きで高校生の頃から珈琲専門店で珈琲を飲んでいました。といっても当時は近くの船橋駅地下のパール商店街にあった「コロラド」とか、サイフォンで日替わりストレート珈琲など出す南米系の名前のついた店に通うくらいでした。しかし、1980年に大学に入り、地元の千葉大だったものの、色気づいてファッションに興味を持ち、原宿に服を買いに出かけたりし始めたのです。後に「裏原」ブームで有名になりましたがすでに80年代初めにも裏原宿にはブランドショップがあり、筆者は「pool」というブランドの服がお気に入りでした。竹の子族出身のアイドルだった沖田浩之さんが着ていたブランドでまだ何点か保管しています。
折角、原宿、表参道に出てきたのですから。珈琲を飲んで帰ろうということに。当時、大坊珈琲店でしたか有名な専門店がありましたが敷居が高そうなので、骨董通りの裏手にある「レジュグルニエ」というお洒落な店に出かけました。当時すでにフランス料理を食べ歩き始めていましたので、フランス語のついた店に出かけない術はありません。根津美術館の方に歩いていきますと「カフェフィガロ」があったのですが、「レジュ」はそれとはまったく違った風情の店構えで、しかし、何故か「フレンチスタイル」を名乗っていました。その後、某フランス人ピアニストの私設ファンクラブを運営されていた千駄ヶ谷のお嬢様に原宿のラフォーレの裏にある「ヴォルール・ド・フルール」に連れて行っていただいたり、原宿駅から代々木の方へ向かいちょっと人通りが寂しくなったところにある「アンセーニュ・ダングル」も知り、いよいよ「フレンチスタイル」の珈琲店にハマっていきました。神保町にも「トロワバグ」、白水社の隣の「ヴォワシカフェ」。大学院を出て大学で教え始めた1990年代に入るとデートの待ち合わせは広尾の「アンセーニュ・ダングル」や新宿の「ジョルジュサンク」が定番だったのです。
そして、決定的だったのが通勤の乗り換え駅だった本八幡にある「蛍明舎(けいめいしゃ)」に日参するようになったことです。「蛍明舎」は「レジュ」で修業された画家でもある下田荘一郎氏が谷津遊園のアトリエだった建物で1982年に始められた「フレンチスタイルの珈琲店」で、本八幡は支店になります。ただし、当時、若くして亡くなられた弟さんが谷津のお店を任され、下田さんは八幡の店を切り盛りされていました。バイトは大学生で、筆者の当時勤めていた大学の印哲の大学院生もいたりして、彼らと店の終わった後飲みに行ったり、下田さんともワインをご一緒させていただいたりと楽しい時間を過ごさせていただきました。店に流れている50年代の女性ジャズヴォーカルにハマり、バイトの学生さんたちも同様で、皆で晩年のアニタ・オデイの来日ライブに出かけたりもしました。
今回あの「フレンチスタイル」とは何だったのか、確認したく思ったのです。というのも、1990年代に入ると一方で、いわゆるパリにあるカフェの支店などが出来、オープンテラスにエスプレッソ、食事もそれなりに出来るスタイルの「フレンチカフェ」が多々登場したからです。筆者が夜な夜な持参のワインを開けていた渋谷文化村の「カフェ・ドゥマゴ」、広尾や原宿にあった「カフェ・デ・プレ」、原宿、赤坂アークヒルズなどにあった「オー・バカナル」、サン=ジェルマン=デ=プレの「ドゥマゴ」の隣にある「カフェ・フロール」も短い期間でしたが表参道に支店があったのです。これらのカフェと明らかに「フレンチスタイルの珈琲店」は異なります。おそらく、この1970年代後半に登場した「フレンチスタイル」は日本独自のものであり、今も老舗として多くの店が人気を博しています。このスタイルをチェーン展開したのが「カフェ・ラ・ミル」で「ラ・ミル」も以前ほどの盛況はありませんがいまだ健在です。
そこでこの「フレンチスタイル」を検証するにあたり、ネットを検索したところ、なんと「蛍明舎」の下田さんの書かれた文章が最初にヒットしてしまいました。そこには四つの条件が書かれていました。
1.フレンチローストのオールド・ビーンズ(エイジング・ビーンズ)
2.ネルのハンドドリップとデキャンタ
3.磁器のデミタスサイズのコーヒーカップ
4.加えてフランスの田舎風のインテリア
筆者としては、これにフランス語の店名とBGMにジャズやクラシックなどを流すことを加えて欲しいところです。確かに「蛍明舎」はフランス語ではないので例外ですが、フランス料理屋でもないのにフランス語がつく飲食店は、90年代にドゥマゴなどが登場する前はこの「フレンチスタイルの珈琲店」が大半を占めていたのではないでしょうか。
上記の四か条についてコメントしますと、ストレート珈琲は主流ではなく、フレンチローストのブレンドがベース。ブレントには二種類あって、苦みの強いものとマイルドなもの。それぞれに特徴的な名前がついています。「レジュ」では「ニレ」と「レジュ」。「蛍明舎」では「ケア」と「ロア」といった具合に。ブレンドは一杯ずつ淹れるのではなく、一定の量をネルのハンドドリップで淹れ、適量を再加熱して供します。その際、多くの場合、カウンターの奥に陳列されているデミタスカップが用いられます。「蛍明舎」はジノリとコペンハーゲンが多く、筆者はコペンハーゲンが好きで、使われていたあるタイプのものを帝国ホテルのコペンハーゲンまで買いに出かけたことがあります。さすがコペンハーゲン、帝国にはなかったのですが全国で名古屋に一脚だけあって、取り寄せて下さいました。
そして、第四項目のフランスの田舎風インテリアというのは「レジュ」が典型でしょうか。普遍すれば、ヨーロッパの小さなサロンのような空間で、暖色の照明は落とされていて、家具や内装などに木の感触が強い。アンティームな感じの空間です。ジャズやクラシックがBGMとして使われているのは、先立つ時代、ジャズ喫茶やクラシック喫茶が流行した影響があるのではないでしょうか。つまり、昭和の喫茶店の進化系だった。そして、フランスには「カフェ文化」というものがあるとしたら、日本では「喫茶店文化」こそが文化の担い手であり、だからこそ、ドゥマゴなどの「カフェ文化」はあくまで外国のもののままで留まり、その後のスターバックスなどの興隆は機能性への特化、バリスタなどの流行は「珈琲文化」の浸透に過ぎないのではないでしょうか。
フランスの「カフェ」、イタリアの「バール」といった「場」の文化は、食を通して人と人とが出会い、全人的に関わり合っていくものです。その「場」は日本では「喫茶店」なのであり、「フレンチスタイルの珈琲店」は今も文化の担い手としてその任を果たしていると言って良いでしょう。
今月のお薦めワイン
「ボルドーワインの基点 オー=メドック」
「シャトー・デュ・ブルイユ 2015年 AOPオー=メドック」 3300円(税抜)
すでにボルドーワインに関しては、ブルゴーニュのポマールからの類推でサン=テミリオンのシャトー・オー=プランテを紹介させていただきました。オー=プランテはメルロ中心の右岸のワインです。しかし、誰もが思い浮かべるボルドーワインと言えば、シャトー・マルゴーやシャトー・ムートン=ロートシルトといった左岸のメドックのワインでしょう。こちらはカベルネ・ソーヴィニヨンを中心に造られているワインです。つまり、ボルドーワインは上記の二つのタイプに分かれること。また、どちらもブルゴーニュのようにピノ・ノワール単品種でワインが造られることは珍しく、複数の葡萄をブレンドしてワイン造りを行ないます。その比率は毎年の葡萄の出来によって微妙に異なりますのでまさにブレンドの妙を楽しむタイプのワインです。
そして、カベルネ・ソーヴィニヨンを主とする左岸のメドックワインを覚える際、その基準となるのがオー=メドックのワインです。オー=メドックのワインはどれも比較的ニュートラルに果実味を生かしたもので、マルゴーやポイヤックといった銘酒の出来るアペラシオンはこのオー=メドックの味わいの基礎の上にそれぞれの土地(テロワール)の個性が加わるとお考えいただければ良いでしょう。というのも、マルゴーやポイヤックも広域的にはオー=メドックに該当しますので。一方、ただのAOPメドックのワインはオー=メドックよりボディーが軽く味に独特のクセが出やすく、これはこれで面白いのですがニュートラルな感じがあまりしません。
今回ご紹介するシャトー・デュ・ブルイユはシサック村にあり、同村のシャトー・シサックを所有するヴィアラール家が1987年に購入したシャトーです。シサックがソーヴィニヨンの比率が高く飲み頃になるまでに時間がかかるのに対し、デュ・ブルイユはソーヴィニヨンとメルロがほぼ同じ比率ということで早くから楽しむことが出来ます。価格も手頃ですし、是非ボルドーの基準点をご確認いただければ幸いです。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
旅の土産に何をよく買われるでしょうか。もちろん、出かける場所の名物ですのでそれぞれ異なることと思います。国内と海外では全然違うでしょう。食べ物じゃないかもしれません。でも、例えば、台湾であればパイナップルケーキが定番の一つではないでしょうか。筆者は台北に出かけるとオークラプレステージ台北のパティスリーに必ず寄って、パイナップルケーキをお土産に買います。そう、スイーツはやはり旅の土産に最適ではないでしょうか。ただし、ある程度日持ちのするものでないと困ります。ですから、パイナップルケーキが選ばれるのでしょう。
さて、筆者は毎年、九月初めに二泊三日の旅行に出かけるのを常にしております。ですので、今年は当初、このコロナ禍もオリンピックの前には一段落しているのではないかと思い、昨年台北に行くことが出来ず、静岡に出かけましたので、今年はソウルに行きたいと思い、ホテルを早々に予約しておきました。ところがどうも雲行きが怪しいというか、好転するどころかどんどん悪くなる一方で、六月に入って早々にソウルを諦め、ホテルの予約を解約し、国内旅行に切り替えることにしました。では、何処に行こうかと考えた時、すぐ思いついたのが長野県の松本と諏訪にそれぞれ一泊する旅でした。
昨年の静岡は筆者の今は亡き両親の故郷、静岡市に出かけるのを目的としました。筆者は転勤族の父の仕事の関係で東京生まれ。一度も静岡に住んだことがありません。両親共に亡くなってから静岡を訪れることがなかったのでちょうどよい機会だ、と。また、レストラン格付け本『ゴ・エ・ミヨ』日本版で静岡市に「カワサキ」という優れたフレンチが開店したというではありませんか。これは行かずしてどうしましょう。
そして、今年は筆者が三歳から十歳までの七年間を過ごした上諏訪に出かけたいと思ったのです。住んだことはないが筆者のルーツである静岡。そして、幼年期を過ごした諏訪へと人生を振り返る旅を続けようと。また、「カワサキ」が掲載された『ディスカバー・ジャパン』誌(2021年5月号)に浅間温泉の旅館をリノベした「松本十帖」が掲載されており、ブックホテルの「松本本箱」に泊まり、そのメインダイニング「三六五+二」でコペンハーゲンの「noma」の影響を受けたクリストファ―・ホートン氏の監修する「信州ガストロノミー」を堪能したいと。もちろん、諏訪時代、両親と浅間温泉を訪れたことがあったものですから。
さて、静岡、諏訪と一見土地柄としてはかけ離れている場所に赴いたのですが、土産に買ってきたのは共に「羊羹」だったのです。筆者にとって、静岡の思い出の甘味と言えば、まずは母の実家の近く安倍川橋のたもとある元祖「安倍川もち」の石部屋(せきべや)です。祖父に連れられ、従弟たちと安倍川べりを散歩して、石部屋に寄って安倍川もちを食べて帰るのが慣わしでした。昨年訪れた際も佇まいは変わらず、土間に上がって食べる畳席もそのままでした。ただし、筆者は安倍川もちが苦手で(とりわけ、きな粉をまぶした方は口がパサパサになってむせてしまうので)、好物はもちを白玉状に軽くつぶし、ゆで汁の中に浮かべて供し、わさび醤油で食する「からみもち」。表面がやや溶けて、もちそのものの甘味がわさび醤油で引き立つのは絶品と言わざるを得ません。残念なことに土産用の安倍川もちでさえ賞味期限は当日中で、からみもちは持ち帰り出来ません。
では、何を土産に買うのかと言えば、「追分羊かん」です。旧東海道の清水と静岡の間に「追分」という地名があり、その街道沿いに今も古びた追分羊かんの本店があります。いつもは駅の売店などで買っていたのですが、最近は車で出かけ、街道沿いをさらに少し進んだ所にある「芳川」という料理屋で鰻を食するので行き帰りのどちらかに追分の本店に寄って買うことにしています。「芳川」も清水次郎長、西郷隆盛の訪れたことのある由緒ある店ですが、「追分羊かん」は一六九五年創業という大変な老舗。駿府に隠居した徳川慶喜、清水次郎長も好んだと言われ、清水出身の漫画家さくらももこさんの好物でもあった名物です。
竹の皮に包まれた弾力のある独特の食感の羊羹は、羊羹にうつった竹の皮の香りや味が実に美味で筆者も子供の頃から大好きでした。近年は真空パックになっているので日持ちも良く、家に帰ってから毎朝適宜切り分け一切れずつ食すると、羊羹と言えば、筆者にとっては追分羊羹のことなのだとひしひしと感じる次第です。
一方、今年の松本・諏訪への旅でも何故か土産は羊羹でした。それは下諏訪の諏訪大社下社秋宮の隣に店を構える「新鶴(しんつる)」の「塩羊羹」です。明治六年創業の新鶴は塩羊羹の元祖と言われています。餡を固めるのに用いるのは地元茅野産の天然寒天という諏訪の地ならではの銘菓。これも、諏訪に住んでいた頃、よく食していました。もう半世紀以上前になりますので、当時は洋菓子もまだ珍しく、児童文学者、大石真の『チョコレート戦争』(1965年)を買ってもらい読んだ筆者は洋菓子に多大な憧れを抱いていたくらいです。父が買って帰るそのような洋菓子のお土産と共に、ちょっと贅沢なお土産だったのがこの塩羊羹でした。不思議だったのは羊羹というのに色が灰色がかっていること。そして、その名の通り、甘さの中に漂う絶妙な塩味でした。寒天を用いているので食感は追分羊かんとは対照的にしっかりとしていて噛み応えのある重量級。しかし、味は軽やかで甘味が抑えられているので案外たくさん食べられてしまうのです。色が小豆色ではないのはあく抜きのため小豆の表皮を全部取り去って用いているからだそう。
生まれて初めて「新鶴」本店に出かけました。ここもまた鄙びた店構えで神社の脇ということもあり、何とも風情がありました。コロナ禍で人もまばらで快適でした。こちらは夏ですと五日くらいの日持ちです。これは帰宅の翌日から毎朝一切れ、五日で食べ切りました。
筆者の人生にとって意外にも「羊羹」は重要な美食であり、「羊羹好き」だったのかと実感した次第です。
今月のお薦めワイン
「辛口白ワインの代名詞 シャブリ」
「シャブリ テロワール・ド・ベル 2017年 シャトー・ド・ベル」 5500円(税抜)
「シャブリ」という名はもしかすると辛口白ワインの代名詞かもしれません。「生牡蠣にシャブリ」。酸がしっかりしているので殺菌にもなるなどと言われたものです。実は、「キンメリジャン」という牡蠣など貝類の化石からなる石灰質の土壌からシャブリは産まれますので余計に牡蠣が連想されるのでしょう。ところでシャブリはシャルドネから造られます。そう、シャブリはブルゴーニュワインなのですが、その場所はブルゴーニュの心臓、「コート・ドール」でもなければ、デジョンからリヨンにかけてのいわゆるブルゴーニュ地方にもありません。北西にある飛び地のヨンヌ県に存在し、「葡萄の孤島」と呼ばれることもあるようです。石灰質の土壌はミネラル分に富み、ですので酸が際立つのは酸に金属的なニュアンスが加わるからと考えるとよいでしょう。また、キンメリジャンではない土壌から造られる「プティ・シャブリ」という若飲みのよりフルーティーな手頃な価格のワインもあります。シャブリ自体もグランクリュまでピンからキリまでといった感じ。発酵はステンレスタンクかガラスコーティングのセメントタンクで行われ、熟成に樽が用いられます。高級なものほど樽のかかった感じに仕上がります。ですので、酸の効いた果実味+ミネラル感がベースで樽がけが+αという味わいです。
今回ご紹介するシャトー・ド・ベルはシャブリの東に位置する人口六十名ほどのベル村の当主一族が造るワイナリーです。その歴史は四百年を超えるということですが、現在のスタイルは2005年にシャトーを受け継いだアテネ女史によるビオロジックな自然派のワインとなっています。2017年ヴィンテージは酸、ミネラル、樽感が絶妙なハーモニーを醸し出し、シャブリにしては柔らかな仕上がりになっています。一部にしか出回っていないものですので、この機会に是非。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
『美食通信』第九回 「昼ワインのすすめ」
東京は緊急事態宣言下にありながら五輪に浮かれ、感染拡大は五輪終了後にも収まらず、果たしてどこがピークなのかもわからない状況。酒類の提供は禁止され、時短営業はいつまで続くことやら。しかし、五輪が始まる前の一時、開催を正当化するためなのか知りませんが、規制が若干緩和されました。時短営業は変わりませんが、人数・時間を限って酒を出してよいとか。外は、例年増す暑さ本番といったところ。そんな時は、涼しい店で眩しい日差しを眺めつつ、昼ワインなどしたくなるものです。コロナでなければ正々堂々飲めるのですが、別に規則違反でないのに何となく後ろめたいような気持ちになるのが残念。
筆者の住む街は「まん防」の対象区域で、二人までで九十分以内なら酒の提供は可能でしたので、待ってましたとばかり、近くに住む高校の同級生のH氏と隣駅前にあるイタリアン「di Formaggio KURA6330 」へ。船橋にある牧場の経営するイタリアンで、自家製チーズ、地産地消の野菜を使った料理がなかなかの美味。ランチはコースが基本ですが、ワインを飲むのでアラカルトでよいかと尋ねたら、快く了承して下さった。有難い。「昼ワイン」のポイントはがっつり食べるのではなく、あくまでワインを楽しむことが目的。そこで、アンティパストの盛り合わせと自家製チーズを頼んで、ワインに興じることに。もちろん、最後のドルチェは忘れずに。
さて、ワインは何にしようか。筆者は基本、赤ワインしか飲みませんので、昼といえば、重すぎず、かといって、イタリアワインの特徴の酸が目立つのも厳しいか、と。日本ワインもありましたが、やはり店で飲むと一万円超えで気軽ではなくなってしまいます。そこで面白いものを見つけました。ピエモンテの赤ワインなのですが、ネッビオーロでもなければ、ドルチェット、バルベーラでもない。ブラケットというブドウ品種のワイン、「アックイ」というDOCG(産地呼称)を名乗っています。通常、アックイのブラケットは「ブラケット・ダックイ」というDOCGで発泡性のワインが造られています。前回、伊香保で登場した「ランブルスコ」のようなワインです。ところが一か所のワイナリーだけ、通常の赤ワイン(スティルワイン)をダックイで造っているそうです。「ソシエタ・アグリコーラ・ボット」という造り手です。店で飲んで6000円ほどでした。
ブラケットは色が薄く、イチゴの香り、酸は柔らかでフルーティーなワイン。ブルゴーニュをアバウトにしたような感じ、「ブルゴーニュもどき」と勝手に呼ばせていただいております。実はピエモンテには他にも「ペラヴェルガ」というローカルなブドウ品種があり、これも「ブルゴーニュもどき」のようなワインが造られています。こちらはDOC「コッリーネ・サルッツェージ」のエミディオ・マエロによるワインをアヴィコさんで購入することが出来ます。イタリアの赤ワインはネッロ・ダヴォーラやプリミティーヴォといった南のブドウの濃厚な果実味か、キャンティのようなはっきりした酸のどちらかに思われがちですが、ピエモンテはバローロ、バルバレスコが造られるネッビオーロに始まり、ブルゴーニュに比肩するユニークなワインが多々存在します。マイナーなブドウ品種を押さえておくのがコツと言えましょう。値段は手頃なものばかりですので。
「昼ワイン」はのどかな郊外の住宅地のみでなく、都市のど真ん中で行なうのも乙というもの。筆者はソウルや台北で「昼ワイン」するのが好きです。フレンチでも日本に比べディナーのボリューミーさは相当なものなので、昼にワインはしっかり飲むものの、食事は控えめにしておく必要があります。特にソウルは。印象に残っているのは、2014年にソウルに出かけた際、「アスリーヌ」での昼ワインです。アスリーヌはパリにあるグラフィック本など高級書籍出版社で、江南にカフェ付きの支店を出していました。ソウルは江南のお洒落なカフェに行けば、何処もワインリストを用意しているくらいワインが普及しているのですが、フランスワインとなるとまだ心もとない店が多く、アスリーヌなら大丈夫だろうと出かけた次第です。カフェに入り、ワインリストを所望しました。テーブルには手頃なイタリアワインの紹介のポップが。すると、ボルドーはサン=テステフの第四級、シャトー・ラフォン=ロシェの2007年が載っているではありませんか。もちろん、昼飲むにはお高いのですが、もうこれしかない、と。注文すると店の人がこれでよろしいのですか、と再確認するほど。いいんです。ここはパリの書店のカフェなのですから。
といいつつ、食べ物はラザニアと野菜がないのでシーザーサラダを二人でシェア。案の定、韓国サイズ?で、最初に出てきたサラダが二人でも食べきれないくらいボリューミーで、これで一人分?と疑うくらい。ワインが主役なのでサラダは合わないなあ、と思いつつ、ラフォン=ロシェを飲むも、これが実に美味しい。自分の中でラフォン=ロシェは美味しくないワインの一つでしたので、代変わりしてスタイルも変わったのね、と。以前はギスギスしたタンニンが喉に絡みついたのですが、今やスムースで果実味もしっかり感じられるではありませんか。そうする内に、お出ましのラザニアも同様に食べきれないサイズ。ワインには合いましたが。まあ、つまみみたいなものですので残すことは気にせずに。
そして、ここからが韓国風サーヴィス。何となく、食べる手が止まりだした頃、フルーツの盛り合わせがこれもビッグサイズで登場。もちろん、頼んでいません。お店からのサーヴィスです、と。これはそれまでも何度か体験したことがありました。昼時にカフェに出かけ、ボトルでそれなりのワインを頼むと何かサーヴィスで出てくるのです。多くはフルーツの盛り合わせ。「アスリーヌよ、おまえもか」。そう、確かにここはソウルなのですから。
「昼ワイン」には思いがけない喜びもあるものです。是非、お試しあれ。
今月のお薦めワイン
「イタリアワインの最高峰 バルバレスコ」
「バルバレスコ リゼルヴァ 2013年 マイネルド」6900円(税抜)
ジビエに合うフランスワインとしてブルゴーニュの「ポマール」をご紹介し、イタリアにもそれに匹敵するワインがあるということで、ピエモンテの「ゲンメ」をご紹介しました。ポイントはピノ・ノワールに比肩するネッビーロという葡萄品種でした。ただし、ポマールがコート・ドールでも白に銘酒の多いボーヌ産という変化球であり、王道はニュイのワイン、そこで「モレ=サン=ドニ」を前回紹介させていただきました。ということで今回は、ネッビオーロの王道「バローロ、バルバレスコ」から「バルバレスコ」を紹介させていただきます。「ゲンメ」がピエモンテ北部であるのに対し、両者は南部のアルバ地区で造られています。「バローロ」が「ワインの王であり、王のワイン」と呼ばれるのに対し、法定熟成期間がやや短く、ダイナミックな力強さこそバローロに及ばないものの、バルバレスコは繊細さとバランスという点で優れていると言われています。バローロがブルゴーニュにおける「ヴォーヌ・ロマネ」であれば、バルバレスコは「ジュヴレ=シャンベルタン」に相当すると言えましょう。
今回ご紹介するバルバレスコは「リゼルヴァ」と熟成期間の長いワンランクの上のもの。法が定めるには樽と瓶で四年以上熟成させるのですが(バローロは五年以上)、今回の造り手、1920年設立のマイネルドは樽で五年熟成させ、さらに瓶熟させています。また、自然酵母、樫の大樽を用いるなど伝統的な醸造方法で格調高いワインを造る優れた生産者です。まだまだ寝かせることも可能ですが、熱い夏を乗り切るのにさっぱり、あるいはシンプルに美味しいお肉を食される時などにピッタリだと思われます。是非、お試しあれ。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
『美食通信』第八回「伊香保の夜はふけて」
リゾートが苦手。温泉も然り。そんな筆者が例外的に年に一度、伊香保温泉に足を運んではや十年近く。来年で十回目だったのが、昨年コロナで中止になり、今年はどうなるか、と。宿は「ホテル木暮」。実は若女将夫妻が筆者のワイン仲間で、「ワイン合宿」と称して始めたのがきっかけ。S弁護士事務所でのワイン会の際、酔った勢いで誰かが泊りがけでワインを飲もうと言い出し、その場で伊香保に電話することに。故三笠宮殿下のお泊りになられた貴賓室が最上階にあると聞き、貴賓室じゃないと行かないと駄々をこね、なんとか阻止しようと試みるもあっさり要求が通り、実現に至る。幹事はS弁護士。その貴賓室も昨年、全面改装し、行くのを楽しみにしてたのですが中止に。今年は土日だけ営業するので是非お越し下さいとの若女将の鶴の一声で出かけることに。
とはいえ、時期が時期でメンバーも大人というか、重症化しかねない年齢に近づいていますので辞退される方も。かく言う筆者は最年長で持病持ちですので他人ごとではないのですが、ここは副幹事で気配りの社労士、Wさんがプラズマクラスター空気清浄機を二台搭載された自家用車で拙宅まで送迎して下さったり、例年なら若女将夫妻が泊まられる貴賓室隣の特別室も我々が寝室として使わせていただくなど万全の感染対策で安心して出かけることが出来ました。また、この『美食通信』の主宰、The Clockroomの島田さん、歌舞伎町を代表する実業家、手塚マキさんも参加下さり、人数的には若女将夫妻を含め、全八名と一本のワインをテイスティングするにはちょうど良い人数となりました。結果、メンバーが若返ったせいもあってか、八名で十五本のワインをテイスティングすることに。近年、酒量が減っていたこの会で嬉しい誤算でした。
この会のワインの供し方は三段階。まず、ウエルカムドリンクあるいはアペリティフ(食前酒)に相当するもの。食事が18時からですので、皆さん、その前にチェックインして、大浴場を堪能されます。もちろん、筆者は一度も大浴場に行ったことはなく、部屋でのんびりテレビを観るか読書。改装前、貴賓室には部屋の真ん中にジャグジーがあったのですが筆者以外どなたも入られたことがなく、筆者の独占状態でした。皆さんが床に就かれ、最後に一人残った筆者は七色に光るジャグジーに入って寝るのが常でした。ともかくも大浴場から帰られたところで、お決まりのランブルスコを開けます。銘柄も決まっていて、サッカーの中田英寿氏がプロデュースした唇のマークが印象的なエチケットの「ヴァーチョ」(キスの意)。パルマのあるエミーリア=ロマーニャ州のワインです。色が濃く、葡萄の果実味いっぱいの微発砲。アルコールは弱めで「ヴァーチョ」は11%で高い方。一ケタのものもあります。まさに入浴後の「ヴァン・ド・ソワフ(渇きを癒すワイン)」の役割。ちなみに、インポーターはこの「美食通信」のワインコーナーでお世話になっているABICO(アビコ)さんです。御贔屓に。
次に食事の際に当然ワインを出します。グループごとの個室での会食で、若女将夫妻も一緒に食事され、この後の部屋に戻ってのワイン会の前哨戦といったところ。部屋では基本、ヴィンテージ物の赤が主役に。温泉旅館のご馳走ですから、食材、調理法、味付けなども多岐にわたります。ですので、それ以外の若めの赤、白、シャンパーニュなど他のすべての種類のワインを食事の際に供します。食事に合う気軽なものが相応しいのですが、毎回例外として、シャンパーニュ好きの若女将夫妻から乾杯用に高級シャンパーニュが。今年はテタンジェのコント・ド・シャンパーニュのロゼ2007年と垂涎の逸品。いつもありがとうございます。ここまでで八本、空きました。
さて、この後部屋に戻ってのワイン会こそ、この集まりのメインイベント。だいたい恒例としてボルドーのヴィンテージ物を持ち寄って開けることに。今年はメインが第一級のムートン=ロートシルト(ポイヤック)2000年でしたので、この前後のヴィンテージのものを。筆者がブルゴーニュのオスピス・ド・ボーヌのポマール2003年、他に第三級のカロン=セギュール(サン=テステフ)2000年、同じ三級のパルメ(マルゴー)1993年をまず、テイスティングしました。ポマールはブルゴーニュの中でもタンニンのしっかりした濃厚な味わいのものですのでボルドーに負けない存在感がありました。2000年は大変良い年でしたので、ムートンは見事な出来でまだまだ長持ちしそうです。開けてすぐはギスギスして厳しいものがありましたが、時間と共に柔らかくなりまた味わいも深みとバランスが取れてきました。それに対して、カロン=セギュールは開けた途端に香りがはっきり感じられ、飲み頃だとすぐわかりました。実際、最後まで、ややくすんだ重みのあるサン=テステフらしい複雑な美味しさが変化しつつ持続していました。パルメはマルゴーでもエレガントなタイプのワインですので、93年という平均的なヴィンテージでは30年近く経つのですでにやや峠を越え、熟成感を楽しむものであり、後半やや酸が目立つようになっていました。
さらに比較のため、若いヴィンテージのグランヴァンを開けてみました。2016年のペロ=ミノのジュヴレ=シャンベルタン、2011年の第二級ピション=ラランド(ポイヤック)、そして2014年のクラランス・ド・オー=ブリヨン(第一級オー=ブリヨンのセカンド)の三本でした。ジュヴレはまだ若く、熟成感ではなく果実味を楽しむものでした。ピションはちょうど最初の飲み頃を迎えているようで、果実味とタンニンのバランスも良く、元々エレガントなタイプのポイヤックですのでしなやかな美味しさを感じました。クラランスはこれも上手に造られていて立派なものでした。ただ、やや化粧が強く、わざとらしさを感じました。それはアルコール度数が14.5%とボルドーにしては高すぎる点に明白です。グラーヴとはいえ、メドックのワインですのでいくらメルロの比率が高くとももう少しタイトでタンニックなものを期待したいと思いました。
このようにそれぞれのワインを比較しながら飲み比べていくと楽しみつつも多くのことを学ぶことが出来ます。気が付くと、最初のランブルスコから八名で十五本のワインが空いていた次第です。各自自分のペースで床に就いてゆき、今年もまた最後一人残った筆者は改装によって新しく設置された部屋の展望風呂に入って就寝しました。サウナも部屋に新設されたのですがそちらは12時までだそうで、もうとっくに終わってしまっていたので入らず仕舞いでした。まあ、二十四時間OKでも筆者は入らないと思いますが。皆さん、楽しんでいただけたようで良かったです。来年は十周年ですので、きっと今年以上の素晴らしいワインが並ぶことでしょう。島田さん、これに懲りずに来年もどうかよろしくお願いします。
今月のお薦めワイン 「ニュイの目立たぬ実力派、モレ=サン=ドニ」
「モレ=サン=ドニ 2013年 ドメーヌ・ジャヴェ」 6800円(税抜)
第二回のワインでジビエに合うブルゴーニュということでポマールを紹介させていただきました。今回はそのヴァリエーション、というかブルゴーニュの赤の本筋はこちらということでニュイのワインを紹介させていただきます。ブルゴーニュは、北は飛び地のシャブリから南はボジョレまで南北に長い地方ですが、その中でコート・ドール(黄金の丘)と呼ばれる地域がブルゴーニュ最高のワイン産地。そのコート・ドールは北半分がニュイで赤主体、南半分がボーヌで白主体となっています。前回のポマールはボーヌでヴォルネと並ぶ赤の名産地なのですがある種の変化球。ストレートはニュイの赤となります。その中で有名なのはもちろん、ロマネ=コンティを産する「ヴォーヌ・ロマネ」。ナポレオンが愛したシャンベルタンを産する「ジュヴレ・シャンベルタン」。そして、文字通り、ニュイの語源、「ニュイ=サン=ジョルジュ」でしょう。しかし、その陰に隠れて実は偉大なワイン畑を有するのが「モレ=サン=ドニ」です。ニュイ=サン=ジョルジュにはグランクリュ畑はありません。それに対し、モレ=サン=ドニにはモノポールの「クロ・ド・タール」をはじめ五つものグランクリュ畑があるのです。村名ワインは果実味とタンニンのバランスが良く、ピノ・ノワールのストレートな美味しさを感じることが出来るかと思います。筆者の基本はデュジャックの安い方(ネゴシアン物)ですが、今回はモレ=サン=ドニに拠点を置く、マリー・テレーズ・ジャヴェをご紹介しましょう。グランクリュの「クロ・デ・ランブレ」の北側にモノポールの「クロ・ド・ラ・ビドード」を所有するドメーヌ。ビオロジックを実践し、丁寧な造りで、2013年は飲み頃か、と。日本ではあまり出回っていない造り手ですので貴重な一品です。まずは村名ワインからお試しあれ。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
『美食通信』第七回『メゾン・ド・ヒミコ』への旅
昨年九月、久しぶりに亡き両親の実家のある静岡市に出かけました。父が銀行員でしたので、入行は静岡支店だったものの、筆者が生まれたのは東京。その後、諏訪、神戸と転勤し、筆者の高校入学のことを考え、東京に戻って、社宅のあった船橋の近くに家を建てた次第。典型的パラサイトシングルの筆者はその家から離れることなく、両親亡き後も住み続けているのです。筆者にとって、静岡は住んだことのない故郷という不思議な土地で、人生も終焉が近づいて来ましたので、何かと訪れたく思うようになりました。昨年は祖父と散歩帰りにいつも立ち寄った安倍川もちの元祖「石部屋(せきべや)」で好物の「からみもち」を食し、全国誌でも取り上げられている評判のフレンチ「カワサキ」に出かけました。
そんな筆者には静岡に積年の訪れたい場所があったのです。それは、2005年に公開された犬童一心監督の映画『メゾン・ド・ヒミコ』の舞台となった建物でした。映画では三浦半島の某所にある海辺のラブホテルを改装したゲイの老人ホームという設定でした。しかし実際は、御前崎市にある「カフェ・ウエルカムティ」というカフェでその後、カフェは閉店。売りに出されるも買い手がつかず、建物のそのままらしいとのこと。
この映画、主演はオダギリ・ジョー。この時期、同じ年に鈴木清順監督の『オペレッタ狸御殿』でカンヌ映画祭に招かれるなど、八面六臂の活躍ぶり。翌年には筆者が最高のテレビドラマと考える『時効警察』が放映されることになります。『仮面ライダークウガ』の時はピンときませんでしたが、その直後に放映された『OLヴィジュアル系』(2001年)で金髪の御曹司の役で登場したのを見て、これはすごい俳優が出てきたと。早速、「美男論」の講義でも取り上げ、予想通り、大ブレイクした次第です。現在も変わらぬ美男ぶりで、筆者にとって「美男」を語る際、欠かすこと出来ない人物です。
ところが、2005年のはじめ、筆者は生死の境を彷徨う大病を患いました。生まれて初めての入院は二か月に及び、面会謝絶になった時期もあり、ずっと個室で過ごしました。何とか九死に一生を得て現在に至っていますが、定期的に通院治療を続けています。『メゾン・ド・ヒミコ』はオダギリ・ジョー演じる春彦の年上の恋人ヒミコ(田中泯)の死とヒミコの娘、沙織(柴咲コウ)との新たな愛をゲイの老人ホームを舞台に描いた作品で、筆者は入院中、自分もここで死に、この映画を観ることは出来ないのではないかという思いにかられ、退院後も予後が芳しくなく、五年生きられれば良い方だろうと思っていましたので、いざ公開となった時にも、映画館に出かける元気がなく逡巡していました。そんな折、研究者仲間の一人が業界の方を通じて、配給会社の試写室での試写会の招待券を下さったのです。人数の少ない場所での鑑賞はありがたかった。オダギリ・ジョーが素敵だったのはもちろんでしたが、何より「メゾン・ド・ヒミコ」の建物とその周辺の風景が美しく、心打たれました。どうしても一度、その場所を訪れてみたい。そう思いながら、気づくと十五年も過ぎてしまっていたのです。
そして、この五月、再び「カワサキ」に出かけることになり、今度こそはと御前崎まで足を伸ばすことにしました。車を出してくれる友人がいて、何処でも連れて行ってくれると言ってくれたので。あいにくの雨模様でしたが、静岡市から意外に近く、高速を使えば一時間ほどで着くことが出来ました。田舎の国道を途中で左折し、農道を突当りまで行くと海沿いの道に出ました。それを灯台に向かって進んでいくと「カフェ・ウエルカムティ」はその姿を今も残していたのです。人の住んでいる気配はないものの、表札が出ていましたのでどなたかが購入され、建物を残されているのではないか、と。本当にすぐ目の前が海で、しかも、外海ですので、風と波の音が響き渡っていました。こんなにも簡単に十五年の思いが遂げられてしまうものかと、いや、この十五年には意味があり、ここで来なければきっと一生この光景を見ることはないだろうと。そして、今度は晴れた日にまた来ようと誓ったのでした。
さらに先の病で十五年、会うことのなかった人物にお目にかかることが出来たのです。2002年に大江戸線が開通したばかりの牛込柳町に「ル・デッサン」というフレンチが開店しました。シェフご夫妻の人柄の良さと、美味しい料理で評判の店となり、筆者も通うようになりました。そして、2004年11月、筆者のバースデーのお祝いを「ル・デッサン」で行わせていただいたのです。ところがその直後、病に倒れ、その後も外出を極力控えないといけない状態が続きましたので、疎遠になってしまったのです。そして、気づくと店を畳まれて、ご実家のある島田市に戻られたとのこと。ところが、「カワサキ」の河崎シェフが〆に出されるラーメンが「ル・デッサン」直伝と聞き、まさか増田シェフの「ル・デッサン」ですかと尋ねると、島田で行列のできる人気のラーメン店とのこと。昨年は行きそびれてしまいましたので、今回こそはと島田市民皆さまの日課の「朝ラー」で行かせていただきました。何せ、7時開店、13時半閉店の店とのことでしたので。
十五年ぶりに増田シェフご夫妻の姿を目にしたとき、思わず涙が出そうになりました。オダギリ・ジョーではありませんが、変わっていないのです。店こそラーメン店になっているものの、牛込柳町のときと同じ空気が感じられました。何故か自分だけが年老いて、映画のヒミコに向かって一直線。
静岡から戻ると、大学からカリキュラム改正のため、次年度より「美男論」の授業は廃止になるとの通知が。思えば、1994年から二十七年間もよく続けてこられたなあ、と。「嵐」も活動休止となり、ここらが潮時なのかもしれません。
残された時間、筆者に課されたのはこの『美食通信』も含め、「書くこと」ではないかと確信した次第です。いにしえの拙論で、若くしてエイズで亡くなったフランスの作家、エルヴェ・ギベールの「僕にとっては書くことが生きることなのだ」を引用して、「書き続けること。その結末がどうであっても。書くことが死に絡めとられるのではなく、死を絡めとってしまうまでに」と結論付けたように(「死の量化作業」、初出1993年。拙著『美男論序説』、1996年所収)。
今月のお薦めワイン 「イタリアのシャンパーニュ、フランチャコルタ」
「フランチャコルタ ブリュト クリュ ペルデュ NV カステッロ・ボノミ」 6500円(税抜)
お薦めワインは6回でワンクールを想定しています。ツークール目はその応用編ということで今回からツークール目。その初回ということはシャンパーニュの応用で、イタリアのフランチャコルタを紹介させていただきます。イタリアで広く飲まれているスプマンテ(スパークリング)は、ヴェネト州の「プロセッコ」、ピエモンテ州の「アスティ」あたりでしょうか。しかし、イタリアにはシャンパーニュとそっくり同じ造りのスプマンテがあります。それがロンバルディア州の「フランチャコルタ」です。ロンバルディアと言われてもピンとこないかもしれませんが、州都がミラノだと言われれば親近感が出てくるのでは。
シャンパーニュとそっくり同じというのは、製法が瓶熟のシャンパーニュ方式というだけではなく、セパージュもピノ・ネロ(ピノ・ノワール)、シャルドネ、ピノ・ビアンコ(ピノ・ブラン)とピノ・ムニエとピノ・ブランが違うくらいであとは同じ。今日、ご紹介するボノミのクリュ・ペルデュはシャルドネ70%、ピノ・ネロ30%ですので、シャンパーニュでもあり得るセパージュ。ちなみに、造りがシャンパーニュ方式でリーズナブルなスペインの「カヴァ」は葡萄がマカベオやチャレロといったスペインの品種。ですので、フランチャコルタを飲めば、シャンパーニュとの純粋にテロワールの違いを楽しめるというわけ。また、イタリア料理店に行かれた際、フランチャコルタを頼まれれば、ワインに詳しいと思われるに違いありません。ボノミはフランチャコルタ唯一のシャトーワイナリーで、最低でも規定の倍以上(36か月)の瓶熟を行なうことでリッチなフランチャコルタを生産しています。この「クリュ・ペルデュ」はボノミの顔ともいえる人気のキュヴェ。シャンパーニュとの違いをご堪能あれ!
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
『美食通信』第六回 Kisvinワイン騒動記
今、日本ワインがブームです。しかし、筆者はフランスワイン、その中でも四半世紀をボルドーワイン一筋に費やし、ようやく残り少ない人生、もう一方の雄、ブルゴーニュワインを少しでも嗜めればと研鑽の日々。とてもとても日本ワインまで手が回りません。しかし、そんな筆者がひょんなことからある日本ワインを探し回るはめに。偶然に次ぐ偶然とはこのことで、これも縁かとそのワインに注目していこうと思っている次第。で、そのワインこそ、山梨県は甲州市にあるKisvin(キスヴィン)ワイナリーなのであります。
事の発端は4月20日にNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』で放映された「笑顔をうつす、ひとしずく~ワイン醸造家・斎藤まゆ」を見たこと。自分は女性シェフとか、女性醸造家とかに弱い。1990年代半ば、パリを海外研究で訪れていた時も、パリで初めて星を取った料理界のフェミニスト、ドミニク・ヴェルシーニの「カーザ・オランプ」や当時二つ星取って話題になっていた「ルドワイヤン」のジスレーヌ・アラビアンといった女性シェフの店を訪れ、今では、ブルゴーニュの造り手でもボーヌのファニー・サーブルといった女性醸造家のワインを好んでいる次第です。で、ボーヌでは栗山朋子さんという女性醸造家が「シャントレーヴ」というブランドのワインを造られていて、この斎藤さんがまさか日本ワインの造り手とは番組を見るまで存じ上げなかったのです。筆者の日本ワインへの門外漢ぶりがお分かりになるか、と。
Kisvinワイナリーのワインは、オーナーであられる葡萄農家萩原康弘氏らが丹精込めて作られた葡萄を斎藤さんの手でワインにすることで、「世界に通用するワイン」を造ろうというチームの夢の実現への過程であることが描かれていました。ANAのファーストクラスに採用された「甲州」をはじめ、番組では一つの葡萄から三種類のワインを造り、それをブレンドして製品にした「シラーロゼ」といった凝った醸造法のワインなどが紹介されていました。そして、最後に取り上げられたのが「ジンファンデルロゼ」。実は高温多湿の日本にジンファンデルは向いておらず、雨が多いと葡萄が水っぽくなるのに加えて実が割れて、ワインが造れないのです。そこでジンファンデルを全部切り落とし、他の葡萄に差し替える作業が。そして、最後のジンファンデルは斎藤さんではなく、もう一人の若い醸造家川上黎氏が造ることに。そして、川上氏の造ったワインをスタッフ皆が笑顔で飲みながら、新たな挑戦に向かって行くというエンディング。
さて、その番組を見た後しばらくして、Facebookの「知り合いかも」を覗いていると、「川上黎」の名が。どこかで見た名前だなあ、と思い、プロフィールを見るとKisvinワイナリーの醸造家とあるではありませんか。ああ、あの最後のジンファンデルを造った方だと思い出し、何かの縁と友達申請させていただいたところ、早速承認の返事が。まだ、二十三歳とお若い。女性と若い方は応援したいタイプなので、早速川上君のFacebookを拝見しました。すると、冒頭に叔母さまらしき方が書かれた番組に対するツイートが載っていて、「黎くんのジンファンデル、まだ購入できそうです。……交渉してみてください」と書かれていたので、早速、メッセンジャーでジンファンデルあったら、譲って下さいと連絡したところ、ワイナリーにはもう在庫はないということで、ワイナリーのHPにある取扱店を教えていただきました。
よくよく考えてみれば、日本ワインブームの中、テレビで取り上げられ、最後のジンファンデルなどと喧伝されているのです。しかも、醸造所自体が文字通りのガレージワイン、住宅街の中にあるガレージ位のスペースで造っているのですから、生産本数が少ないのは目に見えて明らか。それでも日本ワインに疎い自分は取扱店のHPを見てみることに。筆者の住む千葉県には「いまでや」が載っていたのですが、ジンファンデルどころか、Kisvinのワインはすべて売り切れ。大阪に行くとワインを飲みに寄る「タカムラワインハウス」も同様。16000円もするピノ・ノワールなども品切で。これは大変なことになっていると。というか、ジンファンデルがリストにない取扱店が結構あり、これはダメだと諦めかけたとき、新潟県の上越市にある「寿酒店」が取扱店に挙がっていたのです。早速、店のHPを見ると「ロゼが入荷しました」という写真付きの記事が。その中にジンファンデルもあるではありませんか。でも、通販はやっていない模様。
ところがこれも偶然なのですが、筆者がワインを指南し、学生時代にワイン・エキスパートの資格を獲得したW君が上越出身だったのです。W君は現在、都内のNTTに勤められていますが、ちょうど時はゴールデンウィーク。W君は一人っ子でお父様が地元の名士でいらっしゃるので、上越に帰っているのではないかと思い、連絡するとやはり上越にいました。そこで寿酒店までおつかいに行ってもらったところ、ギリギリセーフで購入出来たというのです。何たる僥倖!川上君に買えたと報告したら、驚かれていました。寿酒店の店主はKisvinワインのファンなのでしょう。W君に、冷やし過ぎてはいけない、やや高めの温度で。二日目、三日目と味が変化するので試してみると良いとアドヴァイス下さったそうです。
偶然に偶然が重なり、手にすることが出来た「最後のジンファンデル」。エキスパートの資格を持つW君も交えて、しかるべくテイスティングの場を設けるつもりです。また、川上君がKisvinの基本の「甲州」をぜひ飲んでみて下さいとおっしゃるので、彼に教えられたANAの通販で購入することが出来ました。これも何かの縁。川上君の造るワインは必ず入手してテイスティングして行こう、と。もちろん、Kisvinのワイン全般にも注目していきたいと思います。
今月のお薦めワイン 「元料理人の女性が造る伝統的なキャンティ・クラシコ」
「キャンティ・クラシコ・リゼルヴァ 2015年 ファットリア・ディ・ペトロイオ」 5500円(税抜)
フランスの赤ワインの両雄がブルゴーニュとボルドーであれば、イタリアの赤ワイン にもピエモンテとトスカーナという二つの偉大な産地があります。前回、ボルドーを紹介させていただきましたので、今回はイタリアワインにおけるボルドーに相当するトスカーナ地方のワインを紹介させていただくことにします。トスカーナのワインの特徴はサンジョヴェーゼという葡萄からワインが造られていることです。トスカーナワインの最高峰、ブルネロ・ディ・モンタルチーノはブルネロ種という葡萄から造られていますが、これはサンジョヴェーゼの亜種です。そして、この原点であるサンジョヴェーゼから造られるワインが「キャンティ」です。キャンティは価格的にもピンからキリまでなかなか選ぶのが難しいのですが、「クラシコ」とつくワインは、現在、広域のキャンティの中でも、13世紀以来の中核にあたる地域で造られているものを表わしています。さらに、通常のキャンティの法定熟成期間が一年なのに対し、「リゼルヴァ」は二年とワンランク上のキャンティを楽しむことが出来ます。生産者はオーナーの父が著名な神経学者でワイン造りに携わる時間がなく、代わりに料理人をやめ、ワイナリーを運営する娘のディアナ・レンチさん、と今回連載の女性醸造家繋がりで選ばせていただきました。ボルドータイプのスーパートスカンが流行のトスカーナで、伝統を重んじつつ、サンジョヴェーゼの現在形を伝えて行こうという心意気はまさに一流の矜持です。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
『美食通信』第五回 今回は「美食」ではなく、「美男」のお話を
島田さんから筆者の「美食」以外の業績の紹介もされたらどうかとご提案いただきました。ちょうど、去る4月13日に、光文社知恵の森文庫から拙著『隣の嵐くん―カリスマなき時代の偶像(アイドル)―』が発売になりましたので、手前味噌になりますがお言葉に甘えて、今回はそのお話をさせていただくことにします。 本のタイトルに登場する「嵐」とは、昨年末で21年間にわたる活動を休止したあのジャニーズ事務所所属の国民的アイドル「嵐」のことです。本書は元々、嵐が結成15周年記念のライヴを9月にハワイで行なうことになった2014年、その直前の6月に単行本として公刊したものです。本邦初の「嵐」の本格的評論として、おかげ様で三万部近く売れました。そこで嵐の活動停止を受け、今回、新たに総括的な一章を書き下ろし、文庫化が叶った次第です。文庫本を出すことは物書きとしての筆者の長年の夢でしたので素直に嬉しく思っております。また、新書はすでに2018年、鹿砦社から『イケメンホストを読み解く6つのキーワード』を出しておりますので残るは選書・叢書くらいでしょうか。 単行本の帯に「明治大学の人気講義が本になった」と謳われていますように、法学部の教養科目「自由講座」で嵐を取り上げていたのをもとに本にしたのでした。この講座は東洋大学の哲学科の助手だった1994年、「社会心理学」の担当を依頼され始めたものでした。セクシュアリティについて講義してほしいというリクエストだったのですが、真正面から取り上げると昨今と同じ「セクハラ」だとか「フェミニズム」などお堅い政治色の強いものになってしまいますので、「男は度胸、女は愛嬌」というのはもう古く、これからは男の子も見た目が肝心、「美男」じゃなければというお話をしたのです。そして、1996年に『美男論序説』という本を出すことになりました。 実際当時、ちょっとした「ゲイ」ブームだったり、今はマッチョのお手本の武田真治さんがいしだ壱成さんと共に「フェミ男」君として大人気だったりと男性のセクシュアリティも多様でファジーなものになっていたのです。そして、講義の中で筆者が重要視したのが「SMAP」でした。1991年CDデヴューで当初はまだ森君がいて六人組でした。これからはSMAPの時代が来ると「SMAPPINGする感性」という論文を書いたくらいです。画一化することなく、それぞれのメンバーが自分の個性を発揮しながら、それでいて、いやそれでこそ、グループとしての魅力も発揮できるという在り方はマニュアル化されない「美男」のモデルになるであろう、と。 そして、その後ジャニーズは講義の大きな柱の一つになりました。TOKIO、V6、ジャニーズJr、そしてその流れで「嵐」も取り上げたのです。しかし、2008年の「truth」を聴くに及んで、時代は間違いなく「嵐」を求めていると確信しました。そして、ひょんなことから「嵐」の本を書く機会を得たのです。実は当初、ちょうど第二次韓流ブームで「東方神起」について書けないかという依頼があったのです。もちろん、筆者はK-POPにも目配りを欠かさず、とりわけ2009年の韓国ドラマ『美男(イケメン)ですね』はそのタイトルからして、大々的に講義で取り扱ってきました。しかし、筆者の興味はそのドラマに出演したイ・ホンギがヴォーカルを務める「FTIsland」やジョン・ヨンファがリーダーの「CNBLUE」といったバンド系の韓流グループにありました。ですので、「東方神起」はお断わりしたのです。すると、「何なら書けるのか」と尋ねられ、筆者は「嵐」なら書けると答えたのです。出版社側も「嵐」なら売れると思ったのでしょう。Goサインが出たのです。 では、どうして時代はSMAPから嵐に移行したのか。そのヒントは本のサブタイトルに示されています。SMAPは各メンバーが個性的ではありますが、中でも「キムタク」が圧倒的なカリスマ性を現在も維持しています。それに対して、嵐にカリスマはいるでしょうか。筆者は2008年の「truth」で相葉君の存在こそ「嵐」の「要」であることに気づきました。その時点でドラマの主演をしていない唯一のメンバーが相葉君だったのです。今でこそ、嵐といったら相葉君と思う方は多いと思いますが当時はそうではなかった。つまり、相葉君、大野君といったメンバーが他のメンバーと対等に扱われるようになれば、カリスマなきアイドルグループとして「嵐」は新たな時代を創るに違いない。そして、事実その通りになったのです。 筆者の相葉君贔屓は、例えば、同じジャニーズの「NEWS」ならマッスーこと増田君贔屓ということになります。役者も「主役級」ではなく、オダギリ・ジョー様のような主役でも端役でも分け隔てなくサラッとこなしてしまうタイプが好きです。いやこれも時代の趨勢で、菅田将暉君などその系譜ではないでしょうか。さらに遡れば、トルシエジャパンに目をつけた筆者は2000年のシドニーオリンピックの前から、2002年の日韓ワールドカップは稲本潤一選手が「要」だと授業で取り上げ続けました。彼のポジションは「ボランチ」です。 このように四半世紀以上も「美男」について語り続けてきた訳ですが、「序説」に終わっていた「美男論」の「本論」の一つとしても、この『隣の嵐くん』を読むことは可能かと思います。機会があれば、是非手に取っていただければ幸いです。
今月のお薦めワイン 「名門ティエンポン家が造るカリテプリなボルドー」
「シャトー・オー・プランテ サン=テミリオン グラン・クリュ 2015年 ジャック・ティエンポン」 6160円
フランスの赤ワインの双璧はブルゴーニュとボルドー。また、ボルドーの中も左岸のカベルネ・ソーヴィニヨン主体のメドックとメルロ主体の右岸のリブールヌの二つのタイプに分かれます。五大シャトーはメドック。メルロを使った世界最高のワインとして有名な「シャトー・ペトリュス」は右岸のポムロールのワインです。そして、そのペトリュスを凌駕する高価なワインとして有名なのが同じポムロールの「ル・パン」。この「ル・パン」を造るのが銘酒「ヴュー・シャトー・セルタン」の持ち主ティエンポン家です。ティエンポン家ではリブールヌのもう一つの重要なアペラシオン、サン=テミリオンでも「ル・パン」のような希少性のある高価なガレージワインを造ろうと購入したのがこのオー=プランテでした。そして、セカンドワインとしてこのシャトーの名前を残し、2011年「リフ」というブランドを立ち上げたのです。2015年はグレイト・ヴィンテージですので「リフ」ですと四万円以上します。セパージュはメルロ80%、カベルネ・フラン20%。サン=テミリオンにしてはメルロ多めですが、ここはポムロールの造り手の腕の見せ所。このセカンドももう、市場ではほとんど見かけることが無くなってきましたので、これが最後のチャンスかも。どうか、お見逃しなく。
ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで
略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
『美食通信』第4回「白ワインは葡萄品種を楽しむ」筆者は赤ワイン党ですので白ワインを飲もうという気にあまりなりません。というのも、自分くらいの年齢ですと、子供の頃、世間でワインと言えば、赤玉ポートワインか蜂ハニーワインといったスティルワイン(通常のワイン)ではなく、成人になり、ようやく口にすることになった真っ当な?ワインがTVで盛んに宣伝していた「マドンナ」、あと「リープフライミルヒ(聖母の乳)」、「シュヴァルツェカッツ(黒猫)」といった甘めの安価なドイツの白ワインで正直口に合いませんでした。まあ、ポルトガルの「マテウスロゼ」はまだ飲めた方か、と。という訳で、ワイン=白ワインに良い印象がなく、フランス「料理」の方に傾倒していったのです。ワインの奥深さに気づかされたのが三十歳を過ぎ、ちょうどパリに出かける頃でした。そのきっかけはムートンの84年でしたので、それ以来、ボルドー、ブルゴーニュとフランスの赤ワイン一筋です。 赤ワインの醍醐味はもちろん「渋み」です。酸と渋みのバランス。この「渋み」は果皮、果梗といった部分から抽出されます。その点、白ワインは基本果肉だけですので、果実味と酸で勝負することになります。そこで、葡萄品種が大切になります。そこで、味わいと共にその葡萄品種特有の香りもしっかり押さえる必要があります。それに対し、若き日の安ドイツワインは多くがブレンドものでした。実際、アルザスワインは最上のグランクリュに四つの葡萄品種が名前を連ね、最も手頃なヴァン・ダルザスがブレンド物です。つまり、白ワインでブレンドものは基本避けるべきでしょう。 では、何を基軸に据えれば良いのか。それはまず、「ブルゴーニュ」の「シャルドネ」です。ブルゴーニュが「ワインの王様」と呼ばれるのは、赤も白もただ一つの葡萄品種だけで芸術的なワインを造り出すからではないでしょうか。しかも、南北に長いブルゴーニュの中で、北の飛び地の「シャブリ」から南端のボジョレーの手前の「マコン」に至るまで多様なシャルドネが造られています。その最高峰はやはり、「コート・ドール(黄金の丘)」のボーヌにある「モンラッシェ」、「ムルソー」辺りでしょう。ちなみに、「ロマネ・コンティ」に代表される赤はニュイの方です。 白ワインで最も重い(フルボディ)とされる「シャルドネ」はさらに、樽にかけず酸がしっかりした「シャブリ」型と樽がけして複雑さが増し、熟成を楽しむ「ボーヌ」型に分かれます。さらに「シャルドネ」は世界で最も植えられている葡萄品種でもありますので、それぞれの国・土地の特徴がこれに加わり、価格もピンからキリまで多彩なワインを楽しむことが出来るでしょう。 赤ワインを知ろうと思えば、ブルゴーニュとボルドーを比較して二分法で飲み分けていくのが得策と申し上げたと思いますが、白ワインも同様に飲み進めると良いでしょう。その際、ブルゴーニュ=シャルドネと対照すべきはアルザスワインと考えられます。というのも、ボルドーは数種をブレンドすることでピノ・ノワール単品種のブルゴーニュに対抗したのですが、アルザスは前述のようにグランクリュにリースリング、ゲヴュルツトラミネール、ピノ・グリ、ミュスカの四種、さらに、ピノ・ブラン、シルヴァネールといった「多数」の単品種のワインを造っているからです。リースリングはドイツワインの主品種ですし、ピノ・グリ(伊ではグリージョ)はイタリア北部で上質のワインを生み出しています。また、白ワインの中で最も香りの強いゲヴュルツトラミネールはほぼアルザスに限られるなど、アルザスワインを知ることで白ワインの様々な葡萄品種とその地域分布・特性などを知ることが出来ます。 もちろん、フランスだけでも他に、ロワール地方の「シュナン・ブラン」、「ミュスカデ」、ボルドーの「ソーヴィニヨン・ブラン」そして貴腐ワインに欠かせない「セミヨン」などがありますが、それはまたの機会に。ここではローヌ地方で「コンドリュー」というアペラシオンを名乗るワインを造る「ヴィオニエ」種を挙げておきましょう。昨今は世界中で造られているようですが、極めて限定的な地域で造られしかも早飲みの高級白ワインという変わり種。桃や花の甘やかな独特の香り、酸が強くないのでリッチでオイリーな味わいと表現されることも。中でも「シャトー・グリエ」は「ロマネ・コンティ」同様、それだけで一つのアペラシオンを名乗れる秀逸な畑。「コンドリュー」と記憶され、機会があれば是非一度、お試しあれ。 そして、最後に日本にも「甲州」という世界に認められた葡萄品種があることをお忘れなく。「シュール・リー」製法によって、発酵後すぐ澱引きせず、酵母のコクや旨味をワインに与えることで、爽やかな「コクとキレ」という日本人好みのワインが造られています。日本ワインは「白が主」であることを再確認していただければ幸いです。今月のお薦めワイン シャルドネ最良の魅力をリーズナブルに堪能する「サン・トーバン プルミエクリュ ル・シャルモワ 2014年 ドメーヌ・オ・ピエ・デュ・モンショーヴ」 6300円(税抜)本文で白ワインの最高峰はブルゴーニュの「モンラッシェ」、「ムルソー」辺りであろうと書きました。これらはブルゴーニュの中でも「コート・ドール(黄金の丘)」と呼ばれる地域のさらにコート・ド・ボーヌと呼ばれる部分にその畑があります。樽がけすることもありますが、酸と果実味という白ワインの基本的特徴のほかに、ナッツ、ハチミツといった独特の香りや味わい、熟成に耐え、黄金色に変化してリッチで複雑な美味しさが堪能できるという秀逸さ。しかし、最低でも一万円からを覚悟しないといけません。そこで、もう少しリーズナブルにこうしたシャルドネの良さを楽しむにはこれらの周辺にある村のワインを探すと良いでしょう。その一つが「サン・トーバン」です。サトクリフは「ブルゴーニュの秘められたる宝石の一つ」と評し、良心的な造り手による良質のワインが良心的な価格で提供されていると書いています(『ブルゴーニュワイン』、132頁)。今回紹介させていただくワインはプルミエクリュ畑のもので、作り手はシャサーニュ=モンラッシェ村にメゾンを構えるネゴシアン、ファミーユ・ピカール社の三代目フランシーヌ女史が2010年に開設したドメーヌ。ビオディナミ農法、、手摘み収穫、100%除梗等々手間暇をかけ、品質の良さを追求する姿勢が高い評価を受けています。2014年はヴィンテージもよく、ちょうど最初の飲み頃ではないかと思います。是非、この機会にシャルドネの真髄の一端をご堪能下さい。ご紹介のワインについてのお問い合わせは株式会社AVICOまで略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
前回、ドレスコード、中でも「ジャケット着用」の可否について書かせていただきました。女性の場合、レストランへ出かけるのに色々な服装を楽しめるのですが、男性の場合、ジャケットやスーツをベースに、シャツ、さらにネクタイやカフスなど、微妙な差異のお洒落具合に気を配る必要があります。これはこれでとても素敵なことだと思うのですが、ほかの服装の可能性はないのでしょうか。 まず、日本人である限り、和装という選択はあります。ただ、日本料理であれば当然ありと思いますが、フレンチでは余りお目にかかったことがありません。履き物が気になります。サンダルなどはアウトというのがマナーですので、草履とかどのように解釈するのだろうか。女性ですと着物もありかと思いますが、男性はなかなか難しいですね。 では、他に着ていくものがないかと言えば、実は「制服」というのがあり得ます。もちろん、職種にもよりますが。筆者はパリで軍服を着た男性をグランメゾンで目撃したことがあります。もう、四半世紀も前のことですが、パリ十六区にあった「フォージュロン」というグランメゾンでのことです。筆者が出かけていた頃は二つ星でした。十六区は保守的な右岸(リヴ・ドロワット)の高級住宅街で、晩年のマリア・カラスなどが住んでいました。筆者が出かけた頃はロビュションもポアンカレ通りにありました。フォージュロンはトロカデロ広場のすぐ近くにありました。トロカデロ広場にかかるイエナ橋を渡ると目の前にエッフェル塔があるというロケーションです。 料理もそうですがクラシックな店で、店構えや内装なども「ブルジョワ」という言葉がピッタリ。当時としても珍しかったのですが、食後にシガーのワゴンサーヴィスがあり、必ずやゴロゴロと音を立てながらワゴンがどのテーブルにもやって来て、「シガーはいがかしましょうか」とメートルに尋ねられるのです。嗜む者はほんの少数で、ほぼ儀式化していたのですがそれがまた味わい深いというか、独特の雰囲気を醸し出していました。筆者がこの店によく出かけたのは、ジャンボンさんという世界一になった(田崎真也氏と同じコンクール)ソムリエがいたからで、このソムリエのワインリストが素晴らしかったからでした。 そんなフォージュロンを訪れたある日、若いカップルが客にいました。驚いたのは男性が軍服を着ていたのです。男性というより青年いや少年といってもよい顔立ちで、なんとも初々しい。軍服も礼装用なのでしょうか、宝塚歌劇団の『ヴェルサイユの薔薇』でアンドレが着ていそうな(オスカルではありません)スマートでお洒落ないで立ちでした。ナポレオンコートなどフランスの軍服はファッションに転用されていますし、良くも悪くも古色蒼然としたレストランにふさわしく、かつ華を添えてくれていました。本人はグランメゾンなど初めてで何を着て行ってよいか迷った挙句、礼装用の制服を着てきただけかもしれませんがこれはこれで見事なコーディネイトでした。では、これはフランスならではのことかと言えば、筆者は日本でもフレンチで制服を着た方々にお目にかかったことがあります。それはパリに出かけるさらに前ですので三十年近く前になりますがクリスマスディナーの席でした。当時、クリスマスは若者の一大行事で、都内のホテルやレストランは一年前から予約しないと取れない場合がありました。しかも、ディナーは二回転、三回転とまともな食事の体を成していませんでした。そこで、筆者は御殿場に新しくできた「オーベルジュ・ブランシュ富士」でクリスマスを過ごすことにしていたのです。御殿場駅からタクシーで十五分ほど山中湖に向かう国道138号沿いにあったオーベルジュで1991年に開設、一度改装を経て2013年に閉館しました。さすがに雪さえ混じることもある冬のさなかにここまで人は来ないので、静かなクリスマスを過ごすことが出来ました。ところがある年のクリスマスイヴの夜、ディナーをしにレストランへ降りていくと制服を着た団体の方々がいらっしゃったのです。宿泊客は自分たちを含め。二、三組だったと思いますので、制服を着た方々のほうがはるかに多かったのです。ご存じのように、御殿場には陸上自衛隊の演習場や駐屯地があります。調べますとすぐのところに、富士駐屯地があり、そこには学校や病院もある模様。おそらく、そこの関係者のお偉い方々の忘年会を兼ねた会食ではないかと。長いテーブルに制服を着た自衛隊員の方々がずらりと並んで会食されている光景を目にしながら、クリスマスディナーをいただくのも一興でした。本当にマナー良く静かに食べられていて感心した記憶があります。その制服もフランスとは違って地味ではありますが、颯爽としてカッコいいものでした。ただ、階級などの違いはあるのでしょうがどの方も同じ服装でそれはそれで壮観でした。こうして考えてみますと、制服ということでしたら、警察とか消防でも礼装用があるかと思いますし、パイロットやCAもありそうですが、そのような制服でレストランに来られることはまずないかと思います。今後ますますジェンダーフリーの世の中になっていくでしょうから、ドレスコードも変化していくかもしれません。まずはスーツやジャケットの中で微妙な差異を楽しむお洒落を身に着けていくことこそ、新たなファッションへと繋がる道だと考える次第です。今月のお薦めワイン イタリアワインでジビエに合わせるとしたら?「ゲンメ 2011年 ロヴェロッティ」 6800円(税抜)ジビエと言ったらフレンチばかりではありません。イタリアンだって黙ってはいないでしょう。イタリアンにあってフレンチにないのはパスタ料理。ジビエを使ったパスタ料理に合うイタリアワイン。ヒントは前回のポマールです。イタリアワインでポマールに相当するワインを探せばよいのです。フランスワインの二大産地はボルドーとブルゴーニュ。イタリアワインの二大産地はトスカーナとピエモンテ。ボルドーはトスカーナに。何故なら、サッシカイアといったボルドーの葡萄品種を用いる銘酒も造っているから。ブルゴーニュはピエモンテに。どちらも単品種(ピノ・ノワールとネッビオーロ)からのワイン造り。ポマールはブルゴーニュでボーヌでした。ブルゴーニュの赤のメインはニュイ。ということは、ピエモンテのメイン(バローロとバルバレスコ)が州の南部ですので、州の北部のワインを探せばよいのです。その中でお薦めなのが「ゲンメ」。中でもロヴェロッティは「賞賛されている」(アンダースン、『イタリアワイン』)代表的造り手です。北ピエモンテだけで混醸用に用いられているヴェスポリーナが15%、ネッビオーロ85%というのも個性的。香水のような魅力的な香り、口中に広がる味わいも格別。ですので、しっかり空気に触れさせてから飲まれるのが良いでしょう。ジビエの個性に負けない主張を持った美味しさ。エチケットもお洒落です。購入先はアヴィコインラインストアまで略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
『美食通信』第2回 「三つのロビュションとドレスコード」筆者が島田さんと出会ったのは、恵比寿ガーデンプレイスにあるシャトーレストラン「ジョエル・ロビュション」の一階、『ミシュラン』二つ星の「ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロビュション」で行なわれたワイン会でのことでした。同じシャトーの二階には三つ星の「ジョエル・ロビュション」があり、六本木ヒルズにはこれまた二つ星の「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロビュション」がありますので日本だけで七つ星。本拠地パリでは右岸と左岸に二つ星の「ラトリエ」を二軒持つだけですので、日本人のロビュション贔屓がいかなるものか。ちなみに、日本の一階はフランスでは「零階」ですので、本格のグランメゾンはフランスの一階即ち日本の二階にホールを備えます。例えば、日本では昨年惜しくも閉店した老舗、芝の「クレッセント」などがそうでした。そして、一階は宴会場などに。 ある日、大学に出講する電車の中で携帯に着信があり、折り返し電話してみると高校の同級生が夜、ロビュションに来れるかと。主催するワイン会の記念ディナーを盛大に行なうとのこと。当日来れなくなった方が出たようでピンチヒッターという訳。大人数の宴会が苦手なのでお断わりしようと思ったのですが、招待してくれるというのでロビュションの宴会料理がどの程度のものか確かめたくなり、出かけることに。宴会なので当然、一階の「ターブル」だと。承諾すると友人は「ところでジャケットは着ているだろうね」と聞くではありませんか。筆者は講義の際、ジャケットを必ず着るようにしています。そこで「着ている」と答えると「それならよろしい」と来場をお許しいただけた次第。しかし、筆者のジャケット着用はお洒落でも権威付けでもなんでもなく、貴重品などを身に着けておくとか、チョークで汚れてもよいようにいわば作業着感覚で実用的な発想からのこと。 実はこの時、筆者の脳裡にはかつて二階のメインダイニングに出かけた時のことが。それは1994年秋の開店から少し経った1995年の二月頃だったと。しかも、当時は「ジョエル・ロビュション」ではなく、「タイユヴァン・ロビュション」でした。ガーデンプレイス開場の目玉として、鳴り物入りで、パリの三つ星の老舗「タイユヴァン」のサーヴィスと「ロビュション」の料理のコラボ、世界初の「六つ星」だ、と。「タイユヴァン」はジャン=クロード・ヴリナというサーヴィス出身者がオーナーで、そこで地下には「カーヴ・ド・タイユヴァン」というワインショップも併設されました。とにかく予約が取れなくて、ようやく年明けに空きが出て出かけることに。その際、ドレスコードの「ジャケット着用」でちょっとした事件が。 「ターブル」も「ジャケット着用」なのか、と。HPを調べてみると、二階は「男性のお客様はジャケット又は襟付きシャツのご着用をお願いします」とあり、階下の「ターブル」も同じ文言が。ということは、「ジャケット着用必須」はワイン会主催者の意向で格式ある祝宴なのだろう、と。まずいな。案の定、講義を早めに終え、タクシーで駆け付けると着飾った人々の群れが。そそくさと指定された席に着くとヨレヨレのジャケットを着た筆者とは対照的にお洒落なスーツをばっちり着こなした紳士が隣にいらっしゃるではありませんか。この方は常連に違いないと、初めて参加して何が何だかわからない筆者は初対面なのにその紳士にあれこれ聞きまくってしまったわけで。で、その紳士こそ、島田さんだったのです。 ところで四半世紀前、筆者の訪れた二階のメインダイニングは本当に「ジャケット着用必須」だったのです。つまり、現在は認められている「襟付きシャツの着用」は許されていなかった。そこで事件は起りました。その日、筆者に同行したのは教え子でした。当時、筆者はワインを本格的に学び始め、たまたまその学生もワインを勉強していて、講義の後は必ず一緒にワインを飲み歩く仲で、彼の誕生日を祝う会食だったのです。筆者は「ジャケット着用」と聞いていたので念を押して注意したのですが、現われた彼は白地のお洒落なドレスシャツを着ていました。ブランド物でこの日のために新調したとのこと。もちろん、「襟付き」でした。一方、当時尖がっていた筆者はジャケット着りゃいいんだろうとばかりに、ゴルチエのヒョウ柄のジャケットを着て行ったのです。で、悲劇的な結末に。クロークで、彼はひきとめられ、レストランの用意した不釣り合いな冴えないジャケットを着させられたのです。折角のシャツはお隠れになりました。一方、筆者はもちろんお咎めなし。しかし、メートルは明らかに怪訝な顔つきに。彼と言えば、怒りの矛先を探そうにもどうしようもない訳で。何とも気まずい高級ディナーとなった訳です。 この杓子定規さはさすがに現在、なくなったようです。しかも、ヒルズの「ラトリエ」には恵比寿のようなドレスコードは書かれていません。「ラトリエ」は親日家だったロビュションが寿司屋からヒントを得たカウンターが主の店で、パリが二店とも「ラトリエ」であることからもわかるように現在はこのスタイルがロビュションではスタンダードです。筆者は台北旅行の際、「ラトリエ」によく出かけます。台北はまだフレンチが少なく、『ミシュラン』で星を取っているフレンチは「ラトリエ」だけだからです。まあ、気軽なもので皆さん、ポロシャツとか普段着でランチされています。着飾った方もお見受けしますが。もちろん、値段は立派なものです。 こうしてみますと、ジャケット着用の是非というより、グランメゾンにはそれに相応しいお洒落をして行くことが求められているというのが結論です。とすれば、二十五年前の彼は間違っていなかったことになります。まあ、この連載を読まれている方々には自明の理かも知れませんが。それでも逆説的になりますが、筆者はジャケットを着ていくことをお薦めします。それはグランメゾンの場合、テーブルで会計しますので支払いの際、バックをまさぐったり、お尻のポケットから財布を出す等々はやはりスマートではないからです。もちろん、常に誰かが払ってくれ、自分が支払うことのない殿方であれば、それに相当しません。羨ましい限りです。今月のお薦めワイン ジビエと合わせたい赤ワイン「ポマール レ・ペリエール 2015年 ドメーヌ・セバスチャン・マニャン」 7200円(税抜)そろそろジビエの時期も終わりが近づいてきました。コロナ禍で外食はままなりませんが、昨今はお取り寄せで「家ジビエ」を楽しんでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。そんなジビエに合うワインはと申しますと、やはりちょっと「クセのある」ものの方がよろしいか、と。ボルドーであれば、古典的なメドックより右岸のポムロールとか。コート・ドールであれば、やはりニュイよりボーヌの赤。お薦めはポマール村のワインです。ブルゴーニュにしてはタンニンしっかりで飲みごたえもバッチリ。お肉の個性に負けません。今回紹介するのはさらに畑の名前も明記されていますのでワンランク上の味わいが。しかも、2015年はヴィンテージが良いので今飲んでも美味しいですし、まだまだ寝かせることも出来ます。造り手のセバスチャン・マニャン氏はムルソーにあるドメーヌの四代目。1981年生まれで欧米の多数のワイン雑誌から若手の有望な造り手として評価されています。レストラン卸しが主のインポーターさんからの直販ですので完売かヴィンテージ変更の可能性があること、ご了承下さい。前回のシャンパーニュ同様、一般には手に入らないワインですのでこの機会に是非。購入先はこちらのAVICOオンラインストアまで略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
『美食通信』第1回「オールマイティーだが奥深いシャンパーニュ」あけましておめでとうございます。そしていよいよ、この『美食通信』も本格的にスタートです。どうか、よろしくお願いします。さて、おめでたい席でのお酒といったら、やっぱりシャンパーニュですよね。フルートグラスの底からツゥーっと一直線に立ち昇る泡、口の中で弾ける炭酸の爽快さ。どれも心華やぐものです。宴席の乾杯だけでなく、フレンチを食べに出かけた際もアペリティフ、つまり、駆け付け一杯、いや、スターターのようなポジションに思われがちなシャンパーニュですが、マナー的には、オードブルからデセールまですべての料理にマリアージュ出来る万能のワインなのです。そう、食前酒から食後酒までそれ一つで通すことが可能ですので、お酒があまり得意でない方は二人でシャンパーニュ一本オーダーすれば、最初から最後まで何も憂うことなく食事を楽しむことが出来ます。デートの際など、やはり二人だけのブテイユ(ボトル)のワインを分かち合うのがお洒落ではないでしょうか。また、通常のワイン(スティルワイン)の場合も抜栓から刻一刻と味が変化して行くのを楽しむのが通ですので、本来ワインはブテイユで注文されるのがスマートです。通常のワインと言ってしまいました。そう、シャンパーニュはスティルワインとは異なります。何処がと尋ねられ、発泡性と答えるのは正解ですがナイーヴな感じ、白・ロゼはあるが赤シャンパーニュは無いと答えるのはまずまず。期待される答えはノン・ヴィンテージが基本ということです。NVと書き、通は「ノンヴィン」と言います。スティルワインでヴィンテージが無いのは通常、最も安価なテーブルワインくらいで、千円以下で買えるチリワインにもヴィンテージは入っています。とりわけ銘酒にとってヴィンテージは重要で、年ごとにワインの出来不出来があり、価格も大きく変わってくるのです。それに対し、シャンパーニュはいつ飲んでも同じ味であることが基本になります。そこで、違った年のワインをブレンドして味を調整してから、瓶の中で二次発酵させ、発泡酒に仕上げるのです。どの作り手の味が好きかという選択を楽しむのです。例えば、「(ヴーヴ)クリコはちょっと酸が強いので、自分はボランジェが好き」とか。この作り手、ボルドーでは「シャトー」、ブルゴーニュでは「ドメーヌ」、シャンパーニュでは「メゾン」と呼ばれるのが通例です。そして、贔屓のメゾンを見つけ、特別な日にはワンランク上のヴィンテージの入ったシャンパーニュを開けるのが通。ボランジェであれば、「グランダネ(偉大なる年の意)」以上の銘酒になります。では、何故シャンパーニュ地方は発泡酒を造ることになったのでしょう。それは使われている葡萄を見ればわかります。シャンパーニュは、シャルドネ、ピノ・ムニエ、ピノ・ノワールの三種の葡萄をブレンドして造るのが基本です。そう、シャルドネ、ピノ・ノワールがブルゴーニュと被ってしまっているのです。スティルワインではブルゴーニュに敵わないので、発泡酒に活路を見出した。その元祖がドン・ペリニヨン師(伝説)という訳です。そして、三種のブレンドを軸として、シャルドネだけで作られた酸の効いた爽やかな「ブラン・ド・ブラン(白の白)」、ピノ・ムニエと(あるいは)ピノ・ノワールの赤葡萄だけで造られたコクのある「ブラン・ド・ノワール(黒の白)」というヴァリエーションがあります。果皮を取ってしまうので赤葡萄(黒)で造っても透明なシャンパーニュ(白)が出来るという訳です。また、実は本来、シャンパーニュでは八種類の葡萄を使うことが許可されていて、この八種類全部を用いて伝統的なシャンパーニュを造る「L・オブリ・フィス」が人気を博し、上記三種以外の葡萄を用いる造り手も増えてきていることを記しておきましょう。では、最後にシャンパーニュの奥深い世界を垣間見させてくれる尺度をお教えしましょう。それは「糖度」です。瓶の中で発泡酒となったシャンパーニュは最後に「デゴルジュマン」と呼ばれるオリ抜きをし、目減りした分に「ドザージュ」と呼ばれる糖分添加をして最終的な味の調整を行います。通常、供される「ブリュット」は辛口という意味ですが、それでも一リットル当たり15g以下の補糖が為されています。昨今は辛口が流行のようで、まったく補糖していない「ブリュット・ナチュール(自然のままの辛口、ノンドゼ、ブリュット・ゼロなどとも呼ばれます)」は3g以下。そこから、50g以上という一番甘い「ドゥー」まで七段階の規定があります。シャンパーニュ愛好家ともなるとメゾンの違いはもとより、この「甘さ」の違いがわかることが必須のようです。とりわけ、珍しくなってしまった「甘口」のシャンパーニュに魅了されるようで。筆者の如き、赤ワイン党には近づきがたい境地に達していらっしゃる。かくも深淵なるシャンパーニュ。ワインの世界は底知れない魅力にあふれています。今月のお薦めワイン 新年を祝うシャンパーニュ「プルミエクリュ キュヴェ ブラン・ド・ノワール NV ドメーヌ・ゴネ・メドヴィル」 6900円(税抜)ブルゴーニュの赤好きの筆者はやはり、シャンパーニュもピノ・ノワール100%のブラン・ド・ノワールを選んでしまいます。通常の三種混合のもの(このメゾンでは「トラディション」と命名)より色は黄色がかり、味もシャルドネの酸がない分、コクを感じることでしょう。飲みごたえのある仕上がりです。今回選んだのは、メニル・シュール・オジェの有名メゾン、フィリップ・ゴネ家の御子息とボルドーはソーテルヌのこちらも有名シャトー、シャトー・ジレットのメドヴィル家の御令嬢が結婚され、2000年にヴァレ・ド・ラ・マルヌのビスイユ村に設立したメゾンのもの。もちろん、レコルタン・マニピュラン(RM、自分の畑で栽培した葡萄のみでシャンパンを造るメゾン)。実家のフィリップ・ゴネはブラン・ド・ブランで有名ですが、こちらはどちらかと言うとピノ・ノワールに力を入れている様子。ブラン・ド・ブランはグランクリュのみ。ブラン・ド・ノワールはプルミエクリュ、グランクリュ両方で造っています。最先端の醸造施設で造られるモダンなシャンパーニュを手頃な価格で楽しめる逸品。購入先はこちらのAVICOオンラインストアまで略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修FACE BOOOK関修公式HP
Read more →
by Osamu Seki
みなさまこんにちは、この度The Cloakroom Tokyoのメールマガジンをリニューアルいたします。これまでの新商品の入荷情報やイベントのお知らせに加えて、豪華な連載陣による食やお酒についてコラムなど、洋服やファッションをより一層楽しむための話題を盛り沢山でお届けいたします。今回はリニューアル準備号として関修先生による『美食通信』連載第0回をお届けしいたます。ビシッとお洒落して出かけたい場所と言えばやっぱり素敵なレストラン。素敵なロケーションで美味しいワインと料理の数々、ご一緒するのはご家族、ご友人、恋人などなど楽しい風景が思い浮かびます。エレガントなスーツでタイドアップして大人に楽しむ、The Cloakroomとしてはこんな時間の過ごし方をご提案したいと考えています。関先生の連載ではその豊富なご経験や鋭いご考察がとても為になるお話や、毎月のおすすめのワイン情報や美味しいレストランをご紹介いただきます。レストランごとの格式に合わせた服装の参考になるドレスアップ指数も楽しみにしてください。関先生との出会いはここでご紹介すると長くなってしまうので別の機会にしますが、私のような者にも色々と非常に良くしてくださり大変お世話になっております。「イケメン」「ホスト」「ジャニーズ」などその豊富な研究領域には圧倒されるばかりです。きっとその辺りもそのうち話題にしていただけるのではないでしょうか。2021年には皆様と一緒にワインやお食事を楽しむイベントを企画したいと考えています。今回はプレということで第0回、第1回は年末か年始ごろの予定です。是非お楽しみください。服屋のメルマガとしては異例の文字数かと思いますが内容の面白さには自信があります。お時間のある際にお付き合いくださいませ。The Cloakroom Tokyo島田雅史『美食通信』第0回「初めてのボジョレ・ヌーヴォー」十一月のワインと言えば、ボジョレ・ヌーヴォー。毎年、第三木曜日の午前零時に解禁となります。今年は十九日。今や、スーパーやドンキで売られるプラスチックボトルの廉価なものから自然派の巨匠が創り出すプレミアワインまで種類も価格も様々でどれを選んで良いか困ってしまわれる方も多いかと思います。 筆者は初めてボジョレ・ヌーヴォーを飲んだ時のことを鮮明に覚えています。それは、一九八〇年、大学に入学と同時にフランス料理を食べ歩き始めてから数年のこと。行きつけの店を見つけ、その店でのことでした。時差の関係でフランス本国はもとより先進国でどこよりも早く解禁になるということで、八〇年代後半のバブル期に成田空港までヌーヴォー列車が出て、空港でまさに狂宴が催される前。解禁日が現在のルールになったのが八四年とのことですので、その頃だと思われます。日本に初めて空輸されたのが一九七六年と言われていますのでそれでも十年近く経っていたもののそれまで一度もお目にかかったことはなかったのです。つまり、その当時、ヌーヴォーはまだレストランでしかお目にかかれない貴重なワインだったのです。 フレンチと言えば、ホテルや会館系が主流、街場でもマキシム、レカンなどグランメゾンが中心の時代でした。そんな中、代官山の外れにフレンチなのに何故か「ヴィスコンティ」という名のこじゃれたレストランがありました。平幹二朗氏や小川眞由美氏といった名優が常連で、当時のグルメ番組の代表『料理天国』(TBS)でも紹介されました。父の援助もあって顧客となり、若き廣田亮シェフにも可愛がっていただきました。そして、秋も深まったある日、父と銀行の部下の女性たちとヴィスコンティを訪れたときのこと。シェフがとっておきのワインが手に入ったといって恭しく持ってきたのがボジョレ・ヌーヴォーだったのです。エールフランスのシールの貼られたそのブテイユ(ボトル)はもちろん、ジョルジュ・デュブッフのものでした。ヌーヴォーを世界に広めたのはひとえにデュブッフの功績と言えましょう。そして、それは彼の盟友である「ヌーベルキュイジーヌの皇帝」ポール・ボキューズ氏の協力あってのことでした。ボジョレーはブルゴーニュワインの一つに分類されます。ブルゴーニュワインは、シャブリを有する飛び地のヨンヌ県と北はディジョンから南はリヨンまでのソーヌ河沿いの地域で作られています。その南端、リヨンのすぐ北に位置するのがボジョレー。ボキューズ氏のレストランもリヨンの北10kmほどのコロンジュ=オ=モンドールにあります。この地域の赤ワインは他のピノ・ノワール種と違いガメイという葡萄から作られており、製法も異なっています。ヌーヴォーのみならず、通常のボジョレーも早飲みのワインなのです。これが噂に聞くボジョレ・ヌーヴォーか。フランス料理を学ぶのにまだ精一杯で、ワインに開眼するにはさらに十年ほど時間を要した自分にとって、エールフランスのシール、空輸という威厳は重々しく、六千円という価格も立派でただただ有難く頂戴した次第です。ただし、それ以降、飲んだ記憶もなく、その後ボルドーにはまってしまった筆者にとって、最も遠い存在の赤ワインとなりました。しかし、当時の輸入ワインのほとんどは熱劣化などで傷んでいたのを知る今となっては、あのボジョレ・ヌーヴォーは皮肉にも良好な状態で飲むことの出来た貴重な一品であったのも事実です。昨今のヌーヴォーの多くは早い時期にリーファーコンテナに積まれ船便で日本へと送られてきます。空輸はコストもかかりますし、これだけ多くの方が飲まれるようになれば、空輸だけでは運びきれません。しかし、これも皮肉なことに、このコロナ禍のせいで、今年は乗客の代わりにヌーヴォーを乗せた飛行機が多く来日しているそうです。今も航空会社のシールが恭しく貼られているかは知りませんが、皆さんのお飲みになられるヌーヴォーが何に乗ってこの遠い極東の地までやって来たのか、思いを馳せるのも一興かと思います。最後になりますが、私、関修と申します。大学教員で専門は現代フランス思想、文化論。フランス料理に魅せられて四十年、フランスワイン愛好家歴も四半世紀を超えました。(一社)リーファーワイン協会理事も務めさせていただいております。昨年、敬愛するフランスの美食批評家ジル・ピュドロフスキの『ピュドロさん、美食評論家はいったい何の役に立つんですか?』の翻訳を上梓しました。日本のピュドロになるべく、精進の日々。次回より、本格的に連載を始めさせていただく所存です。どうか、よろしくお付き合いください。今月のお薦めワイン ボジョレ・ヌーヴォー 「ボジョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォー 2020年 ドメーヌ・メジア」 3980円(税抜)次回の本格的な開始と共に毎回、「今月のお薦めワイン」をご紹介し、購入していただけるよう調整中です。しかし、ここに来て、「明日、羽田にワインが着きます」と連絡をくれたインポーターが。実は高校の同級生で、某フランスの航空会社に勤務していました。その航空会社が顧客にプレゼントする非売品のヌーヴォーがこのメジアのもので、彼はカーゴの責任者としてドメーヌとの窓口になっていました。で、ドメーヌから日本でワインを売って欲しいと頼まれ、独占販売契約権を取得し、退社して販売を開始した次第です。メジアはクリュ・ボジョレという村名ワインを名乗れる村の一つ、シルーブルを代表する作り手。クリュに数えられる村から生まれるヌーヴォーは格上のヴィラージュを名乗れるのです。当然、某フランスの航空会社の飛行機でやって来た、これまで限られた方しか飲むことの出来なかったヌーヴォーをぜひこの機会にお試しあれ。購入先はメジアジャポン エルワインブティックまで。なお、写真ですがエチケットにヌーヴォーの記載はなく、裏のラベルにヌーヴォーとヴィンテージが書かれています。ご了承下さい。略歴関 修(せき・おさむ) 一九六一年、東京生まれ。現在、明治大学他非常勤講師。専門は現代フランス思想、文化論。(一社)リーファーワイン協会理事。著書に『美男論序説』(夏目書房)、『隣の嵐くん』(サイゾー)など、翻訳にオクサラ『フーコーをどう読むか』(新泉社)、ピュドロフスキ『ピュドロさん、美食批評家はいったい何の役に立つんですか?』(新泉社)など多数。関修公式HP
Read more →